2008年02月28日

また、またブックカバーについて

 昔、自分ところの店のブックカバーが嫌いでしょうがなかった。通勤途中の駅のホームで自分の店のカバーをつけた文庫本を読んでいる人を見かけると、思わず眼をそらしてしまう。せっかく仕事から解放され、家路に着こうとしているのに、何かまた引き戻された感じがしてしまうのであった。
 我が社のブックカバーがたとえば書泉さんのカバーと比べデザインも貧相で、あかぬけず、紙質も安ぽい。とにかくわら半紙と大して変わらないぐらいのものであったから、使い回しが出来ず、長いこと持ち歩いていると破れてしまう。その点、書泉さんのカバーは紙質も厚く、しっかりしているから、何度か使える。もちろん経費の関係でそんな安っぽい紙質のブックカバーを使っていたのである。
 でも、ちょっと前に、事務所に近くで資源ゴミとしてくくられた文庫本に自分のところで使っていたブックカバーが掛かっていたのを見て、ちょっともの悲しくなった。本が捨てられているというより、カバーが捨てられているといった思いがあった。多分自分がいたお店がなくなったのと、そこのカバーのかかっていた本が捨てられていたのが、クロスオーバーし、ここでも要がなくなったのだなという思いがあったのだろう。

 ところでアマゾンやブックオフで本を買うと当然ブックカバーがついていない。B6版の単行本は今革製のブックカバーを使っているので、何とかカバーに困らずに済んでいるが、それ以外サイズの本に関しては、書店で買ってきてつけてもらったカバーを取っておいてそれをつけ直して使っている。しかしこれが個人的にいうとあまりかっこよくない。というのも、最初につけてもらった本のサイズが折り目としてついているので、付け替えるとどうしてもその折り目が気にかかるのだ。細かい!なんていわれそうだけれど、気にかかるものはしょうがない。
 それに今になって気がついたのだけれど、紙質のいい厚手のブックカバーって、最初しっくりこない。やたら紙質が気にかかる。手に引っかかる感じがしてしまう。その点我が社で使っていたわら半紙質のカバーは本にも手にもすぐ馴染む。ブックカバーは安もんがいい。それに手垢なんかすぐついちゃうし?いい感じだ。
 我が社のブックカバーは文庫版のサイズは多少残っているので、それを使っている。でも最近なんだか読む本にカバーをかけるのが面倒になってきてしまった。革製のB6版カバーがつけるのも簡単で、手にも馴染むことを知ってしまったからだろうか?
 で、昨日有隣堂へ行って、文庫本のブックカバーを買ってきた。もちろん革製の奴である。しかしこれが高かった。2,940円である。確か単行本サイズの革製のカバーも同じ値段だったじゃないかなとふと思ったのだ。私は文庫本サイズのカバーは単行本と比べて当然小さくなるから値段もそれなりに安くなるのではないかと思うのだけれど、どうであろう。文句を言っても仕方がないけど・・・。しかしやっぱり値段相応の感触がある。でも、ブックオフで105円で買った文庫本を3,000円近いカバーをかけて読むのもどうかと思うけれど、まぁ105円はブックオフがつけた売値であって、本の価値はそれ以上だと思うことにして、自分なりに納得する。もちろん3,000円の価値があるかはちょっと考えちゃうが・・・。

