2009年10月31日

思うままに その19

 気がついたらもう10月も今日でおしまい。昨日年末調整の書類が届く。間違いなく年末に向かいつつあるんだなと思う。もちろんだから何だ!と言われても困るのだが、確かに年々月日が経つのが早くなっている感じがする。
 例によってひたすら本を読んでいて、本の方のブログは結構更新しているけれど、こちらの方はさっぱり出来ずにいる。ここを更新するには、私の日常に変わったことがあることが、一番インパクトがあって、それに対していろいろ書けるのだけれど、毎日同じことの繰り返しなもんだから、日常に変化もない。従って書くことがない。
 それでいてもう少し長い目で月日を見れば、過ぎていくのを早く感じてしまうのだから、毎日どう過ごしていけば充実した日々が過ごせるのかなとも思う。

 さて、本当は今日神田の古本まつりに行こうかなと思っていたのだが、なんだか昨日ものすごく疲れていて、しかもここのところ夜お腹が張ってしまうことが多く、うまい具合に睡眠が取れずにいる。つまり疲れているのだけれど、寝られない状態が続いていて、かなり睡眠不足でもあるのだ。だから古本まつりへ行く気が段々薄れてきて、もうやめようかなと思っている。
 実は一昨日歯医者の帰りのちょっとよってみたのだ。歯医者が内幸町の駅の近くにあるので、家に帰るには半蔵門線で神保町で乗り換える。つまり地下鉄で帰れば、神保町へ行けるのだ。そう思ったので、神保町で下りてみた。開催時間は7時までとネットで確認しているので、残り時間約一時間半あるから、ザッと眺められると思ったのだ。
 駅から地上に出るともうそこは古本屋の出店が出ていて、帰りのサラリーマンもちょっと立ち寄ってみるかといった感じなんだろう、スーツ姿を数人見かけられた。日も暮れているので、出店の薄暗い照明の中で本を探すのは結構きついものがあるが、(それでなくても視力が悪いのだから)出ているお店の本を眺めて歩いてみた。
 もともと期待は最初からしていなかった。こういうまつりに掘り出し物があるとはそもそも思わないのだ。だって、売れる本なら、こんなところに出さなくても自分の店に置いておけばいい。だからここに並べられている本は在庫処分的要素が強いように思われる。それでもなんかお宝がないかという気持ちがこのおまつりに来る理由なのだが、しかし行って本を見れば、期待を裏切られ、やっぱりそうだったかと思いつつ帰ってくることがここ数年多い。だから最初から期待しないことにするのが一番いい。
 歩いていて、ある古本屋さんの出店で立ち止まってしまった。山口瞳さんの「男性自身シリーズ」が単行本で20冊ほどあるのだ。本の売値を見るとどれも300円でる。今このシリーズはこの値段では絶対に買えない。一冊2,000円程度するはずだ。だからこれは明らかに“お買いどき”なのだ。

どうしよう?

 全部で6,000円かと、値段はそれでいいけど、この20冊ほどの本を持って帰るのがきつい。今仕事の帰りと同じなのだから、鞄と20冊の本を持って帰ることを考えた。またこの本をどこに収納すればいいのか、自分の本棚を思い浮かべた。さらにこのシリーズは文庫本で持っている。ただ文庫本は一冊に単行本2冊程度を選んで一冊の本としているので、中には単行本から洩れたやつだってあるに違いない。でもシリーズとして文庫本は手元になる。

 そんなことをお店の前で本を取ったり戻したりしながら、考えた。結局やめたのだ。もういいやと思ったのだ。文庫本で充分だ。

 しかし家に帰ってからも、やっぱり買っておけばよかったかなとも思ったのだ。だからといって仮に明日(金曜日)の仕事の帰りに行ってみたって、もうないだろう。古本の出会いは一期一会なのだ。その時買わなければ、もう手に入らないと考えていい。ましてものすごい数の人がこの古本まつりに来るのだから、今日のこのこ出かけていっても残っているわけがない。

