2010年02月25日

思うままに その23

 今週はだいぶ暖かくなってきた。今日もいい天気なので、自転車でお茶の水まで出かける。しかしこの時期こう暖かくなってくると、大きな問題が出て来る。花粉症である。今年は例年によりかなり花粉が少ないので助かるなと思っていたけれど、今日は今朝から目が痒い。せっせと目薬を差しているが、自転車に乗って涙目になっているのは、少々情けなくもある。
 用を済ませて、そのまま駿河台の坂を下りて、三省堂本店へ行く。買いたい雑誌があったからだ。「Pen」である。今月号の特集は「キリスト教とは何か」である。宗教を説明すると、大それたことになるけれど、ここはoff雑誌である。あくまでも雑学に徹していて、なかなか面白そうだ。今日はこの雑誌をパラパラとめくって過ごそうかと思っている。
 これだけ買って帰ろうと思ったら、文庫と新書の古本が壁際の棚に並んでいる。「絶版品切 文庫・新書 古書フェア」とあった。思わず立ち止まってしまう。だめなんだな、“古本”とあると、どうしても反応してしまう。時間がそれほどないので、ザッと棚を眺めていたら、角川文庫でシムノンの作品があるじゃないか。高いんだろうなと思って手にすると、1冊350円とある。おお~、これは買いだな、と思い二冊持って、更に雑誌「Pen」と一緒に会計する。最近三省堂は面白い。古本とのコラボなんて素適だ。
 面白いディスプレイがあった。ダン・ブラウンの新刊『ロスト・シンボル』と村上春樹さんの『1Q84』のBOOK3の発売日までのカウントダウンを掲示しているのである。ダン・ブラウンの方は3月3日発売だし、村上さんの本は4月16日である。アマゾンでは「よく一緒に購入されている商品」として一緒になって予約を受け付けている。まぁ、出版業界は昨年は2兆円を割って、1989年から20年間にわたって「2兆円産業」と言われ、どこかでは出版業界は不況には強いという神話があったけど、それも昔話になったようだ。おそらく三省堂も売上が低迷しているに違いない。だからこうして間違いなく売れる本を煽って、盛り返そうということなのだろう。私は別にこうしたお祭り騒ぎには反対しないけれど、でも結局売れ筋の本はこうした大書店ばかりに恩恵があって、中小書店はそのおこぼれをどうもらうか、きゅうきゅうとしているのだろう。聞くところによるとダン・ブラウンの新刊は買い切りだそうで、なおさら中小書店は仕入に頭を悩ませていることだろう。
 本や雑誌が売れなくなったことは事実なんだろう。だからといって本を読まなくなったということなのか、その当たりはよく分からない。でもどうなんだろう?とにかく本や雑誌が面白くないというところに問題があるんじゃないのかと思う。本当に面白ければ、読んでみたいと思うだろう。おそらくだいぶ以前から、特に雑誌は面白くなくなっていたのだろう。それでも雑誌が発刊続けられたのは広告があったからだ。多分雑誌だけの売上は赤字だったのではないか。かろうじてペイしていたのは、企業からの広告掲載があったから、それでまかなっていたのではないか。それがこの不景気で、企業からの広告が減れば、雑誌の発売継続は難しくなるのは当然だ。広告に依存し続けていたから、昨年のように休刊誌が増えたのだ。もしまだ他の企業からの広告が見込めるときに、雑誌本体をどう面白くするか考えていれば、まだ何とかなったんじゃないかと思ったりする。
 本にしてもとにかく企画がない。これじゃ業界がおかしくなっても不思議じゃない。とにかく新しい本を買ってみようという気が起こらないのだから話にならない。新刊を買ってみても面白くないものだから、馬鹿らしいだけで、そういうことが読者はわかっているのだ。だからブックオフで買えばいいかとなるのだ。ブックオフにあれだけ人が入っているところを見れば、みんな本を読みたいのだ。だけど定価で買うほどのもんじゃないから、ブックオフで済まそうとする。それでなくても本を買う人のお財布の中身も寂しくなっているのだから、余計に本の定価と中身がちゃんとバランスが取れているかどうか、吟味するのは当然だ。
 どうして雑誌や本が面白くなくなったのか。それは企画する編集者が貧相だからだろう。みんなサラリーマン化してしまい、破天荒な発想や行動をする人が少なくなったからじゃないかと思う。
 だいたい本を読む場合、自分とは違う点があることが興味をわかせる。自分と同じならわざわざ本を読むこともないだろう。だけど編集者も作家も読む側の人と同じラインに立ってしまって、小市民的で中流意識を隠さないものだから、あまりにも平凡になってしまっている。だから出される企画などが陳腐に見えてしまう。要するに読めちゃう訳だ。同じじゃダメなのだ。
 それでいて異質を拒むところが今の日本にはありすぎる。本当は自分たちとは違う才能や能力をある人を支援すべきなのに、それを出た釘のようにたたいて抹殺する傾向がありすぎる。
 今バンクーバーオリンピックをやっているけれど、日本がメダルが取れないのは、支援がないからだ。民主党など、馬鹿の集まりの集団じゃないかと思えるほどだ。だから“仕分け人”がメダルを取れないから、予算を削ると平気で言ってしまうのだ。それでいてメダルが取れれば首相や文部大臣が平気でコメントが言える神経がよく分からない。あんた等どこまで彼らを支援したんだ。あるいはこれから支援しようとしているんだ。むしろ予算を削ると言ったのだろう。だったらいけしゃあしゃあとコメントを出せる立場じゃないだろう。
 トヨタのアメリカでのリコール問題だってそうだ。日本を代表する企業が窮地に立っているんだぞ。どうして日本政府はトヨタを助けないで傍観しているんだと思う。そもそもトヨタがバッシングにあっているのは、普天間基地の問題でアメリカを怒らせちゃったから、一種の経済制裁をしていると見ていいんじゃないかと思う。そのことを民主党の誰も言わないのが不思議なくらいだ。
 異質の能力や才能、あるいは飛び出ているもの(企業)を粗末にしてしまい、みんな平準化してしまった場合、なんかあったときみんな滅びる。その時生き残れるのは、そうした才能に特化した人や企業であり、それが次の世代を引っ張って行くのではないか。元気にしてくれる。面白くしてくれるのだ。何もそれは本の世界だけの話じゃない。それを大事にしないで、予算の無駄と決めつけ、あるいは傍観していられる方がおかしい。

2010年02月07日

思うままに その22

 エコポイント交換商品が届いた。
 申請したのが昨年の12月後半だったから、約1ヶ月ちょっとかかったことになる。もっとも今か今かと待ちわびていたものじゃないので、正直言うと忘れていた。交換商品はJCBギフトカードであるから余計である。これですぐ何を買うというものがないので、とりあえずは保管しておくこととなるみたいだ。

 我が家恒例の浅草寺への初詣をやっと昨日行くことができた。いつもなら1月後半に毎年行っていたのだが(正月は混んでいるため、わざわざそこを外して行っている)、今年は私が風邪をひき、それをこじらせてしまった。そしてやっと行けるかなと思ったら、今度は持病の腰痛が出て来て、ちょっと歩くのがきつくなってしまった。そのため腰痛がおさまるのを待っていたら、昨日になってしまったのである。しかし寒い。昨日の最高気温が東京で7.6度というが、北風が強く、体感温度はもっと低く感じる。
 都営浅草線の浅草駅で降り、松屋、つまり東武伊勢崎線の浅草駅方面へ歩く。吾妻橋の方を見ると、建設中の東京スカイツリーが見えてくる。


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 今回これを見たかった。オフィシャルホームページで調べてみると、2月1日現在289メートルだそうだから、昨日のはもう少し高くなっているのかな?完成時は最高634メートルになるそうだから、まだ半分までいっていない。それでもかなりの高さである。これが完成したらどんな光景がここで見られるのだろうか?
 映画の「ALWAYS 三丁目の夕日」で東京タワーの建設中の画面が出てくるが、平成版の「ALWAYS」でも作られれば、このスカイツリーの建設中の映像が出てくるのかなと思った。
 昼食がまだ済んでいなかったので、これも恒例の松屋の7階にあるとんかつ屋「すみだ」に入る。ここのとんかつは美味しいのだ。とんかつ揚がるまで待っていたら、館内放送が流れてくる。なんとこの松屋の4,5,6,7階が2月末で営業を終了するという。ということは、ここのとんかつ屋もなくなるということか、と思いながら食べ終わってレジにいた太めのおばちゃんに聞いてみると、そうだという。ということはここのとんかつはこれで最後となる。せっかく1年に1回だけど、毎年初詣に楽しみにしていたお店がなくなってしまう。
 先日有楽町の西武が今年の12月に閉店するというニュースがあったが、デパート不況はどうやらここのデパートにも及んでいるようだ。ここ松屋は閉店するわけじゃなく、売場の縮小ということになるようだが、私たちにすればここのとんかつ屋さんがなくなることは、閉店と同じ意味を持ち、ここに来る理由がなくなる。個人的に有楽町の西武が閉店することはどうっていうことはないが、1年に1回の楽しみで来ていた松屋が変わってしまうのは淋しい。

 残念だなと思いつつ、とりあえず松屋を出る。出たとたん北風が吹きつけ、寒い。思わずダウンジャケットの前を留める。そのまま仲見世通りに入り、本堂へ向かうが、なんと本堂に覆いがかかっている。


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 本堂の改修工事をやっているらしい。去年の2月から来年の11月までの予定だという。そうか。去年来たときは、工事直前だったわけで、来年ここに来るときは、もう工事も終わっていることになる。
 賽銭をあげ、家族、自分の健康、そして息子の就活が無事に終わることを祈り、本堂を出る。いつものようにお守りを買い、いつものように人形焼きを家と会社に持っていく分を買う。
 また松屋方面に戻り、松屋の横にあるスタバに入り、ちょっと一服し、また松屋に入る。かみさんはバレンタインのチョコレート買っていた。地下に降り、夕食のお総菜を買い、家に帰る。

 なんか新しいものが出来つつあり、古いものがなくなると聞き、あるいは改修されていく場面を今日一気に体感した感じの1日だった。

2010年01月27日

思うままに その21

 こうして読んだ本のことをブログで書くようになってから、しばしば思うことがある。それは昔読んだ本を読み直したいなということである。読んだ本で未だに記憶に残っている本が何冊もあって、あれは面白かったなというやつを読み直したいと思うのだ。
 昔は日記など書いていて(処分した)、そこに簡単に読んだ本のことを書いていたが、ほとんどは読みっぱなしで、頼りになるのは自分の記憶だけである。まぁそれはそれで一向に構わないのだけれど、ただその記憶の中で面白かった、感動したなど、ちょっとした付加価値みたいなものが残っていると、それをこのブログでちゃんと残しておきたいという気持になっているのだ。
 もちろん当時読んで、面白かったからとか、感動したから、といって読み返せば同じ感覚になれるわけじゃないことぐらいわかっている。むしろ昔持った感じを大事にするなら、読み返さない方がいい場合だってあると思う。でも、そうなったらそうなったで、要はどういう形であれ、一時は私の記憶の中に残った本たちであるのだから、それをきちんと形に残してみたいのだ。
 そんな風に考えたのにはわけがある。たとえば昔文庫本で読んだ本があったとしよう。それが面白かった。そして時間を経て、たまたま古本屋さんで、その文庫本のオリジナルである単行本を見つけた。私はこの時それを買おうかどうか、いつも迷う。なぜなら私は単行本指向の人なのである。文庫本ももちろん嫌いじゃない。だけど文庫本はどうしても規格が決まっていて、更に装丁も出版社ごとで大方決まってしまっている。その点が寂しく感じるのである。本はその装丁も含めて本だと思っているのだ。だから単行本にこだわるのである。それはまったく個人的な趣味だから、どうしようもない。もちろんどうでもいい文庫なら、そんなことは気にならない。 だから気に入った文庫本にはできれば単行本が欲しいと思うのだ。それを古本屋で見つけてしまったとき、どうしても欲しくなる。 そんなことがここ何日か続いたものだから、悩んだ末、買った。そうなるとその本が読みたくなる。そう、昔読んで記憶にある本が読みたくなったのは、そうした理由による。
 だけれど、まだ読んでいい本を優先的に読んで、一方で懐かしい本も読んでみたいと思うと、時間がない。読める時間は限られているわけだから、その点がいつも悩む。みんなはどうしているんだろうか?
 新しい本の出会いも貴重だ。けれど懐かしさで読み返すのもいい。毎年変わらず本は読んでいる。しかし別に読書計画など立てているわけではなく、行き当たりばったりで読んでいる。今年だって同じである。が、今、昔読んだ本を読み返してみてもいいかなと思い、むしろそうした本を重点的に読んでみようかとも考えている。
 基本的には、とにかく今まで読んでいない本を読むことが、新しい何かを得られるような気がしているので、次から次へと読んでいない本を手にしているわけだ。でも本の読み方はそればっかりじゃないだろう。自分がよかったと思う本を読み返してみてもいいはずだ。今年はちょっと私が懐かしいと思う本を積極的に読んでみようかと考えている。今何から読み直してみようかな、と思案している。

