2009年05月24日

ルーヴル美術館展と上野にて

 昨日は土曜日で通常休みなのだけれど、午後から人と会う約束をしていたので出社した。時間は二時の約束なので、それまでは上野のでやっている「ルーヴル美術館展」へ行ってみた。今回は17世紀ヨーロッパ絵画ということで、基本的に私は興味がなかったのだけれど、先日テレビでジョルジュ・ド・ラ・トゥールの「大工の聖ヨセフ」を見てその絵に魅了されてしまい、どうしても実物を見たくなったのだ。
 土曜日ということでたぶん混んでいると思われたので、開館間際に上野に着いたのだが、もう20分待ちの状態であった。どうしてもルーブルというと日本人は憧れるのか、いささか不思議なのだけれど、とにかくばあさん連中が多い。しかも何人かつるんで、わいわいがやがややっていて、本当に絵を鑑賞に来ているのかと言いたくなる。
 しかも音声ガイドという絵の鑑賞に役立つ解説が聞けるものを持って、聴きながらだから余計に先に進まないのだ。そんなものをここで聴くなよ、と正直思う。音声ガイドがなければ絵を鑑賞できない方がおかしい気がする。何のためにここに来たのか疑問に思っちゃうね。
 例によってフェルメールの「レースを編む女」の前は人だかりで、なかなか先に進めない。


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 この絵、24×21センチの小品なので、遠くから見るとよく見えない。日本人のフェルメール好きは有名で仕方がないのだろうけど、私もフェルメールが好きなので仕方なしに列に並んで絵の前に行けるよう順番を待っていたのだが、ちっとも先に進まない。ある程度近くに行った時点で、絵を見て、列を離れる。
 そのためか斜向かいにレンブラントの「縁なし帽を被り、金の鎖を付けた自画像」は空いていて、絵の前までじっくり眺める。レンブラントも好きなのだが自画像はあまり興味はない。


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 ベラスケスの「王女マルガリータの肖像」もある。遠くからなんか見覚えのある肖像が見える。


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“あれ、デカルトじゃないか?”と絵の近くまで行ってみると、「ルネ・デカルトの肖像」とある。小うるさそうなおやじ顔である。

 とにかくラ・トゥールの「大工の聖ヨセフ」を見たいので、後はざっくりと眺めていく。あった。これだ!


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 この絵よく見ると、右にいるイエスがローソクを手にかざしている部分は通常あり得ない。かざしている手が透けるほどローソクの炎が強いということは、よほど火力が強いことになる。熱くてとてもじゃないがローソクに手をかざせるわけがない。そんな不自然さがあるのだけれど、よく考えなければそれを感じさせない。静寂さの中にも荘厳さを感じてしまう。イエスの顔がローソクで照らされる一方ヨセフの身体は薄暗い。かろうじてヨセフの顔のみがイエスの持つローソクの明かりで照らされるだけである。そのまなざしが無言の何かをイエスに語りかけている感じがする。そうなのだ。無言の親子が何かで通じている。そんな思いを感じるのである。それを力強い父のまなざしと、幼い子のいかにもあどけない目が語っている。力強い父、幼い子が、たった一本のローソクで暗闇と明かりのように対照的に描かれる。
 幸いそれほど人だかりはなかったので、しばらくここにいた。これは実物を見てよかった。

 外に出ると、さっき入場したときより多くの人が並んで入場を待っているのが見えた。よかった早めに来て。庭にロダンの「考える人」の鋳造作品が見えたので、デジカメを取り出し写す。すぐ近くにあった「カレーの市民」もついで写す。先には「地獄の門」も見えるが、暑かったので帰ることにした。


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 このまま西郷さんの銅像があるところまで歩く。以前来たときデジカメを持ってこなかったので、ネットで転がっている写真を使用したのだが、今度は持っているので撮っておこうと思ったのだ。
 しかしこの銅像を眺めていると、西郷の奥さんが「主人はあんなみすぼらしい格好はしていません」と言ったというのがよくわかる気がする。

