2010年05月16日
東京スカイツリー
別にここでスカイツリーの建設記録をアップしているわけでもないが、どうしてか気にかかる。だから時々写真などアップしたりしているのだが、たまたま土日の散歩で近所を歩いていると、遠景からその姿が望める。たとえばここは一之江インター入り口なのだが、ここからスカイツリーが見えるので驚いた。やっぱり東京タワーの高さを超えると、ここからでも見えるのだ。
だったらもう少し先の、環七と京葉道路の交差点当たりだと、もっとはっきりと見えるのではないかと思い、先を歩いてみると、やっぱり見える。しかも多少大きめにだ。
たぶん周りに邪魔なものがなく、ちょっと高い所だったら、今ではこの当たりでもその遠景が望めるのだろう。
先日用があって押上に行った。ここはスカイツリーの建設現場である。駅を出ると、バ~ンとその姿が見える。見えるというもんじゃない。とにかく高い。見上げなければ、一番先の工事しているところが見えないのである。首が痛くなるほどの高さだ。しかもちょうどこのとき逆光でスカイツリーと太陽の光が重なり、目も痛くたってくる。
しかしこれらなら、私の住んでいるところからも見えるのも当然だと納得する。駅前には多くの人が、その全貌を携帯やデジカメで撮ろうとしている。
でもどうしてまだ建設途中のスカイツリーをみんなはカメラに納めようとしているのだろうか。その過程を記録するのだろうかと思う。たぶんこれはちょっと前にやったオールウェイズの映画の影響だろう。あの映画では建設中の東京タワーが、CGで合成されていた。あれがカメラ好きの日本人にはたまらないのだ。東京タワーがこんな風に作られていったんだよ、というようにスカイツリーもこんな風に高くなっていったんだよ、と何十年も先にお宝映像みたいに披露したいのだろう。気持ちとしてよく分かる。ネットでもその映像を個人でアップしている人が多くいる。それに記録写真というのは、ストレートに歴史を物語る。
人間は昔から高い建物が出来上がると、その大きさ、高さに驚き、見上げてきた。時にはそれがその町の人の誇りともなり、時には旅から戻ってきたとき、自分の町の高い塔や教会の先端当たりが見えてくれば、帰って来たんだと安心してきた。高い建物は人に高さ故に偉大さと誇りと安心をあたえて来たのだ。かしこまってその人の心理を分析するつもりはないが、何故か高い建物は人をワクワクさせる。たとえバベルの塔のように、高い建物を建てようとする人間の奢りを神が怒ってしまっても、そうしたいのだ。いつの時代でも高い建物を建てたいという気持ちは人間の本能なのかもしれないな、と思ったりする。
私も機会があれば、ミーハー的にスカイツリーの模様をここにアップしてみたいな、とそれほど意味もなく思う。
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- by kmoto
- at 19:14
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