2007年05月30日

アマゾンで本を注文する

 別にアマゾンを敵視している訳じゃないのだけれど、今までアマゾンで本を注文したことがなかった。ネットで本を注文することは度々あったのだけれど、たとえば「本屋タウン」などで画面から注文し、受け取りは有隣堂でするみたいな感じで、最後は本屋さんで本を受け取りたいと思っていた。それにそうすることで本屋に足が運べるという利点もある。もしかしたら面白い本が他にもあるかもしれないし・・・。
 それは長いこと本屋で働いてきたから、本は本屋で買うものだという意識が残っているからかもしれない。そのため私はコンビニでも雑誌はほとんど買わない。(立ち読みはするけれど)
 今回アマゾンで注文したのは、紀伊国屋のサイトで検索したら、この本は注文できないと出てきたのである。どうして注文できないのかよくわからないが、要するに本屋で「不扱い」の本だということなのだろう。その本は神戸の出版社なので、一般的な流通経路に乗らない本なのかもしれない。東京にいる私がこの本をいつものように「本屋タウン」経由有隣堂で注文すれば、結構時間がかかるかもしれないと思い、直接版元のサイト行って取り寄せようとする。そうすれば早く手元に本が届くと思ったのである。そのサイトへ行って見ると、注文は受けるが、送料が210円かかるという。う~む、210円か・・・とちょっと考えちゃったのだ。この本は1,500円以上する。そうだアマゾンなら送料は無料だと思い、アマゾンで注文してみようと思った。
 初めてなので、諸手続をして注文する。でもやっぱり時間がかかるようで発送予定は6月18日から30日になるという。まぁ仕方がない。
 でも、一昨日メールがアマゾンから来ており、本を発送したという。なぜ6月の発送予定が早まったのかわからないけれど、欲しい本が早く手元に届くのはうれしい。さすがアマゾンとちょっと見直しちゃった。
 私は何度も言うようにアマゾンを敵視している訳じゃない。どこで本を買ってもいいとさえ思っている。要は欲しい本が欲しいと思っている人に、できるだけ早く手元に届けばいいのだと思っている。リアル書店には実際に本を手にすることができる利点があるけれど、欲しい本がないという現実もある。だから本を注文するという行為をするわけだ。けれどその手続きが面倒な部分もある。しかも注文した本がいつ手元に届くのかはっきりしない。確かに書店にしてもそれをはっきりさせたいのだけれど、それができない現実がある以上、注文してから1週間から2週間と、経験則から言うしかできないこともわかっている。けれど注文した者にとってみれば、これほどいい加減な答えはないと思う。
 このあたりがネットの本屋さんははっきりしていて、いついつまでに発送しますときちんとメールで知らせてくれる。たぶんこれがネットの本屋さんの生命線なのだろう。
 しかし考えてみれば、こうしたことがリアル書店ができなかったということにもなる。そして未だにそれができないでいる現実が、本屋離れを進めていないだろうか?
 しかもネット注文すれば、後は待っていればいいのだ。わざわざ本屋さんに行く必要もない。支払いもカード決済だから、受け取るだけ。
 こうした便利な状況下で、お客にわざわざ足を運ばせるわけだから、リアル書店はもう少し謙虚なる必要がある。けれど相変わらず無愛想で、無知な書店員ばかりじゃどうしようもない。せめて棚にある本でもおや?と思わせるくらいあったら、まだ救われるけれど、それも望む方が難しい状況。仕方がないとはいえ、悲しくなってくる。中小書店がつぶれていくのも当然なのかもしれないなんて、またしても愚痴ってしまった。
 それにしてもこうも簡単に、しかも楽に本が手に入るのを知ってしまうと、アマゾンにやみつきになってしまうかもしれない。それを考えるとちょっとおそろしくなってくる。

2007年05月25日

どうなっているんだろう?

