2009年07月19日

被服廠跡

 ダメージが大きかった。公園でここがそうなのかと思うと、正直呆然としてしまい、近くにあったベンチに座り、タバコを吸い、気分を落ち着かせる。少し気分が落ち着き、持っていたペットボトルの水を一口のみ、とりあえずそこを後にする。
 暑さのためもあるかもしれないと思い、ドトールへ入り、通りが見えるカウンター席に座る。ふと窓から見える景色がまるでテレビの画面のようになる。そこで関東大震災と同じマグニチュード7.9の地震が起こる。走っている車が多重衝突を起こす。ビルが倒壊する。歩いている人は立っていられず、地面に這いつくばる。あるいは倒壊したビルの下敷きになる。車は炎につつまれる。その後すべてが燃え、残ったのはあのオブジェのような鉄のシャーシのみの姿になる。ビルの鉄柱も炎の熱でグニャグニャになり、原型をとどめない。
 すべて一瞬で何もかもめちゃめちゃになる。まるで今スムースに動いている姿が嘘のように。

 そことは被服廠跡である。現在は横網町公園になっている。


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 吉村昭さんの本によると、ここで推定38,000人の人が死んだ。その数、関東大震災で東京の死者の55%を占める。
 私はそこがどんなところであったのか知りたかった。もちろん当時を忍ばせる風景などあるわけがないことぐらいわかっているが、これだけの死者を出した地域である。何か当時のことが残されているものがあるのではないかと思い、そこを歩いて行く。公園内には震災記念堂が大きく建ちそびえる。


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 しばらく公園内を歩くと、震災や東京大空襲に関する記念塔やモニュメントがいくつかある。公園の端に東京都復興記念館という古くさい建物がある。


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 その入り口近くになんか鉄のかたまりがある。何だろうと思い近寄ると震災で起こった火災の熱でグニャグニャに折れ曲がった鉄柱であった。


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 他にもこの建物の周りにある。これは震災で焼け出された鉄柱などを展示した野外ギャラリーであることがわかった。原型が何だったのかわからない鉄のかたまりがいくつもある。


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 焼けて残った印刷機。


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 あるいはシャーシだけになってしまった車。


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 たぶん根元だけ残ったのだろうか。鉄筋コンクリートの柱。


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 途中で折れた神社の柱の一部。


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 これだけでも震災や震災による火災がすさまじいものであったことがありありとわかる。

 復興記念館の中に入れるのだろうかと思い、受付を覗いてみると、おばちゃんが「どうぞ中へ」と言ってくれる。中は震災に関する展示物が多くあるようであった。
 中に入るとひんやりと冷房がきいている。汗だくになって公園内を歩いていたので、これは有り難かったが、それと同時にかび臭いにおいが鼻につく。こういう記念館というところにあまり入ったことがないのでわからないけれど、ここにある展示物は大正12年9月1日に使われていたすべてであって、それがこのにおいを発しているのかもしれない。
 展示物のほとんどが黒く煤けている。その黒さと館内の暗さが異様な雰囲気を感じさせる。
 地震計の記録用紙が展示されている。地震があったときの針が大きくふれ、最大時には大きくはみ出している。
 木に巻き付いたトタン板がある。まるで布が巻き付いたようにトタン板が木に巻き付いている。熱風により吹き飛ばされたのだろうか。その熱でトタンは柔らかくなり、木に巻き付き、冷えて固まっていた。
 二階に上がってみると、震災後の人々の生活模様が描かれている大きな絵がいくつもかざられている。写真と違って描いた画家の目から震災後のバラック小屋の風景や人々が描かれているので、妙に生々しい。火災によるすすでも流し落としているのであろうか。多くの女性が沐浴している姿が描かれている。

 私はここにある展示物、絵画を見てから呆然としてしまう。何とかこの記念館を出て、また公園内を歩き、近くのベンチに腰を下ろす。この地面で38,000人の人が焼け死んだのだ。その人たちの霊が地面から浮かび上がってくるように感じ、玉砂利を眺める。
 公園を出て、駅に向かう途中、通りには車が行き来し、近所の学校からは生徒たちが楽しそうに歩いて出てくる。私は関東大震災でこの地で起こった惨禍の一部を感じただけであったけれど、そのすさまじさから、この現実になかなか戻れない自分がそこにあることを感じる。今動いている車や人、生徒たちと大正12年9月1日のあのときのギャップに戸惑っていた。

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