もういいではないか。

 一昨日、文庫本があるのだから、諦めたわけだし、たぶんそれはいい決断だったはずだ。

でもね・・・。

 布団に入ってから、その20冊が並んだ本棚を想像しちゃったら、またすぐ寝られなくなってしまったのも事実なのだ。

やれやれ。

2009年10月07日

漱石ともろもろ

 雰囲気として「明治」という時代を今味わっている。といっても、それは小説の世界の話なのだが・・・。漱石をまた読み始めたのだ。ちょっと前からまた漱石を読んでもいいかなと思い始めたのだ。
 私は毎年読んだ本をメモがわりにテキストファイルにしるしてて、それには行数がカウントされる。その行数を見れば、今年読んだ冊数が分かることになる。それを見ると90冊今日まで読んだことになっている。これは近頃の私にすれば結構ハイスピードで本を読んでいることになる。大体年間100冊ぐらい本が読めればいいかなと思っているので、今の時点で90冊ということは、今年は間違いなく100冊以上本を読むことになる。100冊というのはあくまでも目安であって、それだけ読めればいいなというところなのだが、別にそれにこだわっているわけでもない。要するにそれだけ読めば一冊ぐらいはいい本にぶち当たるんじゃないかというくらい気持なのだ。
 ということで、今年は目標冊数に届くだろうから、これからはじっくりと本を読んでもいいかと思い、漱石を取り出した。実は私は岩波書店の漱石全集を持っている。最初これを取りだしたのだが、持ち運びをするには大きいし、重い。確かに字は大きくて読みやすいのだが、これじゃ持ち歩いて、電車の中で読めない。で、不揃いの新書版の全集も持っているので、それを読もうかと思い、本棚の上にあるものを取り出してきた。確かに持ち運びは楽であるが、今度は字が細かすぎるのである。これじゃ読むのにかなり疲れそうだ。
 とにかく最近は本を読む前に気にかかることが字の大きさなのである。古い本を引っ張り出して読むのはいいのだけれど、読んでいるうちに目が疲れてくるのである。字の細かすぎるのだ。それでなくても歳をとって落ち着いたらゆっくりと読みたいと思いため込んできた本がたくさんある。視力が落ちることまで考えていなかった。
 仕方がないので、新潮文庫で漱石の作品を買うことにした。今それを読んでいる。まずは前期三部作と呼ばれる『三四郎』『それから』『門』から始めている。今は『それから』を読んでいるのだけれど、読んでいて明治の知的階級の雰囲気を感じている。この雰囲気が明治という時代の一部を代表しているのだろうけど、なかなかいいものだ。なんていうのかな。明治以前にあったライフスタイルと明治から本格的に輸入されたヨーロッパ的ライフスタイルが混ざって、しかも人の意識もそれ以前は閉鎖的であったものが解放されつつあり、今までは秘するところがオープンになり、少しずつではあるけど人の気持ちのあり方が語られる。けれどやっぱりそれまであった時間の方が長いから、あからさまにオープンに出来ず、恥ずかしいという気持が混在している。言ってみれば日本人の奥ゆかさみたいなものが、なかなかヨーロッパ的になれないところが感じられる。特に暇な知的階級はそういう気持のギャップに悩んでいるような感じだ。
 それが何となく感じられ、いいなぁと思って読んでいる。が、電車の中でそんな余韻に浸っていると、横でカチャカチャ、カチャカチャと音がする。大きな音ではないけれど気になる。何かと思って横を見ると、馬鹿なサラリーマンが朝からPSPでゲームをやっているのだ。夢中になって指を動かしている。若い奴かと思えばそれほどでもない。気になるものだからにらみつけてやったら、その時は指の動きを緩めるのだが、すぐ夢中になってしまうようで、またカチャカチャ、カチャカチャと始める。まったくどうしようもない。朝からどうして電車の中でゲームを必死になってやらなければならないのか、よく分からん。
 私もゲームは嫌いじゃないから、やりたい気持は分からんわけでもないが、朝からそんなに目くじら立ててやるもんか?こういう奴に限って、アイロンのかかっていないワイシャツに、趣味が悪く、ラーメンのスープでもついたのか、シミのある汚いネクタイをだらりと締めている。ズボンも皺だらけで、またそこにあるベルトが野球のユニフォームでするようなベルトで、どう見てもおかしい。さらにくたびれた大きなショルダーバッグがゲームに夢中になっているものだから、それが邪魔になっていることさえ気がつかないのだ。まったく困ったもんだ。
 そうかといえば、先日やはり電車の中で、いいなぁと思った光景を目にした。たまたま座れれ、向かいに二人の若い女性が話しながら座っていた。そのうち一人が降りて、残された女性が小さな紙の手提げから本を取りだして読み始めた。結構厚めの本だったが、そこにかかっていたカバーが、書店名や柄など一切ないから、なんかの包装紙なのだろう。ちょっと本より大きめのカバーだったから、はみ出て、いかにも自分でつけたような感じだった。それを開いて読み始めたのである。最近はそうした場合、すぐ携帯を取り出して見るのが多いが、この人は本をすぐ取りだして読み始めたのである。ただそれだけなのだが、私にはちょっと絵になるように思えたのであった。しかもものすごく自然に見えたから余計である。本を読む若い女性の姿っていいと思いません?それでなくても私は人が何の本を読んでいるのか気になるたちなので、「もしも~し、何の本読んでるんですか?」と聞きたくなる。。

