2008年07月09日

三周年に思うこと

 この12日でこのブログまるまる三年たったことになる。そして私の胃の調子はそれより半年ほど前からおかしくなっているので、約三年半調子悪いまま過ごしている。しかもここのところ胃の張りがひどく、もちろんげっぷも頻繁出るようになっていて、夜もなかなか寝付けないし、寝てもおなかの張りで苦しくなり、すぐ目が覚める始末。これはやばいなと思い始めた。
 食事も何を食べてもおいしくない。それよりこれ食べちゃったらおなかが張るだろうかなんてばかり気になって、それどころじゃないのだ。
 胃の調子が悪くなって、今の病院は二件目である。もう二年以上通っているのだが、薬ばかり大量に飲まされて、一向に良くなる兆しがない。精神的ストレスがかなり大きいだろうから、その点も注意されているのだが、それにしても少しは良くなってもいいのではないかと思っていた。胃カメラや大腸の内視鏡検査(他の病院を紹介され、そこで受けた)など総合的に胃腸の管理もしてくれているのは結構なのだが、管理だけじゃどうしようもない。
 家族は治らないところに通っていても意味がないから病院を変えろと言う。確かにその通りなのだが、だからといってそうころころ医者を変えていいものなのだろうかと思うのだ。たぶん今通っている先生のところで症状が回復する見込みがないのは自分でもわかっている。しかも胃カメラは下手だし、紹介された大腸の内視鏡検査を受けたところも、有名な先生らしいのだが、結構身体に負担がかかり、検査の後はへろへろになる。やっぱり先生を変えるしかないかなんて思っていたところに、おなかの張りがきつくなった。これはやばいなと思い始めたので、先週の木曜日に意を決して、会社の近くにある病院を訪ねる。ここはネットで探した病院である。(昔大野さんからも話があった)もともと大腸の検査はポリープができやすい体質だから、必ず一年に一回は検査を受けた方がいいと言われていたので、その検査が楽な先生を捜していたのだ。そしてここは胃腸科をやっているので、今の私には都合がいい。
 今まで受けた胃カメラや大腸の内視鏡検査の写真を見てもらい、実際おなかを触ってもらい、胃が張っているいるのを確認してもらう。次にレントゲンを撮る。先生曰く、小腸か大腸にかなりのガスがたまっていて、それがおなかの張りをもたらしている可能性がある。多分腸の機能が落ちているんじゃないのかな。だからその機能を少しでも回復すれば、張りは治まる可能性があると言うのだ。漢方を飲んだことがあるかと聞かれ、ないと答えると、いい薬があるからそれを試してみましょう“大建中湯”というのを処方箋に書いてもらった。木曜日なので大野さんがいないので、そのままお茶の水店に行って、薬を出してもらう。
 イメージとして漢方って苦いだろうな。粉薬(顆粒?)って苦手なんだよな。しかも二袋も食前に飲まなきゃならないのだからやだなと思って、さっそく夕食前に口に入れる。案外飲みやすいが、それでもかなりの水を飲んで流し込む。
 ところが、その夜からおなかが楽になっていくのが自分でもわかったのだ。夜中におなかが張って目が覚めることもなく、睡眠が取れたのだ。これは凄い!いったいこれはどういうことなのだ?
 もちろん完璧じゃない。げっぷも今までと同じように出るし、多少のおなかの張りもある。けれど、以前より楽であることは間違いない。さすが中国四千年の力というべきか、恐るべき漢方なんて馬鹿なことを思ってしまった。
 今日など、久しぶり朝天気がよかったし、体調もかなり回復してきたように思えたので、朝今までのように一駅先の駅まで歩く。今までは歩いていてもげっぷが出たり、おなかの張りが気になっていたのだが、今日はものすごく気分がいい。思わずもう一駅先まで歩こうかななんて思ってしまった。

 私は密かに思っていることがある。自分の胃腸が調子悪くなったのは、多分自分が今まで勤めていた本屋さんがなくなってしまったことによる精神的ストレスがそうさせているんじゃないかと。もちろんお店がなくなる前も、今の数字ばっかり追っている仕事をしていたのだけれど、それでも自分の仕事が終わればお店に行って、本屋の同僚と話したり、お店にある本に囲まれることができた。自分はもともと本屋さんに勤めたのだから、ここは言ってみれば自分のふるさとみたいなものであった。
 ところが会社の経営不振から、本屋の撤退を余儀なくされ、店も、同僚も失った。それが三年半前である。つまり私の胃腸がおかしくなったのと時期が符合する。同僚は辞めさせられ、自分一人が残った罪悪感みたいなものがいつまでもあったし、撤退後、残された私は経理的な残務整理を一人でやることになったので、余計にその負担が私の精神にダメージを与えた。それでなくとももともと胃腸が弱かったところにもろに来たのだ。今でもその罪悪感はあるし、自分のより所をなくしたことによる喪失感はある。
 だから馬鹿みたいに、取り憑かれたように本を読んでいる。そうすることで、自分が取り戻せるようなところがあるのだ。何を弱いことを言っているんだ言われそうだけど、実際そうなんだから仕方がない。このブログに三年間で、ざっと数えて290冊、本のことを書いているけれど、私にとって冊数なんか問題じゃなく、本を読むこと、その行為が自分が一番好きなことで、かろうじて自分が取り戻せるから、そうしているだけのことなのである。

2008年07月03日

新潮文庫!?

