2010年03月25日

集合写真

 確か開高健さんのエッセイにあったと思う。酒飲みが翌日、前日の言行に恥じ入り、反省し、チクチクと心が痛むことがよくあると書かれていた。お酒が入ったことで大胆になり、馬鹿話、言いたいことを言ってしまい、後でえらく落ち込むことを言っている。
 まさしく先日それを経験した。お酒を飲む機会が多い人はそういう経験を多くされているだろうから、たとえ後で恥じ入っても、立ち上がりが早いような気がするが、私はお酒を飲まない方なので、この方面では免疫がない。だからもろ堪える。酒の席の話だからといって簡単に水に流してもらえれば有り難いのだが、もしそうじゃなかったらどうしようとあれこれ考えてしまうのだ。その席が楽しければ楽しいほど、その揺り返しが激しい。みんなと別れて一人トボトボと家路に着く間がやばい。“あ~あ、またやってしまった”と頭をうなだれつつ歩くときのつらさはたまらない。

 久しぶりに大学の本格的なクラス会(声をかければすぐ集まれる仲間とは年に2回から3回ほど定期的に会っているのでこんな言い方をしている)があり、その席に着いたのだが、卒業以来始めて会う顔ぶれを見て、ついつい浮かれてしまった。みんなに会う前には、うなだれて帰るのは嫌だから、自重しようとねじをきちんと締めているのだが、時間が経つ度にねじがゆるんでいった。何度か苦い経験をしているから、一応学習はしているのだけれど、それが出来るときと出来ないときがある。出来たときは、“よし!”と思い、家に帰ってもすぐ元の生活に戻れる。けれどそうじゃないときは、しばらくそれが尾を引く。もう自己嫌悪の塊となる。
 それでなくともここのところ自分でも地に足が着いていない感じがしていた。どこかふらついたところがあって、おかしいぞと自分で感じていただけに、いくらお酒の席とはいえ、浮かれていた姿を思い浮かべると立ち上がれないほど重い気分となる。揺り返しがきついのだ。

 みんなとお店を出たところで、集合写真を撮った。今デジカメプリントをしたものを眺めていると、私を含め30年という年月を全員に感じることが出来る。それにしても写真の写り方がなんか昔風だよなと思った。いかにも昔からの集合写真のスタイルをそのまま踏襲しているのだ。いいとか悪いとかそういう問題じゃなくて、必然的にこうなっちゃうといった感じだ。
 30年前人生の一時を共有した仲間がここにはあるが、一方でそれ以後それぞれ歩んできた風雪もそこはかとなく表れているような気がする。大学時代から30年という年月は単に年齢を上乗せしただけでない何かを感じさせる。笑い話に、どこか引きつった顔が見受けられる。口から出る言葉に重みと実感が感じられる。簡単に笑い飛ばせそうで、笑い飛ばせないものがどこかにある。30年という年月がそうさせたと言えそうである。
 古臭い写真の写り方の中に、単に昔風だけじゃなく、面倒な事情が感じ取れる。さらにこれから先そういう事情を加速させてそれぞれの身に降りかかるだろうと予感をさせる。
 あの時いくらでもあった時間が、今はやりくりしないと作れなくなっている。あるいは何とか都合がつけられる時間さえ、ままならないようになってきている。それでも昔の仲間という共通項でこうして集まることが出来る。その共通項がセピア色となっても、心の中に安らぎを与えてくれることも事実だ。
 集合写真をずっと眺めていてそんなことを思った。無性に昔の共通項で集まれる仲間が愛おしくなってくる。