 さて、馬鹿なことを言っている場合じゃない。大きな台風が来ている。明日東京に近づくという。やれやれ、明日歯医者なんだけどなぁ。台風が来ているからキャンセルしますっていいのかなぁ。まいったな~。

2009年10月03日

思うままに その18

 今週は木曜日に歯医者、翌金曜日に胃腸科と続けて病院へ行ったためか、いささか疲れた。いずれも仕事を抜けて、あるいは早めに終えて、行くのだが、その分いつもより一時間ほど早く朝出勤している。社長は私一人で仕事をしているのだから、自分で時間の都合をつければいいといってくれる。確かに誰に迷惑かけるわけでもないので、やるべきことをやっておけば問題はないとは思う。が、仕事中抜けたり、早退したりするのは、いくら通院のためとはいえ、申し訳ない気分があるものだから、せめてその分でも早く出て仕事をしなければと思っている。胃腸科の方は月一回だからまだましだが、歯医者はしばらく通院しないといけないから、毎週木曜日は、早出、早退が続くことになりそうだ。
 二回続けて病院へ行ったためか、二日続けて朝早く出勤したからか、今日は朝から身体が重い。その疲労のためか、雨模様の天候のためか、いささか腰も重い感じがする。これは注意しないといけない。こういうときに腰を痛めるのだ。せっかく良くなりつつあるのに、ここで痛めたら最悪だ。幸い今日は休みなので、横になったり、昼寝をしたりしてのんびりと過ごす。
 一昨日大野さんからもらったスケジューラーをサーバーにインストールした。最近祝日が固定されていないものや、国民の休日なんていうのもあるものだから、祝日の表示がうまくできていない。もちろん私がそれの修正などできるわけものなく、仕方なしに自分で手入力で休日名を入れたりしてしのいでいた。しかしさすが大野さんである。できる人はやっぱりすばらしい!
 ということで大野さんの好意に甘えて、楽してスケジューラーを使わせていただく。(ありがとうございました)今日久々にサーバーをいじったわけだが、キーボードが利かない。どうやら壊れたみたいだ。キーボードの電源ランプがついていないから、本体の接続が外れたのかと思い、確認しても動かない。
 このキーボード初代Gatewayの最後の生き残りであった。まだGatewayが元気で、牧場風にしてある直営店(ゲートウェー・ファームって言っていたと思う。確か宣伝雑誌も作っていたとはずだ)で買ったときのデスクトップパソコンの一部であった。とにかく今みたいなヤワな作りじゃなくてやたらとがたいのでかいパソコンだった。その一部を使っていたが、それもついにお亡くなりになり、これで初代Gatewayは我が家から完全に消滅したことになる。
 しかしキーボードがないと一部操作ができないし、文字入力もできない。仕方がないのですべての設定を現役のGatewayですべてやってから、サーバーに移す。でアクセスしてみると、休日設定がきちんとなっている。さすがである。これは有り難い。今このスケジューラーがないと、行動ができないから、ホント助かっている。
 キーボードはそれほど使うわけじゃないが、やはりないと困る。最近はコンパクトなやつもあるようだから、それを買ってこようかと思う。USB接続なら使わないときは取り外しておいてしまっておけるだろうし・・・。
 このあとウィルスバスターを2010にバージョンアップした。今日は久々に長くデスクトップのパソコンをいじっていたことになる。(自宅では最近ノートパソコンですべてをこなしている。もちろん今もそれで書いている)

