2008年03月22日

春の古本屋巡り

 東京の桜が開花したそうだ。天気がものすごくいいので、ちょっと古本屋さんでも歩こうかなとふと思う。そうだ阿刀田さんの本を探してもいい。思い立つ日が吉日である。花粉症のマスクを持って出かけた。いや~本当にいい天気だ。歩いていて気分がいい。これで花粉がなけりゃもっと爽快な気分になれるのにと口の周りを被っているマスクを鬱陶しく思いながら歩いた。
 神保町の古本屋さんをまずはワゴンの中にある文庫本などを見て、それから店内に入って棚にある本を眺めてみる。巌南堂書店に入る。開高健さんの本がある。ここにある本はすべて、所有しているのだが、値段が気にかかる。たとえば文藝春秋社の『私の釣魚大全』はなんと6,000円とある。私はかなり前に初版本じゃないが同じ本をかなり安く手に入れたと思う。初版本じゃなかったからそうなのかなと思ったが、私は初版本コレクターじゃ別にないので、関係ないがそれでも6,000円は高いなぁ。ガラスケースには、開高さんのサイン本が数点並べられていた。開高さんのサインがあると万単位になる。開高さんのサイン本は持っていないのでちょっと欲しくなるけれど、自分の財布の中身と分相応じゃないなと思い諦める。
 それにしてもさすがこのガラスケースに並べられた本はきれいだ。真新しい本にはない風格がある。ちょっとした美術品みたいである。そういえば今読んでいる司馬遼太郎さんの本に「新刊本には新鮮な果実のような魅力はあるが、こくのある醗酵食品のような古本の魅力に、しばしばおよばない」と書かれていたが、まさにその通りだと思う。
 さて、ゆっくりと靖国通り沿いにある古本屋さんを歩いて、まずワゴンから箱入りの旺文社文庫を手にした。長谷川博隆さんの『シーザー』である。確か長谷川さんは先日読んだ『ハンニバル』を書いた著者だったはずだ。だからこの本は買いだなと思い、読んだ後“シーザー萌え”の大野さんに差し上げてもいいしななんて、勝手なことを思いながら100円を払った。
 旺文社文庫って、もちろん今はないけれど、このように箱入りの文庫本だった。私も一冊ぐらい箱入り旺文社文庫を持っていたと思うが、文庫が箱入りなんて面白い。それ以外に図書館用にごっついハードカバー装丁で文庫本も出していたように記憶している。
 こうして棚の本を見ているとなんだか昔の友人に会ったような気がする。
 私が本屋に勤めたのはもう三十年以上も前のことなのだが、当時勤めた本屋さんの棚にあった本が今古本屋さんに並んでいる。古本屋さんの棚を見ていると、“ああ~こういう本があったよなぁ”と懐かしくなるのである。また自分が以前持っていた本で古本屋さんに売ってしまった本など見つけると、“そうそうこの本読んだよなぁ”と思うのだ。
 当時勤めていた本屋さんの棚に同じように並んでいた本が、今では片や古本屋さんのお店の棚にパラフィン紙などつけて大切に扱われ、片や外の吹きさらしのワゴンの中に100円均一で売られ、まったく待遇が違うのは面白い。三十年という月日が本の価値を変えてしまったのだ。

 さて阿刀田さんの文庫本が案外見つからない。やっと探しているエッセイ集を一冊を見つけたくらいだ。値段は315円。まぁいいところだろう。面白いもんで、この後行った東京堂のふくろう店で「ふるほん文庫やさん」が出店している。ここでは絶版の文庫本を置いていたのだが、同じ本が680円となっていた。これを見たとき“得したな”と思った。ちょっと前にここで岡茂雄さんの『本屋風情』を見かけたのだけど、高かったのでやめた記憶があるが、どうも「ふるほん文庫やさん」は値段が高いような気がする。
 昼飯を食べていなかったので小諸そばを食べる。実を言うと私はここのかき揚げそばが好きなのだ。時計を見るとまだ二時前である。天気もいいし暖かいし、もう少し足を伸ばして早稲田の古本屋さん巡りをしようかなと思ったのだが、さっきから腰に軽い痛みを感じていた。ここのところ疲れがたまっている。あまり無理をするなという警告かなと思い、無理すると後で大変なことになるのはわかっているので、ここで切り上げた。早稲田の古本屋さん巡りは今度にしようと思う。