 パソコンをやっていて、何か遅いなと思ったら、ウィルスソフトの更新が行われている。あるいは業務を終えて、シャットダウンして、さっさと帰ろうとすると、Windowsの更新をしろと出てくる。まぁ、裏でいろいろやってくれているのは結構だけど、何をどのようにしているのか、さっぱりわからない。更新は決してご迷惑はおかけしませんからということで、陰でこそこそやっているのだろうけれど、案外迷惑なものだ。
 更新といえば、私の頭の中にある出版目録は本屋時代で止まっている。つまり誰かの本がどこの出版社から出ているというのを、ある程度覚えているのだけれど、本屋をやめてから、その後どうなっているのかわからない状態になっている。例えばある作家の本が確かあの出版社から出ていたはずだと記憶の奥から引っ張り出すのだが、確かに出版されてはいたが、今は品切れ、あるいは絶版となっていることが多い。幸い、今はネットという便利なものがあるので、その後どうなっているか調べることは簡単にできるが、調べずに本屋で探すとひどい目にあうことになる。探しても、探しても見つからないのだ。やっぱり何でもそうだけれど、情報は最新版いいようである。

 シャンポリオンの伝記を読んだ。こうした古代史の一部を解明した人の話を読むのが好きだ。読み終えて、どうしてかわからないけれど、シュリーマンの自伝が読みたくなった。私がシュリーマンの自伝を読んだのは、高校生の時だから、もう30年以上も前のことだ。自分の本棚を探してみたが、当時の文庫本は残っていなかった。確か岩波文庫版で読んだはずだ。仕方がないので買うことにする。せっかく読むなら、今度は他の出版社で他の訳者の本を読もうと思い、自分の頭の中にある出版目録を探す。確か新潮文庫でも出ていたはずだ。そしてこの本はよく“新潮文庫100冊”の中に入っていたはずだから、今でももちろん出版されているだろうし、それだけポピュラーな本だから、ブックオフにも流れているだろうと推測する。確かにあった。105円の棚に虐げられて収まっているのを取り出して、他の本と一緒にレジに出す。
 その時よく見ればよかったのだけれど、読もうと思って取り出すと、“ややぁ、文字が小さいな”こりゃ読むのに苦労しそうだ。奥付を見てみると、平成6年となっているから、今から14年前の本である。それじゃ仕方がないと諦める。
 ところがこの文庫本、しおりのスピン(ひものやつ)がやたら短い。だからしおりの役目をなさない。昔、ネットで古本屋さんをやっている人の本を読んだことがある。そこにはブックオフで仕入をするときに、スピンが切れている本があることに注意すべしと書いてあった。どうしてかというと、ブックオフでは本をきれいにするために、本の天地をグラインダーで削る。そのときスピンも切ってしまうのだ。この本も多分下の方を削ったとき、切ってしまったのだろう。105円で買ったのだから、文句を言っても仕方がない。書泉さんでもらったしおりを引っ張り出し挟む。
 しかしそれだけではなかった。何とページがぽろぽろ外れてしまうのだ。通勤途中で読んでいて、本のページがはらりと落ちてしまった。これはあまりにもグラインダーで削りすぎたため、のり付け部分もそぎ取ってしまったのかなぁと呆れてしまう。きっと潔癖性の人がグラインダーをかけたのだろう。とにかく文字は小さい。スピンは役立たず。しかもページは外れる。これじゃ落ちついて読んでいられやしない。
 これって取り替えてくれるのかな?もしかしたら代替えの本がないかもしれない。けれど105円で買ったものを取り替えてくれというのも恥ずかしい部分がある。だったらちゃんとした本屋さんで買えよと言われそうだ。仕方がないので(何か仕方がないというフレーズが今回多いが・・・)地元の本屋さんで買おうと思ったら、在庫なしと言われる。なんてこったい!我が地元の知的レベルの低さをこの本屋で見てしまった。店を占めるのは漫画と雑誌、しかもエロ雑誌とくるから、どうしようもない。

 ところでこの新潮文庫のページが外れるという状態なのだが、これは一概にブックオフのせいだとは言い切れないのではないかと思い始めた。というのも先日買った新刊の文庫本を読んでいたら、ページがぱかっと本が割れるのだ。このとき二冊新潮文庫を買ったのだが、二冊ともそうであった。明らかにのり付けが甘い。自分が買った文庫本がそうだっただけのことかなと思ったのだが、たまたま会社の同僚が新潮文庫を読んでいたので、「最近の新潮文庫って、ページがぱかっと割れない?」と聞いてみる。そうすると「そうなんですよ。この本も、ほら」と見せてくれた。おいおいどうなっているんだ?まさか最近の原油高で接着剤をけちっているのか?私も同僚も別に文庫本を粗末に扱った訳じゃない。普通に読んでいて、そうなってしまったのだ。よく分厚い本だとぱかっと割れてしまうこともあるけれど、この本は普通の厚さの本だから、割れてしまうこと自体おかしい。新潮さんどうなっているんですか?

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