2008年01月27日

本の注文をして、新しいページを開くとき

 ここのところアマゾンで何回か本の注文をしている。昨日も二冊文庫本が届くはずであった。家に帰ってみると、確かにアマゾンから荷物が届いている。ところが、文庫本二冊の割には、大きな箱で届いた。思わず「やべぇ!文庫本じゃなくて単行本を注文しちゃったかな」なんて一時不安になる。しかしよく考えてみると、注文した本は文庫本でしかないはずで、単行本が届くはずがない。で、開封してみると、底の方に文庫本が二冊梱包されて入っている。とりあえずは一安心した。けれど、たかが文庫本二冊でこの梱包はないでしょうと思う。私の方は送料無料だから、どんな梱包でもかまわないけれど、何かもったいない気がしてしまう。
 以前にも書いたけれど、私はアマゾンでの注文に関しては、賛成派である。いいと思っている。ところがリアル書店の方々は苦々しく思っていらっしゃるようだ。本は本屋さんで買ってねというのが彼らの主張である。もちろんそうだと思うけれど、しかしその本屋さんに求めていた本がなかったから、アマゾンで注文したのだ。といって本屋さんの品揃えが悪いなんて思っちゃいない。これは仕方がないと思っている。だって私が今回求めた本自体が絶対に棚に常備されている本じゃないからだ。
 こう考えると、本屋さんが読者のニーズにいかに応えるかというのは、むずかしい問題のような気がしてしまう。どんなお客さんが来るかわからないし、そのお客さんがどんな本を求めているかもわからない。しかも本そのもののアイテム数があまりにも膨大である。その上店そのものスペースも限られている。となればお客さんが多分求めているだろう最大公約数を店に並べることになるのは仕方がない。その為それが裏切られれば、品揃えの悪い本屋だということになってしまうわけである。
 で、お店でなかった本を注文することになるのだが、これがまた面倒くさい。しかも馬鹿な書店員を相手にしなきゃならないので、鬱陶しい。何とか手続きを済まし、一週間から二週間待つことになる。はっきりした入荷期日がわからない。入荷したらしたで、また足を運ばなければならない。
 最初は私も元書店員として、本の注文は本屋さんでしていた。けれど、アマゾンの注文を覚えてしまうと、とてもじゃないがそんな面倒なことはやってられなくなってしまう。アマゾンはネットで注文すれば、入荷期日がある程度はっきりしている。しかもメールで出荷したことも教えてくれる。支払もカード支払なので、受け取るだけでいい。
 ただ自分が注文した本から、こんな本もありますよと教えてくれるのはちょっとまずい。ついつい誘惑に負けてしまいそうになり、ほぉ~こんな本もあるのかと触手をのばしたくなっちゃうのだ。そこはしっかりとした意識を持って拒否させていただく。
 ということで、ここのところアマゾンからのメールが多い。先日はアマゾンと契約している古本屋さんから古本を買ったので、その古本屋さんを評価してくれというメールが届く。そのときは二冊古本を買ったものだから、それぞれの古本屋さんはどうだったかを教えてくれと二通のメールがあった。基本的に届いた本に関しては満足していたので、最高評価をして返信した。

 アマゾンのこうした丁寧な対応をみていると、リアル書店のあり方がむずかしくなってくる。どんな読者にも対応できるほどの在庫を持ったジュンク堂みたいな本屋さんしか生き残れないんじゃないかなんてやっぱり思ってしまう。ただジュンク堂で欲しい本を探すのは結構大変なので、在庫を膨大に持てばいいというものでもない。探すだけで疲れちゃうのだ。
 こうなってくると、欲しい本があれば、これからはまとめてアマゾンで注文しちゃおうかなんて今考えている。そこで思うのだけれど、アマゾンの存在を苦々しく思っているリアル書店の方々、特に中小の書店のおやじさんに言いたいのだけれど、あなた方アマゾンで本の注文をしたことがありますか。けしからんと思うだけで、アマゾンで本の注文をしたことがないのではないか。一度アマゾンで本を注文してみれば、あなたの店の対応がいかにひどいものかおわかりになるんじゃないのですか!まずは敵を知るべきである。

 さて、その注文をした本を開く。本の最初の一ページ目って、ちょっと緊張する。この本が期待しているような本なのか、どうか。それによってページが進むか、進まないか、結構最初の書き出しににかかっているように思える。うん!なかなかいい感じじゃないか。このまま面白くなればいいのだけれど・・・。
 それより先ほど読み終えた本のことをブログに書く原稿がうまくまとまらない。どう書けばいいかなぁと悩んでいる。今回もパスしちゃうかななんて、そんなことが頭をよぎる。

2008年01月15日

新小岩

 先週からかなり寒い日が続く。通勤途中が寒いのでそれまで着ていたコートからオーバーコートに変え、手袋をするようになった。今までほとんど手袋なんてしたことがなかったのだけれど、なんか急に欲しくなった。手袋をはめるとどうしてもぱんぱんと両手をたたきたくなるのは何でだろうか?

