2008年06月24日

「用無し」本

 昨日朝歯を磨いているときに、口のすすいだ水をはき出そうとして、前屈みになり、姿勢を元に戻したら、腰に痛みが走る。ああ、まただ。ここのところ天候が悪いためか、腰が重い感じがしていて、注意していたのだが、朝まだ活動スイッチが入っていなかったものだから、注意を怠ってしまった。やれやれ出勤前からこれかよと思いつつ、腰に湿布薬貼って出勤する。
 一昨日、久しぶりに本をぎっしり詰めた段ボール三箱を運んだのいけなかったかな。段ボール箱には、ブックオフに売り飛ばす本が入っていた。
 ここのところ、休みには恒例となっている本棚の整理をしている。で、棚にある新書がなんか他の棚の本と比べて、ほとんどいらないもんじゃないかと感じた。クズ本とは言いたくなかったので何と言っていいかなと考えあぐねていたら、たまたま読んでいた本に「用無し」本と書いてあったので、これいただき!と使うことにした。そうなのだ。この棚にある新書は、今の私にはもう用無しの本ばかりだった。
 新書というのは、どちらかといえば時代に則したテーマの本が多い。だから当時は読んだ。けれど時間がたって、「時代が変わると」、まったく存在価値がなくなってしまう。それがたまりにたまり、棚一段では収まりきれず前後収まっている。
 今の私にはここに占める新書の棚一段が貴重なので、わざわざ「用無し」本を置いておくほどの余裕はない。だから処分を決めたのだ。
 ついでに“椎名誠”の本も処分する。これも棚一段占めていた。椎名さんの本だけでなく、「本の雑誌」関係者の本、たとえば沢野さんや目黒さんの本もある。どちらかといえば、「本の雑誌」の黎明期の頃の本が多い。
 でも、もう読み返すこともあるまい。それよりもこうして棚一段占めていることに問題を感じていた。だからこの際棚からご退場を願うことにした。
 多分ブックオフでもほとんどが廃棄処分の本となるだろうと予測はできた。だから自分で資源ゴミとして出しちゃってもいいのだけれど、それじゃ何か気が引ける。だったら、ブックオフに持ち込み、ブックオフの方で店頭に出すか、あるいは処分するか決めてくれればと思ったのだ。その方が気分的にいい。高額で引き取ってほしいなんて考えていない。全部で100冊は超えていただろうか。引き取り価格は3,700円。明細を見ると新書47冊に値段がついていた。けれど持ち込んだのはその倍以上だったはずだから、半分以上は値段がつかず、廃棄されるのだろう。
 私は今まで三度古本屋さんに本を売っている。そしていつも売らなきゃよかったと後悔する。もう一度読みたくて改めて買った本もあるくらいなのだ。でも今回は明らかに「用無し」本化している本ばかりなので、そういう後悔はしなくて済みそうである。
 読んだ本がいつも面白い本ばかりとは限らない。むしろつまらなかった本の方が多いかもしれない。明らかに読んで失敗したという本もある。あるいはその時は時代にマッチしていたから、読んでためになったかもしれないけれど、時代が変わっちゃったら、意味をなさない本も結構ある。たまたま棚に余裕があったから、読んだ後そのまま詰め込んでいただけで、そのスペースがなくなれば、じゃまなだけである。今回はそういう本を処分しただけだからだ。
 先日大野さんに本を引き取ってもらったものあるので、これで棚が三段空いた。単行本で約100冊は収納できるスペースができた。この時期100冊収納できるスペースは貴重である。それだけでもうれしい。でもいい気になって本を買っていたらすぐ一杯になっちゃうな。これからはちょっと考えて本を買おう。そして読むのだ!