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 なんでこちらの方に来たかというと、松竹デパートにある古本屋さんに来たかったからである。松竹デパートといっても、ほとんど崩れ落ちそうな汚いビル。建てられてからそのままという感じだ。昭和レトロ感漂う雑多なビルといった感じ。こんなところに古本屋さんがあるのかなと思いつつ、中に入ると確かにある。しかしその未整理さにあきれてしまう。ここには整理整頓という言葉は存在しないようだ。市場で買い入れた束になった古本を一気にぶちまけた感じで、平台には各社文庫、全集、エロ雑誌が一緒になっている。よく探せばお宝があるのかもしれないが、さすがに探す気にはなれなかった。というか、もうちょっと整理してよと言いたくなっちゃう。さっさと諦め、駅に向かう。
 トイレに行きたくなり、歩いていたらなんか新しい駅ビルの中に入った。ここだけは上野じゃない感じ。用を済ましちょっと歩いていると、明正堂さんがある。上野の本屋さんといえば明正堂さんなのだが、ここもビル同様小綺麗でしゃれた感じにしてある。ここで一冊本を買った。本に付けてくれたカバーを見て、そうそうこんなカバーだったと懐かしかったが、でも昔から本のサイズに合わせた、折り込みのないカバーだったかなぁ。これじゃカバーというよりは包装紙だ。
 さすが上野といことで、雑誌「谷根千」のバックナンバーが揃っている。しゃれたブックカバーがあって、文庫本サイズのものを買おうかなと思ったがやめた。
 店員はヨドバシの有隣堂のレジにいる奴と同じ格好をしている。最近本屋の店員は白いシャツと黒のズボン、そこに黒のエプロンを着けた奴がトレンドになっているのかなぁ~。確かに書泉さんのばあさんくさい制服にスニーカーという格好(男はじじくさいポロシャツにスニーカー)より、今風だけれどね。あれ東京堂の大橋社長に言わせると“書泉スタイル”というらしい。
 レジで並んでいると手を挙げてこちらへどうぞと誘導する。あれ、なんか頭きませんか?偉そうに誘導しやがってといつも思うのですけれど・・・・。時たま同時に二人手を挙げて“こちらへどうぞ”というときがある。そんなときどっちへ行けばいいんだと一瞬悩むこともある。
 時計を見るといい時間になっているので、事務所に向かった。

