2007年08月08日
ジレンマ
2年ぶりに大学の友人と暑気払いと称して会う。私はこの間胃の調子が芳しくないので、酒の席は遠慮してきたのだが、だいぶ調子も良くなりつつある気がしたので、友人と酒を飲みたいと思い、今回出席させてもらった。
しかしビールジョッキ(小さいやつ)で2杯でいっぱいいっぱいであった。友人は私の身体に気を遣ってくれありがたかったのだが、やっぱりまだ本調子ではないようだ。
久しぶりに夜11時までつきあったのだけれど、やっぱり堪える。元々朝型人間なので余計である。帰りの電車もそう長く乗っていないのでけれど、妙に長く感じてしまった。そして予期していたのだが、胃の感じが重い。明らかにもたれている。やれやれまいったなぁと思いつつ、汗をかきながら、家にたどり着く。
友人と話していて気になったことを書く。このブログのことである。友人は私には文章を書く能力があるという(才能ではないよ)。そしてこうして自分の書いた文章を公開していることに、違和感を感じているという。私はあくまでも私的なものとしてここに文章を書いているのだけれど、友人に言わせると公開している以上、それは私的じゃないというのだ。
確かにそうであろう。私がいくら個人的に好きで書いていると言っても、こうしてネットで公開している以上、私的なものではないという論理は、どうあがいても争える余地はない。友人に言わせると個人的なものをこうして公開して書いていることが理解できないようである。
そしていくら私がそうじゃないんだ。そんな大義名分などないんだといっても、所詮言い訳にしかならない。要は個人的なものをこうして公開してどうなんるんだ。あくまでも私的なものなら、その範囲内に納めておくべきもんじゃないかというわけだ。
もっともである。こうして自分の意見を公開することは、どんな形であれ、どこか世間に向かって自己主張をしたくてならない部分があるのかもしれない。が、それは否定しないけれど、やっぱりそういう気分は希薄である。
確かに公開している。けれど、それはたまたまブログという媒体が公開する機能を持っていたからで、それだけのことなのである。それにブログというのがなんか面白そうと思ったことから始まっただけだから、それ以上の深い意味は私の中には存在しない。だからそれがつまらなくなったらきっとやめちゃうだろう。本のことについて書くことが好きだから、ただそれだけで書いているのだ。もちろん私が書いている以上、私の考えや感想は当然そこにはある。ありはするけれど、私はそれは外に向いているものではなく、私個人に向かっているもんだと思っている。
ただこのブログを読まれる方は、当然私の存在をそこに感じられるだろうから、その時点で私の考えや感じ方は外に向いてしまう。でも意識して私がそうしている訳じゃない。書く方と、読む方の立場が違う以上、その部分はいくら言葉を尽くしても、ただ乖離するだけだろう。
正直な話、このことはずっと悩んではいた。もともと表に出るのが嫌いなたちである。友人の言うことは私の中でのジレンマでもある。ただ今はこうしてああでもない、こうでもないとだらだら書くことが好きなのでやっているだけのことなのだ。何度も言うようにそれが飽きちゃったら(元々飽きっぽい性格なので)ある日突然止めちゃう可能性だって、私の中にはあるのである。
- by kmoto
- at 03:07
comments
折角ですので、マジレスです。
私的な部分は全て私的に(他人に口外せず)処理すべきものである。
そんなことは、解ってはいるが、、、ジレンマ・・・。
という事でのエントリーのようですが、、、私は気にすることは無いと思いますよ。。。。って言うより、気にし過ぎのような・・・。
ほとんどの人は精神医学的な面から、つまり喜怒哀楽、どれでもイイですけど自分の気持ちを発散させる場所としてブログを活用している。。例えば、映画を見て感動した。誰かに伝えたい。恋人や友達や家族でもいいけどもっと多くの人に。そして誰かと感情を共感したい。あるいは、言い訳なんてのもあったりして。具体的には言えなくても、自分の言葉に賛同者が欲しい。そして、懺悔の場でもあるかも。特に、個人が特定できないようなブログのオーナーには多いのではないでしょうか?
このような積極的・消極的を問わず他己との接点を求める、、すなわち精神的な安定を求める行動は、高等生物の基本的な行動です。(その証拠に、周りとの接点を持とうとしない=気にしない個性=自閉症の人は、ブログなんてやりません。これは関心が内側=自分にしか向いてないので、コミュニケーションの手段、すなわち言葉にも興味を示さず、言葉が遅れるので知恵遅れと勘違いされる場合もありますが、天才の多くが自閉症と言われています。)
こういうところに公的・私的という概念を持ち込むと、『はしたない』『自己顕示欲が強すぎる』とかなっちゃいますけどね。(“自分にしか興味がない”と“自己顕示欲が強い”は、良く勘違いされますが全く逆の特徴です。自己顕示欲が強いのは他人が自分をどう思うか、すなわち、周りに興味がありすぎる性質です。)
しかし、それより先ず個人的(私的)の定義・・・難しいですね。kmoto さんとご友人の間では、私的・公的の定義を敢えてしなくてもお互いに分かり合っておられ、きっちりとボーダーラインが存在しているようですが、私には、それはどうも曖昧です。公的・私的の線引きは時と場合によってダイナミックに変化してしまいます。
ですから、私はブログで自分を表現するのに、周りを気にすることはありません。ブログに書く文章は、ただの独り言です。限りなく“主張”に近くても“独り言”ということにします。独り言として“発散”したり自分の考えをまとめたりしています。そんな事に、いちいち周りに気を使ってなんていられません。それにブログを読んで気分を害する人はそもそも来なきゃ良いだけですからね。(気遣うという行為とは、次元が違います。相手が避ける手段を持たない時には気遣いが必要ですけど、わざわざ URL を打ち込んで来なければ良いのには、気を使う必要はありません)
というわけで、気楽に行きましょ!!
ブログとは Web log つまり、日記なのだか Web で公開する以上私的なものは排除してかくあるべき・・・。なんて堅苦しいのはやめましょう!
なんだって良いじゃないですか。定義なんて後からついてくる、あるいはいらない。
そう、実存主義ですよ!まず、実体ありきです。。。。ってサルトルは言いそうですぜ!
p.s.私のブログ続けている理由。
私なんぞは、日頃のマスコミのすっことどっこいの報道に大いに怒りを感じています。医学的な内容をバラエティに仕立てているところなどは特に。或いは奇麗事だらけで現実的じゃない偽善的な報道に。そんな怒りの感情を自分の中で溜め込むより、公の場で発散する、これ、“ガス抜き”にもってこいです。
そして私は、基本的にディベートが好きです。何故かって言うと、特に自分の知らない事、勘違いしている事、間違っている事などを理論的に指摘してもらえるとむかっ腹も立ちますが、それ以上に、このいう状況での知見は、本などで読む以上に脳細胞に刻み込まれ、失われる事が無いんですよ。ありがたいんです。WebMaster's impressions やマリンパの雑感で“イイ感じ”の応酬がありましたが、ああいうのを期待して、書き続けています。