 久しぶりにExcelで表を作り始めた。ホンと久しぶりである。あまりにも久しぶりだから、細かいことを忘れている。その昔、Excelを使い始めた頃、せっせとマニュアルを読んで、会社の業務で使う表を一つ一つ作っていた。私は前任者が手書きで作っていた表をExcelに移していた。一つ一つ電卓をたたいて、計算するのは面倒だったし、同じ数字をいくつもの表に記入するのが面倒だった。だから一つの数字を入れればすべての表に反映できるようにしていった。リンクさせたのである。そうして作っていった表に不具合があれば、どこが間違っていたのか、あるいはもっと効率よく、さらにかっこよくするために、関数やスクリプトをマニュアルを見ながら作っていった。あの頃は毎日Excelとにらめっこであったし、仕事中だけでなく、家に帰っても、休みでも、その表のことを考え、Excelを開いて、あれこれやっていた。確かに夢中になるとこれはこれで楽しかったけれど、結構苦労した。あの当時はパソコンの性能も悪く、何度もフリーズしたりして、せっかく作り上げた表をダメにしたりして、今では考えられない苦労をしたもんだ。
 で、作り上げた表をちょこちょこ手直しして、現在に至っている。新しい表はほとんど必要なかったので、一度フォーマットを作り上げれば、それをコピーして使い回してきた。あとは大したものは作っていなかったので、それ以来となる。
 だから関数やスクリプトの表示の仕方などほとんど忘れてしまっている。でも昔と違うところは、ネットがあるお陰で、Excel上でこうしたい、ああしたいということがあると簡単に検索できるので有り難い。マニュアルが必要ないのである。これじゃマニュアルを作っていた出版社が潰れるのも当たり前だ。
 とにかくここのところ新しい表のことでかかりっきりとなっている。暇があればネットで検索し、もっといいやり方はないのか探している。とりあえず大枠は出来上がった。後は細かいところをつめればいい。できた表を使いながら、直していこうと思う。

 粗大ゴミに話をする。会社にいるととにかくゴミが出る。厄介なのは、備品の廃棄である。今時パソコンなどない会社などあり得ないと思うが、この廃棄が厄介だ。リサイクルの問題がからんでくるからだ。最初は事務所や休憩室の隅に置いてあった壊れたパソコンなど、どんどんたまってくる。まとめて廃棄しようとするからだ。
 それでどこの業者に廃棄を頼めばいいのかまずそこで悩む。ここの事務所の郵便受けにはやたらチラシが入っている。そのほとんどが不用品回収業者のチラシである。今手元にも5枚ほどある。どれもみんな同じ感じだ。こうなるとどこでも構わないのだけれど、こればっかしは相場がわからない。私から言わせれば言い値じゃないかと思うところがある。だいたい見積無料と言ったって、それが高いからと言って断るのも大変だ。次の業者を手配しなければならないし、その度に業務を中断して立ち会わなければならない手間を考えれば、一発勝負とならざるを得ない。
 ということで、適当に業者を決める。支店の方に大量の不要品があったため、まずそちらに向かわせ、その後事務所にある不要品を引き取らせるつもりでいた。支払は私の方でする。
 見積は結構な値段を言われた。相手の言いなりになるのは嫌なのだ。とにかく私には相場がわからない。言い値じゃないかという思いがあるものだから、提示された金額に納得できない。だったら、事務所の不要品分タダにしろと迫る。もちろん業者は困った声を出す。

 「まぁいいや。電話じゃらちがあかないから、とりあえず荷物を積んじゃって。金額交渉はこっちに来てから、直に交渉しよう」

 と言う。10分後事務所に来た。業者のあんちゃんは最初から私に敵わないからと言い、最初の金額で事務所の不要品を引き取ると言う。これじゃ逆につまらない。言い合いをしないと物足りない。でも仕事のわりには弱々しいあんちゃんだったので、これ以上いじめてもかわいそうかと思い、それで手をうつ。
 適当に業者を決めたのだけれど、ちゃんと名刺を出すし、領主書もきちんと収入印紙を貼り、割り印の代わりに二本線を引いている。これだけでこの業者は信用していいかなと感じた。多分値段も良心的だったのだろう。

 昨年ブルーレイハードディスクの録画を始めて、これを結構重宝している。とにかくテレビの番組表から見たいものを録画しておき、時間があるときに見ている。その際コマーシャルなど吹っ飛ばして見られるものだから、時短ができていい。だから見たいテレビがあればその時見ないで後で見るということに、最近はなってしまっている。BSもどのテレビでも見られるようになったので、結構見ている。もともと長時間テレビを見ることが出来ない人であるが、地デジにしてから、よくテレビを見るようになった。お陰で本を読む時間が減ってしまっている。ただでさえ貴重な時間なのに困ったものである。

2010年01月10日

思うままに その20

 やばいぞ、体重が2キロ増えてしまった。

 私は7日が仕事始めだったのだが、その前夜、例によってお腹がかなり張ってしまい、寝られなかった。遂にお腹の方が怒り出したのだ。
 昨年胃腸科の先生から、お正月はあまり食べ過ぎないようにと注意されていたのだが、今思えば結構食べてしまった。そこへ義理の妹が帰ってきたお土産やら、本当なら9日来るはずだった娘夫婦が、お土産の賞味期限がが近いからといって、急遽娘だけがお土産だけを持ってきた。だから家はお土産ばかりとなる。これはまずいでしょ。かといってかみさんばかりに食わせるわけにもいかない。当の本人も体重を気にしているからである。そのため「これ、あなた食べて」お菓子を振り分けられてしまい、嫌が上でも食べざるを得ない。しかも厄介なことにこれらのスイーツが美味しいから始末が悪い。「いかんでしょ」と言いつつ食べれば、太るのは当たり前である。しかも正月である。ただでさえごろごろしているところに、おせち料理など食べちゃうものだからどうしようもない。
 そしてよりによって、仕事始めの前夜、明日から仕事だから、早く休まないと思って、布団に入ればお腹が張って寝られなくなってしまったのだ。
 7日は寝不足でだるい感じで仕事を始め、夕方、薬がなくなるので胃腸科に行く。先生に「お正月はどうでしたか?」と聞かれ、渋々食べ過ぎてしまい、昨日は最悪でした」と言えば、だから注意したでしょうというような顔をされてしまった。深く深く反省する。

 昨年ぎっくり腰をまたやってしまってから、朝通勤時歩くことを止めている。寒くなってきたから、腰に悪いだろうという配慮からである。しかしこの歩くことを止めてしまうと、とたんに運動不足となる。自分でも少しずつ体重が増えてきたなと感じていたから、体重計に乗ることをしばらくためらっていて、久しぶりに乗ってみると、ややっ、や、やっぱり増えている!まずいぞこれは・・・。私の場合すぐお腹に肉がつく。
 お土産を持ってきた娘からも、「太ったでしょう」と言われる。「そう思うならこんなにお土産など持ってくるな!」と言い返す。胃腸もただでさえ冬場は動きが鈍くなるので、症状が出やすくなると先生からも言われていて、実際そうなっている。しかも身体の重い感じがする。たかが2キロといわれるかもしれないが、私には深刻な問題なのだ。
 ということで、8日からまた朝歩くことにした。しばらく歩いていなかったから、当座は軽い感じで歩こう。寒いから暖かくしてね、そしてちゃんとマスクをして。
 当然この連休もちゃんと歩こうと思っていた矢先に風邪をひいた。熱はないが、のどが痛く、咳が出る。やれやれこの休みは休養していなきゃいけないようだ。また巣ごもりだ。

 友人からNHKBSハイビジョンでで「ハゲタカ」を一挙放映すると教えてもらった。最初に放映されたとき3回くらいまでは見ていたのだが、見たくなくなった。面白いだろうということはわかっていた。けれど私はこの原作に苦い思い出があって、それが段々見たくないという気持ちにさせていき、見なくなった。


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 この原作はダイヤモンド社から2004年に発売された。この物語じゃないが、当社の書店部門は“死に体”の状態であった。最後に残ったお店の仕入れの手伝いをしていた私は、この本が売れると思って平積みをしておいたのだが、思った以上はその店では売れなかった。当然NHKで放映されるずっと前のことである。
 私がこの本が売れるだろうと思った当時の理由は、ダイヤモンド社という経済関係の出版社の老舗であること。そこの出版社が出している経済小説であること。さらに外資という問題を扱っていることなど考慮して、さらに私が今まで本屋で経験してきたところの勘で「売れる」と思ったのである。けれどその店では売れなかった。やっぱり長いこと現場を離れているから、その店の立地や環境に自分の仕入感がずれてしまっているんだなと思ったのである。どこか一般的な指標でその本が売れるかどうか見ていたのだろう。もちろんそれはそれで大切なことなのだろうけど、でもそれがイコールその店で“売れる”とはならない。
 私はいつの間にか現場を離れて、何でも一般的常識で物を見るようになってしまっていたのである。そのことが私と現場にいた人たちとの気持ちのズレとなってしまう原因だったんだなと感じたのである。現場が一番といつも思っていたのに、いつの間にか思考方法が現場から離れていたのである。これじゃ現場の人たちとうまくいくわけがない。
 当時は少しでもお手伝い出来ればなんて、という気持ちでちょっと現場に出ていたけれど、結局私が出て行ったことは、きっと当時いたスタッフには面白くなかっただろうなと後で思うようになった。余計なことをしてしまったとさえ思っていた。
 以来私は決して現場に口出すことをやめた。たとえ言いたくても言うのを控えている。まして私は自分とは畑違いの分野の会社に残っているのだから、ずぶの素人である。そんな人間が何を言えるというのだ、と思っている。

 とにかくそういう事情でこの「ハゲタカ」という原作には苦い思い出と重なるのであった。けれどあれからもう6年たつ。苦い思い出は私の中で過去のものとなって、苦いまま残ってはいるけれど、一方で純粋にこのテレビ番組を見てみたいと思えるようになったので、全6話録画しておき、この連休、どこにも行かず、巣ごもりのお伴としているのである。

 やっぱり面白い!