2009年05月20日

新型インフルエンザに思うこと

 大阪にいる義理の妹からかみさんにメールがあり、マスクを買って送ってくれないかという。そうなのだ。大阪では今新型インフルエンザの影響でマスクが手に入らない状況なのだ。マスクを買い求めるために、薬局に人が並んでいる光景がニュースで流れていた。 そのメールがあったのが三日前である。まだ東京の薬局にはマスクがあった。そして私は大野さんから箱が変色して売れないマスクを花粉症だということで、一箱もらっていた。とりあえずそのもらったマスクを大阪に送ったのだが、今度はうちのかみさんが慌てて始め、自ら薬局でマスクを買い求めた。しかし昨日の時点でもうお店にはマスクが売り切れていたという。
 義理の妹からお礼のメールがあったことを昨日聞いたのだが、それには話の続きがあった。とにかくマスクが買えない状況なので、仕方なしにマスクなしで街中を歩いていると白い目で見られるというのだ。“あの人、マスクしていないわよ”ということらしい。つまりマスクを付けないで歩いていること自体、恐れを知らない奴と見られるか、あるいは新型インフルエンザのウィルスをまき散らしているかのように見られるらしい。
 一昨日だったけ?厚労省が新型インフルエンザは通常のインフルエンザと変わりがないからパニックにならないようにと言いだしたのは・・・。結局あれだけ大騒ぎしたのに、今頃通常のインフルエンザと同じだよ言うのも変な話だ。最初からそう言えばこんなことにならなかったのにと思うのだ。そもそも日本にウィルスが入ってきた時点で、今回新型インフルエンザは弱毒性だと言われていたじゃないか。
 こんなに大騒ぎになったのはやっぱり厚労省のせいだ。とんでもないウィルスが日本にも上陸したということで、空港などものすごい検疫体制を引き、物々しい防護服を着た検査官を走らせる姿を見れば、誰だってやばいと思うに違いない。感染の疑いがあれば、感染病棟に強引に連れ込み、猫も杓子も入れてしまえば、今度はベッドが足らなくなるのは素人だってわかる。で、対応できなくなれば自宅待機と言い出す始末。
 そしてマスコミのバカ加減も笑っちゃう。新型インフルエンザに感染の疑いがある患者さんが入院させられた病院前で現場からの中継で、記者はマスクをして話している。だがひとたびこの患者が新型インフルエンザに感染していないとわかると、マスクをとって中継し始める。いったいこれは何なんだと思う。厚労省が煽り、マスコミが火に油を注いだ結果、今回のバカ騒ぎとなったことがわからないのかな、なんて思う。
 どうしてこんなに大騒ぎするんだろうか?たぶん鳥インフルエンザのような強毒性のウィルスが日本に入ってきたとき対応するマニュアルが出来上がっていて、今回それを使って対応した結果だろうと思われる。まったく役所というところは、そこにあるマニュアルや書類ばかり重視して、現実を把握しないから、こんなとんちんかんなことになるのだ。大阪府の知事も「役所って、バカですね!」と言うのもそんなところだろう。
 たとえば、障害者向けに低額郵便を提供するシステムにしても、実体はそうでなくても、提出された書類に不備がない限り、それを認めてしまうのも同じである。現在郵便局は民営化されているけれど、元を正せば公務員である。
 あるいは私がDSで楽しんでいる漢検ソフトを提供している日本漢字検定協会にしたって、いったん公益法人になって、書類を提出し、それに不備がなければ、たとえ文科省の人間が検査が入っても、型どおりで、“ハイ、ハイ、問題ないですね”なんて言って、検査が終われば漢検の奴と飲みに行ったりしたんじゃないかと思われるのである。その時、“ハイ、ここに今日検査が入ったことの書類にはんこ押してね。ここにね。あっ、シャチハタはダメよ。”なんて言っちゃったもんだから、影でやりたい放題されちゃうのだ。汚染米の時も同じだろう。要は書類が重視され実体なんてどうでもいいんだ。出席簿にはんこを押すような感覚だ。

 事務をやっていると、ほんといろいろな書類を提出させられる。そのたびに同じ書類を何通も作り、印鑑を押す。いつもそうした書類を窓口で出すとき、まず印鑑の確認から始まり、指さし確認してから、不備がなければポンと受付印を押してくれる。その印鑑はシャチハタ印ではまずい。しかしかねがね不思議に思うのだけれど、どうしてシャチハタ印じゃまずいんだろうか。いろいろ調べてみると、どうもシャチハタは、ゴム印なので、押し方によって形が違ってしまうかららしい。だけど通常の印鑑だって押し方によっては形が変わるだろうし、ちゃんと登記した実印ならともかく、三文判ならいいというのもよくわからない。三文判をいつも同じものを使うとも限らないでしょう?
 別に私はシャチハタのまわし者じゃないけれど、会計伝表などでゴム印を使うよりはシャチハタの方が楽でいい。だから今はほとんど事務所で使うゴム印はシャチハタ印に変えてしまった。いちいちスタンプにポンポンとインクを付けるのが面倒なのだ。役所や税務署に提出する書類で三文判で済むものも“判ぞう”という優れものを使って、そこに三文判を差し込みシャチハタ印みたいに使っている。

 話は新型インフルエンザから役所の書類に変わっちゃったけれど、何でも実体にそぐわない書類やマニュアル、あるいは法律をいつまでも大事にするのはどんなものなのか。今回の新型インフルエンザ騒動でもうかがうことができそうである。