2008年06月05日

思うままに その10

 朝、天気がよければ、通勤途中歩いている。今までは進行方向の一つ先の駅まで歩いていた。しかし今は、一つ後戻りした方向へ歩くことが多くなった。というのも、後二つ戻れば始発駅になり、そこまで行けば、始発電車に乗れ、座れる。楽だからそうするところももちろんあるけれど、それよりも、座って本が読めるという利点の方が大きい。しかも約十分くらい地下鉄を長く乗ることになるので、それだけ読書時間が増える。もともと朝あわてて家を飛び出す方じゃないので、充分余裕を持っている。十分ぐらいどうってことはない。
 昨日は車内に病人が出たということで、電車が遅れたし、今日も先頭車両が故障したというので、途中で二十分ぐらい止まったままであった。面白いもので、このように電車の遅れがわかると、乗っている人は一斉に携帯電話を取り出し、通話ができないものだからメールを打ち出す。たぶん電車が遅れていることを伝えているのだろう。もちろん私には何ら影響はない。そんなこともあるだろうからという理由で、定時より早く事務所に着くようにしているし、もともと歩くためにそれ以上の時間を取っている。それよりも遅れたくれたお陰で、その分本が余計に読めるというのがうれしいくらいだ。
 始発電車に座ると、おもむろに本とメガネを取り出す。新しいメガネをかけるようになってから、裸眼で本が読めなくなってしまった。もともと私は遠近両用のメガネが必要なのだそうだが、それが苦手である。見る距離によって目の位置を変えたり、首を上げたり、下げたりするのが億劫なのだ。幸い、遠くの方は裸眼でもある程度見える。もちろん昔みたいによくは見えないけれど・・・。だから今回手元がよく見えるメガネにしてもらった。それを重宝しているものだから、もうメガネなしで本を読むことが大変になってしまい、手放すことができなくなってしまったのだ。本とメガネがワンセットになってしまった。
 ただこのように本だけじゃなくて、メガネも取り出さなきゃならないし、家でも同じである。その分余計な動作が必要になるが、それ以上にやっかいなのは、このメガネをかけていると遠くが見えない。いや、足下もぼやけてしまう。だから仕事や読書、あるいは手元で何らかの作業したあとは、必ずメガネを外さないとならないのは少々やっかいである。まぁこれも慣れだろうから、そのうち何の違和感なしに、必要なときはめがねをかけ、そうでないときは外すことが苦にならなくなるだろう。
 今朝も降りる駅の一つ前を過ぎたら、おもむろにメガネを外し、ケースに入れ、本を閉じた。ただ帰りがちょっと大変だ。まず座れることはないので、電車に乗って、立ったままメガネを取り出しかける。そして本を取り出す。降りる駅に着く前に、メガネを外し、ケースにしまい、本もしまう。この一連の作業を揺れる電車で立ったままするのに苦労している毎日である。

 開高さんの分厚い本を読み終える。最初その厚さにたじたじになったけれど、読んでみると、面白く、また懐かしく、ページが進んだ。
 私は読んでいる本が終わったら次にこれ読もうと、次を楽しみにする方なのだが、時たまその予定が狂うことがある。今回もこの後北尾トロさんの新刊の文庫を読んで、次に明日発売になるポプラ社の文庫を読もうと決めていた。ところが帰りに書泉さんに行ったら、フォーサイスの新刊を見ちゃったのである。あ~あ!勘弁してよ!予定が決まっているのにと思ってしまった。私はフォーサイスの作品にはすべて付き合ってきた。ファンなのである。だから当然これを買わねばならないし、すぐ読みたい。
 ということで、急遽予定を変更して、フォーサイスの新刊を読み始める。
「その若いタリバンのボディガードは、携帯電話を使えば自分が死ぬことになるとわかっていたら、むろん、そのようなことはしなかっただろう。でも、かれはそのことを知らなかったために、携帯電話を使い、死んでしまった」う~ん、出だしからワクワクする。
 
 ところで、書泉さんのカバーに支店名が一件なくなっているのが気になった。川口にあった書泉ブックドームは今年の1月に閉店したのだ。ネットで調べてみると売上低迷のため品揃えが悪くなり、フロアをどんどん縮小していって、最後は閉店に至ったとある。川口の人もお店の状況を見ていて、「そろそろやばくねぇ?」と感じていたらしい。聞くところによると、もう一店舗もやばいと聞く。
 私がひいきにしている(ついにひいきにしていると言っちゃった)書泉ブックタワーも営業時間を延長したし、競合店も有隣堂だけじゃなくて、ブックファーストもできちゃったし、都内最大のブックオフもできたし、大丈夫なのだろうか?一昨日文庫本を二冊買ったけれど、あのしおりが一つは新しいデザインのやつだったけれど、もう一枚が以前くれたやつで、見覚えがある。気のせいか紙の色が変色していた。どこかの料亭じゃないけれど、何か残ったやつを使ってないか、なんて感じたのだけれど。杞憂であればいいのだが・・・。関係者の方、頑張ってくださいね。

