2007年11月25日

思うままに その6

 ふつうの本屋さんで本を買うのが、私の基本スタンスなので、アマゾンなどのネットで本を買うことはほとんどない。このほとんどないというのは、まったく買わないという訳じゃないということなのだ。つまりネットの本屋さんの存在を否定しているのではないということ。これはこれで便利だと思う。利用する機会があれば利用したいと思っている。
 ただ、やっぱり実際の本屋さんで本を買えば、欲しい本以外に、これは!なんて思わず手に取ってしまう本を見つけることもできる。そしてこれが案外楽しみでもある。ネットの場合、いくらアマゾンがお薦めの本の情報を寄せてくれても、やっぱり実際、中を見てみないとなあと思うのだ。
 何でこんな書き出しをしたかというと、最近本の紹介や本の感想などをいろいろなサイトで探して見ているのだが、そのほとんどが本の画像をクリックするとアマゾンに行く。これが嫌なのだ。この画像をクリックしたら、この本をアマゾンで買ってねと言っているようで、思わず嫌な気分になる。アマゾンの商魂たくましさを感じるとともに、それにそのサイトがまんまと乗せられたように感じてしまうのだ。
 せっかくブログをやっているなら、画像もあった方がいいし、その画像が簡単に手に入り、うまくいけばこづかいも入るかもしれないのだから、これを利用しない手はないのかもしれない。
 結局この感覚は私個人の感覚で、悪意はない。本屋さんで長いこと働いてきたので、できれば本は本屋さんで買ってねというのが私の心情なので悪意はない。最近はこういうのもいいかもしれないと思うようにしている。
 しかし、アマゾンのサーチエンジンはいいなあと思っていた。「Amazon サーチ ウィジェット」である。本を読みたいと思うと必ず探さなければならないので、どうしてもサーチエンジンは必要になる。自分のブログにも本を探すためのサーチエンジンをリンクさせているが、これはどちらかといえば自分のために利用している。「Amazon サーチ ウィジェット」も結構使いやすい。だからこれを利用するために、アソシエイトプログラムに参加した。決してこづかい稼ぎじゃない。(ここは性格的にはっきりさせておきたい)
 ついでに自分のメインのブログでリンクも変更してみた。今までリンクしてあったサイトには、更新があまりされないものや、自分でもあまり行かないものがあったので、それをやめて、最近ちょこちょこ覗くサイトをここにリンクさせていただくことにした。ちょっといい感じになってきたかもしれない。ここのブログも直さないといけない。(11月15日)


 例によって月に一回薬をもらいに行くために、病院へ行く。今回胃カメラの検査をやった方がいいのかどうか聞かなきゃならない。正直憂鬱なのである。できればやりたくないのが本音なのだが、まぁ年に1回はやらなきゃならないと言われているので、覚悟を決めていた。
 で、先生に聞いてみる。先生が言うところによれば、痛みがなけりゃあわててやる必要のないだろうとおっしゃってくれた。来年年明けでもやろうということになった。それより正月ゆっくりと過ごした方がいいという。それを聞いただけでも、気分がだいぶ楽になった。
 その後、かみさんを待つ。時間がちょっとあったので、近所のブックオフへ行く。いつもあわてて棚を見ていたのだが、今日は多少時間があるので、じっくり眺めてみる。よく見てみると、読みたいと思う本が何冊かあった。買ってもよかったのだけれど、とにかく読む本が今かなりたまっているし、それよりもスランプで今本が読めない状態なのだ。
 私は年に何度かこうした本を読みたくないといういう気分になる。そして年に1回は本を見るのもいやじゃとかなりひどい状態になる。それも必ず年末近くなる頃に。それが今そういう状況に陥っている。
 私はめどとして、1年間で100冊ぐらい読めればいいなぁと思っていて、年の初めから中間地点までは結構いいペースで本を読んでいるのだが、後半になるとものすごくペースダウンしてしまう。それはこのスランプによるものだ。
 とにかくこういう気分になったときはどんなジャンルの本を手に取ってみても、だめだ。こういう気分に陥るときは、必ず前兆があって、来るぞ、来るぞと思っていると必ず来る。そしてこういうときに限って、やめてておけばいいのにややっこしい本を手にしちゃうのだ。そして完全にスランプに落ち込む。たかが200ページにも満たない本を長いこと読み終えられれないでいるのだ。
 それでいて、何かおもしろい本はないかなと探し回る。そして読みたいと思う本がごろごろ出てくる。しかし読めない。そのジレンマはどうしようもなく、気分をいらだたせる。
 こう落ち込んでいると、極端な話、自分の残りの人生であとどれだけ本が読めるだろうかなんて考えてしまうのだ。棚にしまい込んである本を読まなきゃならないのに、これ以上新たな本を仕入れたくない。だけど次から次へと新たに読みたい本が出てくるものだから、いっこうに棚の本に手がつけられないでいる。
 ただ焦ってみったって読めないときは読めないし、それに冊数をこなすことが目的じゃないのだから、気分が回復するまで待つしかあるまい。(11月17日)