2009年05月15日

思うままに その14

 私が検査以外病院に行くのを木曜日にしている。というのも、木曜日は午後4時には手伝っている業務が終わるので、その後時間が取れるからだ。本当は休みの土曜日に行くべきなのだろうけど、自宅からお茶の水へ出かけるのが億劫なので、仕事で秋葉原にいる時の方が楽なのでそうさせてもらっている。もちろん勤務時間の途中で一時間ほど抜ける訳だから、その分朝いつもより早めに出社して帳尻を合わせている。
 昨日その病院へ行った。来週でもかまわないかなと思っていたのだが、飲んでいる薬の残りを数えてみると、どうやら次の木曜日まで持たないようなので、昨日行った訳だ。ついでに前回胃カメラの検査結果も出ていたので、詳しいことを聞く。
 私の胃と大腸はポリープのオンパレードじゃないが、いくつもある。以前江戸川区の区民検診を受けていたとき、いつもこのポリープのお陰で再検査を要するという通知が来る。まったく定期検診という奴はこれだから嫌になる。ちょっと異常があると、すぐ“再検査を要する”と言うのだ。これだけ読むだけでも、調子が急に悪くなる。
 一番最初に検診を受けたときは、ホントどきっとしたね。この再検査から胃カメラや大腸の内視鏡検査を受けるようになり、どうやら体質的にポリープのできやすい体質だとわかり、ドクターからも区の検診を受けるたびに要検査となるだろうから、それをやめて、独自に毎年胃カメラや大腸内視鏡検査を受けた方がいいと言われ、毎年やっている。
 今回の胃カメラも一年に一回やるものである。胃カメラでわかったポリープは「胃底腺ポリープ」だと言われた。このポリープは別に悪さをするポリープじゃないらしく、ピロリ菌のいない胃に発生するものらしい。このことからも私の胃にはピロちゃんがいないことも判明した。つまり以前除菌したのが成功したことを示しているわけだ。それにピロリ菌に対抗するLB21乳酸菌入りのヨーグルトも薬みたいに毎日食べているしね・・・?
 ただこのポリープができる人は私みたいに胃腸の調子が悪いと訴える人が多いらしい。このポリープのお陰で胃がんの原因のピロちゃんがいないことが証明され安心していいのだけれど、一方で胃腸の調子が悪いという痛し痒しですねと先生に言われた。まったくその通りである。結局なだめすかしながら付き合っていくしかないということらしい。まぁ仕方があるまい。
 処方せんをもらって、今日薬出してもらった。薬を受け取るたび、量の多さに呆れる。まったく粉ものだから一ヶ月分だとかさが張る。

 今読んでいる本の最新刊を“書泉ブッタワー”で買おうと思い仕事の帰りによる。ここのところここで本を買うことが少なくなったけれど、今までほとんど新刊は買っていたつきあいもあることだし、棚構成もよくわかっているから、本が買いやすい。しかし、ないのだ。おいおい新刊がここにないということはどういうことなんだ。今までそんなことがほとんどなく、ここに来ればだいたい手に入ったのに・・・。やっぱり仕入れを抑えているのかなぁ。ホント書泉は最近おかしいぞ!たぶん見る人が見れば、ここの品揃えが貧相になっていることがわかるんじゃないかなと思う。店員も覇気がないしね。せっかくここで買おうと思って来たのに、こんなことならここに来る前に、ヨドバシに行ったのだから、そのまま上の有隣堂で買っちゃえばよかったかなと思ったが、今更引き返すのもしゃくだしなぁ・・・、ということでそのまま岩本町の駅へ向かった。仕方がない。アマゾンで買うか。しっかりしてくれよな。書泉さん!
 私が買い求めたいと思っている本は小路幸也の本だ。たった一冊の本がその店にないということで、ダメだというレッテルが貼られてしまうのはかわいそうな気もしないでもない。書店側から言えば、そんなこと言われても・・・、となるだろう。いろいろな客層がここにはやってくるに違いない。そんな客のニーズをすべて満たすことなどできるわけもないことぐらいわかる。だから多くのお客が求めるであろう話題の本や、新刊を多くおくことで、最大公約数満たそうとする。むしろ私みたいな偏屈な客の方が困るはずだ。本がおけるスペースにも限りがあるから、一人のお客の不満より多くのお客の満足が得られるようにしておくのが鉄則であろう。これもわかる。だから何も言わず店を出る。今は家に帰っても本を買うことができる時代なのだ。
 アマゾンを利用する人には新刊書店に自分が求めている本がない場合、結構利用するんじゃないかと思うのだ。だっては面倒だし、バカな書店員と会話しなければならないし、手元に届くまでに時間はかかるので、その間いらついちゃうし、入荷すればしたで、またその店に行かなきゃならない。その点アマゾンは書店での注文のときに生じるいらつきは一切ない。心配もない。結構短い日数で本が自宅まで届く。
 アマゾンの客単価高いというのは書いたかもしれない。確かに1,500円以上買わないと送料がかかるというハードルがあるため、必然客単価が上がるのもあるだろう。けれど客単価が高い本当の理由は新刊書店が最大公約数の顧客満足度だけを求めた結果、そこからあぶれた偏屈なお客が単価の高い本を買い求めるケースが多いからじゃないかと思うのだ。そうなのだ偏屈なお客は結構読書家で単価の高い本を買うんだよ!
 書泉は大書店だと思っている。そんな大書店が街中の中小書店と同じことをやっていていいのかと思うのだ。大書店の大書店たる所以は、そこに多くの本があり、たくさんのお客さんに満足度を与える品揃えがあるから、大書店なんだと思うのだ。それがだんだんできなくなっているのかなと思うと少々寂しい。後はしおりやビニール袋目当てで行くお客を相手にするんでしょうかね?
 新刊がなかっただけに、かなりきついことを書いちゃった。もっともこんなことを書いてもどうなるというわけじゃないことぐらいはわかっている。愚痴である。さてアマゾンにアクセスしようかな・・・・。