 原作とこのテレビ番組と違いがどう違うのか、原作を読んでいないからわからないけれど、面白い本だったに違いないとテレビを見て思った。私の勘は当たっていたところもあったのかもしれない。なのに当時あの店では売れなかった。だから勘は当たってもいなかった。それだけのこと。
 本当は続けて見たいところを1日2話とかみさんから制限された。調子が本調子じゃないんだからという理由で。だから明日最後の2話が楽しみだ。

2010年01月05日

今年も「本」欲で

新年あけましておめでとうございます

本年もよろしくお願いいたします


 今年の正月休みは例年違い、しっかりと取った。12月30日まで仕事をしていたので、その分後半に休ませてもらった。そうしようと思ったのである。ガツガツ仕事をしても長続きしないし、いささかバテてしまうのが早いので、持続力の方を優先しようと今年は考えている。
 この正月はやっぱり食べ過ぎたかなと思う。もちろん私の場合食べる量などたかが知れているのでけれど、どうしても正月はだらだら食べてしまう。そのためなんかいつも胃もたれした感じがつきまとった。

 この休み一冊の雑誌を買った。「散歩の達人」という雑誌である。


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 私は定期的に雑誌を買わない人で、買うとすればその特集が面白そうだと買う。今回もそうであった。特集が“刺激いろいろ、「本」欲が止まらない 本屋さんが面白い!”であった。だいたい“本屋”とつくだけで触手が伸びてしまうのだ。
 まぁ、特集だけに個性的な本屋さんが載っているわけだけど、それを個性的と見るか、変わりものと見るかで、見解が分かれるのではないだろうか。確かに今まで見たいなステレオタイプの本屋さんだとやっていくのが難しい時代になってきているし、2兆円産業と長いこと言われ続けてきた出版業界が去年その2兆円を割るほどの大不況となっているのだから、なんか打開策を見出さなければ生き残れないことは事実であろう。
 だから、こうした個性的な本屋さんが出て来たこともわからない訳じゃない。けれど、どうなんだろう?置いてある本を限定し、棚に突っ込むのではなく、机やちょっとした台にさも置きましたという感じで陳列し、横にしゃれた小物など置いて、別な意味で本をアピールする。あるいはデザイナーに斬新な棚をデザインさせ、今までとは違う本棚を作り、そこにやはりこだわった本の置き方をする。そんな店内の写真を見てここで本を買う気には私はなれない。なんか本の内容で売るのではなく、装丁と直接目から感じたイメージで本を買わせようとしているような気がしてならなかった。ここで“しゃれたいい感じ”と思って買った本が、後で後悔しないかなと思っちゃう。

 ちょっと前まで私はこうしたデザインに凝った本屋さんもありかなと支持していた。ましてこうした不景気な時代である。本を別な角度から売っていくのも一つの方法だと考えていた。けれどこういう本屋さんは感性が優先される本屋さんで、正直言って、みんなが入れる本屋さんじゃない。その感性を共有できる人が入れる本屋さんじゃないかと思うのだ。それを支持してくれる人が多くいれば成り立っていくだろうけど、果たしてそうした人がこれらの本屋さんにどれだけいるのか、余計なことながら心配してしまう。
 本をしぼって、ある一定の方向の本だけを置き、この関係では私たちは負けませんよというならまだいい。けれど、雑貨屋みたいで、単に本の装丁がデザイン的だからという理由で、内容を問わない本屋って、そうそう長続きはしないような気がした。美術館に行っているんじゃない。本を探しに来ているのである。しかも面白い本はないかなと本屋へ行くのである。得てしてこういう店で買ってきた本は、自分の部屋で見るとどうってことない。当たり前である。だってその本はそこで演習された本であって、その時はかっこいい、すてき、と思っても、自分の本棚で同じ演出が出来るわけない。雰囲気で本を売るのも結構だけれど、やっぱり本は内容だろう。そう思う。
 だから私のはこうした本屋さんは店主の趣味でやっているとしか思えない。そして昔から言われているように、趣味に走った本屋はつぶれることが多いのだ。志は面白いけど、やはりある程度実効性を持たないと、きわものになってしまう。そんなことをこの雑誌に載っている本屋さんを見て思った。
 こういう時代だからこそ、一つの考え方として、本屋の原点に戻っていくべきなんじゃないかと思う。こんな雑誌に載る本屋ではなく、商店街に魚屋さんや八百屋さんがあるように、本屋もそこにあるというようなものもが大切なんじゃないかなと思う。お客の顔の見える本屋はいい。アスクルのカタログに載っているような制服を着た女性店員より、出版社からもらったエプロンをしている店員がいる本屋さんの方が個人的には好きである。ちょっとジャージ姿でサンダルを履いて行けいるような本屋さんが欲しいな。欲しい本がないとかベストセラーがないとか文句を言いつつ、ついつい寄ってしまうような本屋さんって欲しいなと思う。

 ということで、今年も私は本を読む巣ごもり生活を続けることになると思う。毎年言っているのだけれど、本を買うより読む方を今年も優先したい。このまま馬鹿みたいに、衝動的に本を買っていると、ますます読み切れなくなること間違いないからだ。例によって無秩序に読んでいくのだけれど、それが楽しいのだから今までと同じようにやっていくだろう。この雑誌の特集にある「本」欲(この言い回しは面白いなと思う)が私も止まらないのだから、この一年も気ままに本を読んでいきたいと思っている。

2009年12月30日

この一年を振り返って・・・

 事務所にある卓上カレンダーを捨て、来年のカレンダーを置く。古いカレンダーを燃えるゴミの袋に放り投げたとき、ボコッと音がしてその存在感を感じさせた。
 そう、この一年がここにあったのだ。一年という時間がここには簡潔に月日で表示されていて、その月日が時間が過ぎ去ったことを思い知らしめている感じだった。壁につるしてあるカレンダーは月が変われば破り捨ててしまうので、12月になればその一枚しか残っていない。一枚になったことの寂しさを感じるけれど、卓上カレンダーはその一年がまるまる残っているから、過ぎていった月日の重みを感じてしまう。
 壁につるしてあるカレンダーも変えた。今日で年内の仕事はおしまいだ。この一年もなんか張りがないまま終わってしまった感じだ。というか、ここ数年こんな感じで過ごしてきたような気がする。だからといって来年は、と思うけれど、果たしてどうなるかわからない。
 
 毎年年末になると、正月休みに読みたい本を探す。特に今年一年の総括がいろいろなところで行われるので、今年出版されたベストが発表される。それなどを参考にして、毎年本を買おうと思うのだが、ここ数年“これは!”という本に出会えないでいる。今年もそうであった。
 結局新刊で買ったのはそれまで気になっていた本一冊と、山口瞳さんの対談集であった。後はブックオフで既刊本や入手ができない古い本などであった。
 私は最近の作家の本が読めないでいる。いつも手にするのはだいたいが以前他の作品を読んでいる作家の本である。どうしてなんだろうかと思う。よく分からないけれど、私には素人に毛の生えた程度で、多少文才がある人が本を出しているのが多いように思えるのである。多分そんな人の作品を読んだら、その文章使いに苛立ってしまいそうな気がするのである。どこかアイデアだけで勝負しているところがあって、それはそれで認めるにしても、やはりお金を出して読む以上、読める作品であって欲しいと思うのである。そんなの読んでみなきゃわからないじゃないかと言われそうだけれど、結構長いこと本を読んできたから、本屋さんでそうした本を見るだけで、勘としてわかるのである。だからあれだけ本屋さんに新刊が並んでいるのに、手にとって見るのは以前読んだ作家の本が多くなってしまうのだ。

 一年間ここであれこれ書いてきたので、自分なりにこの一年を振り返れば、相変わらず胃腸の調子は今ひとつだった。それと古傷のぎっくり腰を痛めた。今年のはかなりきつく、しばらくの間歩くのでさえ大変であった。何本も注射を打ってもらい、痛み止め、貼り薬でなんとか収まりがついた。腰の牽引も何度かやった。ここのところ寒くなっているのと、疲れがたまっている関係か、また腰が重い感じである。ここで急に動かしたり、重いものを慌てて持ち上げたりしたら、多分ひどくなる可能性が高い。立ち上がりなど注意している。
 そうそう、久しぶりに歯医者にも2ヶ月ほど通った。事の発端は前歯の差し歯が取れたことから始まる。あれは焦ったなぁ~。とにかくこの差し歯を入れてくれた先生がどっか行っちゃったから、どこの歯医者さんへ行けばいいか迷った。幸い探していた先生が見つかり、メールをして事情を話したら、すぐ来いと言ってくれたから助かったけれど、もし先生が見つからなかった大変なことになっていただろう。来年は五月頃定期検診でまた先生のところへ行く予定。
 定期検診といえば、今年は胃カメラはやったが、大腸の内視鏡検査はやらなかった。先生がやらなくても大丈夫だろうといってくれたからで、今のところ2年に一回の間隔でやることになった。来年の秋はやらなければならない。
 
 今年は娘が結婚した。今旦那の実家に一緒に帰っている。今度の正月は娘がいないことになる。当たり前のこととはいえ、そう思うと淋しいもんだ。

 今年は結構本が読めた年であった。後半は多少息切れをしてしまったが、それでも読めた方である。とにかく前半は本が読みたくて読みたくて仕方がなかった。読んだ本はやっぱり昔の本が多かったと思う。でも腰を据えて一冊一冊読んだ。結構細かいところにも気を配って読んだと思う。本を読む姿勢はおそらくここ数年で一番真剣であったと思っている。
 本棚には読みたい本がまだまだある。本棚を眺めれば眺めるほど、あれも読みたい。これも読みたい、と思う。その分焦ってしまうところはあるけれど、一冊を読むにはそれなりの時間がかかる。焦ったところで仕方がない。気は急いてしまうけれど、ここはじっくりと読んでみたいと思っている。そんな中で来年はどんないい本に出会えるか楽しみでもある。私に何を考えさせてくれるか、それが楽しみだ。

 今年もあと一日。これと言って何が出来るわけではないので、私は世間の年末年始の騒がしさから距離を置いて、じっくりと本でも読もうかなと思っている。(毎年そうなのだが・・・)

 どなたがこのブログにお付き合い願ったのかわかりませんが、改めて、読んでいただきありがとうございました。来年もこんな感じで書き込んでいきます。よろしかったらまたお付き合いを願います。それでは、よい年をお迎え下さい。

2009年12月08日

歳をとると・・・

 まったく歳をとるとさまざまな問題が出て来る。まず忘れっぽくなる。わがままになる。我慢が出来ない。すぐ怒る。うるさいのとキラキラしているのがたまらなく嫌になる。気力が長続きしない。せこくなる。そしておっしこにすぐ行きたくなる、である。
 たとえばこの日曜日夫婦二人で久しぶりに銀座に出かける。お歳暮を贈るためである。
 これも書いたかどうか忘れちゃったのだけど(まずこれが歳をとったことで起こる問題の第一番目)、多分書いたと思うが、我が家ではこうした贈答を拒否している。もちろん双方了解のもとでやめましょうという話にしちゃっている。ところが今年娘が結婚したものだから、旦那さんの実家のお父さんから我が家にお中元、お歳暮の慣習がまた始まったわけだ。これを何とかやめたいと思っているのだが、今度は娘のことがあるのでなかなか言い出せないでいる。で、仕方がないので、デパートのたくさんある銀座に出かけたわけだ。
 ところがやたら人が多いのと、クリスマスが近いということもあって、飾りがキラキラしている。その上外国のブランドショップがやたら出来ていて、着飾った女性が多いこと。あるいは成金趣味みたいなバアさんたちが多い。もうこれだけで神経がまいってくる。 腹が減っていたから、食べるところを探したが、なかなかいい店が見るからないのもあって、ついに怒り出す始末。「もういい!さっさと買うものを買って帰ろう!」と怒鳴り出す始末。長時間こんな神経に悪い場所にいられなくなるである。こうなると我慢が出来ない。
 そこへ持ってきて、ただでさえ近いのに、寒いものだからおしっこに何度も行きたくなる。私たち夫婦はこういうことが多いので、どこかお店に行けば必ずトイレを探すはめになる。まるで自分たちが行ったところ記憶するためにトイレに行っている感じだ。それが頻繁なものだから私は“マーキング”と言っているのである。

 何とか目的を達成して家に帰り、今度はエコポイントの申請書を書き始める。ところがこれが面倒臭い。それは前に書いた通りである。やっと書き上げて、さて「何に替えてもらおうかな?」とネットで交換商品を見てみると、これといって欲しいなというものはない。そのため無難なJCBの商品券にしようということになる。マルエツの商品券もあるから、日用品などマルエツに行っているから、これもいいんじゃないのと提案したが(やけにリアルでせせこましいけど)、いらないとと却下される。そこで多少口論となるのだが(私はいい案だと思っていたので)、毎日の買い物でその度毎に商品券を出すのが嫌だというのだ。

 う~ん、わからないでもないが・・・。
 
 結局JCBの商品券にすべて替えるということになり、申請書にコードを書き込む。ところがエコポイントがそのままの金額としてJCBの商品券に替えられないことを知る。
 今回我が家ではエコポイントが70,000ポイントが出た。結局JCBの商品券を65,000円分とQUOカード500円分4枚か、JCBの商品券67,000円分とQUOカード500円分1枚(この場合後で合算という手続きが必要になる)のどちらかとなる。つまり70,000ポイントが67,500円分しか交換できないことになる。つまり2,500円分どこかでピンハネされているわけだ。それがわかった時点で、腹ただしくなってきた。
 考えてみればせせこましいのも事実だ。わかちゃいるんだけど、期待していただけにせせこましくもなるんだな、これが。民主党政権になって、来年度になるとエコポイントがなくなるとか、厳しきなるとかいっていたので、慌てて地デジ化しただけに余計である。

