2009年12月30日

この一年を振り返って・・・

 事務所にある卓上カレンダーを捨て、来年のカレンダーを置く。古いカレンダーを燃えるゴミの袋に放り投げたとき、ボコッと音がしてその存在感を感じさせた。
 そう、この一年がここにあったのだ。一年という時間がここには簡潔に月日で表示されていて、その月日が時間が過ぎ去ったことを思い知らしめている感じだった。壁につるしてあるカレンダーは月が変われば破り捨ててしまうので、12月になればその一枚しか残っていない。一枚になったことの寂しさを感じるけれど、卓上カレンダーはその一年がまるまる残っているから、過ぎていった月日の重みを感じてしまう。
 壁につるしてあるカレンダーも変えた。今日で年内の仕事はおしまいだ。この一年もなんか張りがないまま終わってしまった感じだ。というか、ここ数年こんな感じで過ごしてきたような気がする。だからといって来年は、と思うけれど、果たしてどうなるかわからない。
 
 毎年年末になると、正月休みに読みたい本を探す。特に今年一年の総括がいろいろなところで行われるので、今年出版されたベストが発表される。それなどを参考にして、毎年本を買おうと思うのだが、ここ数年“これは!”という本に出会えないでいる。今年もそうであった。
 結局新刊で買ったのはそれまで気になっていた本一冊と、山口瞳さんの対談集であった。後はブックオフで既刊本や入手ができない古い本などであった。
 私は最近の作家の本が読めないでいる。いつも手にするのはだいたいが以前他の作品を読んでいる作家の本である。どうしてなんだろうかと思う。よく分からないけれど、私には素人に毛の生えた程度で、多少文才がある人が本を出しているのが多いように思えるのである。多分そんな人の作品を読んだら、その文章使いに苛立ってしまいそうな気がするのである。どこかアイデアだけで勝負しているところがあって、それはそれで認めるにしても、やはりお金を出して読む以上、読める作品であって欲しいと思うのである。そんなの読んでみなきゃわからないじゃないかと言われそうだけれど、結構長いこと本を読んできたから、本屋さんでそうした本を見るだけで、勘としてわかるのである。だからあれだけ本屋さんに新刊が並んでいるのに、手にとって見るのは以前読んだ作家の本が多くなってしまうのだ。

 一年間ここであれこれ書いてきたので、自分なりにこの一年を振り返れば、相変わらず胃腸の調子は今ひとつだった。それと古傷のぎっくり腰を痛めた。今年のはかなりきつく、しばらくの間歩くのでさえ大変であった。何本も注射を打ってもらい、痛み止め、貼り薬でなんとか収まりがついた。腰の牽引も何度かやった。ここのところ寒くなっているのと、疲れがたまっている関係か、また腰が重い感じである。ここで急に動かしたり、重いものを慌てて持ち上げたりしたら、多分ひどくなる可能性が高い。立ち上がりなど注意している。
 そうそう、久しぶりに歯医者にも2ヶ月ほど通った。事の発端は前歯の差し歯が取れたことから始まる。あれは焦ったなぁ~。とにかくこの差し歯を入れてくれた先生がどっか行っちゃったから、どこの歯医者さんへ行けばいいか迷った。幸い探していた先生が見つかり、メールをして事情を話したら、すぐ来いと言ってくれたから助かったけれど、もし先生が見つからなかった大変なことになっていただろう。来年は五月頃定期検診でまた先生のところへ行く予定。
 定期検診といえば、今年は胃カメラはやったが、大腸の内視鏡検査はやらなかった。先生がやらなくても大丈夫だろうといってくれたからで、今のところ2年に一回の間隔でやることになった。来年の秋はやらなければならない。
 
 今年は娘が結婚した。今旦那の実家に一緒に帰っている。今度の正月は娘がいないことになる。当たり前のこととはいえ、そう思うと淋しいもんだ。

 今年は結構本が読めた年であった。後半は多少息切れをしてしまったが、それでも読めた方である。とにかく前半は本が読みたくて読みたくて仕方がなかった。読んだ本はやっぱり昔の本が多かったと思う。でも腰を据えて一冊一冊読んだ。結構細かいところにも気を配って読んだと思う。本を読む姿勢はおそらくここ数年で一番真剣であったと思っている。
 本棚には読みたい本がまだまだある。本棚を眺めれば眺めるほど、あれも読みたい。これも読みたい、と思う。その分焦ってしまうところはあるけれど、一冊を読むにはそれなりの時間がかかる。焦ったところで仕方がない。気は急いてしまうけれど、ここはじっくりと読んでみたいと思っている。そんな中で来年はどんないい本に出会えるか楽しみでもある。私に何を考えさせてくれるか、それが楽しみだ。