 相変わらず本が読めずにいる。この3連休に1冊の本でも読めればいいのだけれど、どうもそういう気分になれない。今回はちょっとひどい。それにそれに伴ってか、胃の調子も今ひとつよくないのだ。自分のブログのメンテナンスもしなければならないのだが、それさえ面倒なのだ。
 午前中先日税務署の説明会でもらった年末調整と法定調書の手引きを詳しく読む。今年は自分でも社員の年調をやってみようと思っているので、これができたら、本格的に給与計算の実務に移るつもりだ。
 本日ブックオフで、500円以上の単行本は一律500円とセールをやっていた。かねてから目をつけておいた本も500円均一だ。それらの本はそう売れる本じゃないだろうから、たぶん売れ残っているだろうと思いつつ、その棚に行くとしっかり定位置に収まっている。すかさずその本を抜き出す。
 本日買った本
 荻原魚雷著『古本暮らし』2007年5月刊 定価1,700円 ブックオフ価格900円
 日垣隆著『そして殺人者は野に放たれる』2003年12月刊 定価1,400円 ブックオフ価格700円
 佐藤優著『獄中記』2006年12月刊 定価1,900円 ブックオフ価格1,000円

 以上3冊すべて500円。しめて、1,500円でゲット。しかもほとんど新品のようで、読まれた形跡がない。早くスラップを脱出しないと・・・(11月23日)

 以上更新ができないので、日記より抜粋する。


2007年11月01日

思うままに その5

 書店組合からエックスメディアが自己破産したという連絡がFAXで入る。エックスメディアという出版社がどういう出版社か名前だけを聞いてもわからないだろう。パソコンをやっている人ならわかるかもしれない。「超図解」というシリーズでマニュアル本を出していた出版社だ。最近はビジネスのマニュアル本まで出している。これを知ったとき、ここまで手を出して大丈夫かいななんて思っていたのだが、やっぱりつぶれちゃった。
 もうパソコンのマニュアル本だけじゃやっていけなくなったから、こちらの方面に手を広げたのだろうけれど、もともとビジネス本関係の出版社じゃなかったのだから、難しいと思っていたのだ。
 先日ラオックスコンピューター館が閉店したけれども、なんかパソコンの一時代が完全に終わったのかなと思う。パソコンが普及し始めた頃は、ラオックスコンピューター館は最新パソコンがずらりと並んで華々しかった。そしてそれを使いこなすためには付属のマニュアルが分厚いだけで、よく理解できなかったから、エックスメディアみたいな、よりわかりやすい解説書が求められた。多分エックスメディアもこのときは景気がよかったのだろう。
 しかしパソコンが一部の人間だけが使うものから、一気に一般的になったことで、最初はこうしたマニュアル本が求められても、だんだん、市場が狭くなってきたのだろう。OSやソフトがバージョンアップしても、基本的なところはそれほど変わらないのだから、一冊あれば十分だし、ネットの普及などから、わざわざマニュアル本を買う必要性もなくなってきたのではないかなんて思う。
 このFAXを受け取った書店があわてている光景が目に浮かぶ。エックスメディアの本をいつまでも店頭に抱えておくと、返品先がなくなってしまうから、急いで返品作業に入っていることだろう。

 銀行が嫌いだというのは、以前書いたような気がする。そのためできるだけ窓口に行かないようにしている。幸いATMやパソコンで入金や振込ができるので、よっぽどのことがない限り窓口には行かない。行っても月一回くらいのもんじゃないだろうか?
 先日銀行からメールボックスも来月で廃止するという連絡が郵送されてきた。メールボックスには入金確認表や銀行からの連絡などが入っているのだが、これもそれほど役に立っている訳じゃない。以前はパソコンで振り込んだ際、その明細や住民税の領収書なども入っていたのだが、今はもしそれが欲しいならネットからダウンロードしてくれということになっている。多分銀行の都合で、手間だからそうしたのだろう。
 というわけで、私もこのメールボックスは月に一回ほどしか開けない。だからこれが廃止になっても別にどうってこともない。銀行の方だって手数料の取れないサービスなど極力廃止したいのだろうから、そうなっても当たり前だろう。
 昔は毎日窓口に行っていたものだから、銀行の女の子と顔見知りになったけれど、今はどうなっているのかさえ知らない。それに昔いた行員はほとんどいなくなっているようで、用件さえ済めば、すぐ帰ってくる。
 「あなたの身近な銀行」というのはほんと一昔前のことで、こうしてATMやパソコンで何もかも済ませてしまうと、その存在感も、実態も薄れてしまう。わざわざ窓口まで足を運んで動く必要がないのだから当然である。もちろんそれはそれで鬱陶しくなくてうれしいのだけれど、一方でこれでいいのかななんて思ったりする。
 今の風潮として人が関わっているとコストがかかるものだから、合理化と称してそれらを機械にやらせる。そうすることでネットワークも広がっていくものだから、更にビジネスチャンスも広がっていく。利用者も便利だと思う。
 だけどそれって、そうした機能を使いこなせる人にとっては便利なものだろうけれど、そうでない人もたくさんいる。だから窓口でもやりますよというのだろうけれど、窓口でやれば法外な手数料を取る。手間賃として・・・。

