2007年07月28日

突然の古本屋巡り

 クリフ・ジェーンウェイ・シリーズの最新刊を読んでいたら、なんか急に古本屋でも行ってみようかという気になった。考えてみたら古本屋巡りもしばらくやっていない。これといって目的の本はないけれど、何か面白そうな本でも見つかればいいかなぁと思ったのだ。そうだ、ついでに阿刀田高さんの『獅子王アレクサンドロス』も探してみよう。この本大野さんのブログからアマゾンのサイトへ行ってみると、古本しかないようだ。ということはもう新刊書店では手に入らないのだろう。でも神保町の古本屋街を歩けば見つかるかもしれない。
 まずは岩本町まで行き、VELOCEで一服する。持ってきたクリフ・ジェーンウェイ・シリーズの最新刊の続きを読みながら、汗が引くのを待つ。そのあとお茶の水へ行く。そのまま地下鉄で神保町まで直接行ってもよかったのだが、駿河台下の文庫の川村へ行ってみようと思ったので、その方向へ向かった。でも阿刀田さんの本は見つからなかった。
 というより、目的の本を探す気力がすぐ薄れていくのだ。膨大な文庫の量から、1冊の本を探すのはただでさえ大変なのだが、まずは店の本の多さにうんざりしてしまい、とてもじゃないが探す気になれなかったのだ。自分でもあれ?と思った。昔はこんなことはなかった。欲しい本、面白そうな本を探すのに結構必死に探したのだけれど、今日はそんな気になれなかったのである。しばらく棚を眺めたが、諦めて靖国通り沿いの古本屋街を歩く。
 でも、これは!という本がない。店の前のワゴンや店内をのぞくのだけれど、なかなか触手が動かない。実はこうなるだろうとは予想はしていた。ワゴンを一所懸命のぞいて、手には何冊もの古本を持っている人がいる。それを見て、そんなに読みたい本が手に入ったんだとうらやましく思った。
 確かに昔私が古本屋巡りを始めた頃は、ワゴンにも店の棚にも欲しい本がたくさんあった。結構わくわくしながら歩いたものでった。けれどそうして欲しい本が集まり始めると、今度は買う本が当然少なくなる。それが今の状況である。でももしかしたら掘り出し物があるかもしれないなんて淡い期待を持って今日来たのだけれど・・・。
 そもそもさっきの店のように、真剣に棚をそれこそなめ回すくらいの気合いがないので、店に入ってもさっさと引き上げてしまうのだ。古書センター内のお店など足の踏み場もないほど雑然としているのだが、それを見ただけで尻込みしてしまった。
 結局今日は、何の成果もなかった。買おうかどうか迷ったのはシムノンの文庫だけれど、それほど安くもなかったので買うのを止めてしまった。もちろん阿刀田さんの本も見つけられなかった。
 でも、信山社の講談社の文庫の棚にこの本があるのを見つけた。あれ?おかしいなぁ?この文庫もう新刊じゃ手に入らないのではなかったっけ?でも、ここにある。もしかしたら売れ残りか!なんて信山社にはまったく失礼なことを思いながら、あるならここで買おうとその文庫を棚から抜き出し、レジへ持っていく。手には読みかけの文庫を持っていたので、レジの女の子が気を利かせてくれ、買ったのは文庫本1冊だけど、ビニールの袋をくれた。例の漱石が書いた「岩波書店」の文字が入ったヤツである。
 失礼のついでに書くのだけれど、信山社は古ぼけちゃったなぁと思った。ホント久しぶりにこのお店に入ったのだけれど、昔はもっと店内はぴかぴかに明るかったはずだ。あの柴田さんの「ヨキミセサカエル」の栄光はどこへ行っちゃったんだろう?(こういうマニアックなことは書かない方がいいかもしれないが・・・)新刊書店なのに古本屋さんみたいな風格さえ感じてしまった。
 そのあと東京堂へ行って集英社文庫を1冊買って帰った。
 今日は暑かった。ニュースによると東京の今日の最高気温は32.3度だったという。古本探しに無気力だったのはこの暑さのせいかもしれない。それこそ「太陽のせいだ」なんてしゃれたこと言ってしまいそうだ。(今日はちょっとおかしいかもしれない)
 ところで阿刀田さんの本だけれど、あとで紀伊国屋のサイトで検索するとまだ新刊書店でも手にはいることがわかった。信山社にあって当たり前だったのである。失礼しました。それにたった1冊の文庫本を買っただけなのにビニール袋をくれたのだから、お礼を言わなければいけない。
 それに大野さんにも謝らないといけない。大野さんのサイトからアマゾンへ行って阿刀田さんのこの本を買おうかななって言ったのに、結局アマゾンでは買わなかった。アマゾンで買えば謝礼が大野さんのところに入ったかもしれないのに、ごめんなさい。

2007年07月25日

最近怒りっぽくなっているのは、もしかして?