 今年もあと一日。これと言って何が出来るわけではないので、私は世間の年末年始の騒がしさから距離を置いて、じっくりと本でも読もうかなと思っている。(毎年そうなのだが・・・)

 どなたがこのブログにお付き合い願ったのかわかりませんが、改めて、読んでいただきありがとうございました。来年もこんな感じで書き込んでいきます。よろしかったらまたお付き合いを願います。それでは、よい年をお迎え下さい。

2009年12月20日

古本とGODIVA

 昨日を大学時代の友人と忘年会をする。お茶の水でやるということだったので、多少早めに出かけていって、神田の古本屋街を歩く。これといって欲しいとか、探している本があるわけじゃないが、ブラブラと歩けば、なんか見つかるかもしれない程度である。
 三省堂本店の横の狭いビルの4階に「三省堂古書館」というのが出来ていた。詳しいことはわからなかったが、なんか全国の古本屋さんが商品を出していて、それを三省堂が取り仕切っているみたいだ。面白そうなので入ってみた。なかなか面白い品揃えで珍しい本もあったが、相対的に値段が高いような気がした。たぶん三省堂が中間マージンを乗せている分、古本の値段が高くなっているんじゃないかとうがった見方をしながら、本を見ていた。
 その上に神保町古書モールというのがある。ここも初めて入るのだが、ものすごい古本の量だ。それも雑然と並べられていて、ここから本を探すのは大変なことだと思いつつ、時間があるので順番に棚を見ていった。
 それにしてもたくさんの本がある。いろいろな作家の本があり、世の中には今までたくさんの本が出版され、消えていったんだなと思わされる。中にはすばらしい作品もあるのだろうけど、いつの間にか時間の風化に耐えられなくなり、消えていったといった感じだ。
 でも思うのだ。こうしたたくさんの文化として本があるけれど、人が一生の間にその作品たちにどれだけふれることが出来るのだろうか。その数の限られていることを思うと、出来れば少しで多くの作品に出会いたいものだと思う。
 私はこうして古本屋さんを歩くことが好きなのは、埋もれてしまった作品を読むことは出来ないけれど、せめて形だけでも見ることが出来る楽しみがあるからなのだ。結構面白いのだ。へぇ~、こんな作品があったのかと実物を手に取るだけでも楽しい。そして値段を見てすぐ棚に戻しちゃうんだけど。
 このあたりはネットの古本屋さんでは味わえないものである。確かにネットの古本本屋さんは便利であることは間違いなけれど、感覚として、手触りとして、買わなければ味わえない弱みがある。古本屋さんはそれがある。だから好きなのだ。

 私ががむしゃらに本を読み始めたのは高校時代からだったけれど、もうその時から読みたいなと思う本が手に入らないでいた。最初はもう流通していないんだから、仕方がないと諦めていた。大学時代から古本屋さんに足を向けるようになってからは、それまで読みたいと思って諦めていた本がザクザク手に入ったものだから、面白くて仕方がなかった。そして何度足を運んでも見つからない本はあるもので、偶然それを見つけたときは、躍り上がるほど嬉しかった。
 最初は探している本がたくさんあったから、当然古本屋さんでも多く見つかったのだけれど、そのうち数が絞られて来ると、見つかる可能性はぐんと低くなっていく。そうこうしているうちに諦めちゃったのだ。
 今はたまたま今回のように近所に行く予定があって、時間的余裕があれば、そこへ行くが、わざわざそのためだけに古本屋さんを歩こうなんてなかなか思えなくなってきている。歩いて本が見つかればいいけれど、見つからない可能性の方が圧倒的に高いのだから余計である。
 たぶんこれからも私は古本屋さんを歩くことは歩くだろうけど、その数は減っていくに違いない。手間と時間をかけることは何でも大切だけれど、一方でもっと便利な方法、つまりネットがあるじゃんと思えば、どうしたってそっちに気が向いてしまう。仕方がないのだ。
 昨日の収穫は遠藤周作さんの昔の紀行文一冊である。この本昔読んでいるが、今私の本棚にはない。きっと昔本を処分するとき売り飛ばしちゃったんだろう。でも、遠藤さんの本を思い出すとき、必ずこの本が私の頭の中に浮かぶ本だ。奥付を見ると初版で昭和47年に発行されている。もう37年前である。そのわりにはきれいな状態である。当時値段は680円だったが、古本では800円。まぁいいところであろう。私は経験がないが、たぶん昔の恋人に会った感じがこんな感じかなと思った。今日はこの一冊だけで神田の古本屋街を歩いた甲斐があった。

 さて、大学の友人たちとの忘年会である。いつものメンバーなのだが、やはり気が合う分、話していて楽しい。時間が経つのも忘れるほど話に夢中になる。場所を変えて、10時半頃に分かれる。
 家に帰ったのが、11時過ぎ。友人の一人からもらったGODIVAの小さな小さな箱入りのチョコレートをかみさんに渡す。