 さて、昨日新小岩に行った。ほんと久しぶりである。今は都営新宿線の駅が近くにできたので、JRは私用ではほとんど使わなくなった。それ以前は東京メトロの東西線を使っていた。
 私が新小岩駅を利用していたのは、東西線や都営新宿線がまだこちらまで開通していなかった頃で、その当時はどこに出かけるにしても都バスで新小岩駅まで行き、そこから国電に乗るためであった。だから新小岩は身近なところでもあった。
 中学、高校と写真をやっていたので、現像液などの消耗品を駅前のカメラのタカノで買っていた。今はここはなくなっており、ゲームソフト屋さんになってしまっている。駅横には、西友があって、屋上には映画館もあった。よく怪獣映画をここで見たものだ。映画館の横には喫茶店もあって、高校時代かみさんとここに入ったこともある。確か冬の寒い頃だったと思うけれど、ふるえながらクリームソーダを二人して飲んだことを覚えている。その後駅から二人でとぼとぼと自宅まで歩き、帰った。今は西友も食品館だけになってしまい、建物はそのまま残っているけれど、ほとんどが飲み屋と食べ物屋となってしまっている。
 駅前は相変わらず狭いロータリーなので、車を止めるところがない。近くのコインパーキングに車を止めて、アーケード街を歩いた。ここはほとんど昔と変わっていないようだ。もちろん細かく見れば、店も変わっているのだろうけれど、最近よくある商店街のようにシャッターが閉まったところはない。結構人も歩いている。年寄りが多いが、中には若い奴も歩いている。
 第一書林もあった。昔よくここで学参を買った。当時ここが一番参考書が揃っていた。一階、二階とあり、店の形が逆L字の入り口より奥に伸びた店であった。ブックカバーがカッパの絵が描かれた茶色のものであった。今もそのカバーなのだろうか。本でも買ってカバーをつけてもらいたかったが、あいにく欲しい本がなかった。
 そして今は奥の部分がなくなって当時より狭くなってしまっている。近くにきれいな競合店ができているので、結構厳しいのだろうか。品揃えも貧相で、当時の面影はない。
 自分の会社が本屋をやっていて、まだ勢いがあった頃、問屋の日販に接待を受けたことがある。多分そのときだと思うのだが、我が社の担当の森下さんが、この新小岩のアーケード街に自分の行きつけの店があるといって連れて行かれたことがある。それがどの辺なのか今では見当もつかないけれど、たしかアーケード街の横の道を入ったところだったと記憶しているが、それ以上はわからない。どんな感じのお店だったのかもよく覚えていない。ただ自分の知っている人が新小岩に止まり木を持っていたことが妙に新鮮だった記憶があるだけである。あの店は今もあるのだろうか?
 その後森下さんは営業から店売の係に変わってしまい、店売の商品を並べていたけれど、なんか元気がないように感じた。そういえば日販のおつきあいのあった方々はどうしていらっしゃるのだろうか?当時それなりの年齢だったからもう退職されているのだろうか?それとも偉くなられて、残られているのだろうか?

 ということで、ここを歩きながらいろいろなことを思い出す。かみさんが買い物をしている間、寒い中ゆっくりとアーケード街を歩いた。昨日は成人式だったので晴れ着姿女性が寒い中歩いていた。古めかしいアーケード街にちょっとした華がある感じで、なかなかよかった。