2008年02月23日

カード

 バブル期の頃、当社にも銀行の担当者がいて、せっせと我が社を訪れ、お金を借りてくれと言ってきた。それに乗って低位金利(といっても今から考えれば、高金利だった)でお金を借りたのはいいのだけれど、バブルがはじけたとたん、例に漏れず、返済に窮することとなった。幸い、何とか返済も無事済まし、今は銀行と縁の薄い経営をしている。
 そのときの担当者があさひカードを作ってくれと私に言ってきた。どうやらこのカードにノルマがかかっているようであった。そのとき担当者が言うには、一年間会費が無料なので、その間に解約してくれれば、私に負担はかけないから、何とかお願いしますと頭を下げる。当時銀行との嫌が上でもつきあいがあったものだから、仕方がなしに彼のノルマ達成の一役かった。当時というかつい最近までHondaの車を持っていたので、Hondaカードを作った。これは車検や整備のとき貯まったポイントが使えるからいいということでそうなった。
 元々カードで買い物をしない人なので、あまりカードを持っていても意味がないのだが、ネットのプロバイダーの支払があるため、一年以内に解約するどころか今もカードを持っている。
 ところが最近車を買い換えて、Hondaからスバルの軽にした。だからこのカードが意味がなくなってしまった。ポイントが車検など使えないのだ。で、ポイントを現金に換えてもらおうと思ったのだが(結構貯まっていた)、車検から半年以内でなければ出来ないということであった。今度の車検は来年だったので、もうHondaの車はない。頭に来たので、解約してやろうと考えた。ただプロバイダーの支払があるので、カードがないと困る。 それでヨドバシの「ゴールドポイントカードIC eLIO」というカードを作った。何が魅力かといえば、このカードをヨドバシで使うと、10%ポイントに1%プラスされてポイントがつくという。しかもヨドバシ以外に使っても支払の1%がつくというから、我が家は結構ヨドバシで買い物をするので案外いいかもと思ったのだ。ポイントにこだわっている訳じゃないが、いつの間にかポイントが貯まっているのは結構うれしいもんだ。しかもいちばんの魅力は年会費無料というところだ。
 昨日そのカードが届いたので、早速プロバイダーの支払の変更をこのカードにした。残るはアマゾンとドメイン管理会社への支払変更だけだ。これはそのときやればいいから、プロバイダーの支払がこのカードに間違いなく移行したら、あさひカードは解約してやる。銀行口座は仕方がないからそのままにしておくが、これでりそなとの関係がまた一つなくなった。気分的にいい気分であった。

2008年02月08日

再び売上スリップにつて

 売上スリップについて、そのままにして万引きと間違えられたことはもう一つのブログに書いた。またこの売上スリップのことを書きたい。妙に売上スリップにこだわるじゃないかと言われそうだけど、別にこだわっている訳じゃない。ただ懐かしくもあり、おかしくもあるから書きたいだけなのだ。
 この売上スリップの構造は、片割れが補充注文書になっており、もう一方が報奨金になっている。(もちろんすべてそうだというわけじゃなく、報奨金がついていないものも数多くある)
 つまりお客さんがレジに本を持ってきたら、店員はまずこの売上スリップを抜く。書店のカウンターには必ずこの置き場所がある。で、ある程度一杯になると、それぞれ切り離し、まずは補充注文書から売れた本の補充をする。お店のストッカーに在庫してあるものがあれば、そこから引っ張り出し、なければ、それを問屋の注文に回す。
 時にはお客さんが持ってきた本に売上スリップが外れてしまってないものもある。その場合その後補充が出来なくなり、欠本のまま機会損失につながるから、必ずその本の書名などを書いておかないといけない。今はポスレジやVANもあるから、売れればそのまま問屋に注文にすぐ回せるから、それほど神経質にならなくてもいいのかもしれないけれど、私が小さな書店員の時はそうしていた。いや今でも中小の本屋のおやじさんはスリップの注文書を束にして問屋をかけずり回っていることだろうと思う。
 スリップの片割れが報奨金になっている。文庫だと多分一枚一円だったと思う。これを百枚数えて一組にして、出版社送る。そうすると郵便為替で報奨金が届く。今はやっているのかどうか知らないけれど、新潮社は、文庫の売上上位店を海外旅行に招いたりする。当社も景気のいいときなどは招待された。私はそれで香港へ行った。
 またたとえ報奨金がついていなくとも、その出版社の売上スリップをまとめて、出版社に送る。それは自分の所ではおたくの出版物をこれだけ売りましたよと出版社にアピールすることで、少しでも新刊の配本や注文をよくしてもらおうという主旨からそうする。中小書店のむなしい行為なのである。
 しかしこの売上スリップの管理が結構大変なのだ。ただでさえ中小書店のおやじさんは店に立ったり、注文書を問屋に探し回ったり、あるいは本を配達したり、時間がない。必然的に休みを利用して、せっせと売上スリップを振り分け、まとめている。まぁ、まとめるだけ能がない。スリップをまとめると、自分の所の売れ行き動向も把握できる。それを使って月刊ベストなど作ったりする。
 ということで、これをやり出すと結構な時間を要することになる。昔お店の責任者を負かされていた頃は、未整理の売上スリップを家に持ち帰り、部屋中広げてまとめていたことをふと思い出した。当時は何をするにしてもすべて手作業の時代だったんだなと改めて思ってしまう。でも、手作業で苦労していると、嫌が上でも本の知識が身につき、それが頭に焼き付いて、いっぱしの書店員になっていたと思う。今みたいに何を尋ねても、ちょっと待ってくださいねといいつつ、パソコンで検索するのとは訳が違う。これだとパソコンが操作できて本が好きな奴なら簡単に書店員になっちゃう。コンビニの店員となんら変わらない。そんなもんじゃないだろうと声を荒げて言いたいのだけれど、時代がそうしちゃっているのだからどうしようもない。たぶんどこの業界でも似たような現象は起こっているのではないか?スペシャリストは養成するには時間とお金がかかる。そして彼らが一人前になったらなったで、今度は彼らを雇い続けるにはコストがかかる。だったらスペシャリストはいらない。将棋の駒みたいな奴で結構ということになる。後はコンピュータとマニュアルがあれば何とかお店を維持できるシステムを構築すればいいだけなのだ。