 「また○○さん?」

 「そう」

 「なんかいつももらいっぱなしで悪いんじゃないの?今度はこっちも何かしなければいけないんじゃないの?」

 「いいの。やつはやりたくて仕方がないからやっているだけで、こっちが欲しいって言っているんじゃないんだから。それにいい歳こいてプレゼントのやりっこなんて馬鹿馬鹿しいし、面倒だ。本当はやめて欲しいくらいだ。まぁ、今回は食べられるだけでもましじゃん。つまらん石けんよりよっぽどいい。出来ればGODIVAオリジナルのクマのぬいぐるみついたやつがいいと言ってやったくらいだ。それにGODIVAのチョコレートは高いだけで、俺はドンキーで安売りしている大袋入のキットカットの方がどっちかといえば好きだね。」

 と、友人の好意をそんな感じであしらう。幸いやつは最新機器?といえばFaxしか持っていない人間なので、パソコンも携帯も持っていない。従ってこれを読むことはあるまい。

2009年12月08日

歳をとると・・・

 まったく歳をとるとさまざまな問題が出て来る。まず忘れっぽくなる。わがままになる。我慢が出来ない。すぐ怒る。うるさいのとキラキラしているのがたまらなく嫌になる。気力が長続きしない。せこくなる。そしておっしこにすぐ行きたくなる、である。
 たとえばこの日曜日夫婦二人で久しぶりに銀座に出かける。お歳暮を贈るためである。
 これも書いたかどうか忘れちゃったのだけど(まずこれが歳をとったことで起こる問題の第一番目)、多分書いたと思うが、我が家ではこうした贈答を拒否している。もちろん双方了解のもとでやめましょうという話にしちゃっている。ところが今年娘が結婚したものだから、旦那さんの実家のお父さんから我が家にお中元、お歳暮の慣習がまた始まったわけだ。これを何とかやめたいと思っているのだが、今度は娘のことがあるのでなかなか言い出せないでいる。で、仕方がないので、デパートのたくさんある銀座に出かけたわけだ。
 ところがやたら人が多いのと、クリスマスが近いということもあって、飾りがキラキラしている。その上外国のブランドショップがやたら出来ていて、着飾った女性が多いこと。あるいは成金趣味みたいなバアさんたちが多い。もうこれだけで神経がまいってくる。 腹が減っていたから、食べるところを探したが、なかなかいい店が見るからないのもあって、ついに怒り出す始末。「もういい!さっさと買うものを買って帰ろう!」と怒鳴り出す始末。長時間こんな神経に悪い場所にいられなくなるである。こうなると我慢が出来ない。
 そこへ持ってきて、ただでさえ近いのに、寒いものだからおしっこに何度も行きたくなる。私たち夫婦はこういうことが多いので、どこかお店に行けば必ずトイレを探すはめになる。まるで自分たちが行ったところ記憶するためにトイレに行っている感じだ。それが頻繁なものだから私は“マーキング”と言っているのである。

 何とか目的を達成して家に帰り、今度はエコポイントの申請書を書き始める。ところがこれが面倒臭い。それは前に書いた通りである。やっと書き上げて、さて「何に替えてもらおうかな?」とネットで交換商品を見てみると、これといって欲しいなというものはない。そのため無難なJCBの商品券にしようということになる。マルエツの商品券もあるから、日用品などマルエツに行っているから、これもいいんじゃないのと提案したが(やけにリアルでせせこましいけど)、いらないとと却下される。そこで多少口論となるのだが(私はいい案だと思っていたので)、毎日の買い物でその度毎に商品券を出すのが嫌だというのだ。

 う~ん、わからないでもないが・・・。
 
 結局JCBの商品券にすべて替えるということになり、申請書にコードを書き込む。ところがエコポイントがそのままの金額としてJCBの商品券に替えられないことを知る。
 今回我が家ではエコポイントが70,000ポイントが出た。結局JCBの商品券を65,000円分とQUOカード500円分4枚か、JCBの商品券67,000円分とQUOカード500円分1枚(この場合後で合算という手続きが必要になる)のどちらかとなる。つまり70,000ポイントが67,500円分しか交換できないことになる。つまり2,500円分どこかでピンハネされているわけだ。それがわかった時点で、腹ただしくなってきた。
 考えてみればせせこましいのも事実だ。わかちゃいるんだけど、期待していただけにせせこましくもなるんだな、これが。民主党政権になって、来年度になるとエコポイントがなくなるとか、厳しきなるとかいっていたので、慌てて地デジ化しただけに余計である。

 腹を立てているいるうちに、段々手続きが面倒になってくる。一日の疲れもあって、気力が余計に長続きしない。え~い!もうやめ、と投げ出してしまった。