 腹を立てているいるうちに、段々手続きが面倒になってくる。一日の疲れもあって、気力が余計に長続きしない。え~い!もうやめ、と投げ出してしまった。

2009年10月31日

思うままに その19

 気がついたらもう10月も今日でおしまい。昨日年末調整の書類が届く。間違いなく年末に向かいつつあるんだなと思う。もちろんだから何だ!と言われても困るのだが、確かに年々月日が経つのが早くなっている感じがする。
 例によってひたすら本を読んでいて、本の方のブログは結構更新しているけれど、こちらの方はさっぱり出来ずにいる。ここを更新するには、私の日常に変わったことがあることが、一番インパクトがあって、それに対していろいろ書けるのだけれど、毎日同じことの繰り返しなもんだから、日常に変化もない。従って書くことがない。
 それでいてもう少し長い目で月日を見れば、過ぎていくのを早く感じてしまうのだから、毎日どう過ごしていけば充実した日々が過ごせるのかなとも思う。

 さて、本当は今日神田の古本まつりに行こうかなと思っていたのだが、なんだか昨日ものすごく疲れていて、しかもここのところ夜お腹が張ってしまうことが多く、うまい具合に睡眠が取れずにいる。つまり疲れているのだけれど、寝られない状態が続いていて、かなり睡眠不足でもあるのだ。だから古本まつりへ行く気が段々薄れてきて、もうやめようかなと思っている。
 実は一昨日歯医者の帰りのちょっとよってみたのだ。歯医者が内幸町の駅の近くにあるので、家に帰るには半蔵門線で神保町で乗り換える。つまり地下鉄で帰れば、神保町へ行けるのだ。そう思ったので、神保町で下りてみた。開催時間は7時までとネットで確認しているので、残り時間約一時間半あるから、ザッと眺められると思ったのだ。
 駅から地上に出るともうそこは古本屋の出店が出ていて、帰りのサラリーマンもちょっと立ち寄ってみるかといった感じなんだろう、スーツ姿を数人見かけられた。日も暮れているので、出店の薄暗い照明の中で本を探すのは結構きついものがあるが、(それでなくても視力が悪いのだから)出ているお店の本を眺めて歩いてみた。
 もともと期待は最初からしていなかった。こういうまつりに掘り出し物があるとはそもそも思わないのだ。だって、売れる本なら、こんなところに出さなくても自分の店に置いておけばいい。だからここに並べられている本は在庫処分的要素が強いように思われる。それでもなんかお宝がないかという気持ちがこのおまつりに来る理由なのだが、しかし行って本を見れば、期待を裏切られ、やっぱりそうだったかと思いつつ帰ってくることがここ数年多い。だから最初から期待しないことにするのが一番いい。
 歩いていて、ある古本屋さんの出店で立ち止まってしまった。山口瞳さんの「男性自身シリーズ」が単行本で20冊ほどあるのだ。本の売値を見るとどれも300円でる。今このシリーズはこの値段では絶対に買えない。一冊2,000円程度するはずだ。だからこれは明らかに“お買いどき”なのだ。

どうしよう?

 全部で6,000円かと、値段はそれでいいけど、この20冊ほどの本を持って帰るのがきつい。今仕事の帰りと同じなのだから、鞄と20冊の本を持って帰ることを考えた。またこの本をどこに収納すればいいのか、自分の本棚を思い浮かべた。さらにこのシリーズは文庫本で持っている。ただ文庫本は一冊に単行本2冊程度を選んで一冊の本としているので、中には単行本から洩れたやつだってあるに違いない。でもシリーズとして文庫本は手元になる。

 そんなことをお店の前で本を取ったり戻したりしながら、考えた。結局やめたのだ。もういいやと思ったのだ。文庫本で充分だ。

 しかし家に帰ってからも、やっぱり買っておけばよかったかなとも思ったのだ。だからといって仮に明日(金曜日)の仕事の帰りに行ってみたって、もうないだろう。古本の出会いは一期一会なのだ。その時買わなければ、もう手に入らないと考えていい。ましてものすごい数の人がこの古本まつりに来るのだから、今日のこのこ出かけていっても残っているわけがない。

もういいではないか。

 一昨日、文庫本があるのだから、諦めたわけだし、たぶんそれはいい決断だったはずだ。

でもね・・・。

 布団に入ってから、その20冊が並んだ本棚を想像しちゃったら、またすぐ寝られなくなってしまったのも事実なのだ。

やれやれ。

2009年07月16日

思うままに その16

 梅雨が明けたらとたんに暑くなった。まぁそれが当たり前なのだろうけど、汗がべたつくのはいささか不快だ。
 いつも朝歩いているのだが、朝からじりじりと太陽が照らしている中を歩くのは、通勤前で疲れてしまう。そのためここのところ歩くのを止めている。しかし、そうすると運動不足がたたってくる。
 で、昨日帰りの電車の中でふと思いつく。そうだ、帰りに一駅前で降りて歩けばいいじゃないかと。夕方なら日も降りていくらか涼しいんじゃないかと思ったのだ。さっそく、降りてみる。駅前にある熊沢書店にまずは寄ってみる。これといって欲しい本がある訳じゃないので半ばひやかしである。でも、ワゴンに各出版社の文庫目録が積んであった。そうだった。以前もここで文庫の目録をもらったことがある。
 本当はここにある全部の出版社の目録が欲しいのだが、それだと結構な重さになる。仕方がないので、三冊ほど頂き、カバンに入れる。これから家まで歩かなきゃならないので仕方がない。
 その後、近くのブックオフにも寄ってみる。ここは最近オープンした店なのだが、正直なところ品揃えが悪い。もちろんそれは私の好みによる判断なのだけれど。要するに私が読みたいと思うような本がないということだ。ざっと棚を眺めて、“やはりダメだな”と思ったところ、捜していた吉村昭さんの文庫本を見つける。
 こんなもんなんだな。期待もしていないところに、案外あったりする。私はその一冊をレジに持っていく。会計は入ったばかりのバイトと思われる女の子がやってくれた。横にはこの店の責任者らしいやつがレジの打ち方などを教えている。彼女にとって初めてのお客が私だったのだろうか。とにかくぎこちない。何とかレジを打ち終え、お釣りを私に渡す。ちょっとテンポが遅れて「お売りになれる本があればお売り下さい」と顔を赤らめて言う。そこには前にそう言いなさいと言われたのを慌てて思い出したような感じで、彼女はその言葉を口にした。私はそれがおかしかったので、ちょっと笑い、軽くうなずいて店を出る。でも何か気分がすがすがしい。
 その後三十分ほど歩きながら、明日もここで降りて歩こうと思った。熊沢書店で持ってこれなかった残りの文庫目録も気になるし。ブックオフはパスしよう。一日そこら間隔を置いても品揃えは変わらないだろうから。そんなことを考えながら家路に着く。
 夕方とはいえ、やはりそれだけ歩くと汗をかく。着替えをして、一服する。入院している義母の様子をかみさんから聞く。明日胃カメラをやるという。まぁ大腸の内視鏡より胃カメラの方が下準備が簡単だからそれほど問題はないだろう。わざわざ私が行くこともあるまい。それに今日は木曜日だから途中で抜け出すこともできないし。
 八時過ぎ、北海道の旭川から娘の旦那さんのお父さんから電話がある。お中元が届きましたというお礼の電話だ。その前に私どもの方にお中元を頂いており、そのお返しみたいなものなのだが、とりあえず「ご丁寧に有り難う御座います」と言う。
 実はこうした季節の贈答は我が家では相手と相談の上で止めている。だからお中元も、お歳暮も我が家には届かない。気を遣うのがいやなのだ。今回もそうしたいところなのだ。私個人の親族、あるいは関係者なら「やめよう!」と言い切れるのだけれど、娘の旦那さんの方の家族には言いにくい。何か好意に水を差すみたいな感じがする。正直困っているが、しばらくは仕方がないかなとかみさんと諦めている。
 簡単な話をして、東京は梅雨が明けたらとたんに暑くなって、うだっていることを言ったら笑われた。旭川は昨日は雨だったという。
 旭川に親戚ができると、今まで気にしなかったNHKニュースでやる天気予報で、旭川の天気が気にかかるようになった。面白いもんだ。

2009年06月12日

思うままに その15

 ネットでものを買ったり、あるいは支払をする場合、そのサイトにログインすると必ずパスワードやIDを求められる。まぁそれはセキュリティー上仕方がない。あるいは仕事でインターネットバンキングをする場合も同様である。
 問題はそのパスワードなどをどうやって作るかである。誕生日、電話番号などは使ってはまずいので、それなりに考えるのだが、それだって限界がある。だからといってランダムに数字や英字を組み合わせるのも、どこか不安が残る。忘れちゃったらどうしようと思うのだ。だって何の根拠もない数字や英字を組み合わせただけだから、記憶に残らない。
 特にインターネットバンキングが厄介だ。最初に銀行と書類で契約をするときに、まずそこでパスワードやIDを決まった字数で決める。これは考えていたものでなんとかまかなえる。ところがこれはあくまでも仮のものであって、実際アクセスして、まずは契約したときのパスワードを入力して、次にパスワードの変更をすぐ求められる。なんとかそれを決めるのだが、今度は数カ月おきにパスワードやIDの変更してくれと画面に出て来る。おいおいそんなにパスワードやIDを変更しなきゃセキュリティーが保てないのかと毒づいちゃう。
 さすがにここまで来ると自分でそれを決めるのも厄介になったので、パスワード自動生成ソフトを使って、それこそ自分の頭を使わず数字と英字を組み合わす。
 しかしここで問題になるのはそのパスワードとIDの保存の仕方である。ただでさえ頭の働きが衰えてきている。つまり覚えきれないわけだ。仕方がないので、そのパスワードとIDをテキストファイルでUSBメモリーに保存しておく。そしてインターネットバンキングをやる時はUSBメモリーを先に差し込んでおいてからやることになる。実際パソコンのハードディスクに保存しておいてもかまわないのだけれど、どこで盗まれるかわからない。あるいはパソコンがお亡くなりなった時のことなど考えると、USBメモリーに保存しておく方が安全だろうと考えたのだ。
 しかしそれでも不安になる。このUSBメモリーを紛失したらどうしようと。もちろん巷でニュースになるようなことはしない。そんなもの持ち歩く方がおかしいと思っている。
 しかしそれでも不安である。もしも・・・と考えると、これはプリントアウトしておいた方がいいと思うようになった。まして何度もパスワードとIDを変更していると、実際使えるパスワードとIDはどれなのかわからなくなる可能性だってある。だからそれらを変更したら必ずプリントアウトして、古いやつはすぐ破り捨てることにした。もちろんパスワードとIDを新しくプリントアウトした紙には日付を入れておくこともする。そしてその紙もUSBメモリーを金庫にしまっておけばいいだろう。
 まったくインターネットやパソコンは便利であるのか、どうかわからなくなってくる。

 村上春樹さんの新刊が驚異的な売上を示しているという。私も気になっていたのだが、読む本がたくさんあるので、後で読もうと思っていた。きっとその時はブックオフで安く手に入るだろうと考えていたのだ。
 朝日新聞によると「5月29日に全国発売されたばかりの村上春樹さんの最新長編小説『1Q84』が、1巻の完売が相次ぐなど、異例の売れ行きを見せている。出版元の新潮社によると4日現在で発行部数は1巻51万、2巻45万。予約殺到による「発売前増刷」も異例だったが、発売から約1週間で100万部に迫る勢いに、同社も『例のない事態』と驚いている。

 東京都中央区の八重洲ブックセンターでは1巻は発売後3日で売り切れ、再入荷分もその翌日に完売。4日現在、2巻がわずかに残るのみだ。両巻あわせて1千冊以上を売った。同店担当者は「去年の『ハリー・ポッター』をはるかに上回る勢い。久々の村上作品だが、ここまで売れるとは」。東京都新宿区の紀伊国屋書店本店でも1巻は完売。30日に700冊以上が売れ、営業時間で計算すると55秒に1冊が売れたことになる」とある。
 先日のNHKのニュースではもう100万部売れ、売上は13億円になるとやっていた。聞くところによると、発売当日に増刊されることが決定されたという。現在品切れだという。アマゾンでも予約待ちの状態だ。
 こうなると気になって仕方がない。すぐ読んでみたいという気持になっちゃった。発売当日“書泉ブッタワー”で村上さんの新刊を見たのだが、あのとき買っておけばよかったと多少後悔する。
 昨日月に1回行く、病院の帰りに、お茶の水の丸善に寄ってみる。正面の平台には見あたらなかったので、“やっぱり品切れか”と諦めかけたのだが、奥の文芸の新刊が置いてある棚を見てみると、“あった!”“さすが丸善!”すぐ手に取る。後、『週刊司馬遼太郎』の新刊も出ていたはずだからそれも一緒にレジへ向かう。
 とにかく2冊手に入れた。すぐ読みたくなった。幸い読んでいた阿刀田さんの本を読み終えていたので、予定を変更して、村上さんの新刊を読むことにした。楽しみである。