 そうだ思い出したことがある。それを何の脈絡もなし書く。

 ガサガサガサ(鞄の中を探す音)

 まず今日もらった薬を出す。(やっぱ多いわ。鞄の中身ほとんどが薬だ)あった!全国書店新聞である。

 その全国書店新聞5月11号のコラム「本屋のうちそと」が面白かった。雄鳥社が先日倒産したことは書いたが、このコラムを書いている書店さんは「雄鳥社倒産につき今後は手に入りませんセール」をやるべきかどうか悩まれている。店内には40冊ほど返品不能在庫を抱えているらしい。しかもその前に倒産したエクスメディアの処分品もまだ半分も残っているという。このまま出版社次々と倒産していくと、店内が次々と「倒産バーゲンセール」になりそうだと書かれている。不謹慎だけれどやはり笑ってしまった。

 今回は前回の続きみたいになちゃった。

2009年05月09日

思うままに その13

 連休が終わり、一週間ぶりに秋葉にあるブックオフに仕事の帰りによる。ここには帰り道の途中ということもあって、一週間に一回は寄っている。私は最初ここのお店は場所柄仕入れより売りの方が多いだろうから、この店がうまくいくかどうかは仕入れがうまくできるかどうかにかかっていると書いたことがある。詳しいことがわからないけれど、たぶんここは他店から仕入れたものを本部が管理して、この店に回しているんじゃないかと思っている。そのため結構面白い本が出てくる。だからここの棚を見るのが私には楽しい。しかも他のお店がセールでやる500円以上の本が一律500円というのが、ここでは文芸本に関してはすべて500円となっているのがうれしい。
 また105円の棚も捨てがたい。他店から仕入れ本がここに回ってくるためか、結構お宝があるのだ。ここには古い本が時間が経っているということで105円になっているものが多い。しかしたとえば文庫では知っているけど、親本の単行本はどんなやつなんだろうかと見ることができるのだ。買いはしないけれど、時たま文庫で知った書名を棚で見つけると、手にとってしまう。
 今日は私が持っていない阿刀田さんの本と山口瞳さんの単行本を二冊見つけ、早速購入する。単行本二冊で210円である。寄ってみてよかった。

