2009年07月30日

一之江

 先週の土曜日に「アド街ック天国」で一之江が取り上げられた。


出没! アド街ック天国 一之江Best30

 地元である。一之江がこのテレビで取り上げられるという情報はかなり前から知っていた。というより、テレビで取り上げられたお店側が「アド街ック天国」でやりますよという張り紙が貼ってあって、それを見たうちのかみさんは「一之江がテレビでやるだってよ!どこが出るんだろうね?」と放映前から興奮しているのである。そして当日になると、朝からボルテージが上がっていて、その日は朝から放映が終わるまで興奮状態であった。
 嫁いだ娘も興奮しており、たまたま駅前の美容院へ行ったときに仕入れた情報がかみさんに伝わる。

 「どこが出るんだろうね」(かみさん)
 「ケロッピーのパクリである“財成”のカエルも出るらしいよ」「一之江ファッションで出る女の子60人が、後3人集まらなくて、テレビの人が必死に集めていたってさ」(美容院で情報を仕入れてきた娘。こいつテレビを見たくて隅田川の花火見物を早めに切り上げて家に帰ってきたらしい)

 正直な話、全国放送でなんで一之江が取り上げられるのか、この点は非常に疑問なのだけれど、まぁ、いつも私はこの番組を見ているので、いつものようにテレビの前に座り見ていた。もちろんかみさんは横にいる。そしてビデオ録画もしてある。ビデオテープは永久保存版だそうだ。
 そして番組が始まる。近所の中華屋のおばさんが名前入りで出てくると、もうかみさんの興奮は最高潮に達する。なんせこのおばさん娘の中学の同級生のお母さんだという。すぐ携帯を取り出し、娘に「大ちゃんのお母さんだよね?」とメールを送る。すぐ娘から返信があり「そうだ」という。そしてCMになると今度は娘から電話が携帯に入り、母、娘、興奮して話している。しかしおもしろいもので、CMが終わると、「じゃあね」と話が終わり、番組に没頭できちゃうのだ。大阪に嫁いだ妹からもかみさんへメールが入ってくる。今日はこの番組のことで、この界隈携帯の電波が飛び交っているんだろうなと思った。
 翌日、いつものようにかみさんと昼飯を食べに、「餃子の王将」へ入ると、カウンターに座っている親子らしい二人連れが昨日の番組のことを話題にしている。ケバイ格好の娘の方が「何で一之江がやるんだろうね?」と言っている。確かに!その点は私もそう思う。たぶんこの親子に限らずしばらくの間、この番組のことでこの界隈は盛り上がってるんだろうなと思った。私の住んでいるところはこの程度の番組で盛り上がってしまうところなのだ。

2009年07月22日

ハルキフリーク

 村上春樹さんの本を読むのをやめていたのでしばらく熱が冷めていたのだが、また読み始めると、はまるだろうなとは思っていた。そして事実そうなりつつある。しかしどうしてかそうなる。何でだろう?
 『ねじまき鳥クロニクル』と『海辺のカフカ』と続けて読んでいたら、ふと思ったことがある。今までほとんど村上さんの書かれる本は読んできたのだけれど、その詳しい内容を覚えていないのだ。だから自分の本棚を眺めていて、この本の内容はどんなものだったっけ?とか、あっ、こんなエッセイがあったんだと、思わずその本を取り出して見たりする。もちろん内容を覚えているものもある。しかしそのほとんどが部分的なのである。
 どうして村上さんの小説の内容が記憶に残らないのだろうか。その答えを『少年カフカ』を読んでいてわかったような気がする。


2009_07_22_02.jpg


 この本は『海辺のカフカ』を読んだ読者が村上さんにメールでその感想を書き、それに対して村上さんが答えるというやつである。読んでいてこのスタイルは昔のラジオでやっていた深夜放送と同じスタイルだなと思った。当時は手紙やはがきだったものが、それがメールに変わっただけである。基本当時DJと呼ばれていたパーソナリティーがそれらを読み、自分の考えを言ったり、あるいは他の意見を求めたりして成り立っていた放送である。それと変わらない。
 この読者のメール本を読んでいてわかったことなのだけれど、ほとんどの読者が『少年カフカ』を読んで、どうその感想を書いていいのか悩んでいることだ。読んだ感想をうまくまとめられずにいる読者が多いのだ。
 要するに村上さんの小説で描かれる世界は、我々が目にする世界じゃない。あるいは自分たちが見てきたことや、経験してきたことで構築する基本的なリアルな世界じゃない。私小説に慣れ親しんだ人やそうした世界しか肯定できない人たちにとってはなかなか村上ワールドを自分の言葉で語るのは難しい。その世界がほとんど観念的世界だけに、物語にはぐいぐい引きつけられるのだけれど、読了後自分の感想を書こうとするとどう書いていいのかわからなくなるところがあるのだ。
 そしてそれは本を読んだ直後だとその傾向が強い。しばらく時間をおいて考えないとうまく自分の意見をまとめられないか、あるいは何度も読み返さないとわからない部分があるように思える。メタファーとして森や井戸、壁、図書館での世界で起こる物語は、魅惑的であるのだけれど、その分観念的で、抽象的だ。だからいろいろなとらえ方ができそうである。逆に言えばだからこそ頭の中でうまくまとめることができないのだ。
 私が村上さんの小説を読むときに感じることはそういうことなのだろう。ただ私の場合、後で考えるということは基本的にしないため、結局そのままわからないままになって、忘れてしまう。だから今まで読んできた村上さんの小説について記憶があいまいなのだ。ナカタさんの頭の中のように“からっぽ”になってしまうわけだ。
 けれど、村上さんの本を読んでいるときはそれは夢中になっており、本を読むこと以外邪魔なので何もしたくなく、ただただその本を読んでいたくなる。“ハルキフリーク”の状態になっている。まぁ、読んでいるときに夢中になって楽しんでいればそれでいいじゃないかと思うことにしている。多分それが村上さんの小説を読む魅力じゃないかとも思っている。
 一方で、作品のほとんどで記憶が薄れているため、もう一度読み返してもいいかなと思っている。
 今回1,200通以上のメールを読むのはできなかった。300通ほどは休みの間読んだのだけれど、これはダメだ!と思った。読んでいてだんだん疲れてくるのが自分でもわかる。ということで、久しぶりに本を途中で投げ出した。違う村上さんの本を読もう。軽いジャブという感じで、村上さんの紀行文を手にしてみる。