 私は本を読んでいいるときよりも、次に何を読もうかなと本を物色しているときの方がワクワクする。自分の本棚を見て、“これ読もうかな”と棚から本を取り出すときのワクワク感は何とも言えない。そして数冊取り出して、次はこれ。その次はこれ、と順番を決める。
 自分のブログでは本の写真をスキャナーでスキャンすることにしているのだが、読む本が決まるとまとめてスキャンする。しかしこれが予定通り行かないのは常である。読む本の予定を決めているのだけれど、どうしても順番が狂ってしまう。今回もそうである。急に村上さんの新刊が読みたくなっちゃったから、それが割り込む形になった。
 よくこういうことがある。そのためせっかくスキャンして画像データを作ったのに、順番が狂い、そのうち読む熱意も冷めちゃってそのままになってしまうものもある。データだけがパソコンにたまっている。
 買ってきた村上さんの新刊を急遽スキャンする。その時ちょっと思った。画像データをもう少し大きくしてみようかなと。別に大した理由がある訳じゃないのだが、その方がせっかく実物をスキャンしているのだから、いいんじゃないかと思ったのだ。次回から多少画像が大きくなります。(どうでもいいか・・・)

 もう一つどうでもいい話をしたい。先日必要があってmicroSDを買った。2Gで650円という。前回買ったときは2,000円近くしなかったかなぁと思った。あるいは思い違いかもしれない。でもそれなりの値段はしたはずで、決して650円では買えなかったはずだ。バルク品かなと思ったがそうでもなさそうだ。まぁいい。安いのにはこしたことがない。
 昼食はお弁当を買って、みんなと食べている。毎日同じ弁当屋で買っているものだから、さすがに飽きてくる。確かに弁当の種類はたくさんあるのだけれど、食べるものは好みもあって、必然決まってしまう。同じものをある程度ローテーションで回して食べていても、やっぱり飽きてくる。
 それで弁当屋を変えてみた。Hotto Mottoである。これが驚くほど安い。何と弁当3つで、1,000円お釣りが来る。もっとも驚いちゃったのはランチ弁当で、何と300円。のり弁より10円高いだけ。
 最初自分が食べる弁当を決めていなかったので、どうでもいいやと思いつつ、ランチ弁当という表示が目についたから買ったまでのことで、値段など気にしていなかった。レジの中国人のおねえちゃんが変なイントネーションで弁当名と値段を声に出しつつレジを打って、合計金額970円という。こっちは千円札と小銭が必要だと思っていたので、その用意していた。それが千円でお釣りが来ると、“えっ?”と声が出ちゃう。もらったレシートを見て初めてランチ弁当が300円だと知ったのである。
 低価格化というのは、こう不景気な時代だから喜ばしいことだけれど、これでいいんだろうかと思う。J-WAVEのジョン・川平じゃないんだけれど“これでいいんです!”と言われても、“ホントにいいの?”と思ってしまう。ものには相場の値段があってしかるべきで、その相場の値段がその業界を支えていると考えるから、こんなことして大丈夫かい?、と思うのだ。
 確かに安いことはうれしいけれど、素直に喜べないところがある。一方で本2冊と雑誌1冊で4,000円近くするのを考えると、世の中のお金のバランスはどうなっているんだろうと感じてしまう。

 そうそうもう一つ思い出した。今回買ってきた村上さんの新刊には、いつも本にはさまっている出版社の新刊案内や結婚相談のはがきなど一切はさまっていなかった。新刊を読むとき、これらの“はさみもの”は邪魔になるので、まずページをパラパラやってそれらを取り出し、捨ててしまう作業が入る。いつものように同じことをやっていたら、今回それらの“はさみもの”がなかったので驚いた。重版ものはそうした“はさみもの”はないのかもしれないが、むしろ売れすぎて慌てて重版したものだから、それら“はさみもの”が入らなかったのかもしれない。あったのは丸善で入れてくれたビニールの手提げ袋の中に、どこかの証券会社だろう、国債の購入はがきがあった。もちろんすぐゴミ箱行きだ。

2009年05月24日

ルーヴル美術館展と上野にて

 昨日は土曜日で通常休みなのだけれど、午後から人と会う約束をしていたので出社した。時間は二時の約束なので、それまでは上野のでやっている「ルーヴル美術館展」へ行ってみた。今回は17世紀ヨーロッパ絵画ということで、基本的に私は興味がなかったのだけれど、先日テレビでジョルジュ・ド・ラ・トゥールの「大工の聖ヨセフ」を見てその絵に魅了されてしまい、どうしても実物を見たくなったのだ。
 土曜日ということでたぶん混んでいると思われたので、開館間際に上野に着いたのだが、もう20分待ちの状態であった。どうしてもルーブルというと日本人は憧れるのか、いささか不思議なのだけれど、とにかくばあさん連中が多い。しかも何人かつるんで、わいわいがやがややっていて、本当に絵を鑑賞に来ているのかと言いたくなる。
 しかも音声ガイドという絵の鑑賞に役立つ解説が聞けるものを持って、聴きながらだから余計に先に進まないのだ。そんなものをここで聴くなよ、と正直思う。音声ガイドがなければ絵を鑑賞できない方がおかしい気がする。何のためにここに来たのか疑問に思っちゃうね。
 例によってフェルメールの「レースを編む女」の前は人だかりで、なかなか先に進めない。


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 この絵、24×21センチの小品なので、遠くから見るとよく見えない。日本人のフェルメール好きは有名で仕方がないのだろうけど、私もフェルメールが好きなので仕方なしに列に並んで絵の前に行けるよう順番を待っていたのだが、ちっとも先に進まない。ある程度近くに行った時点で、絵を見て、列を離れる。
 そのためか斜向かいにレンブラントの「縁なし帽を被り、金の鎖を付けた自画像」は空いていて、絵の前までじっくり眺める。レンブラントも好きなのだが自画像はあまり興味はない。


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 ベラスケスの「王女マルガリータの肖像」もある。遠くからなんか見覚えのある肖像が見える。


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“あれ、デカルトじゃないか?”と絵の近くまで行ってみると、「ルネ・デカルトの肖像」とある。小うるさそうなおやじ顔である。

 とにかくラ・トゥールの「大工の聖ヨセフ」を見たいので、後はざっくりと眺めていく。あった。これだ!


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 この絵よく見ると、右にいるイエスがローソクを手にかざしている部分は通常あり得ない。かざしている手が透けるほどローソクの炎が強いということは、よほど火力が強いことになる。熱くてとてもじゃないがローソクに手をかざせるわけがない。そんな不自然さがあるのだけれど、よく考えなければそれを感じさせない。静寂さの中にも荘厳さを感じてしまう。イエスの顔がローソクで照らされる一方ヨセフの身体は薄暗い。かろうじてヨセフの顔のみがイエスの持つローソクの明かりで照らされるだけである。そのまなざしが無言の何かをイエスに語りかけている感じがする。そうなのだ。無言の親子が何かで通じている。そんな思いを感じるのである。それを力強い父のまなざしと、幼い子のいかにもあどけない目が語っている。力強い父、幼い子が、たった一本のローソクで暗闇と明かりのように対照的に描かれる。
 幸いそれほど人だかりはなかったので、しばらくここにいた。これは実物を見てよかった。

 外に出ると、さっき入場したときより多くの人が並んで入場を待っているのが見えた。よかった早めに来て。庭にロダンの「考える人」の鋳造作品が見えたので、デジカメを取り出し写す。すぐ近くにあった「カレーの市民」もついで写す。先には「地獄の門」も見えるが、暑かったので帰ることにした。


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 このまま西郷さんの銅像があるところまで歩く。以前来たときデジカメを持ってこなかったので、ネットで転がっている写真を使用したのだが、今度は持っているので撮っておこうと思ったのだ。
 しかしこの銅像を眺めていると、西郷の奥さんが「主人はあんなみすぼらしい格好はしていません」と言ったというのがよくわかる気がする。

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 なんでこちらの方に来たかというと、松竹デパートにある古本屋さんに来たかったからである。松竹デパートといっても、ほとんど崩れ落ちそうな汚いビル。建てられてからそのままという感じだ。昭和レトロ感漂う雑多なビルといった感じ。こんなところに古本屋さんがあるのかなと思いつつ、中に入ると確かにある。しかしその未整理さにあきれてしまう。ここには整理整頓という言葉は存在しないようだ。市場で買い入れた束になった古本を一気にぶちまけた感じで、平台には各社文庫、全集、エロ雑誌が一緒になっている。よく探せばお宝があるのかもしれないが、さすがに探す気にはなれなかった。というか、もうちょっと整理してよと言いたくなっちゃう。さっさと諦め、駅に向かう。
 トイレに行きたくなり、歩いていたらなんか新しい駅ビルの中に入った。ここだけは上野じゃない感じ。用を済ましちょっと歩いていると、明正堂さんがある。上野の本屋さんといえば明正堂さんなのだが、ここもビル同様小綺麗でしゃれた感じにしてある。ここで一冊本を買った。本に付けてくれたカバーを見て、そうそうこんなカバーだったと懐かしかったが、でも昔から本のサイズに合わせた、折り込みのないカバーだったかなぁ。これじゃカバーというよりは包装紙だ。
 さすが上野といことで、雑誌「谷根千」のバックナンバーが揃っている。しゃれたブックカバーがあって、文庫本サイズのものを買おうかなと思ったがやめた。
 店員はヨドバシの有隣堂のレジにいる奴と同じ格好をしている。最近本屋の店員は白いシャツと黒のズボン、そこに黒のエプロンを着けた奴がトレンドになっているのかなぁ~。確かに書泉さんのばあさんくさい制服にスニーカーという格好(男はじじくさいポロシャツにスニーカー)より、今風だけれどね。あれ東京堂の大橋社長に言わせると“書泉スタイル”というらしい。
 レジで並んでいると手を挙げてこちらへどうぞと誘導する。あれ、なんか頭きませんか?偉そうに誘導しやがってといつも思うのですけれど・・・・。時たま同時に二人手を挙げて“こちらへどうぞ”というときがある。そんなときどっちへ行けばいいんだと一瞬悩むこともある。
 時計を見るといい時間になっているので、事務所に向かった。

2009年05月15日

思うままに その14

 私が検査以外病院に行くのを木曜日にしている。というのも、木曜日は午後4時には手伝っている業務が終わるので、その後時間が取れるからだ。本当は休みの土曜日に行くべきなのだろうけど、自宅からお茶の水へ出かけるのが億劫なので、仕事で秋葉原にいる時の方が楽なのでそうさせてもらっている。もちろん勤務時間の途中で一時間ほど抜ける訳だから、その分朝いつもより早めに出社して帳尻を合わせている。
 昨日その病院へ行った。来週でもかまわないかなと思っていたのだが、飲んでいる薬の残りを数えてみると、どうやら次の木曜日まで持たないようなので、昨日行った訳だ。ついでに前回胃カメラの検査結果も出ていたので、詳しいことを聞く。
 私の胃と大腸はポリープのオンパレードじゃないが、いくつもある。以前江戸川区の区民検診を受けていたとき、いつもこのポリープのお陰で再検査を要するという通知が来る。まったく定期検診という奴はこれだから嫌になる。ちょっと異常があると、すぐ“再検査を要する”と言うのだ。これだけ読むだけでも、調子が急に悪くなる。
 一番最初に検診を受けたときは、ホントどきっとしたね。この再検査から胃カメラや大腸の内視鏡検査を受けるようになり、どうやら体質的にポリープのできやすい体質だとわかり、ドクターからも区の検診を受けるたびに要検査となるだろうから、それをやめて、独自に毎年胃カメラや大腸内視鏡検査を受けた方がいいと言われ、毎年やっている。
 今回の胃カメラも一年に一回やるものである。胃カメラでわかったポリープは「胃底腺ポリープ」だと言われた。このポリープは別に悪さをするポリープじゃないらしく、ピロリ菌のいない胃に発生するものらしい。このことからも私の胃にはピロちゃんがいないことも判明した。つまり以前除菌したのが成功したことを示しているわけだ。それにピロリ菌に対抗するLB21乳酸菌入りのヨーグルトも薬みたいに毎日食べているしね・・・?
 ただこのポリープができる人は私みたいに胃腸の調子が悪いと訴える人が多いらしい。このポリープのお陰で胃がんの原因のピロちゃんがいないことが証明され安心していいのだけれど、一方で胃腸の調子が悪いという痛し痒しですねと先生に言われた。まったくその通りである。結局なだめすかしながら付き合っていくしかないということらしい。まぁ仕方があるまい。
 処方せんをもらって、今日薬出してもらった。薬を受け取るたび、量の多さに呆れる。まったく粉ものだから一ヶ月分だとかさが張る。