2008年01月10日

美本とほこり

 本を読んでいて、その中で本が紹介されていると、ついつい読んでみたいなと思う。今回もそうであった。ネットで検索してみると、欲しいと思っていた本、二冊とも品切れだとわかった。私はこうなるとどうしても読んでみたいという気持ちが強くなる方で、仕方がないネットの古本屋さんで探してみるかと、再度検索してみる。古本ではある。しかしできれば一カ所で二冊揃えば送料も安くなると思い、探してみるけれど、一つの古本屋さんで二冊は揃わない。それではアマゾンではどうだろうかと思い、行ってみると同じようであった。考えてみたら一つの古本屋さんで複数冊揃う方が奇跡に近い。面倒になってきたので、そのままアマゾンに登録している古本屋さんで注文する。
 で、昨日、今日と続けて届いた。知らなかったのだけれど、昨日は福岡市の古本屋さん、今日は札幌の古本屋さんから届いた。もう古本をネットで注文することが当たり前になってしまったけれど、こうして日本の南から、また北の古本屋さんから本が届くというのはやっぱりすごいことだなと実感しちゃう。欲しい本が決まっているなら、やっぱりネットの古本屋さんは重宝する。
 ところで今日札幌の古本屋さんから届いた本は価格が1円である。そして送料が340円である。つまり本代より送料の方が圧倒的に高いことになる。ただこの送料が高いかといえば、私は充分安いと思っている。だってもし自分がこの本を手に入れるために札幌の古本屋さん行くと思えば、交通費だけでも馬鹿にならないはずだから。現実的にはこの本を求めて札幌へ行くことはあり得ないけれど、たとえば神保町の古本屋街へ行くだけでも往復で340円以上になってしまう。
 送料が高く見えてしまうのは、古本の価格が1円だからである。正直私もパソコンの画面を見ていて1円とは驚いた。アマゾンの前にいつものように“スーパー源氏”と“日本の古本屋”で検索をかけてみるとだいたい千円ちょいの値段がついていた。1円って大丈夫なのかなと思ったのけれど、評価レベルが99%とあるから信用できるのだろう。とにかく読んでみたかったので、妙な不安はあったがそのままかごに入れ、買い入れた。
 正直なところ価格が1円なんだから、本の状態に文句は言えないと思っていた。たとえいくら状態がいいと書かれていても、信用していなかったというのが本音である。だって1円だよ。当然でしょう。私のところに発送するために梱包する手間賃さえ出ないんじゃないか?その上買い上げのお礼といつ頃届くかというメールもきちんとを私のところに送ってきてくれた。こっちの方が申し訳なくなってしまうくらいだ。
 そして今日届いた本は文藝春秋70周年記念出版の一環で出された本であった。梱包を解いて、本を取り出してみると、見覚えのある表紙が出てきた。思わずこれか!と思った。そして美本であった。とてもとても1円には見えなかった。本当は食事の後本を読んで寝るのだけれど、なんかものすごくうれしくなっちゃって、ついついこんな文章を書いてしまった。
 今まで馬鹿の一つ覚えみたいに、“スーパー源氏”と“日本の古本屋”を利用していたけれど、これからはアマゾンを利用してもいいんじゃないかなんて思い始めている。もしかしたら“スーパー源氏”と“日本の古本屋”に登録してある古本屋さんよりアマゾンの方の古本屋さんの方が値段は安いのではないか?

 “きれい”ということのついでじゃないのだけれど、ヨドバシの有隣堂のことを書きたい。といっても有隣堂がきれいだといっているんじゃないのだ。むしろ逆である。欲しい本があって有隣堂へ行った。棚検索をかけて目的の棚のところへ行くと、平台に確かに目的の本はあった。しかし二冊で平積みをしてあった。おそらく次には平積みを外されることだろう。
 ところで平台に積んである本を買うとき、皆さんは一番上にある本を取りますか?私はその下にある本を取ってしまう。というのは一番上の本は何人か手にとって眺めている。眺めるだけならいいのだけれど、中にはページを折ったり、汚してしまったり、乱暴に扱うので痛んでいる可能性が大きいからだ。だからその下にある本を抜き出す。
 しかし今回二冊しかなかった。しかも下にある本は平台にほこりがたまっていて、結構大きなほこりがその本についていた。台の色が黒なのでほこりがかなり目立つ。ここは平台の掃除はしていないんだとふと思った。これだけの人がこの本屋さんに来るのだからそりゃほこりもたまるであろうことはわかるが、掃除ぐらいしなさいよと言いたくなっちゃった。仕方がないので、今回は上の本を持ってレジに行きました。なんかほこりのついた本は買いたくないので。元書店員として細かいところ見ちゃうけれど、有隣堂ともあろうものがこれじゃまずいんじゃないなんて思った次第なので書いてしまった。ただ今回は以前のようにクレームをメールにして出すつもりはないけれど・・・。