 健康オタクのかみさん言わせると、私が最近怒りっぽくなっているのは、カルシウム不足だからだという。だからカルシウムのサプリメントを飲んだ方がいいという。どこから仕入れた知識か知らないが、どこか胡散臭い感じがして、まったく信用していなかった。もともと性格なのだ。そう思っていた。
 かみさんは自分の母親が骨粗鬆症になっているので、せっせとカルシウムのサプリメントを飲んでいる。試しに1錠口にしたが、なんか石灰を口に含んだような感じで、粉っぽくてとてもじゃないが進んで飲みたいとは思わなかった。

 昨日大野さんがJAMAという専門雑誌の記事のコピーをくれた。そこには「長期プロトンポンプ阻害薬療法は大腿骨頸部骨折リスクを上げる」と書いてある。
 何のことかといえば、私が今飲んでいるパリエットという薬がプロトンポンプ阻害薬に当たるらしく、これを長期に服用し続けると、カルシウムの吸収を低下させ、骨折や骨粗鬆症のリスクを上げるということらしい。へぇ~そうなんだと思うと同時に、かみさんの言葉が浮かんだのだ。もちろん私はパリエットを長期服用している。
 ということは、私はやっぱりカルシウム不足になっているのだろうか?ネットで調べてみると、カルシウム不足は骨折や骨粗鬆症を招くことがずらずら書かれている。その中で、カルシウム不足やミネラル不足は怒りっぽくなるともあった。また肩が痛くなるとともあった。やばいじゃん!実は最近左肩を上に上げると痛いのだ。五十肩だろうと思っていたのだけれど、もしかしたらこれもカルシウム不足から来ているのかなぁ?

 調剤薬局の裏に事務所が移ってから、大野さんから医療のこと、薬のことなど、話を聞かせてくれ、それが目から鱗の感じで、興味津々で聞かしてもらっている。
 幸い私はそれまで持病ももっていなかったし、大病もしてこなかった。病気に縁遠い生活をしてきた。そのためか病院が大嫌いで、適当にOTCで済ませてきた。だいたい病院など子供の頃しか行っていないと言っていい。そして注射を打ってもらい、そこで薬をもらって帰ってくるというのが自分の中で常識となっている。薬は病院でもらえば楽じゃん。なんでわざわざ調剤薬局で薬をもらわなきゃならないのだと調剤薬局を経営している会社に勤めているくせに、そう思っていた。それは結局、健康だったからそう思えていたのだ。おそらく薬が必要な毎日を送っていれば、そんなことは言えないのではないかと最近は思う。つまり薬の重要性をまったく感じていなかったから、そう思っていたのだ。
 そして薬は病気を治してくれるためにあるものだとずっと思っていた。健康にしてくれるものだとずっと思ってきた。まさか薬は毒で、それを服用し続けると他の病気を起こすなんて思わなかった。つまり病気を治してくれる薬には副作用が必ずあって、他に不具合を生じさせる可能性が充分あるんだということを教わった。飲まなきゃそれにこしたことはないらしい。でも苦しいから、痛いから、それを飲む。そして違う病気になる。
 もし今回私の症状?がパリエットという薬を飲んでいることで生じたならそういうことになるのだろうか。医療って難しいものだ。
 根が単純にできているので、早速今朝は牛乳をいつもよりたっぷり入れて、というよりほとんど牛乳のカフェオレを作り、朝食を取った。そうすれば少しは怒りっぽいのも解消されるかな。肩も楽になるかなぁ。ちょっと楽しみである。
 それはそうと、かねがね不思議に思っていたのだけれど、ビンに入っている牛乳を飲む時って、どうして腰に手を当てて飲むんだろう?(今の話にはまったく関係ないけどね)