2008年03月03日

どうでもいいこと五題

 毎度この時期になると、花粉症のことを書くのだけれど、今年は昨年より花粉の量が多いと聞いていたが、一昨日までは症状が軽かっったというよりほとんど症状が出ていなかった。ところが昨日あたりから、やはり出てきたようだ。あわてて昨年残っていた目薬や鼻炎スプレーを取り出す始末。特に地下鉄のホームはかなりやばい。あの風がいけない。電車がホームに近づくと吹くあの風である。この風が眼や鼻が感じ始めるととたんに涙目になり、鼻がぐずぐずいいだす。当然ハンカチを取り出し、眼を拭いているのだが、このときの状況が見る人が見たら、異常に見えるかもしれないと思うのだ。
 なぜなら私は電車の中では必ず本を開いて読み始めるので、涙目で、鼻がぐずぐずいっていれば本を読んで泣いているように勘違いするんじゃないかと思うのだ。なんかものすごく感動して泣いているんじゃないのなんて思われたらどうしようとここのところいつも不安になるのだ。決してそうじゃないだけど・・・。

 広辞苑の第六版が先日発売された。高校時代、現代国語の先生が「辞書は出来る限り最新版を持っていた方がいい」とよく言っていたのを思い出す。私はそれほど辞書を引く人ではなかったのだけれど、形だけは言いつけを結構守っていて、可能な限り最新版の辞書を持っていた。特に広辞苑は改訂のたびにそれに付き合っていて、気がついたら本棚に広辞苑が三冊もある。一つは最新版の広辞苑、そしてその前のやつ。三冊目は義父が持っていたやつである。全くバカな話である。
 で、第五版以外は全部処分した。しかしその第五版もほとんど引かない。ただでさえ辞書を引かないのにその上文字が小さくて見えないので、見ることも鬱陶しくなってしまったのだ。
 しかも最近はこうしてパソコンで文章を書くものだから、パソコンの辞書を活用することが多くなった。だからATOKの辞書に広辞苑の第五版を入れた。
 しかし辞書を使うといってもたかがしれている。同音異義の言葉がいくつかあるときに、どれを使えばいいかそれを知るためである。たとえば先の花粉症が“治る”というやつだけど、“治る”にはもう一つ“直る”があるが、この場合どっちを使えばいいのかと迷う。こういうとき、変換するときに広辞苑の辞書が立ち上がり、この場合の“なおる”は、「病苦や異常事態などがしずまる。「腹痛が―・る」「インフレが―・る」「事態がまるく―・る」という文例から“治る”を選択する訳である。せいぜいこの程度である。でも私にとって結構貴重なものなのだ。結構漢字を知らない人なので、いい加減な使い方をしていると常日頃感じている。だからせめてこれぐらいはやっておきたいと思っている。それでなくとも誤字脱字が多いのだから余計である。
 それに辞書を引くときはこうして文章を書いているときが圧倒的に多いので、パソコンでひらがなを入力して変換すれば、言葉の意味もすぐわかるから結構便利なのだ。それに実際の辞書より文字も大きいし、見やすい。何より重くなくていい。日頃パソコンの前にいることが多いので、言葉の意味を調べるときは、エディターを立ち上げて、ひらがなを入力して、変換させ、その意味を調べることが多い。
 ということで、今回も本の広辞苑ではなくて、パソコンの辞書の第六版を入れた。この第六版は図版(あまりきれいじゃないが)も入っていて、使い勝手も良さそうである。当分これでやっていけそうである。