2008年01月06日

余裕のある生活をめざして

 正月これといって何するわけでもなく過ごしてきたせいか、今日午前三時に目が覚める。まだ三時だから寝ようと思っているうちに、だんだん目がさえてくる。仕方がないので起き上がり、コーヒーを入れ、こうしてパソコンに向かっている。
 結局正月休みも一冊も本が読めなかった。でも、散歩がてらブックオフに行って、これといって目的もなく本棚を眺めていたり、あるいは自分の本棚を眺めているうちにちょっと頑張って読んでみようかなという気持ちになりつつある。
 先日書いたように、今年はのんびりと本を読もうと思っているので、学生時代読めなかった本などじっくり腰を据えて読んでみてもいいんじゃないかなんて思っている。
 考えてみると、いつも新しい年を迎えて思うことはこの「のんびりと過ごす」ということを思うような気がする。毎年そう思うということは、そのように過ごせていない証拠なのだろう。そして一年が終わって、へとへとに疲れている自分を見出す。でもいい加減、この歳になってくると、がむしゃらに生きるということはできなくなってくる。そもそも持続力がない。そして思うような結果が見いだせず、イライラしてしまうし、焦ってしまう。この繰り返しだったような気がする。楽しい時間を過ごすことがだんだんできなくなっちゃうような気がしてきて、これはやばいなと思うのだ。

 届いた年賀状を見ていると、一言近況など書かれていて、へえそうなんだ思えるものが何枚かある。わずかな記述なんだけれど、そう思わせてくれるだけでも、なんか有り難く感じてしまう。捨てたもんじゃないな。私みたいに半ば仕方がないから書いたのとは基本的に異なる。面倒だけれど仕方がないと思いつつ書いているのと、確かに面倒なのだけれど、それでもそれを書くにあたりちょっと椅子を座り直して書いているのとの違いだ。気持ちの持ち方に大きな差がある。
 結局自分に余裕がないから、面倒だと思うのだ。すべての面で自分の余裕のなさが表れてしまい恥ずかしくなってくる。
 だから今年こそは自分に余裕のある一年を過ごしたい。できる限りイライラせずおおらかな気持ちで一年を過ごせればと思うのだ。そんな中で自分がこれから先本当にやりたいことは何なのかその一端でも見いだせれば自分にいいんじゃないかと思うのだ。ブレーキをかけながら過ごしてみたいのだ。人は人。自分は自分だもんね。

2008年01月03日

新しい年を迎えて・・・

 ブログを始めるようになってから、下書き用のファイルを用意して、一年間それを使う。そして新しい年を迎えると、新しいファイルを作る。最初は一太郎を使っていたのだが、その下書きをそのままコピーして使うと、変に改行されたり、文字の間があいてしまったりするので、秀丸を使ってテキストファイルで残すことにした。以来、今年も一年間この秀丸を使って、「書きかけ-日々是好日(2008).txt」を用意して、この文章を書いている。まずは、


新年あけましておめでとうございます。今年もよろしくおねがいいたします。


 新年早々、昨年のスランプを引きずっており、年末から新年にかけて、一冊も本が読めない状態である。これは昨年の11月あたりから続いており、自分でもどうしようもない状態に陥っている。
 で、どうしてそうなってしまったか自分なりに考えてみた。
 昨年、密かに一年間で100冊本を読んでやろうと企んでいた。もっとはっきり言うと、一昨年もそう思っていた。しかし一昨年はそれができなかったので、昨年リベンジじゃないけれど、頑張ってみようと、私にしては結構ハイスピードで本を読んできた。といっても本を読むペースは決まっているようなので、後は本を読む時間を一日のうちどれだけとれるかで、読める冊数が決まってくる。そのため仕事以外ではほとんど本を読むことに費やしてた。これがまずかった。いつの間にか本を読むことが義務になり、それがストレスとなってしまったのではないかと思うのだ。
 年間100冊なんて私には無理だと分かった。無理なことをしたって仕方がない。しかもこうしてブログに書くとなれば、それだけで結構時間を必要とする。焦っているうちに時間がなくなっていき、最後は本も読めない。そしてかろうじて読んだ本のことも書けなくなってしまった。
 そのため今年は無理なことをせずに、のんびりと本を読むことにした。そして読めるまで開店休業になってしまうけれど、それも仕方がないと思っている。
 好きで本を読んでいるのにそれがストレスになってしまうのでは、話にならない。とにかくのんびり、気ままに、余裕をもって今年はやっていきたいので、更新はかなりペースダウンすることになると思います。ですから思い出したときで結構ですから、ちょっと覗いてくれれば有り難いです。
 とにかく新しい年はスタートしました。私はスタートダッシュはできそうもありませんが、何とか最後まで同じペースで完走できればいいなぁと考えております。