 話がずれた。そんなことを書くつもりではなかった。売上スリップの件である。
 ところでアマゾンで本を注文すると、売上スリップがついたまま届く。アマゾンはこの売り上げスリップをそのまま読者に渡しちゃうのだから、報奨金の部分は放棄したことになるのだろう。でも考えてみると、一枚一円を数えて、まとめる手間を考えれば、報奨金よりコストの方がかかるのは必然的だ。だったらやらない方がましなのはわかるような気がする。なに、一枚一円、けっ!といったところだろう。
 注文だって間違いなくコンピュータ管理しているはずだから、入庫と在庫はリアルタイム把握出来ているはずだ。発注点を決めておけば勝手に注文してくれることだろう。
 アマゾンにとって文庫の売上げスリップはゴミでしかなく、抜き出すにも手間がかかるし、抜きだせばどこかに捨てなきゃならんのだから、それならそのまま読者に渡してしまえ!きっと読者はしおりとして使うんじゃないのというぐらいの扱いなのだろう。もちろん出版社にゴマをする必要もない。
 ただたとえば限定出版や高額商品につく報奨金の額はちょっと馬鹿に出来ないような気がするので、このあたりはどうなっているのか知りたいところだ。フランス書院のエロ文庫など一枚十円だけど、これまとまると案外馬鹿に出来ないような気もするが、考えてみればアマゾンでエロ文庫を注文する奴はそういないかなんて思い直す。