 最近の世の中の傾向として、どうしてこうなるのか理解できなくても、手順通りやれば、結果としてできてしまうことが多い。過程が分からなくても、結果が出てしまうということである。もちろんその中でどんなことをしているのか、説明されたって分かるもんじゃないけれど、考える道筋として、こういう過程を通しているから、結果こうなったと分かった方が、頭の中に入りやすいと思うのだが、そんな説明を簡単にできるものではないから、その部分は省いてしまい、できればいいじゃんということですましている。まぁ、確かにそれで何とかなっちゃうからそれでいいのかもしれない。

 PASMOのことである。PASMOが発売されて、新しもの好きの私はすぐ飛びついて、定期券をPASMOにしてルンルンの気分でいた。けれど当初から気になっていたことがある。これで定期券を継続する場合どうすりゃいいんだということである。PASMOにすれば、わざわざ定期券売り場で、名前や住所、どこからどこまでの区間の定期を買うのか、紙に書いて購入していたのが、駅の券売機で簡単に継続できると聞いていて、こりゃいいやと思っていた。
 しかしそのやり方が分からない。娘にどうすりゃいいんだと聞いても、パネルの指示通りやりゃあいいんだよと素っ気ない。やればできるのだろうけれど、やる前からできなかったらどうしようと思っちゃうのだ。
 まぁなんとかなるだろうと思い、昨日岩本町の駅の券売機でPASMOの更新をした。駅に着くと先客いて、PASMOの更新かチャージか分からないが、画面に食らいついて、操作をしている。が、どうもうまくいかないようで何度もやり直している。おお、ご同輩、あなたも私同様初めてですな。頑張ってくださいなんて思って、とにかく彼の後ろで彼が終わるのを待っていた。が、どうもうまくいかないらしい。何度も何度もやり直している。最初は待っている私は温かい目で見ていたのが、だんだんイライラしてきて、そのうちできないならさっさと帰ってほしいなぁと思うようになる。
 しばらくして彼は諦めたようで、そこを離れる。そして私の番である。え~と、まずはPASMOのところをタッチして、次に出てきた画面の定期券をタッチする。新規と継続の選択する画面が出たので、継続をタッチ、するとPASMOを入れろという指示が出るので、持っているPASMOを入れる。私のPASMOがスキミングされ画面に出る。期間を3ヶ月として、お金を入れろと出てくる。お金って、どうやって入れればいいんだと思い、画面を見ると、まとめてお札を入れていいとあるから、その通りすると、札入れのところから1枚ずつ持って行く。画面では機械に入った金額がカウントされ、やっとPASMOの継続ができた。おお!できたじゃないか!と感動しつつ、うんそれほど難しくなかったなと思う。なのにあの人なんで何度も失敗していたんだろう?
 券売機から出てきたPASMOを見て不思議に思った。前の表示のあとがどこにもない。更新された有効期間がきれいに表示されている。ということはこれは更新されたものだけれど、前のPASMOとは違うものなのか?データを前のPASMOから引き継ぎ、更新して新しいPASMOが発行されたのだろうか?ということはこの券売機の中に古い私のPASMOがあるのだろうか?
 それとも持っていたPASMOにきれいに上書きして作られたものなのだろうか?それにしてもうまくできるものだ。いったいどうなっているのだろうか?
 更新されたPASMOを眺めながら、券売機の中で何をしているのか知りたいと思ったが、一方でそんなことを知らなくても、PASMOが更新できればいいんじゃないのと思う自分もいる。