2009年07月19日

被服廠跡

 ダメージが大きかった。公園でここがそうなのかと思うと、正直呆然としてしまい、近くにあったベンチに座り、タバコを吸い、気分を落ち着かせる。少し気分が落ち着き、持っていたペットボトルの水を一口のみ、とりあえずそこを後にする。
 暑さのためもあるかもしれないと思い、ドトールへ入り、通りが見えるカウンター席に座る。ふと窓から見える景色がまるでテレビの画面のようになる。そこで関東大震災と同じマグニチュード7.9の地震が起こる。走っている車が多重衝突を起こす。ビルが倒壊する。歩いている人は立っていられず、地面に這いつくばる。あるいは倒壊したビルの下敷きになる。車は炎につつまれる。その後すべてが燃え、残ったのはあのオブジェのような鉄のシャーシのみの姿になる。ビルの鉄柱も炎の熱でグニャグニャになり、原型をとどめない。
 すべて一瞬で何もかもめちゃめちゃになる。まるで今スムースに動いている姿が嘘のように。

 そことは被服廠跡である。現在は横網町公園になっている。


2009_07_19_01.jpg


 吉村昭さんの本によると、ここで推定38,000人の人が死んだ。その数、関東大震災で東京の死者の55%を占める。
 私はそこがどんなところであったのか知りたかった。もちろん当時を忍ばせる風景などあるわけがないことぐらいわかっているが、これだけの死者を出した地域である。何か当時のことが残されているものがあるのではないかと思い、そこを歩いて行く。公園内には震災記念堂が大きく建ちそびえる。


2009_07_19_02.jpg


2009_07_19_03.jpg


 しばらく公園内を歩くと、震災や東京大空襲に関する記念塔やモニュメントがいくつかある。公園の端に東京都復興記念館という古くさい建物がある。


2009_07_19_04.jpg


 その入り口近くになんか鉄のかたまりがある。何だろうと思い近寄ると震災で起こった火災の熱でグニャグニャに折れ曲がった鉄柱であった。


2009_07_19_05.jpg


 他にもこの建物の周りにある。これは震災で焼け出された鉄柱などを展示した野外ギャラリーであることがわかった。原型が何だったのかわからない鉄のかたまりがいくつもある。


2009_07_19_06.jpg


2009_07_19_07.jpg


2009_07_19_08.jpg


 焼けて残った印刷機。


2009_07_19_09.jpg


 あるいはシャーシだけになってしまった車。


2009_07_19_10.jpg


 たぶん根元だけ残ったのだろうか。鉄筋コンクリートの柱。


2009_07_19_11.jpg


 途中で折れた神社の柱の一部。


2009_07_19_12.jpg


 これだけでも震災や震災による火災がすさまじいものであったことがありありとわかる。

 復興記念館の中に入れるのだろうかと思い、受付を覗いてみると、おばちゃんが「どうぞ中へ」と言ってくれる。中は震災に関する展示物が多くあるようであった。
 中に入るとひんやりと冷房がきいている。汗だくになって公園内を歩いていたので、これは有り難かったが、それと同時にかび臭いにおいが鼻につく。こういう記念館というところにあまり入ったことがないのでわからないけれど、ここにある展示物は大正12年9月1日に使われていたすべてであって、それがこのにおいを発しているのかもしれない。
 展示物のほとんどが黒く煤けている。その黒さと館内の暗さが異様な雰囲気を感じさせる。
 地震計の記録用紙が展示されている。地震があったときの針が大きくふれ、最大時には大きくはみ出している。
 木に巻き付いたトタン板がある。まるで布が巻き付いたようにトタン板が木に巻き付いている。熱風により吹き飛ばされたのだろうか。その熱でトタンは柔らかくなり、木に巻き付き、冷えて固まっていた。
 二階に上がってみると、震災後の人々の生活模様が描かれている大きな絵がいくつもかざられている。写真と違って描いた画家の目から震災後のバラック小屋の風景や人々が描かれているので、妙に生々しい。火災によるすすでも流し落としているのであろうか。多くの女性が沐浴している姿が描かれている。