2008年02月05日

ノロウィルスと餃子

 三日ぶりに満員の通勤電車に乗る。が、いつもと違うのは、結構踏ん張って立っているのが心許ない。力が入らないのだ。まだ完全じゃないことがわかる。
 先週の水曜日に激しい吐き気、下痢、そして悪寒にみまわれしまった。それも急にである。おかしいな?という前兆を感じれば対処のしようもあったのだが、水曜の朝起きたときから、この状態であった。しかし今日と明日の木曜日は休むわけにはいかないので、ひいひい言いながらやっとの思いで事務所にたどり着くが、とてもじゃないが仕事にならない。これはかなりやばいなと感じていたが、事務所にある体温計で計ってみると38度ちょいある。もちろん下痢が止まらない。嘔吐も間隔をおいてやってくる。どうしちゃったのだろうと思いつつ、今日どうしてもやらなきゃならない仕事をやり始める。月末の銀行振込である。もう一台のパソコンに電源を入れ、銀行と接続して、振込を開始するが、どうも気分が薄れる。ちゃんとしないといけないと思い、何度も何度も入力したデータを確認して、振込を終える。
 どう考えても、今日は仕事にならんなと思ったし、明日は月末の上、木曜日ときているから、休むわけには絶対にいかない。早く帰って休む方がいいと思い、3時になったら帰ろう決める。なぜ3時かといえば、銀行が3時で閉まるので、当日までの当座が確定するからだ。
 家に帰って、すぐ蒲団に横になった。さすが吐くものがないからか、嘔吐は治まったが、下痢は止まらない。これはこれはかなりやばい状況になりつつあるなと、思い始める。近所の診療所へかみさんに送ってもらう。診察の結果、ノロウイルスだと言われた。が~ん!なんでノロウィルスに感染するじゃ!感染症の本など読んだからかなんて馬鹿なことを思いつつも、医者に今日は食事をしたかと聞かれ、食えるわけないだろう!頼んでおいた昼のお弁当の油のにおいを嗅いだだけで、もどしそうになったのに・・・。そう言ったら、それだけの元気があれば点滴をする必要はないだろうと言われ、ただ水分は充分取るようにと、下痢止め、整腸剤など出された。 その日は、ポカリスエットだけで過ごし、木曜日を迎える。相変わらず気分が悪い。もちろん食欲などまったくない。下痢は続く。水分しか摂取していない関係か、それしか出ない。まるで大腸の内視鏡検査をする前の下準備の時と同じだなと思いつつ、とにかく会社に出る。
 社長には昨日体調不良で早退すると伝えておいたので、会う早々、どうだ?と聞かれ、だめです。ノロウィルスだそうですと言えば、おいおいうつすなよ言われる。うつして良くなるならうつしてやりたいくらいだが、まぁそうもいかないので、私は出来る限り事務所の自分のデスクで仕事をする。さすが敵もこちらに寄りつかない。
 お昼、自分の幕の内弁当に入っている揚げ餃子を見てこれ大丈夫だろうなと馬鹿なことを言いつつぱくぱく弁当を平らげる社長を尻目に、私は買っておいたパンを口にするが、ちっとも口に進まない。さすが私の調子がひどいとわかったのか、4時になったらすぐ帰るようにと言われる。素直に従うことにした。なぜ4時かって?4時に薬局を閉めるからである。
 この日も家に帰って、すぐ蒲団に潜り込む。夜になって、少し楽になってきたが、力が全く入らない。これは明日は休んで、土日で治して、月曜からちゃんと仕事をした方がいいと判断する。
 土曜日になって、かなり楽になってきたが、相変わらず胃がむかむかする。もちろん食欲はないのだが、食べられないことはない。朝、昼と、一個のメロンパンを分けて食べ、夜はうどんを食べて過ごす。
 それより私のノロウィルスちゃんが長男にうつったらしく、朝激しい嘔吐、下痢、痙攣を起こしてしまった。歩けないというから車で診療所に連れて行こうとするが、よりよって、家の前の道を下水の補修工事をしており、車が出せない。私が元気なら、工事の関係者に詰め寄って、病人を運びたいから道を空けてくれと言えるのだが、それが出来ない。代わりにかみさんにいってもらい、何とか診療所へ行ったのだが、そこでもかなり吐いたらしい。点滴を打ってもらい、青ざめた顔で帰ってくる。申し訳ないことをしたなと思いつつ、大丈夫か?としか言えなかった。
 日曜、雪。買い物に行かないと食べるものがないから、一緒に行ってくれと言う。えっ!と言うが、仕方がない。悪いのは私なのだから。何もこんな時に雪なんか降らなくてもいいのにと思いつつ、車の雪を払いのけるために、外へ出て、車に乗り込む。何とか買い出しも済ませる。このときには完全じゃないが、何とか動けるし、いつものように観察も出来るようになってきていた。
 このスーパーは毎週日曜日は冷凍食品4割引で、いつも人が殺到しているいるのだが、さすが今日は一人もその売り場にいない。他の場所は私たちのように買い出しに来ている人がいるのに、みごとにここだけは人がいないのは不思議な光景であった。
 ばぁさん一人が店員に詰め寄っていた。ここにはどれくらい中国産があるのよとちょっと怒っている感じだった。店員も困ったような感じで、対応していたが、あんたならちょっとぐらいの農薬なら大丈夫だよと言いたくなってしまう。確かに農薬はまずいが、問題はこれほど中国産の農産物が日本に入ってきている現状を憂うべきなんじゃないかと思う。新聞に書いてあったけれど、中国では中国産の農産物をこれほどバッシングするなら、日本は中国産の農産物買わなきゃいいと言っているらしい。まったくその通り!日本の自給率の低さを憂うべきなのだ。国の政策が農業を軽視している結果こういうことになっちゃったのではないか。
 それに農薬が中国で混入したとマスコミは言っているけれど、果たしてそう言いきっていいのかなぁと不安になる。もしこの農薬が日本国内で故意に入れられていたら、いったいどうするつもりなのだろう?そっちの方が心配だ。だって、餃子の生産工場では問題の農薬は見つからないのでしょ。
 ということで、先週から今週にかけて、ノロウィルスにかなり苦しめられつつ、餃子の問題まで触れてしまった。