 今読んでいる本の最新刊を“書泉ブッタワー”で買おうと思い仕事の帰りによる。ここのところここで本を買うことが少なくなったけれど、今までほとんど新刊は買っていたつきあいもあることだし、棚構成もよくわかっているから、本が買いやすい。しかし、ないのだ。おいおい新刊がここにないということはどういうことなんだ。今までそんなことがほとんどなく、ここに来ればだいたい手に入ったのに・・・。やっぱり仕入れを抑えているのかなぁ。ホント書泉は最近おかしいぞ!たぶん見る人が見れば、ここの品揃えが貧相になっていることがわかるんじゃないかなと思う。店員も覇気がないしね。せっかくここで買おうと思って来たのに、こんなことならここに来る前に、ヨドバシに行ったのだから、そのまま上の有隣堂で買っちゃえばよかったかなと思ったが、今更引き返すのもしゃくだしなぁ・・・、ということでそのまま岩本町の駅へ向かった。仕方がない。アマゾンで買うか。しっかりしてくれよな。書泉さん!
 私が買い求めたいと思っている本は小路幸也の本だ。たった一冊の本がその店にないということで、ダメだというレッテルが貼られてしまうのはかわいそうな気もしないでもない。書店側から言えば、そんなこと言われても・・・、となるだろう。いろいろな客層がここにはやってくるに違いない。そんな客のニーズをすべて満たすことなどできるわけもないことぐらいわかる。だから多くのお客が求めるであろう話題の本や、新刊を多くおくことで、最大公約数満たそうとする。むしろ私みたいな偏屈な客の方が困るはずだ。本がおけるスペースにも限りがあるから、一人のお客の不満より多くのお客の満足が得られるようにしておくのが鉄則であろう。これもわかる。だから何も言わず店を出る。今は家に帰っても本を買うことができる時代なのだ。
 アマゾンを利用する人には新刊書店に自分が求めている本がない場合、結構利用するんじゃないかと思うのだ。だっては面倒だし、バカな書店員と会話しなければならないし、手元に届くまでに時間はかかるので、その間いらついちゃうし、入荷すればしたで、またその店に行かなきゃならない。その点アマゾンは書店での注文のときに生じるいらつきは一切ない。心配もない。結構短い日数で本が自宅まで届く。
 アマゾンの客単価高いというのは書いたかもしれない。確かに1,500円以上買わないと送料がかかるというハードルがあるため、必然客単価が上がるのもあるだろう。けれど客単価が高い本当の理由は新刊書店が最大公約数の顧客満足度だけを求めた結果、そこからあぶれた偏屈なお客が単価の高い本を買い求めるケースが多いからじゃないかと思うのだ。そうなのだ偏屈なお客は結構読書家で単価の高い本を買うんだよ!
 書泉は大書店だと思っている。そんな大書店が街中の中小書店と同じことをやっていていいのかと思うのだ。大書店の大書店たる所以は、そこに多くの本があり、たくさんのお客さんに満足度を与える品揃えがあるから、大書店なんだと思うのだ。それがだんだんできなくなっているのかなと思うと少々寂しい。後はしおりやビニール袋目当てで行くお客を相手にするんでしょうかね?
 新刊がなかっただけに、かなりきついことを書いちゃった。もっともこんなことを書いてもどうなるというわけじゃないことぐらいはわかっている。愚痴である。さてアマゾンにアクセスしようかな・・・・。

 そうだ思い出したことがある。それを何の脈絡もなし書く。

 ガサガサガサ(鞄の中を探す音)

 まず今日もらった薬を出す。(やっぱ多いわ。鞄の中身ほとんどが薬だ)あった!全国書店新聞である。

 その全国書店新聞5月11号のコラム「本屋のうちそと」が面白かった。雄鳥社が先日倒産したことは書いたが、このコラムを書いている書店さんは「雄鳥社倒産につき今後は手に入りませんセール」をやるべきかどうか悩まれている。店内には40冊ほど返品不能在庫を抱えているらしい。しかもその前に倒産したエクスメディアの処分品もまだ半分も残っているという。このまま出版社次々と倒産していくと、店内が次々と「倒産バーゲンセール」になりそうだと書かれている。不謹慎だけれどやはり笑ってしまった。

 今回は前回の続きみたいになちゃった。

2009年05月09日

思うままに その13

 連休が終わり、一週間ぶりに秋葉にあるブックオフに仕事の帰りによる。ここには帰り道の途中ということもあって、一週間に一回は寄っている。私は最初ここのお店は場所柄仕入れより売りの方が多いだろうから、この店がうまくいくかどうかは仕入れがうまくできるかどうかにかかっていると書いたことがある。詳しいことがわからないけれど、たぶんここは他店から仕入れたものを本部が管理して、この店に回しているんじゃないかと思っている。そのため結構面白い本が出てくる。だからここの棚を見るのが私には楽しい。しかも他のお店がセールでやる500円以上の本が一律500円というのが、ここでは文芸本に関してはすべて500円となっているのがうれしい。
 また105円の棚も捨てがたい。他店から仕入れ本がここに回ってくるためか、結構お宝があるのだ。ここには古い本が時間が経っているということで105円になっているものが多い。しかしたとえば文庫では知っているけど、親本の単行本はどんなやつなんだろうかと見ることができるのだ。買いはしないけれど、時たま文庫で知った書名を棚で見つけると、手にとってしまう。
 今日は私が持っていない阿刀田さんの本と山口瞳さんの単行本を二冊見つけ、早速購入する。単行本二冊で210円である。寄ってみてよかった。

 そのまま書泉さんに寄る。最近感じるのだけれど、書泉が汚いし、暗い。笑っちゃうのが、秋葉原駅から岩本町へ行く途中、書泉の横側がどっと見えるのだが、そこに「書泉ブックタワー」と縦に大きな看板がある。その看板の「ク」が落ちちゃっているのだ。だから「書泉ブッタワー」となっている。なんか今にも倒れそうな感じである。これに気がついたのは先月半ばだったかな?それでももうすぐ一ヶ月近くたつのにそのままになっている。昔あった書泉のふんどしビラじゃなくて、旗もなくなっちゃって、ポールだけが出ている。外灯の電球や入り口近くにある看板の電球も切れていて、薄暗い。ビルそのものも汚れている。ビル掃除はそう簡単にできないだろうけど、電球ぐらい取り替えることぐらいできるんじゃないかなんて思うのだけれど・・・。でもまずはあの「ブッタワー」をなんとかせんとまずいんとちゃう?
 店の中の電球も切れているときが結構ある。もともと棚の近くある照明が暗かったのに、余計に暗い。そして奥にあるレジには店員がいないことが多く、いても中にあるノートパソコンで何かやっていて、接客する態度じゃない。店員がいないものだからレジにの中が丸見え。それが汚いこと汚いこと。
 そして一番気になるのが、在庫が薄くなってきたこと。今までは棚にぎっしりと新刊があったのに、面差しにして明らかに在庫を減らしているといった感じだ。これをやると確かに見栄えがいいときもあるが、ここでは暗さもあってかえって薄ら寒い感じがしてしまう。はっきり言っちゃうと、ここの棚よりブックオフの方が魅力的だ。「この店、大丈夫なのかな?」と思う。なんか自分たちが閉店というたどってきた道によく似ているのだ。
 東洋経済の「単店売上ランキング2008年度」によると、有隣堂ヨドバシAKIBA店が全国で26位。伸張率104.0%と秋葉原界隈の新刊書店では一人勝ちのようだ。ブックファースト一年もたたずにさっさと撤退しちゃったしね。

 今日ブックオフで買ってきた本の中にグリーティングカードが入っていた。もらいものお礼とお返しを送ったことが書かれている。たぶん受けとられた方が、読んでいたこの本にカードを挟みっぱなしにして忘れちゃったんだろう。そしてそのままブックオフに本ごと売っちゃったというところか・・・。
 古本には時たま前の持ち主が挟んだものがそのままになっている時がある。私も何度かそんなものを手にした。けれどこういうのってなんか人の私生活を覗いちゃったみたいで、少々困る。結局前の持ち主も忘れちゃっているのだから、そのまま始末しても問題はあるまい。

 どうでもいいことばかり書いてきたから、最後にもう一つ。書店組合から倒産した出版社の情報がFAXで流れてくる。先日雄鳥社の自己破産情報が流れてきてちょっと驚いちゃった。あの手芸の老舗も潰れちゃう世の中なんだなと思った次第だ。そして先日就職問題集を出している一橋出版も破産したというFAXが入った。
 どうしてこんな潰れた出版社の情報が書店に回るかというと、お店に置いてある委託の本が返品できなくなるからだ。そうなるとそれらの本は売れ残った場合不良在庫となるので、慌てて返品することなる。いつ売れるかわからないから、そんなリスクを負うよりはさっさと返品しちゃった方が安全だからだ。
 しかし委託商品には返品期限があって、その期限を過ぎたものは返品を受け付けてくれない。だからFAXで流れてくる情報には返品可能本のリストが載っている。
 ここで問題なのはこのリストに載っていない在庫本である。書店側は出版社の営業との口約束とそれまでいつでも返品を取ってくれた慣例で、“フリー入帳”の本だと思って在庫しておいたのに、それが期限切れ本として返品を取ってくれなくなったのである。これが問題となっているのである。行き先のない本が書店側の持ち出しとなってしまうのである。
 「全国書店新聞」の5月1日号にはこの業界用語の“フリー入帳”が取次には該当用語としてないと返答されたとあった。つまり業界の慣用としてそういう行為は一部にはあるが、正式な商業取引じゃないよということらしい。
 “へぇ~、そうなんだ”と思ったが、昔日販の仲良かった担当者がよく“これ、フリー入帳ですから”と言っていたのを思い出すんだけれどね・・・。
 出版社がしっかりしておれば、まぁいいや取ってやれよとなったかもしれないが、潰れた出版社にこれ以上の負債を背負うことなど出来やしないということなんだろう。書店業もますます難しい時代にはいったもんだと思っちゃうね。

 これで終わりにしようと思い、一時保存して、メールを確認したら、契約しているプロバイダーから「月額基本料金が毎月1,155円お得に!」という案内メールがあった。普段プロバイダーやパソコン関係のダイレクトメールなど吹っ飛ばしてしまうのだけれど、今回偶然目に付いた。“おおっ!いいじゃん”と思い、早速記載されているURLのところへ行って内容を確認する。要は二年間今のプロバイダー契約を続けてくれることを条件に割り引きサービスをしますということらしい。別に今のプロバイダーに不満もある訳じゃないし、変更も考えていないので、月々のランニングコストが安くなるのは有り難い。しかも契約すれば一万円の商品券もくれるとある。なんだか信じられないけれど、商品券はともかくとしてネットの経費が安くなるのらいいということで、そのまま契約する。料金は7月から安くなるらしい。
 この世界も顧客の奪い合いが激しい世界なんだろうか?とにかくどこでもお客の獲得のためには、そして獲得したお客を離さないためには、身を削ってでもサービスしなきゃならなくなっているのだろう。