 歯医者は今回で二回目である。今回は右下奥の部分入れ歯が出来上がり、それを微調整して、そのあとその上の歯の奥に化膿している可能性があるところの治療に入った。まずはかぶせてある銀歯を壊す。これがかなり歯の奥に差し込みが入っているので、場合によっては歯がかける可能性があると言われていたが、何とか大丈夫だったようだ。先生は苦労されたようで、結構時間を要した。以後はその歯の奥の治療となるので、しばらく通院が必要といわれる。また来週だ。
 帰りはそのまま帰ってもよかったのだが、時間的に事務所に帰れなくもない。そのまま新橋駅に戻るが、駅前で“新橋古本まつり”をやっている。いく張りのテントがあり、その下で多くの古本が並んでいる。こうなると事務所に帰るより、古本の方が気にかかる。もともと家に帰るつもりだったのだから、問題はない。
 こんなに暗くなって古本を探すなんて初めてだ。まるでお祭りの夜店みたいだ。その上新橋ならではの、電飾ネオンのけばけばしい光が反映するから、ちょっと不思議な光景だった。
 本当ならゆっくり見てみたいところなのだが、多少疲れもあって(歯医者さんは案外神経を使うのだ)、ザッと眺めて過ごす。吉村昭さんや山口瞳さんの単行本をいくつか見つけたが、みんな文庫本で読んでしまったものばかりで、手には取ったが、値段を見て棚に戻した。それほど高い値段ではなかったけれど、かといって文庫で持っているのをわざわざ単行本で買うものではないと思ったからである。
 結局収穫は一冊もなかったけれど、眺めるだけでも楽しかったし、気分も和らいだ。広場に飾られている蒸気機関車の横で、一服してから帰った。
 家に帰って、風呂に入り、食事をしたが、出来上がったばかりの部分入れ歯を入れてみた。久々に口の中に違和感を感じる。以前使っていたけれど壊れてしまい、それ以後だいぶ長い間入れ歯なしで過ごしてきたから、まぁ当然と言えば当然だ。でも今まで右下の歯がないため左ばかりで噛んでいたのが、当たり前だが右でも噛める。でも当たり間のようにものが噛めるというのは、その食感がうれしい。これからは食事のときはきちんとこの部分入れ歯を入れて噛もうと思う。そうすれば、とれてしまって再度つけてもらった前歯の差し歯も長持ちするというから、そうしたい。

 この文章は実は前回アップした文章を書き直したものである。前回の文章はなんか気に入らなかった。というかここのところうまく文章が書けない。どこか気持ちがささくれたっているところがあって、落ち着いた気分で文章を書いていないからだ。書きたいことはあるのだけれど、あれこれ考えて書いてみると、だんだんおかしくなってしまうのだ。それが気になっていたので、前回の文章は削除して、ここに書き直した。本当はもう一つ本のブログも書き直したいのだけれど、もう疲れて来たのでやめにした。
 今ちょっと精神的にイラついていて、実は本も以前のペースで読めないでいる。久しぶりのスランプか?私は毎年、一度か二度ほど、本を読むのが嫌になることがある。今年はそれが来ないかなと思っていたら、ここのところ来たようである。やれやれ。仕方がない。落ち着くまで待つしかない。
 今日も本が読めないので、こうして思うままに書いてみた。あっ、もう“アド街”が始まった。もうやめよう。