 私はここにある展示物、絵画を見てから呆然としてしまう。何とかこの記念館を出て、また公園内を歩き、近くのベンチに腰を下ろす。この地面で38,000人の人が焼け死んだのだ。その人たちの霊が地面から浮かび上がってくるように感じ、玉砂利を眺める。
 公園を出て、駅に向かう途中、通りには車が行き来し、近所の学校からは生徒たちが楽しそうに歩いて出てくる。私は関東大震災でこの地で起こった惨禍の一部を感じただけであったけれど、そのすさまじさから、この現実になかなか戻れない自分がそこにあることを感じる。今動いている車や人、生徒たちと大正12年9月1日のあのときのギャップに戸惑っていた。

2009年07月16日

思うままに その16

 梅雨が明けたらとたんに暑くなった。まぁそれが当たり前なのだろうけど、汗がべたつくのはいささか不快だ。
 いつも朝歩いているのだが、朝からじりじりと太陽が照らしている中を歩くのは、通勤前で疲れてしまう。そのためここのところ歩くのを止めている。しかし、そうすると運動不足がたたってくる。
 で、昨日帰りの電車の中でふと思いつく。そうだ、帰りに一駅前で降りて歩けばいいじゃないかと。夕方なら日も降りていくらか涼しいんじゃないかと思ったのだ。さっそく、降りてみる。駅前にある熊沢書店にまずは寄ってみる。これといって欲しい本がある訳じゃないので半ばひやかしである。でも、ワゴンに各出版社の文庫目録が積んであった。そうだった。以前もここで文庫の目録をもらったことがある。
 本当はここにある全部の出版社の目録が欲しいのだが、それだと結構な重さになる。仕方がないので、三冊ほど頂き、カバンに入れる。これから家まで歩かなきゃならないので仕方がない。
 その後、近くのブックオフにも寄ってみる。ここは最近オープンした店なのだが、正直なところ品揃えが悪い。もちろんそれは私の好みによる判断なのだけれど。要するに私が読みたいと思うような本がないということだ。ざっと棚を眺めて、“やはりダメだな”と思ったところ、捜していた吉村昭さんの文庫本を見つける。
 こんなもんなんだな。期待もしていないところに、案外あったりする。私はその一冊をレジに持っていく。会計は入ったばかりのバイトと思われる女の子がやってくれた。横にはこの店の責任者らしいやつがレジの打ち方などを教えている。彼女にとって初めてのお客が私だったのだろうか。とにかくぎこちない。何とかレジを打ち終え、お釣りを私に渡す。ちょっとテンポが遅れて「お売りになれる本があればお売り下さい」と顔を赤らめて言う。そこには前にそう言いなさいと言われたのを慌てて思い出したような感じで、彼女はその言葉を口にした。私はそれがおかしかったので、ちょっと笑い、軽くうなずいて店を出る。でも何か気分がすがすがしい。
 その後三十分ほど歩きながら、明日もここで降りて歩こうと思った。熊沢書店で持ってこれなかった残りの文庫目録も気になるし。ブックオフはパスしよう。一日そこら間隔を置いても品揃えは変わらないだろうから。そんなことを考えながら家路に着く。
 夕方とはいえ、やはりそれだけ歩くと汗をかく。着替えをして、一服する。入院している義母の様子をかみさんから聞く。明日胃カメラをやるという。まぁ大腸の内視鏡より胃カメラの方が下準備が簡単だからそれほど問題はないだろう。わざわざ私が行くこともあるまい。それに今日は木曜日だから途中で抜け出すこともできないし。
 八時過ぎ、北海道の旭川から娘の旦那さんのお父さんから電話がある。お中元が届きましたというお礼の電話だ。その前に私どもの方にお中元を頂いており、そのお返しみたいなものなのだが、とりあえず「ご丁寧に有り難う御座います」と言う。
 実はこうした季節の贈答は我が家では相手と相談の上で止めている。だからお中元も、お歳暮も我が家には届かない。気を遣うのがいやなのだ。今回もそうしたいところなのだ。私個人の親族、あるいは関係者なら「やめよう!」と言い切れるのだけれど、娘の旦那さんの方の家族には言いにくい。何か好意に水を差すみたいな感じがする。正直困っているが、しばらくは仕方がないかなとかみさんと諦めている。
 簡単な話をして、東京は梅雨が明けたらとたんに暑くなって、うだっていることを言ったら笑われた。旭川は昨日は雨だったという。
 旭川に親戚ができると、今まで気にしなかったNHKニュースでやる天気予報で、旭川の天気が気にかかるようになった。面白いもんだ。