2009年03月23日

浮き足立つ

 後で気がついた。私は浮かれていたのだと。
 土曜日に娘の結婚式があり、はるばる横浜まで出かけていったのだが、その時まではやはり憂鬱であった。そもそもいわゆる式典なるものが苦手で、単なる出席者だけでも気が重くなるのに、今度は娘の親として式に出なければならないのだから、憂鬱になって当然である。
 最初は娘夫婦は式など挙げないつもりでいた。しかし私の希望で式だけは挙げて欲しいと旦那さんになる彼に頼み込んでいるのだから、今更憂鬱だなんて言っていられるわけがない。しかし式場まで行く間、あるいはモーニングを着て、ピエロみたいな格好している自分の姿を鏡で見ると更に憂鬱になっていく。その上式の予行演習などされれば、ますます気持の方が落ち込んでいく。
 しかし親族だけの式を挙げてもらって、やっぱりよかったなと、式が終わってそう感じた。不思議なもので、自分の娘がきれいに見えたし、輝いているのを感じると、こみ上げてくるものがある。
 元々私は娘をとられたといった感じはなかったし、結婚そのものには反対していなかった。それよりも娘が幸せそうな顔をしているのを見るれば、よかったなと思っていたし、更に出来の悪い娘をやさしく見守ってくれる彼に感謝していたくらいだ。
 小さな式だったけれど、私にはどんな結婚式より感動的であった。
 式が終わった後、式場の近くのレストランで娘夫婦と、旦那さんとなった彼の親族と私たち家族は一緒に食事をしながら談笑する。この時私は柄にもなく浮き足立ってしまったのだろう。食事が終わりに近づき、デザートのコーヒーが出た頃、私は彼や彼のお父様や妹さんに挨拶をしたくなった。こんなことは今までの私にはあり得ないことであった。不器用に立ち上がり、今日こうして式を挙げてくれたことをお礼を言い、また娘を彼の家族の一員として迎えてくれたことにもお礼を言い、更にこれから先も娘を家族の一員として扱ってくれるようお願いしたのだ。
 
 翌日もまだ浮かれていたのだろう。息子が撮ってくれた式の写真をパソコンで整理していた。娘と息子の二人の写真を見て、更に感動してしまう。娘のうれしそうな顔と、普段無愛想な息子が笑って二人で写っているのである。パソコンの画面でその写真を見ていたら、急にここにあるすべてのjpgファイルを写真にしたくなった。すぐ近所の写真屋さんに行って、ここにあるファイルを全部2Lサイズの写真にしてくれと頼んでしまう。1時間後写真が出来上がって、会計をしたら、九千いくらとなって、呆然とする。俺はいったい何をしているんだと思ったのだ。
 案の定かみさんに怒られる。そうなのだ。普段なら写真にする場合、パソコンで選んでから、数枚写真に焼き増しするのだが、今回は何も考えず、ファイルすべてを写真にしてしまったのだ。しかも大きなサイズで。かみさんが怒るのも当たり前である。もちろん私も浮き足立っているのがわかったから、何もかみさんに反論できない。
 私は娘の結婚式もうれしかった。だからあり得ない挨拶を自らしてしまったし、息子が一所懸命姉の結婚式の写真を撮ってくれたこと、そして兄弟二人で笑っているツーショットを見て、更にうれしくなってしまったのだ。
 恐らく私の人生の中で、子供たちが生まれてきたことに次いでうれしかったのかもしれない。だから浮き足立ってしまった。今そんな自分が恥ずかしくて仕方がない。まさか私がこんなに浮き足立つなんて思いもしなかった。

2009年01月01日

謹賀新年

 まずは昨年末の様子を少し。
 12月30日までいつものように仕事をする。銀行が30日までやっているので、この仕事上どうしても付き合わねばならない。もっともこのことは仕方がないと諦めている。むしろみんなが休んでいるときに、仕事に出れば、普段とは違う通勤風景がそこにはあるし、街の人通りも、おそらく車も少ないに違いない。それはそれで眺めていると結構楽しい。最寄りの駅からは、すぐ座れる。いつものように本を取り出し、読み始めるが、ふとページから目を離して周りを眺めれば、皆さんお疲れの様子。なんでみんなが休んでいるのに俺は出勤しなければならないのだという雰囲気がありありと感じられる。
 会社について、パソコンに電源を入れ、ラジオのスイッチを入れれば、いつもの声が聞こえる。前の日に床掃除をしてもらったので、事務所全体が明るい感じがする。あらためて今年事務所の模様替えをしてよかったなと思った。とにかく全体がすっきりした。いらない書類もだいぶ処分したので、棚もすっきりしている。
 駅前のベローチェで買ってきたコーヒーをすすりながらまずはメールのチャック。ほとんどが迷惑メールだ。当たり前だ。だってみんな休みだから用件があるわけがない。一気に迷惑メールを削除して、仕事にかかる。銀行関係の手続きは前日にパソコンでやってしまったので、本日は請求書などの書類整理と現金の残高の確認をする。後、来月までの資金繰り表を作成して、これなら6日まで休んでもなんら問題ないなと安心する。すべて予定通りである。
 昼になり、事務所を出て、食事をするため秋葉原の中央通りまで出てみる。ここは結構人通りがある。若い連中が列をなして歩いている。こんな奴らの中から、異端分子が出てきて、あの事件がここで起こったのかなと思った。仲間意識や連帯意識があるように見えて、実は孤独感で一杯の人間が、ここにどれだけいるのだろうか?
 3時になり、当座の確認をして仕事を終える。いつものように社長に業務報告をFAXする。すぐに電話が入る。、「おつかれさん」と社長から言われ、細かい打ち合わせをして電話を切る。その後掃除を簡単にして、カレンダーを来年のものに取り替える。
 4時過ぎに鍵を確認して事務所を出る。途中岩本町のドトールによって、一人で「お疲れ様」という感じで、コーヒーを飲む。読みかけの本を取り出し、しばらく読み続ける。


 昨年は目標にしていた年間100冊読破の目標が社会人になって初めて達成できた。正確に言えば101冊読んでいた。まぁ、数多く読めばいいものじゃないことぐらいよくわかっているが、本を多く読めれば、それだけいい本に出会える可能性は広がるんじゃないかという意味で、いつも年始めに「年間100冊読破!」を目標にかかげるだけである。そしてそれが昨年達成できたということだけのこと。
 昨年の読書内容で一番大きな変化は、まず阿刀田高さんの作品に惹かれたこと。そして後半は吉村昭さんにも惹かれた。これが一番だ。
 私は読みたいと思った作家さん本をとにかくまず集めることから始めるので、阿刀田高さんや吉村昭さん本をせっせと集め始めた。幸い昨年4月に秋葉原に都内最大のブックオフができたので、せっせと通い本を集めた。お陰で結構本が集まった。もちろんその中の数冊は読んできたが、今年はこれらの本をじっくり腰を据えて読んでみたいなと思っている。
 また本棚の整理が途中で止まっているので、これも続けてやらなければならない。本棚の整理をしていると昔読んだ本などが気になりあらためて読んでみたくなるのだけれど、それもいいかもと思っている。
 本の整理といえば、昨年はちょこちょこ本をブックオフに売った。売ったというより処分したといった感じだ。今までなかなかつまらない本など処分できなかったのだけれど、こうして読んだ本のことをブログで書くことで、面白くなかった本が簡単に判断でき、売ろうかどうか迷う必要がなくなった。自分のブログで、つまらない!と書き込んだら、すぐブックオフ行きと簡単に気持ちの整理がつくのである。このため今年は全体として棚の本は増えなかったようである。これはブログをやっている予想しなかった効果であった。

 体調の方は昨年は一進一退を繰り返しているようではあったが、それでも少しは改善している感じがするので、このまま行けばいいなと思っている。歳をとってきているんだから、いつまでも若いときのようにはいかない。とにかく無理はしないようにしたい。無理はこたえる。そういえば、大学の友人の体調不良も気にかかる。今年会えればいいのだけれどと思う。
 1月には息子が成人式を迎え、2月には社長の叙勲のお祝いの会がある。3月には長女が結婚する。なんだかんだと激動の1年になりそうだけれど、変化がある中で自分を見失わないようにしたいと考えている。
 今年もこのブログにはどうでもいいことを書きつづっていくのだろうと思うけれど、お付き合い願えれば幸いです。よろしくおねがいいたします。

2008年09月13日

思うままに その12

 もう秋葉原で仕事を就くようになってから二十年以上なるのだけれど、最近の秋葉原の劇的変化は驚くばかりである。私が仕事の行き帰りに使うのは電気街とは反対の昭和通り沿いで、事務所はその奥にある。だからいつもは駅の前にある信号まで裏通りを歩いて駅前に出る。
 昨日久しぶりにすぐ昭和通りに出る道に出て歩いた。ここもヨドバシが出来てから、人通りが多くなって歩きにくい。相変わらず個室ビデオ屋さんが多く雑居ビルに入っている。いつの間にか“ピンク通り”と密かに言われ、この通りに「風とともに」というコーヒーを飲ませるケーキ屋さんがあったのだが、撤退してしまった。ここの店長とは顔見知りであるのだが、その人が通りに個室ビデオ屋が多くできて、女の子がケーキを買える雰囲気じゃなくなって、客足が大幅に減っちゃったからと言っていたのを思い出す。そうだよな。個室ビデオの看板を物色しているむさ苦しい男たちがたむろする通り、ケーキ屋さんは難しいだろう。
 昔、よく仲間と集まった焼き肉屋「大酋長」がビルのテナントに入っているけど、そういえば最近ここの社長さん見かけないなぁ。景気のいいときは、よくこのあたりを歩き回っていて、何度も声をかけられ、「最近どう?」と聞かれたけど。どうしちゃったんだろう?

 ところで昨日、この通りに看護士を見かけた。最初白衣を着ているから本当に看護士かなと思ったのだが、こんな時間に何人もたむろしているのもおかしい。しかも白衣がやたら身体にフィットしていて、しかもスカートの丈がかなり短い。顔を見てみると、ケバイ化粧、ああ、コスプレかとこの時点でわかる。
 メイドも数人いて、店の案内だろうビラを配っている。へぇ~、こっちの通りにもメイドがいるんだと思った。面白いもので、通りを歩く男性だけにうまくビラを渡す。女性が目の前を通るとさっと手を引っ込める。私も通りを歩いているので、当然彼女たちの前を通る。ビラを手渡されそうになったが、そんなのもらってもしょうがないので、無視するが、そのとき彼女の顔を見ちゃった。まさしく見ちゃったのである。

“□△○×・・・!?”

 思わずぶん殴りたくなる気分になる。ここのところ私は視力が落ちてきているから、遠くからではメイドがいるなとはわかるが、顔までははっきりしない。それで近くへ行って顔を見て驚いたわけである。こら!メイド服を着させりゃいいというわけじゃないだろうと言いたくなる。こんなやつがいるメイド喫茶かマッサージかなんか知らないが、行くやつの気が知れない。まったくどうかしているぜ。きっとメイドの質も落ちているんだろう(詳しいことは知らないが)。

 さて、いい意味でも、悪い意味でも、町が変化するというのがわかるのは結構楽しいものだ。まして私のように日常の行動範囲が狭い人間にとって、毎日の風景がいつも同じと感じるので、こうしたささいな変化に簡単に驚いてしまう。まして二十年まえこの通りがどんな通りで、どんな人たちがいたかを知っているものだから、ついつい昔と比べてしまうのだ。
 時代のサイクルがひどく短くなっているから、うかうかしていると変化に気がつかず、気がついたら大きく変わっていたというのが、ここのところの状態ではなかろうか。変わるきっかけはささいなことでも、変わり始めたらそのスピードはめちゃめちゃ速い。ただこの町の変化は、相手次第の受動的変化であって、どこかメインになるものが欠けている感じがする。無思想とでもいうのだろうか、ただここに新しい文化?が次々と出来上がってくる感じだ。
 町って、そこで住む人、商売する人たちがいて、全体を俯瞰しながら、人を呼び集め、活気をもたらすもんだと思っていたが、こういう無秩序でも成り立つものなんだと改めて思ったりする。というか、これだけ大きな町になってしまうと、そんなの関係ないのだろう。だってあらゆるところから人が集まってくるんだから、そんな悠長なことなどいってられないのが現実であろう。その中で商売するわけだから、それは激戦で、生きるか死ぬか、いつもそういう危機感でやっていかないとやっていけない。そして生き残ったもの同士が、新たな町を質を決めていく。そんな感じだろうか。確かに秋葉原変わった。

