2008年12月17日

私にはできないこと、できること

 毎年年間100冊は本を読みたいなと年始めに思い、それを目標にしている。といってもその目標目指して遮二無二本を読もうなんて気はない。まぁそれだけ読めればいいじゃんという程度のものである。もちろん社会人になってからは、年間100冊など読めやしない。まして精神的起伏が激しい人なので、気持がハイの時はすらすら読めても、落ち込んじゃった時は本の表紙すら見たくないというときが、年に何回か訪れる。そんなときはほとんど本を読むことが無理なのである。今年は現在95冊で、もしかしたら目標達成できる可能性はあるけれど、後半月しか残っていないから、やっぱり無理かもしれない。
 本を多く読むことが目的じゃないことはよくわかっている。要はいかに内容の濃い読書をしたか、あるいは本をどれだけ楽しんだかであろう。そういう意味では毎年楽しんではいるから、年間100冊などどうでもいいのかもしれない。あるいは年間100冊読めれば、その分それだけ多く本を楽しんだことになるんじゃないかと思うのである。

 私のブログに「本ブログ」というリンクが貼ってある。リンクした理由は、私の読書感想文がどれだけ人気があるか知りたかったからだ。最初は結構いけてると思っていたのだけれど、ランキングを見ると大体定位置が決まっている。これだけ本を読んでいるのだから、もう少し上位にあってもいいじゃんと思っていたが、いつもおなじ位地だ。なんでだろうと思っていたときもあったが、最近は“だろうな”という気持になっている。要するに今ウケしない本ばかり読んでいるからである。
 たとえば、上位に位置する人のブログを拝見させてもらうと、やっぱり今ウケている話題の作家さんの本のことが書かれているのである。別に悪口を言うつもりはさらさらないのだが、私からすれば“軽い”本、流行の本を書かれている人のブログの方が上位にランキングするようだ。そうわかったとき、私のブログの位置はここだろうし、むしろ上位にありすぎるかもしれないと思った。
 ネットで本のことを書くなら、やっぱり話題性があることが一番いい。それこそネットの存在感ここにありといったものが、最近流行のものは何かにある以上、当然そうなるであろう。
 ちやほやされ、流行の最先端を行っている本がすべて悪いとは思わないが、どこかただ単に時代の波に流されている、あるいはそれに乗っているだけのことであって、軽さはあるけど重みのない、時が経てばすぐ風化してしまうように思えてならない。さらに言わせてもらえば、ただ流行に乗り遅れまいとするだけで、そこには自分がどうしてこの本を読みたかったのか、その意味が感じられない。それは偏見かもしれないけれど、少なくとも私にはできないなと思うのだ。
 それに歳のせいか、そういう流行のもについていきたいという気持になれない。それより読めなかった本を今なら読めるかもしれないという気持で、昔買った本を手にすることが多い。あるいはちょっと前の作家さんの本を読む方が、年齢的に同感できる部分が多いので、読んでいて“そうそう”とうなずけちゃうところがいい。
 だから、最近本屋さんへ行っても自分の好きだった作家さんの本がほとんど棚に並んでいないからおもしろくないのである。それよりもブックオフの棚の方がおもしろいのだ。
 ブックオフにもちょっと前の本たちが並んでいる。それはそれで多少読んでみようかという気持のなった本があれば買うけれど、それよりも古い本が無造作に並んでいる方が好きだし、その中から読みたい作家さん本があれば、お宝発見じゃないけれど、何か得した気持になれるから好きである。
 そういう本を見つけると、うれしくなる。おもしろいもので、私がお宝と思った本は、大体が全部読まれた形跡がない。なぜそれがわかるかといえば、たとえばしおりが途中ではさまっていたり、出版社の案内が買ったときのままはさまれていたりするので、ああ、この本は途中で投げ出されちゃったんだなと思うのだ。そう思うと、じゃあ俺がきちんと読んでやるという気分になる。
 そんな本ばかり読んでいるから、今ウケするわけがないのだ。でもそれでいいと思っている。going my wayである。もともと勝手気儘に始めたブログである。人様の目を気にしながらやっていたら、こうも続くまい。自分が読みたい本を読む。これだけなのだ。

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