2007年05月14日

17回忌

 昨日母の17回忌を行った。17回忌となると、法要に参加するの身内だけになる。身内だけでもこうして一同集まるのも大変なのだから、人様にわざわざ遠路はるばる足を運んでもらうのも大変だし、迷惑な部分もあろう。だから身内だけで法要をいとなむのでいいと思う。派手なことが嫌いな母であったから、この方が気が休んでいいのではないかとも思ったりする。
 寺での法要も思ったより早く終わった。坊主が手を抜いたのがよくわかる。待合室で待っていた他の家族がいたので、きっとこの後法要が立て込んでいるのだろう。まぁ、それでもいい。
 早々食事をする場所に移動する。私の娘や息子はそれまで学生服で出席していたが、今回二人とも喪服を着ている。いっぱしの法要参加者になっている。それだけ母が死んでから年数がたっていることを思い知る。久しぶりに身内が一同顔を合わせたことで、会話も母のことよりも、自分たちの話が中心であった。17回忌ともなればそんなもんなのだろう。いつまでも母が死んだことをくよくよしていられるほど、世間は優しくない。正直な話、もう17回忌かといった感じだろう。
 それでもこうして母のために一同時間を作って、法要をし、食事をして、笑いあえることをよしとすべきなのだろう。偶然今日は母の日でもあった。本来なら母に対して感謝すべき日であるのに、逆にみんなのために顔を合わせる機会を、母が作ってくれたようでもあった。

2007年05月11日

ATOKと万年筆

 調剤から、不要になったパソコンをもらい受けた。ソフトを完全にインストールしていなかったので、こうした文章を書くとき、いつも使っているATOKではなく、MicrosoftのIMEで日本語入力をしばらくやっていたのだが、どうも使い勝手が悪い。いまやMicrosoftのIMEがデフォルトスタンダードになっている時代で、ATOKなど使っている方が、希少価値的存在かもしれないが、私はこの方がいい。頭に浮かんだ文章など、スムースにパソコンに表示できる。要は慣れの問題なのだろうけど、昔からATOKを使ってきたから、この方がストレスなく使えるのはありがたい。
 最近のATOKは広辞苑も辞書として搭載してくれるので、こうして文章を書くに当たり、言葉を選ぶ時も結構重宝する。
 たまたまパソコンに一太郎とATOKをインストールし終えたとき、ユーザーにおまけとして西暦和暦変換辞書がネットからダウンロードできることを知った。どんなものだろうと思いダウンロードしてセットアップしてみると、これは便利だ。実をいうと結構これで困っていたのである。
 私は自分の蔵書をパソコンで管理していることはたびたび書いてきたが、そこに本のデータを入力する。そのとき発行年月日を西暦で入力している。ところが本の奥付には和暦で書かれていることが多い。入力時それを西暦に直している。最近の本なら和暦を西暦に直すことは何ら問題はないのだが、古本だと結構面倒くさい。え~と、これは西暦だと何年だ?と考え込んでしまうのである。
 しかしこれがあるとそんなことに悩まなくてすみそうである。早速自宅のパソコンにも導入する。

 私はこうした文章を書くとき、最初に下書きをノートにする。パソコンの画面でいきなり書けないこともないのだが、考えながら書くときは、この方が書きやすいのだ。そのとき使うノートは無地のやつである。なぜなら使うペンがモンブランの太い万年筆で、ペン先も太く、どっぷりとインクの出るやつだからだ。そのため罫線が入っていると、はみ出てしまうのである。だから無地のノートを使っている。
 ノートはあくまでも下書きだから、殴り書きで書いて、気に入らなかった文章はその上から線を引いてしまうし、時には付け足したりして、見た目はかなり悪い。けれどこの方が簡単でいい。そんなことを繰り返しつつ最近は文章を書いている。
 この万年筆、書きやすいのだけれど、インクをかなり使うので、すぐインク切れになるのが難点といえば難点なのだが、でも書きながらそろそろインクを補充しないといけないなと思うことと、インク瓶からインクを補充する行為自体、ちょっとした一休みになっていいのだ。
 今こうして文章を書くに当たり、ATOKと万年筆が欠かせなくなっている。