2008年06月01日

言いたい放題

 昨日は月末なので、普通預金から当座預金へお金の移動を窓口を通してやる。ついでに振込もあったので、やろうと思ったら、こちらは銀行でやると手数料がかかるという。コンビニだとまったく手数料がかからないのに、どういう訳なのだろうか?どうも銀行は手数料を取ることが当たり前の感じでいるのが好きになれない。
 私は手数料を取るのがけしからんといっているんじゃない。手数料がかかるものは仕方がないと思っている。いわば手間賃みたいなものだから、ある程度は仕方がないと思っているのだ。けれど、コンビニでは手数料がかからないのに、銀行では手数料がかかるというのが腹が立つ。
 コンビニはこのように手数料をサービスすることで、自分のところに客を寄せることをやっているのに、銀行は当たり前のように手数料を取る。取って当たり前という態度が気に入らない。やればできるのにやらないという感じがしてならないのだ。損して得取れという言葉があるじゃないかといいたくなってくる。すぐ銀行出て、ちょっと戻りコンビニで支払をする。

 銀行系のカードにしてもそうだ。これも以前書いたと思うが、当時ついていた当社の銀行の担当者のノルマを達成するために、カードを作った。一年間は年会費無料だけど、次年度以降会費が取られる。もちろん今は年会費永久無料というカードも銀行では作れるようだけど、私のもっていたカードは毎年年会費が当然のように取られていた。
 しかし今は先に書いたようにカードでも年会費永久無料というのも多くある。もっていたカードは自分の車のメーカーのカードでもあったから、車検の時などポイントが使えたのだけれど、その車も買い換えてしまった。だから貯まったポイントが使えない。そのため思い切って年会費無料のカードに換えた。しかも貯まったポイントはその店で使える。最近はネットのプロバイダー料金や回線使用料、あるいはアマゾンの支払、定期代など結構使っているので、ポイントが貯まる。
 ネットのプロバイダー料金支払が新しいカードに移っていることを確認して、カード会社に退会を申し出る。受け付けてもらった時点で、カードにはさみを入れる。何かうれしくてぞくぞくする。これでまた一つこの銀行とのしがらみがなくなって、すっきりする。
 ATMで入金する。どういう訳か私が行くとお金が詰まってしまうことが多い。今日もそうであった。もともと患者さんから頂いた一部負担金を入金するためにATMを使って入金しているのだが、患者さんだけでなくお客さんから頂いたお金は結構痛んでいたり、それをセロテープで補修したりしたやつがある。これがATMでは受け付けないではじかれる。
 信用金庫に勤める娘にこのことを言うと、窓口で入金すればいいと簡単にいう。が、その窓口が混んでいる。仕方がないので、自分の財布にあるお札と換える。痛んだお札は、毎日買っている弁当屋さんの支払に回す。そのお札を使うときは一様謝る。幸い弁当屋のおやじは心優しい人なので、いいですよといってくれるので助かる。
 さて、そうしてお金を整えて、ATMに入れたら、とたんに扱えなくなりました。インターホンで連絡を取ってくれという。仕方なしに電話すると、とりあえずATMが使えなくなったことを詫びるが、その後入金した人間が本人であるかどうか確認するために、身分証明書をもっているかと聞いてくる。まただ。以前も同じことを聞かれ、同じように腹を立てて言った。「あのさぁ、ATMを使うためには身分証明書をいつも持参しなけりゃならないの?」と。以前も名乗っているので、態度の横柄な客としてブラックリストに載っているかもしれない。きっと、またあいつだと言っているような気がした。

 以上銀行嫌いの私が言いたい放題の三題。