2009年03月20日
娘の結婚式を前にして
明日娘の結婚式である。そして今日は娘は引っ越しをする。まぁ、このごろというか、娘が社会人になってからは、自由に行動してきて、家に帰って来たり、友人と遊び歩いたりしているので、家にいないことが多かった。だから娘がいなくなることで、急に寂しくなることはないかもしれないなと思っていた。要するに親が子離れする準備を子供の方からやってくれたと思っていた。
でも今までは、どんなに遊び歩いてても必ず家に帰って来ていたし、毎日の仕事は家から行っていたのがなくなるわけだから、今までとはきっと違うんだろうなと感じる。それは明日以降、私やかみさんがどう感じるかである。
ここのところ引っ越しの準備をしている娘を横目で見ながら、ああ、こいつやっぱり家から出て行くんだと感じていたし、これから先うまくやっていけるのかなと不安になることもある。
でも自分たちのことを考えれば、新しい生活が始まれば始まったで何とかなったのだから、娘もそれなりにうまくやっていくのだろうと思うことにしている。案外新婚生活をエンジョイして、親の心配などどこ吹く風みたいもんなのかもしれない。
最近思うことがある。自分たちが結婚して、ひたすら自分たちのことしか考えてこなかったなと。自分たちの親のことなど考えたこともなかった。
今順繰りに私たちが親として娘を送り出すにあたり、初めて親の心境というのを味あわされている。やっぱりなんだかんだと言っても、不安だし、心配だし、そして寂しい。たぶん私たちの親もきっと同じ気持ちだったんだろうなと最近思うのだ。しかもいつか子供たちは巣立っていくのは当然だから、親は自分たちの心境をあからさまに口に出して言えない。仕方がないのである。親の心配や寂しさより、子供が巣立っていくことを歓迎しなければならないのだから、ある意味つらいものだ。
かみさんはいつまでも娘を子供扱いして見ていて、娘たちの行動に不安や心配を口に出して私に言っている。私は娘たちが完全に独立した家庭を自分たちに意志で築いて行くのだから、ある意味我々と同等の立場だ。いつまでも親面していてはいい迷惑だろうとわかりきったように言っている。けれど私はわかりきったような態度をとっていても、かみさんのように口に出して言えないつらさを味あわされているのである。親って損な役回りだなと思うようになってきている。でもそれって子供を持ったときからついて回ることなんだろう。
娘の結婚式が近づくにつれ、かみさんと町を歩いているとき、小さな女の子を見ると、いつも娘がそんな頃のことを思い出し、話題となる。確かに親は損な役回りかもしれないけれど、でも子供たちがいたから楽しかったことも多くあったに違いない。だから人様の子供を見て、自分たちの子供が同じ頃のこと思い出せるのかもしれない。いいときも、楽しいことも、心配したことも、今となってはいい思い出の一コマだ。そしてきっと娘の結婚も何年かそればきっといい思い出の一コマになるのだろうと思うことにしている。
- by kmoto
- at 07:16
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