2008年11月23日

“店長”と呼ばれていたいた時代

 何年か前に岩本町駅の階段で「店長!店長!」と呼ぶ声がした。誰のことを呼んでいるのだろうと思ったが、誰も振り向く奴がいない。私はそのまま階段を下りていったのだが、相変わらず呼ぶ声がする。まさか自分が呼ばれているなんて思わなかったのだ。
 呼んだ主はS君だった。私が大手町の小さな店の店長をやっていた頃、一緒に仕事をしていたアルバイトである。その時彼と何を話したのか忘れたけれど、しばらく立ち話をして別れた。
 私が“店長”と呼ばれるようになったのは、彼がそう言い始めたからである。もちろん私は偉そうに“店長”と呼ばれるのに抵抗はあったのだが、やめてくれと言っても彼はいつも私をそう呼んだ。若いのに物腰の低い、やさしい人であった。
 あのときまさか自分が“店長”と呼ばれるなんて思わなかったので、そうか俺は店長と呼ばれていたこともあったんだなと改めて思ったことを覚えているし、そう呼ばれていた時代がもう十年数年以上前であったことも懐かしかった。

 今は東京国税局が入っている大手町の第3合同庁舎の店に移ったのは、半ば飛ばされたものだった。今までいた店の店長と大げんかをしてしまい、ことごとく店長のやり方を批判した。自分が思うように仕事を続けた。だから店長は社長に泣きついて、私を大手町の店に移したのであった。そして大手町店いた人のいい店長を私の代わりに入れたのだ。そのことがわかっていたから、私は最初ここに来て、半ば自棄で仕事をしていたし、自分の実力からすれば、こんな店ぐらいすぐ建て直してやるとうぬぼれていた。
 しかしいくらやっても、売上は伸びなかった。私は悩んだ。結局今までみたいに殿様商売をしていたんじゃダメだ。問屋がこんな小さな店を大切にするわけがないから、新刊や売れ行き良好書など寄こしはしない。それなら自分で動いて仕入をしないとダメだと思い始め、たまたま近くには日販の店売や神田村があったから、それこそ毎日、雨の日も、風の日も、雪の日も自転車で仕入に出た。
 以来売上が伸び、わずか10坪の店で月商500万以上の売上も出せた。何年そこにいただろうか?五年?六年?そんなもんだったろうか?
 当時バブル時代だった。当社も新大久保に大きな店を出すことになった。当然実力、能力からいって、私がそこに行くだろうと自分でも思っていた。しかし私のいた店は本社から離れていた。いってみれば僻地いたし、また当時の書籍部の部長とそれほどつながりがなかった。そのため私は新大久保には行けなかった。(結果として行かなくてよかった。その自分が新大久保の店をたたむべきだと急先鋒になり、動いたのだから、世の中不思議といえば不思議なものだ)
 ところがその新大久保の店が予想以上に売上が伸びない。そのため部長自ら新大久保に乗り込むことになり、それまで部長がいた店に責任者がいなくなる。そこで私を呼び出し、ここで店長として仕事をして欲しいといいだしたのだ。私からすれば“ふざけるな!”という気分である。今更なんだという気持であった。
 しかし雇われの身である。会社の方針には従わざるを得ない。だた私は店長になることは拒否した。そこで会社は私を“店長代理”にすると言い出す。まあいい。私は私のやり方で戻った店で売上を伸ばせばいいと思い、自由に仕事をした。今にして思えば、新店長はやりづらかっただろう。もちろん誰にも私が店長代理と呼ばせなかったし、名刺にも役職など書かなかった。以来現在までその気分がつづいている。
 幸いこの店の私の担当部門は飛躍的に売上が伸びた。それは大手町で覚えた仕事の仕方のお陰である。だから私にとってこの店は書店人として一人前にしてくれた店だと思っている。

 その店の写真が出てきた。涙が出そうであった。この店は私がいた時代、改装をしている。この写真は改装前の写真である。


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 古ぼけた店だけど、内容はいい本屋だった。品揃えも捨てたもんじゃなかったはずだ。ただ今じゃこんな店などやっていけないかもしれない。
 第3合同庁舎の地下にある売店で本屋をやっていた。中には酒屋さんや写真屋さん、薬屋さん、電気屋さん、パン屋さんなど11の店が入っていた。いろいろな業種の人たちを話せたし、売店全体で何度も旅行に行った。あのときはほんとどんちゃん騒ぎをした。役人とも何度も喧嘩した。役人はすぐ社長に文句を言い、社長は私を呼び出した。何回か役人と喧嘩していると、「そろそろ社長から呼び出しの電話があるぞ」と売店仲間に言い、その通りとなった。もちろん呼び出しを食らってもひるまない。態度が悪いのは役人方だと言い放ったと思う。
 そんな私とよく付き合ってくれたのが酒屋さんの亡くなられた中村さんや従業員角ちゃんだった。やはり亡くなられた会長の田林さんもやさしくしてくれた。その酒屋さんで買った“大手町”という名が入った焼酎が取引先の問屋さん人気があり、何本も買ったし、自分でも飲んだ。その酒瓶が家にある。もちろん中身はないが・・・。


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 とにかく私が“店長”と呼ばれていたいた時代は、大変だったけど一番面白かったと、写真を眺めながらそう思った。

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