 携帯電話がある。私はそれを持つ必要性がないから持っていないのだけれど、だからといって電話をかけない訳じゃない。外で電話をしようと思うと、今は公衆電話が少ない。せっせと探さないとならない。携帯電話を持っているのが当たり前の世の中になっちゃっているから、需要が少なくなってきている公衆電話をどんどんなくしていく、その経済論理はわかるけれど、それって持ってない人、あるいは使えないお年寄りなどを完全に切り捨てている。
 挙げ句の果てに、車内放送で携帯電話の使用は社内ではやめてくれと言っているにもかかわらず、平気で大声で話をしている馬鹿者がいる。電話がかかってくれば取らざるを得ないのだろうが、取ったら取ったで「今電車の中だから」と言って、電話を切るのかと思えばそうじゃなく、口に手を当てて平気で話している。携帯電話を持っていない人間とってみれば、これほどうざったいものはないし、それにやめてくれという車内放送もうるさすぎる。いっそ電車内では電話がつながらないようにできないのかと思うのだ。

 今の世の中、便利を享受しているので人と人の接点が少なくなっているような気がする。そうなれば人に対しての思いやりや常識が働かなくなっていくのも当たり前だ。自分中心に行動していく。
 経済論理先行、機能性、利便性、更に低コスト重視、自分中心主義は何を生むか?それをあからさまに映し出しているのが、今新聞やテレビのニュースを賑わしている「偽装問題」じゃなかろうかと思う。
 私は最近のこれらの報道はちょっとおかしいと感じている。確かに消費者を偽って、利益確保のため安い品質のものを使ったり、無駄を省くために消費期限を偽ったりするのは、問題だとは思うだが、これは偽装を行った企業だけが問題なのだろうかと思ったりする。
 確かにばれなきゃいいやという自己中心的な考えからそうしたのかもしれない。でもそれを求めたのは結局消費者なのではないか。消費者のニーズに応えなければ、商売が成り立たないなら、何とかしようと考えるのが普通だ。もしまっとうに製品のコストや品質を商品の値段に反映したらものすごく高くなってしまい、購入してもらえない。本来かかるコストに見合う分を支払ってもらえない。だから原材料を価格の安いものにすり替える。あるいは無駄を省くために、売れ残りのものを賞味期限を延ばして売る。品質管理を重点を置いていたらコストがかかるから、それをやらない。ビジネスチャンスを逃してしまうから、嘘偽りをいう。そういうことではないか。
 そしてこれこそ問題なのは、今やり玉に挙げられている企業だけじゃなくて、他の会社だって、職種、業種が違っても、似たような行為は日常的に行われているはずだと思うのだ。だってそうしないと売れないんだから、必然的にそうならざるを得ない。そういう社会なのだから、当然そうなって当たり前だし、他人のあらを探して、おまえのところもやってんじゃないの?ということは言えないはずだ。
 私がいやだなと思うのは、そういう偽装をする奴ではなく、自分たちのことを棚に上げて、自分たちがある意味求めたにもかかわらず、偽装をけしからんと声だかに言っている人物だ。偽装が発覚した企業をスケープゴートし、さらし者にするのは結構だけれど、そうさせた一端は我々にもあるのだということを忘れてものを言えるのだろうか。
 経済論理先行、機能性、利便性、低コスト重視、自分中心主義は、他人の姿が見えない状況を作り出すから、一企業が変わっても、社会全体のシステムが変わって、そこにいる人の意識が変わらない限り、また同じことがきっと起こる。そしてたぶんこれは変わらんのだろうなとも思う。いっそのこと、とことん行き着くところまで行ってしまって、何もかもめちゃくちゃになってしまい、一からやり直さないとならない状況下を作らないと、再生など無理なような気もしている。
 値段は高いけれど、それはまっとうなコストを計上しているからで、その分何もかも信用できる。あるいはちょっと不便かもしれないけれど、だれにもわかりやすく、地球環境にも優しいということが、評価される社会であって欲しいと思うのだ。

 こんなことを思うのは、年齢的に、精神的に社会や技術の進歩についていくのが、少しずつ億劫になりつつある証拠かもしれない。

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