 そのまま書泉さんに寄る。最近感じるのだけれど、書泉が汚いし、暗い。笑っちゃうのが、秋葉原駅から岩本町へ行く途中、書泉の横側がどっと見えるのだが、そこに「書泉ブックタワー」と縦に大きな看板がある。その看板の「ク」が落ちちゃっているのだ。だから「書泉ブッタワー」となっている。なんか今にも倒れそうな感じである。これに気がついたのは先月半ばだったかな?それでももうすぐ一ヶ月近くたつのにそのままになっている。昔あった書泉のふんどしビラじゃなくて、旗もなくなっちゃって、ポールだけが出ている。外灯の電球や入り口近くにある看板の電球も切れていて、薄暗い。ビルそのものも汚れている。ビル掃除はそう簡単にできないだろうけど、電球ぐらい取り替えることぐらいできるんじゃないかなんて思うのだけれど・・・。でもまずはあの「ブッタワー」をなんとかせんとまずいんとちゃう?
 店の中の電球も切れているときが結構ある。もともと棚の近くある照明が暗かったのに、余計に暗い。そして奥にあるレジには店員がいないことが多く、いても中にあるノートパソコンで何かやっていて、接客する態度じゃない。店員がいないものだからレジにの中が丸見え。それが汚いこと汚いこと。
 そして一番気になるのが、在庫が薄くなってきたこと。今までは棚にぎっしりと新刊があったのに、面差しにして明らかに在庫を減らしているといった感じだ。これをやると確かに見栄えがいいときもあるが、ここでは暗さもあってかえって薄ら寒い感じがしてしまう。はっきり言っちゃうと、ここの棚よりブックオフの方が魅力的だ。「この店、大丈夫なのかな?」と思う。なんか自分たちが閉店というたどってきた道によく似ているのだ。
 東洋経済の「単店売上ランキング2008年度」によると、有隣堂ヨドバシAKIBA店が全国で26位。伸張率104.0%と秋葉原界隈の新刊書店では一人勝ちのようだ。ブックファースト一年もたたずにさっさと撤退しちゃったしね。

 今日ブックオフで買ってきた本の中にグリーティングカードが入っていた。もらいものお礼とお返しを送ったことが書かれている。たぶん受けとられた方が、読んでいたこの本にカードを挟みっぱなしにして忘れちゃったんだろう。そしてそのままブックオフに本ごと売っちゃったというところか・・・。
 古本には時たま前の持ち主が挟んだものがそのままになっている時がある。私も何度かそんなものを手にした。けれどこういうのってなんか人の私生活を覗いちゃったみたいで、少々困る。結局前の持ち主も忘れちゃっているのだから、そのまま始末しても問題はあるまい。

 どうでもいいことばかり書いてきたから、最後にもう一つ。書店組合から倒産した出版社の情報がFAXで流れてくる。先日雄鳥社の自己破産情報が流れてきてちょっと驚いちゃった。あの手芸の老舗も潰れちゃう世の中なんだなと思った次第だ。そして先日就職問題集を出している一橋出版も破産したというFAXが入った。
 どうしてこんな潰れた出版社の情報が書店に回るかというと、お店に置いてある委託の本が返品できなくなるからだ。そうなるとそれらの本は売れ残った場合不良在庫となるので、慌てて返品することなる。いつ売れるかわからないから、そんなリスクを負うよりはさっさと返品しちゃった方が安全だからだ。
 しかし委託商品には返品期限があって、その期限を過ぎたものは返品を受け付けてくれない。だからFAXで流れてくる情報には返品可能本のリストが載っている。
 ここで問題なのはこのリストに載っていない在庫本である。書店側は出版社の営業との口約束とそれまでいつでも返品を取ってくれた慣例で、“フリー入帳”の本だと思って在庫しておいたのに、それが期限切れ本として返品を取ってくれなくなったのである。これが問題となっているのである。行き先のない本が書店側の持ち出しとなってしまうのである。
 「全国書店新聞」の5月1日号にはこの業界用語の“フリー入帳”が取次には該当用語としてないと返答されたとあった。つまり業界の慣用としてそういう行為は一部にはあるが、正式な商業取引じゃないよということらしい。
 “へぇ~、そうなんだ”と思ったが、昔日販の仲良かった担当者がよく“これ、フリー入帳ですから”と言っていたのを思い出すんだけれどね・・・。
 出版社がしっかりしておれば、まぁいいや取ってやれよとなったかもしれないが、潰れた出版社にこれ以上の負債を背負うことなど出来やしないということなんだろう。書店業もますます難しい時代にはいったもんだと思っちゃうね。