2007年05月08日

ゴールデンウィーク本棚大整理 その3

 結局この連休で終わらなかった。途中でいやになっちゃった。それにしてもよくこんなに本が増えたものだ。読みたいと思った本をとにかく買ってきたから、こういうことになっちゃったわけだけど、半ば衝動買いみたいなところが、こんな状況を生んだといっていい。でも本屋で見かけたら、とりあえず買っておくという考え方は、それなりに苦い経験から生まれたものじゃないかと思ったりもする。
 私は本がたくさん読みたいから本屋勤めを始めた人である。高校時代、本を買うお金がそれほどなかったから、読みたいと思う本が買えなかった。大学に入り、バイトをするようになってから、それなりのお金を手にすることができるようになると、それまで欲しいと思っていた本をかったっぱしから買いあさった。
 けれど、本を買うお金はあっても、肝心の本が手に入らなかった。つまり古い本はかなりの数で品切れをおこしていた。それでもその本が諦められなかったから、今度は古本屋を歩き、探し回った。
 あのとき購入資金があれば、こんなに苦労しなくてすんだのにという思いがいつも当時はあった。もちろんそんなことを言ったってどうにもならないのだけれど、とにかく結構くやしい思いをしてきた。だから、見かけたら買っておく方が無難と考えてしまうのだ。つまり読むのはいつでもできる。まずはその本を手元に置いておくことが先だとずっと考えてきた。それが今の状況を生み出している。

 これでも二度大々的に本を整理している。大学卒業したあとと、結婚する前である。大学を卒業したあと、神田の古本屋に実家に来てもらい、本を持って行ってもらった。あのとき20万円ぐらいで引き取ってくれたはずだ。だってそのお金でステレオを買ったのだから・・・。
 もしあのとき本を売らなかったら、もっと数はあることになる。それこそ収拾がつかない状況に陥っているはずだ。
 今は、とにかく読むことにシフトしようと思っている。幸い本屋を辞めて、本を買うペースがガクンと落ちたので、読むことに重点が置けるのである。そうなのだ。本屋で働いていると、どうしても本を目にする機会が多くなるので、必然的に本が欲しくなるのだ。ある意味、こうして本が増え続けたのは、私が本屋で働いてきたことが最大の原因だろうと思う。

 本棚の整理はまた後でこつこつとやろうと思う。

2007年05月03日

ゴールデンウィーク本棚大整理 その2

 当たり前のことだけれど、本棚は本を収納する場所である。問題はどうのような感じで本を収納しているかである。たとえば読んだ本をかったっぱしから、本棚に突っ込んでしまうこともあるだろうし、私みたいに読みたいと思ったら、すぐ買ってしまい、とりあえず本棚に収める場合もあるだろう。(本当にあるかな?)その上で、ある程度ジャンル別や著者別など自分の好みでレイアウトして、本の収めるのではないだろうか?
 少なくと私はそうしてきた。それなりにこだわりがそこにはある。でも妙にこだわってしまうと、機能的でなくなる。結構不自由である。たとえば読みたい本が、手元になく、とんでもないところにあったりする。
 今回本棚の大整理をするのも、そんな不自由さを感じたからだ。とにかく読んだ本はこだわらず、上に上げてしまい、読みたい本を手元に置くことを重点に置いた。そうしたら、本棚の様相が変わった。まぁ当たり前といえば当たり前なのだけれど・・・。でも、これで読みたい本がすぐ手元にあるという安心感が生まれた。しばらくはこれでいこうと思う。
 ところで、こうして本の移動をしながら、棚にある本を見ていると、結構本を読んできたなぁと思う。棚にある本のほとんどが読んだ本で占められている。
 しかしそれらの本を眺めているうちに、最近どこか本を読むことに焦りを感じている。もっとはっきり言ってしまえば、ここのところいつも早く次の本を読まないとといった焦りみたいなものがある。何でだろう?昔は違ったと思う。結構楽しんでじっくりと本を読んでいたはずだ。
 とにかく最近は焦っている。もちろん本を義務で読んでいる訳じゃない。読みたいから読んでいる。でも明らかに昔とは違う感じで今はいるような気がしてしまう。もっと自由に、のびのびと本を読んでいいはずだ。
 棚に収まっている、かつて読んだ本を見ているうちにそんなことを思った。これからはもうちょっとのんびりと本を読めればいいなぁと思う。