2007年07月22日

解放

 大野さんに言われなければ、このブログが2年たったことを忘れるところであった。1年目はちゃんと覚えていたのだけれどね。まぁ、それだけ自分が書いているブログが日常化してしまっているので、特別カウントするものでもなくなっているのかもしれない。
 確か1年たったときも、よく同じスタイルで、同じテーマでやってこられたと、自分の飽きっぽい性格から、そう思ったものだが、それから更に1年たったことになる。結局それまで本を読むことが自分の日常で当たり前であったことと、読んだ本についても何らかの形で書き込む習慣があったため、このブログを続けることに何ら問題もなかった。
 始めてから2年たって、ここにどれだけの本のことを書いてきたか数える気もないけど、結局この2年ちょっとやけになって本を読んできたかもしれないなんて、最近思うようになってきている。
 今更言ってもしょうがないことなのだけれど、私はどこかで二六堂書店というものを引きずってきた。二六堂書店がなくなって、仲間がみんないなくなり、残ったのが偶然私だけで、その残された者が、忘れてほしくないこの本屋のことを思い、自分が読んだ本のことを書くことで、ここに二六堂の残党がいるんだよといいたかった。あのときと同じように本をこよなく愛すバカがまだいるんだよといいたかったのかもしれない。
 実際今は連絡が取れないけれど、別れてからしばらくして、ブログ読んでいますなんて言ってくれた当時の仲間や、昔一緒に仕事をした仲間と一時だけだけど、つながっていた時があった。
 でも、もういいかなぁと思うようになってきた。その思いはこの2年間持ち続けてきたわけだから、私の心の中で二六堂書店は閉店にしてもいいかと思い始めている。やりたいように、好きなように、本を読み、言いたい放題のことを書いていこうと思いつつある。今、しがらみや呪縛にとらわれることなく、やっていけたらいいなぁと思うのだ。

2007年07月17日

あだ花は実をつけるか?

 いつも行くブックオフにいつも太った女の子がいて、汗をかきながら仕事をしていた。例によって愛想が悪そうな感じで、おそらく店の他のスタッフに、口うるさく指示しながら、仕事をしていたんじゃないかと思う。たぶん彼女がいる間は彼女が店を仕切っていたんじゃないかと思っていた。
 その彼女を最近見かけなくなった。とたんにこの店の棚が荒れてきた。
 ブックオフの棚は、著者名のあいうえお順に並んでいる。それがかなりいい加減になっているのだ。たとえば久坂部羊さんの本が「ひ」のところに並んでいた。最初なんでこんなところに並んでいるんだろう。客が手に取った後適当に戻したのかなぁと思っていた。そしてしばらくしてから馬鹿なバイトが勝手に判断して、「久」だけを「ヒサ」と読んだから、ここに収まったのだと分かった。つまり「クサカベヨウ」と読めなかったのだ。
 そして「く」で始まる作家名の本のところを見ると、久坂部羊さんがあるのだが、まとまっておらず、他の作家の本が数冊あってそのあとまた久坂部羊さん本が1冊並んでいた。客はいったん手に取った本をきちんと元の場所に戻さないのはよくあることで、バラバラになってしまうことはある。だから店員は棚を見てきちんと直さなければならないのだが、それが行われていない。あるいは補充の時適当に突っ込んでしまったのかもしれない。要するにきちんと管理されていないのだ。しかし彼女がいたときはそんなことはなかった。

 こんなことを書いたのは16日の朝日新聞の記事を読んだからだ。そこには人余り時代は好調だった、不況型ビジネスが苦況に陥っていると書かれている。その不況型ビジネスとして、グッドウィル、ブックオフ、外食、コンビニがあげられている。
 それまで人余りであったので安価な労働力で成り立っていたそれらの産業が、景気が好転しつつあるので、アルバイトが不足しつつあるというのだ。そのためスタッフの確保が難しくなり、また人件費も上昇し、経営に陰りが見えつつあるというのだ。
 この店もその影響なのだろうか?とにかく棚の陳列がひどくなりつつあるのがよく分かる。そして集まってくる人材も質が悪い奴らばかりだから、こんな状況になっていったのだろう。安い人件費で店をやりくりしたいのはよく分かるが、それでも一人くらい質の高い人材が必要ではないかなんて思う。
 ブックオフは店舗運営をマニュアル化し、ベテランを不要にして、アルバイト中心の店舗網を拡大してきた。そのため91年の創業以来の右肩上がりで伸びてきたが、06年には前年同月比下回った。そのため売上高を1.1%水増しして架空計上し問題となった。(その関係か、最近ブックオフではセールをやらなくなった)
 本屋はやっぱり陳列が命だろう。それにはバイトに仕事をさせても、それをちゃんと管理できる人間を配置すべきだ。サッカーのオシム監督じゃないけれど、陳列も「うつくしく」ないといけない。
 だいたいグッドウィルにしても、ブックオフにしても、言ってみればそれまであった既存の産業や商売の「あだ花」的存在だと思う。
 でも考えてみると、今ある既存の産業や商売などは、最初は「あだ花」的存在だったのだろう。それが既得権を獲得して、確固たる地位や存在感を得たのには、やはりそれなりの世間の支持を得たからだろう。もし今のグッドウィルやブックオフのように経営効率や利益追求のみにひた走っていたら、今ここになかったのではないかと思う。
 グッドウィルのことはよく分からないけれど、ブックオフなら、どうやって仕入れた本を売っていくか、それが基本だろう。だとすれば、いかにお客さんに気持ちよく買ってもらえるかそれを考えないとならないのではないか。となればこんな馬鹿な棚陳列をしてちゃまずいでしょ。それを言いたかったのである。この点は新刊書店もブックオフでもそう変わりがあるとは思えない。やっぱり一人くらいプロを置かなきゃまずい。あるいはそうしたプロを育てるべきだ。