 これで終わりにしようと思い、一時保存して、メールを確認したら、契約しているプロバイダーから「月額基本料金が毎月1,155円お得に!」という案内メールがあった。普段プロバイダーやパソコン関係のダイレクトメールなど吹っ飛ばしてしまうのだけれど、今回偶然目に付いた。“おおっ!いいじゃん”と思い、早速記載されているURLのところへ行って内容を確認する。要は二年間今のプロバイダー契約を続けてくれることを条件に割り引きサービスをしますということらしい。別に今のプロバイダーに不満もある訳じゃないし、変更も考えていないので、月々のランニングコストが安くなるのは有り難い。しかも契約すれば一万円の商品券もくれるとある。なんだか信じられないけれど、商品券はともかくとしてネットの経費が安くなるのらいいということで、そのまま契約する。料金は7月から安くなるらしい。
 この世界も顧客の奪い合いが激しい世界なんだろうか?とにかくどこでもお客の獲得のためには、そして獲得したお客を離さないためには、身を削ってでもサービスしなきゃならなくなっているのだろう。

2009年05月05日

今年のゴールデンウィークは・・・・


 一昨日から胃に調子が今ひとつよろしくない。2日の日に胃カメラをやった。胃カメラは“やった”というのかと、ふと思ったが、私のとって、胃カメラと大腸の内視鏡検査は毎年一回やらなけければならないものなので、そんな言い方になる。
 昨年から、内視鏡検査は今通っている先生の下でやることにした。先生は内視鏡専門医なので、あれほど痛みで苦しんだ大腸の内視鏡検査が痛みも感じず、いとも簡単に終わったことに驚きを感じ、今までの検査はいったい何だったんだろうと思った次第である。さすが内視鏡専門医と言われるだけの先生だと失礼なことを思った。
 しかし胃カメラどうなんだろうと思っていた。というのも、私は胃カメラが大の苦手なのである。とにかくあの黒いチューブ?が差し込まれる瞬間から、むせはじめ、戻しそうになる。もちろん胃の中には何も入っていないから、胃酸みたいなものが食道を通って、のどへそして口へと逆流してくる。だから大腸の内視鏡検査と胃カメラのどちらかを選べと言われたら、たとえ痛くても大腸の内視鏡検査を選ぶ方なのだ。
 と言うわけで、先生に事前に胃カメラをやるとかなりむせますと言ってあったし、検査前にも胃カメラはむせる方ですか?と聞かれ、かなりむせますと言っておいた。そうしたら、先に点滴していた途中から小さな注射器みたいなものを何本か差し込んでいく。たぶん鎮静剤か麻酔だろう。とりあえずこれで行きましょうと言われてから、いつの間にか検査は終わっていた。

おおっ、すごい!!

 大腸の時も感動したけれど、今回の胃カメラはもっと感動した。むせずに、苦しまなくすんだことが奇跡のようだ。こういう検査方法があるのに、今まで検査を受けてきたところはいったい何をしているんだろうと思った。とにかく荒ぽっかた。最初にゼリーみたいなものを飲まされたり、あるいは検査の前にスプレーをシュシュとのどに吹きかけ、いきなり胃カメラのチューブを差し込まれ、思いっきりむせ込んだりした。私はますますこの先生を信頼しちゃったね。毎月薬をもらいに通院しているが、毎度私のおなかの調子を尋ね、私がうまいこと自分の症状を表現できないのを、うまいこと聞き出して、それにあった薬を出してくれたりしてくれているので、今度こそいい先生に出会ったかなと思っている。

 しかしやっぱり胃の方はあんなものを差し込まれたので怒っているのだろうか?とにかく今ひとつ調子が良くない。食後胃が張る。これは今回に限らず検査のたびにこのようになる。過敏性のものなのだろう。元々胃や大腸の調子が良くないのは、機能性障害、ストレス、過敏性にあると先生に言われていて、最近私みたいな患者が多いことも先生は言われていた。たぶん胃の方が驚いていて、なかなか現状復帰できないでいるのではないかと推察している。

 そんなわけで、家で横になったりして、テレビを見たり、本を読んだりしている。さっきまで読んでいた本を読み終え、この後感想を書こうかなと思っているし、その後引き続いて用意してある本を読むことにしている。ゴールデンウィークも残り後一日だ。