 阿刀田さんのエッセイを先に三冊ブックオフで買った。そしてそれを読んで、もうちょっと読みたいななんて思ったものだから、再びブックオフに行って、他のエッセイを見つくろってくる。
 そのうち新潮文庫が一冊あった。あったのはいいのだけれど、新潮文庫についているスピン(ひものしおり)が切れている。はは~んこれだなと思った。以前ネットで古本屋さんをやっている人の本を読んだとき、ブックオフで仕入をするとき注意しなければならないことの一つとして、このスピンが切れているやつがあると書かれていたのである。
 ブックオフは古本を美本として売り出すものだから、汚い、あるいは日に焼けた本をグラインダーで削っている。そのときスピンも一緒に削ってしまい、切れてしまう。それを買っちゃった訳である。ページをめくってみると、切れたスピンが確かに挟まっている。まぁ仕方がないのだけれど、ちょっと残念であった。というのも、新潮文庫のこのスピンは便利なので、あるとないとでは読み勝手が違ってくる。せっかくならブックオフの店員さんちょっと気をつけてグラインダーを使って欲しいなぁと思った次第だ。

 医療費控除をするために、昨日私を含めて家族が病院や薬局でもらった領収書を床一面に広げて、整理し、エクセルで計算する。ん、大丈夫!十万円を楽に越えていると確認し、国税局のホームページで申告書を作っていたら、還付される金額がやけに少ない。おかしいな?と、何か入力を間違えたかなと思ったのだが、ミスは見あたらない。どうして還付される金額がこうも少ないのだと不思議に思った。
 毎年税務署で申告書と手引きをもらってきて、それに記入して近くの税務署に持って行くのだが、今年はまだその書類を手元に持っていない。だから去年の手引きを使って、手書きで自分でやってみる。やっぱりおかしい。どこがおかしいのだろうと調べてみると、「課税される所得金額に対する税額」の割合が昨年までは10%だったのが、今年は5%と半分になっている。これだ!と原因は判明したのだけれど、なんで今年は半分なんだと怒りが沸々とわいてくる。
 しばらく釈然としないまま、ふと思い出す。そうか税源移譲で、国税が地方税に移ったからだ。確かに昨年納めた税金は一昨年より少ない。だから控除される税金も少なくなるのは当然かとわかるのだけれど、どこか納得できない。じゃあ残りの5%は地方税で控除してくれるのかと考えたが、今納めている住民税は前年の収入に対して課税されたものだから、一昨年のものである。だから昨年の収入とは関係ない。間違っているかもしれないが、多分そうなのだろう。
 やっぱり釈然としない。なんかだまされた感じがする。半日かけて領収書整理し、計算して、この金額じゃ割に合わないじゃないか。手間ばかりかかってこの金額かよとも思った。ばからしくなったのだけれど、申告しないと、住民税も高いまま六月以降払わされることになるのかと、気を取り直して、申告書をプリントアウトする。
 それにしても昨年はよくもこんなに歯医者に金をかけたなと怒りを違うところに向けざるを得なかった。

 帰りに書泉へ寄る。最近この店に知っている顔がいて、ちょっと入りづらくなっているので、敬遠していたのだが、今日はレジには立っていないようなので、店内をのぞく。ふと張り紙が目に入る。営業時間の延長とある。今月六日より、朝が三十分早くなって、十時半から営業し、夜は九時までとある。ヨドバシの有隣堂が九時半から十時までやっている。遅かれ早かれ、書泉も営業時間を延長するものだと思ってはいた。ただ、この営業時間延長が、じり貧になって仕方なしに、そうせざる得ない状況に書泉さんが陥っていたために、そうしたというのではなければいいのにと余計なことだがそう思った。
 もとをただせば、書泉さんの営業時間を縛ったのは、当社である。元々秋葉原で商売していた当社が、書泉さん進出するとなれば、死活問題であった。だから組合などに働きかけて、現在の営業時間にしてもらった背景がある。今にしてみれば、当社は、はなから隙間商売でやっていくしかないという選択をしてしまったから、つぶれちゃったのだと思う。もちろん対抗なんか出来やしないけれど、もう少しやり方があったんじゃないかなんて思うのだ。いつも出たとこ勝負でやってきたから、そんなつまらないことしか考えられなかったのだろう。逆を考えれば、書泉さんにはかなり迷惑をかけてしまったことになる。だからこそ営業時間延長はいいんじゃないのと思うし、有隣堂に客を取られっぱなしで、指をくわえてみている必要もないとエールを送っちゃう。昨日の敵は今日の友の心境である。もっともむこうは屁とも思っていないかもしれないけれど・・・。私としては今現在七時半に店が閉まってしまうと、立ち寄れない事情があるので、夜の営業時間延長は歓迎する。

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