2010年03月14日

本と花粉症

 本を読んでいる時はその本に夢中になっているから、それでいいのだが、その本が終盤に近づくにつれ、次に読む本のことを考える。いつもそうだ。次は何を読もうかと。
 読む本はたくさんある。けれどその時読みたい本は限られている。自分の精神状態や身体的疲労感などで、読みたい本が変わってくる。時には天気なんかでも、この本は今は読みたくないなと思うことさえある。じゃあ今の状態で読める本は何だろうかとあれこれ探すが、これが結構厄介なのだ。スパッと決まらない。こんなにたくさんの本があるのに今読める本がなかなか見つからないのはどうしてなんだろうといつも思う。
 そんな時、“あなたの読みたい本を探します”というロボットみたいなものがあって、適当に自分の状態を入力したら、答えをポンと出してくれ、有無も言わせず、“この本を読みなさい”と言ってくれるものがないかと馬鹿なことを考える。
 だからシリーズものを読むときはしばらくはそういう悩みから解放されるから助かる。一冊読んだら、次の巻に進むに決まっているからである。今回も古い警察小説を引っ張り出し読み始めた。少なくとこのシリーズは10巻あるので、次はこれ、その次はこれ、といったことで読み続けられる。
 しかし本が完全に古本と化している。もう30年近くなるからだ。文庫のページは本は白かったのだろうが、わらばん紙みたいに全体に赤茶けている。文庫の天の方はシミが出て来ていて、なんか年よりの顔のようである。考えてみれば30年近くずっと本を所有していることが珍しいのかもしれない。でもこうしてページを開くことになると、妙に愛おしくなるもので、かえって新刊本より愛着をもって扱ってしまう。ページを開くと、プーンと古本のカビ臭いにおいが漂う。
 とにかくこのシリーズを読んで楽しんでいるのだが、こういう時に限って、本屋さんで面白い本を見つけてしまうのだ。読む本があるんだから、本屋さんに行かなければいいのに、行ってしまうからいけないのだ。結局面白そうな新刊の文庫を2冊買ってしまった。
 さらに昨日近所のブックオフで単行本500円均一というセールをやっていた。実を言うと私はこのセールを待っていた。売値で買うのには少々ためらいがある本で、内容も面白そうに思えるけど、実際どうなんだろうと一抹の不安がある本が棚にあり、もしいつもやるセールの時までこの本がこの棚にあったら買おうと思っている本があった。その時まで売れちゃったら仕方がない諦めようと思っていたのである。ところがその本は昨日もあった。だから買った。2冊である。これで今気にかかる本、出来ればすぐ読みたい本が4冊となってしまった。しかし今読んでいるシリーズ本はあと8冊残っているので、これを読めるのはもうしばらく先になってしまうなと、困っている。そしていざ読める時期になったとき、気分が変わってしまいこの本を手にしないことになってしまう可能性も出てくるかもしれない。なにせ気分屋なので私は・・・。出来れば読みたいという気分がこの後でも残っていること願っているのだが。
 しかし何の本を読もうかと悩むことは、私は本を読む一つの楽しみだと思ってもいる。うちの近所にあなたが読みたい本を教えますといって、はやっている本屋さんがあるらしいが、大きなお世話だと私は思っている。自分が読みたいと思う本ぐらい自分で探せと言いたくなる。だいたい人がどういう本が読みたいのかをどこまで分かるというのだろうかと思う。そしてこうしたアドバイスが出来ると考えている店主はいったいどれだけ本を読んでいるというのだ。世の中把握できないほど本が氾濫しているのである。人の一生で出会える本なんてたかが知れている。その店主だって氾濫している本の一部しか接していないはずだ。だからその店主がどこまで対応してくれるのか興味がある。一度行って私にどんな本を勧めるか試したいと思ったこともある。
 とにかく何の本を読むか、それを探すことが本を読むことの楽しみの一つであるなら、そうした楽しみを奪われたんじゃたまらない。本を読むことは時間と手間がかかることなのだから、本を探すこともそれなりに時間と手間がかかっても仕方があるまい。だいたい勧められた本を、ハイそうですかといって読む奴の気が知れない。それに勧められた本が面白くなかったら、どう責任を取ってくれるのだろうか。そっちの方が気になる。

 花粉症のことは今年書いただろうか。毎年恒例のことだから、今年も書いておく。今年は例年より花粉が少ないと言っていたので安心していたのだが、2月の後半からひどい状況に陥っている。特に今年は冷たい雨が降って、翌日カラリと晴れ、気温も上がり、おまけに風も強く吹く日が何度か続いたものだから、この時一気に来た。
 新型インフルエンザの騒ぎで多く買い込んだマスクが今重宝している。もともとこんな単純なマスクでインフルエンザが防げるのかなと思っていたが、花粉症にはある程度効力を発揮するようだ。これをしていれば、少なくとも鼻は楽である。問題は目だ。これがかゆい。かゆくて仕方がない。花粉症用のゴーグルみたいなメガネをすれば防げるのかもしれないが、ちょっとなぁと思っている。仕方がないのでせっせと目薬を差してかゆみを緩和させようとしているのだが、一度かゆいとなったら、いくら目薬を差してもかゆさがおさまらない。
 今私の周りには、パソコンと読みかけのシリーズ本と、気になって買ってしまった本4冊と、目薬と点鼻液と、ティッシュの箱とゴミ箱、そしておせんべいとお茶と手に届く範囲に置かれている。

Recent Entries

  1. 集合写真
  2. 本と花粉症