2010年02月25日
思うままに その23
今週はだいぶ暖かくなってきた。今日もいい天気なので、自転車でお茶の水まで出かける。しかしこの時期こう暖かくなってくると、大きな問題が出て来る。花粉症である。今年は例年によりかなり花粉が少ないので助かるなと思っていたけれど、今日は今朝から目が痒い。せっせと目薬を差しているが、自転車に乗って涙目になっているのは、少々情けなくもある。
用を済ませて、そのまま駿河台の坂を下りて、三省堂本店へ行く。買いたい雑誌があったからだ。「Pen」である。今月号の特集は「キリスト教とは何か」である。宗教を説明すると、大それたことになるけれど、ここはoff雑誌である。あくまでも雑学に徹していて、なかなか面白そうだ。今日はこの雑誌をパラパラとめくって過ごそうかと思っている。
これだけ買って帰ろうと思ったら、文庫と新書の古本が壁際の棚に並んでいる。「絶版品切 文庫・新書 古書フェア」とあった。思わず立ち止まってしまう。だめなんだな、“古本”とあると、どうしても反応してしまう。時間がそれほどないので、ザッと棚を眺めていたら、角川文庫でシムノンの作品があるじゃないか。高いんだろうなと思って手にすると、1冊350円とある。おお~、これは買いだな、と思い二冊持って、更に雑誌「Pen」と一緒に会計する。最近三省堂は面白い。古本とのコラボなんて素適だ。
面白いディスプレイがあった。ダン・ブラウンの新刊『ロスト・シンボル』と村上春樹さんの『1Q84』のBOOK3の発売日までのカウントダウンを掲示しているのである。ダン・ブラウンの方は3月3日発売だし、村上さんの本は4月16日である。アマゾンでは「よく一緒に購入されている商品」として一緒になって予約を受け付けている。まぁ、出版業界は昨年は2兆円を割って、1989年から20年間にわたって「2兆円産業」と言われ、どこかでは出版業界は不況には強いという神話があったけど、それも昔話になったようだ。おそらく三省堂も売上が低迷しているに違いない。だからこうして間違いなく売れる本を煽って、盛り返そうということなのだろう。私は別にこうしたお祭り騒ぎには反対しないけれど、でも結局売れ筋の本はこうした大書店ばかりに恩恵があって、中小書店はそのおこぼれをどうもらうか、きゅうきゅうとしているのだろう。聞くところによるとダン・ブラウンの新刊は買い切りだそうで、なおさら中小書店は仕入に頭を悩ませていることだろう。
本や雑誌が売れなくなったことは事実なんだろう。だからといって本を読まなくなったということなのか、その当たりはよく分からない。でもどうなんだろう?とにかく本や雑誌が面白くないというところに問題があるんじゃないのかと思う。本当に面白ければ、読んでみたいと思うだろう。おそらくだいぶ以前から、特に雑誌は面白くなくなっていたのだろう。それでも雑誌が発刊続けられたのは広告があったからだ。多分雑誌だけの売上は赤字だったのではないか。かろうじてペイしていたのは、企業からの広告掲載があったから、それでまかなっていたのではないか。それがこの不景気で、企業からの広告が減れば、雑誌の発売継続は難しくなるのは当然だ。広告に依存し続けていたから、昨年のように休刊誌が増えたのだ。もしまだ他の企業からの広告が見込めるときに、雑誌本体をどう面白くするか考えていれば、まだ何とかなったんじゃないかと思ったりする。
本にしてもとにかく企画がない。これじゃ業界がおかしくなっても不思議じゃない。とにかく新しい本を買ってみようという気が起こらないのだから話にならない。新刊を買ってみても面白くないものだから、馬鹿らしいだけで、そういうことが読者はわかっているのだ。だからブックオフで買えばいいかとなるのだ。ブックオフにあれだけ人が入っているところを見れば、みんな本を読みたいのだ。だけど定価で買うほどのもんじゃないから、ブックオフで済まそうとする。それでなくても本を買う人のお財布の中身も寂しくなっているのだから、余計に本の定価と中身がちゃんとバランスが取れているかどうか、吟味するのは当然だ。
どうして雑誌や本が面白くなくなったのか。それは企画する編集者が貧相だからだろう。みんなサラリーマン化してしまい、破天荒な発想や行動をする人が少なくなったからじゃないかと思う。
だいたい本を読む場合、自分とは違う点があることが興味をわかせる。自分と同じならわざわざ本を読むこともないだろう。だけど編集者も作家も読む側の人と同じラインに立ってしまって、小市民的で中流意識を隠さないものだから、あまりにも平凡になってしまっている。だから出される企画などが陳腐に見えてしまう。要するに読めちゃう訳だ。同じじゃダメなのだ。
それでいて異質を拒むところが今の日本にはありすぎる。本当は自分たちとは違う才能や能力をある人を支援すべきなのに、それを出た釘のようにたたいて抹殺する傾向がありすぎる。
今バンクーバーオリンピックをやっているけれど、日本がメダルが取れないのは、支援がないからだ。民主党など、馬鹿の集まりの集団じゃないかと思えるほどだ。だから“仕分け人”がメダルを取れないから、予算を削ると平気で言ってしまうのだ。それでいてメダルが取れれば首相や文部大臣が平気でコメントが言える神経がよく分からない。あんた等どこまで彼らを支援したんだ。あるいはこれから支援しようとしているんだ。むしろ予算を削ると言ったのだろう。だったらいけしゃあしゃあとコメントを出せる立場じゃないだろう。
トヨタのアメリカでのリコール問題だってそうだ。日本を代表する企業が窮地に立っているんだぞ。どうして日本政府はトヨタを助けないで傍観しているんだと思う。そもそもトヨタがバッシングにあっているのは、普天間基地の問題でアメリカを怒らせちゃったから、一種の経済制裁をしていると見ていいんじゃないかと思う。そのことを民主党の誰も言わないのが不思議なくらいだ。
異質の能力や才能、あるいは飛び出ているもの(企業)を粗末にしてしまい、みんな平準化してしまった場合、なんかあったときみんな滅びる。その時生き残れるのは、そうした才能に特化した人や企業であり、それが次の世代を引っ張って行くのではないか。元気にしてくれる。面白くしてくれるのだ。何もそれは本の世界だけの話じゃない。それを大事にしないで、予算の無駄と決めつけ、あるいは傍観していられる方がおかしい。
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- by kmoto
- at 12:49
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