2007年07月04日

人生いろいろ

 新幹線のN700系という新車両がこの7月からデビューしたらしい。でこのN700系は新大阪まで2時間25分とそれまで2時間30分かかっていたところ5分短縮するらしい。うん?たった5分だけ?と思ったのは私だけだろうか?思わず、

だから何だって言うんだ!


 たとえ5分短縮したところで、新大阪で改札に迷ったり、乗り換えがスムースにいかなかったら、あっという間に5分なんかたってしまうじゃんと思うのだ。5分短縮できて恩恵を受けるのは、トリックの幅が広がる、鉄道ミステリーの西村京太郎さんあたりじゃないかなんて思う。
 まったくそんなことなどどうでもいいと思う人間である私には、その良さなどわからないけど、鉄道マニアには新型車両はたまらない魅力なのだろう。例によってカメラを持って撮影しているマニアの面々が新聞に載っている。

 鉄道マニアといって思い出すことがある。昔大手町のお店で働いていた頃、いいおっさんのお役人でキ印的鉄道マニアのお客がいた。この人当時出ていた「鉄道ファン」、「鉄道ジャーナル」、「鉄道ピクトリアル」というマニア雑誌を定期購読されていた。まぁ、マニアだから当然なのかもしれないが、この雑誌の新しい号が出ると、朝一で地下にあった売店の我が店に下りてくる。一体仕事はどうしているんだといいたくなるくらい、決まって下りてくる。
 また仕事柄出張も多いらしく、仕事のついでか、ついでに仕事をしているのか知らないが、とにかく出張となると、電車の写真を撮りまくってくる。その写真をお店で見せてくれるのだが、こっちはまったく興味がないから、撮ってきた新車両の写真などうれしそうに見せられても、なんて言っていいのかわからないので困ったものであった。
 そして手に取った新しい号の雑誌の状態を調べまくるのだ。少しでも雑誌の角が折れていたりしたら、大変で、ほかのものと取り替えさせられる。確かに手垢でよれよれになった雑誌など買いたくないけれど、元々お店に出す前に定期雑誌を先に取り置きしておくのだから、きれいな状態の雑誌である。だけど配送の過程で時には角が潰れてしまうこともある。まして小さな店で、マニアしか売れない雑誌だから部数もわずかしか来ない。数冊ある中から一番状態のいい雑誌を持って行くのだけれど、時にはその客の意向に沿う雑誌がないときもある。そんなときは今月はいいやなんて言われる。あるいはとりあえず買ってはくれるのだけれど(もちろんツケで)、あとで出版社まで直々訪れて、取り替えてもらうことさえする。 当時は前任者のお客をそのまま引く継いでいたので、腹はたったけれど、素直にその客の言うとおりしていた。今ならきっと「ふざけるな!」と言ってけんかしちゃうだろう。
 悪い趣味じゃないとは思うけれど、自分の趣味を嬉嬉として押しつけられるほどたまらないものはない。仕事だから話につきあっているけれど、そうじゃなければすぐお引き取り願う。
 そのとき以来、自分の趣味や好みなど他人様にうれしそうに言うもんじゃないと自戒している。でも、こうやってブログを公開しているじゃんと言われそうだけれど、少なくとも自慢話は慎んでいるつもりだし、本を読むことを惹け開かしているつもりはない。もちろん押しつけもしていないつもりだ。この本はいい本だから是非読むべきなんて絶対に言いたくない。たまたま本を読むことが好きで、読んだ感想を公開しているだけで、ただそれだけである。
 幸いブログは興味がなければ見なければいいし、それができるからいいと思う。それに自慢できるほどのことなんか書いちゃいなし・・・。
 でも、この新聞の記事に載っているマニアの顔はかなりうれしそうだ。前の首相が「人生いろいろ」とよく言っていたのを思い出した。確かにそうだ。