 旧岩本町としてやっていたブログが荒らされているのは知っていた。変な書き込みがされている。まったく困ったものである。こんなサイトをいじめてもしょうがないとは思うのだけれど、かといっていつまでもそのままにしておくわけにもいかない。
 で、もういつまでも岩本町時代を引きずっていても仕方がないし、当時せっせと書き込んだことにそれほど価値もないだろうと考え、一気に削除した。(気分がいい!)これで書き込みたくてもサイトがない以上、どうしようもあるまい。
 ただk-moto.netはこのままじゃ致し方ないので、全面改定することにした。直すといっても、昔みたいに凝ったことが出来ないので、ただ画像を貼り付け、リンクしただけのことなのだが・・・。
 というか、こうしてブログで簡単に画像を含めてアップできるので、ホームページを更新する細かい作業が必要なくなり、昔やったホームページの作り方を忘れちゃったのだ。だからこんなもんしか作れなくなった。でも、シンプルでいいでしょ?
 後は岩本町店の閉店間際の写真がいくつかあるので、それを思い出のアルバムとして残そうかと考えている。もしかしたら、昔の仲間が見てくれるかもしれないしね。でもなんか寂しい感じがしないでもないが、他に思いつかないので、これでいく。ここは入り口なんで・・・。

2008年09月04日

思うままに その11

 今日も仕事を早めに切り上げる。阿刀田さんの新刊が明日発売予定なのだが、もしかしたら一日早く店頭に出ているかもしれないと思い、書泉さんに寄ってみる。やはりあった。それを手に取り、さっさとレジへ向かう。棚など眺めていたら、他に欲しい本が出てきてしまうし、それに今は読みたい本がたくさんあるので、ちょっと新刊を買っていられないのだ。
 精算するとき、先月書泉さん専用のスクラッチくじを三枚もらっていたことを思い出す。いずれも末等の50円だが、三枚で150円引いてくれた。そしてまた一枚くじをもらう。
 後で削ってみたらやはり末等の50円だった。しかし書店でもらうくじってどうして当たらないのだろうかとふと思う。というか当たりくじはちゃんと入っているのかと疑いたくなるほど、当たらない。まぁ、当たりの数が少ないのが最大の原因だろう。だって粗利が少ない業界だけに、それほど身銭など切っていられないだろうし、それでなくても業界自体冷え込んでいるから余計であろう。
 さて、買った本を持って、岩本町のドトールにはいる。ここのところ毎日ここに来ている。小腹が減っているので、軽くパンを一個とコーヒーを注文して二階の窓際に座る。
 買った本を眺める前に、ブログに載せる原稿を推敲する。私はざっくりと文章書いてしまうので、後で修正するところが多く出てくる。今回も細かいところ直していたら、原稿が赤く染まった感じになってしまった。とりあえず直した。後はサーバーに送った生原稿(といってもテキストファイルだけど)を自宅のパソコンに落として、それをそのまま修正するだけだ。
 本当はノートパソコンを持っているのだから、それを使って、そこで推敲すればいいのだろうけど、どうもパソコンの画面で修正したりするのが苦手なのである。だからざっくりと書いた文章をプリントアウトして、そこで推敲することが多い。その方が楽なのである。

 文章を直しているだけで疲れちゃった。コーヒーすすり、パンをかじり、買ってきた本をパラパラめくる。何かすごく面白そう!予定を変えて、今読んでいるシリーズが終わったら、こっちを読もうかな。
 何か本を読む気力がなくなったので、社長からもらった今日発売の週刊新潮を鞄から取り出す。本屋を辞めて、本当に週刊誌を読まなくなった。本屋にいたときは、毎日その日発売の週刊誌を読んでいたが、それはただだから読んでいただけのことで、とてもじゃないが金を出して読みたいと思わない。面白そうな記事だなぁと車内刷りなど見て思うことがあるが、結局それを見るだけで事足りちゃうから、買う必要もない。
 相変わらずゴシップ記事満載で、野次馬的記事しか書かれていないが、まぁそんなもんだろう。福田首相退陣発表直後だから、まずはこれで持ちきりだ。
 年末のレコード大賞の受賞者がもう決まっているという記事もあった。知らなかったのだけれど、レコード大賞は12月31日じゃなくて、一日繰り上げて30日にやっているんだって?とにかく視聴率ががた落ちで、一日繰り上げることで、他社の年末やる番組にチャンネルを取られないようにしたらしい。記事よると大賞はEXILEだって。最優秀新人賞がジェロだそうだ。まぁ、これもどうでもいい。
 私的に一番面白いのは、「日本の恥」といわれてもWBC監督を目指す「星野仙一」の金と人脈だ。記事によると五輪惨敗のA級戦犯であるにもかかわらずWBC監督には星野さんが有力候補らしい。これってどういうこと?星野さんは政財界の大物とつながっているらしく、特に読売の渡辺会長に可愛がられているから、その線が強いらしい。またこのまま身をひいてしまったらオリンピックで惨敗した監督ということで、CMの主演料や講演料も下がっちゃうから、生活のためリベンジを望んでいるらしい。リベンジは結構だけれど、あれほど打てない選手やポロポロボールを落とす選手を選んだこと自体、監督失格だよね。采配なんていうのも感じられなかったし。コーチも仲良しを連れてきて陣立てしたけれど、やっぱり実戦でバリバリとやっている人にはかなわないじゃないかなぁ。オリンピック前の壮行試合で原監督率いる選抜チームにボロボロにやられたことがそれを物語っているじゃないの。
 それにこんな自分のことしか考えない、大言壮語しか言えない監督に選手がついて行くだろうか?特にイチロー選手なんか星野さんだったら出場しないんじゃないかなんて思ったりする。

 そうそう、りそな銀行から、法人用ネットバンキングのマニュアルが届いたんだったけ!。思いだし、それを取り出すが、パソコンの画面のイラストを見ただけで、「明日にしよう」とページを閉じる。
 昔だったら、パソコンで新しいことができたりすれば、結構ワクワクしたものだったけれど、今は「やれやれまたマニュアルとにらめっこか!」とうんざりしてしまう。たとえばこのブログMovable Type 3.2で動かしているけれど、今の最新バージョンが4.2である。先日Movable Typeを提供しているところから最新バージョンのお知らせメールが届いていたけれど、新機能が何が魅力なのか今ひとつピンとこない。それよりもそれに変えることの手間や、たぶん不具合が起こるであろうことを考えると、「いいや、これで」と思ちゃう。やっぱり歳なんですね。七日には五十二歳の誕生日を迎える。そして次の日、また大腸の内視鏡検査が待っている。一年に一回とはいえ、また二リットルの下剤が待っていると思うと、これも憂鬱だ。
 今週は怒鳴ったり、頼み込んだりして感情的に起伏の激しい一週間であった。明日無難に過ごせば、休みである。頑張ろうと思い、鞄から取り出した原稿や週刊誌、本などをしまい込む。重い。だって鞄には三冊の単行本が入っているんだから仕方がない。(考えてみると、仕事に持って行く鞄に三冊も本を入れている人間てそうそういないんじゃないかなんて思うけれど、どうだろう)

2008年08月13日

北京オリンピックと書泉

 正直北京オリンピックといって、浮かれる気分じゃなかったのだけれど(どうでもいいと思っていた)、やっぱり柔道は見てしまう。中学、高校と柔道をやっていたからだろう。だけど最近の柔道はレスリングみたいで、ちっとも見ていて面白くない。柔道は技をかけて、相手を投げ飛ばす方が、見ていてすかっとする。
 昨日たまたま帰りが遅かったので、家に帰って、酒を抜くために、テレビをつけた。柔道女子63キロ級で谷本歩実がオール一本勝ちでオリンピック二連覇を達成した場面をやっていた。
 谷本は相手の大内刈りをすかし、内またでぶん投げた。やっぱりこれじゃないとね!思わず力が入って、「よしっ!」と声を上げてしまう。一瞬で決まったから相手は茫然自失状態であった。投げた瞬間を見たくて、他のチャンネルに変えて、何度も投げる瞬間を見る。

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 そういえば彼女西葛西に住んでいたんじゃなかったけ?江戸川区の施設にでかでかと「谷本選手オリンピック出場おめでとう」と書かれた垂れ幕が下がっていたのを思い出す。同じ住民としてもうれしい。
 西葛西といえば、書泉の西葛西店が7月21日に閉店した。

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 以前からここはなくなるとは聞いていたが、やはりその噂は本当であった。ここの前をよくジャスコに買い物へ行くとき通る。何度か寄ったこともある。出来たとき、こんなところに店を作って大丈夫なのかなと思った。店の前はいつも自転車でいっぱいで、入り口がどこなのかわからない状態であった。どう考えても、これだけの自転車を乗る人がこの店に入っているとは思えない。多分違法駐輪だろう。駅前に自転車が置けないものだから、ここに停めておくのではないか。
 ネットでちょっと調べてみた。「書泉では、経営側の店舗拡大失敗のあおりを受け、40歳以上の5名の社員を除いて35名が『希望退職』の名のもと事実上の解雇を突きつけられようとしてている」らしい。会社は、これまでの経営責任には一切触れることなく、「予定人数が集まらなければ整理解雇する」と断言したという。
 昔ブックタワーが秋葉原に出来るというとき、社長他幹部数人と会ったことがある。その時社長さんは従業員が育ってきたので、神保町以外でも、出店して、ポストを作る必要性が出てきた。そのためとりあえず、秋葉原に出店を決めたと言っていたのを思い出す。その後ブックタワーで、何度か社長さんを見かけたことがあった。お店に似合わない、しょぼくれたじいさんがいるなと思って、よく見ると社長さんであった。
 確かこの社長さんも亡くなられたのではなかったか?いずれにせよ、この店舗拡大戦略が失敗したようである。書泉さんが秋葉原に出てきて、うちの二店舗あった店はつぶれた。うちの店が書泉さんの出店の影響だけでつぶれたとは思っていないが、少なからずその影響は確かにあったことは事実である。その書泉さんが今度危機に瀕している。変われば変わるものだ。今の時代、天下の書泉でさえもこんな状態なのだ。本屋経営はますます大変な時代に移っていく感じだ。

2008年06月05日

思うままに その10

 朝、天気がよければ、通勤途中歩いている。今までは進行方向の一つ先の駅まで歩いていた。しかし今は、一つ後戻りした方向へ歩くことが多くなった。というのも、後二つ戻れば始発駅になり、そこまで行けば、始発電車に乗れ、座れる。楽だからそうするところももちろんあるけれど、それよりも、座って本が読めるという利点の方が大きい。しかも約十分くらい地下鉄を長く乗ることになるので、それだけ読書時間が増える。もともと朝あわてて家を飛び出す方じゃないので、充分余裕を持っている。十分ぐらいどうってことはない。
 昨日は車内に病人が出たということで、電車が遅れたし、今日も先頭車両が故障したというので、途中で二十分ぐらい止まったままであった。面白いもので、このように電車の遅れがわかると、乗っている人は一斉に携帯電話を取り出し、通話ができないものだからメールを打ち出す。たぶん電車が遅れていることを伝えているのだろう。もちろん私には何ら影響はない。そんなこともあるだろうからという理由で、定時より早く事務所に着くようにしているし、もともと歩くためにそれ以上の時間を取っている。それよりも遅れたくれたお陰で、その分本が余計に読めるというのがうれしいくらいだ。
 始発電車に座ると、おもむろに本とメガネを取り出す。新しいメガネをかけるようになってから、裸眼で本が読めなくなってしまった。もともと私は遠近両用のメガネが必要なのだそうだが、それが苦手である。見る距離によって目の位置を変えたり、首を上げたり、下げたりするのが億劫なのだ。幸い、遠くの方は裸眼でもある程度見える。もちろん昔みたいによくは見えないけれど・・・。だから今回手元がよく見えるメガネにしてもらった。それを重宝しているものだから、もうメガネなしで本を読むことが大変になってしまい、手放すことができなくなってしまったのだ。本とメガネがワンセットになってしまった。
 ただこのように本だけじゃなくて、メガネも取り出さなきゃならないし、家でも同じである。その分余計な動作が必要になるが、それ以上にやっかいなのは、このメガネをかけていると遠くが見えない。いや、足下もぼやけてしまう。だから仕事や読書、あるいは手元で何らかの作業したあとは、必ずメガネを外さないとならないのは少々やっかいである。まぁこれも慣れだろうから、そのうち何の違和感なしに、必要なときはめがねをかけ、そうでないときは外すことが苦にならなくなるだろう。
 今朝も降りる駅の一つ前を過ぎたら、おもむろにメガネを外し、ケースに入れ、本を閉じた。ただ帰りがちょっと大変だ。まず座れることはないので、電車に乗って、立ったままメガネを取り出しかける。そして本を取り出す。降りる駅に着く前に、メガネを外し、ケースにしまい、本もしまう。この一連の作業を揺れる電車で立ったままするのに苦労している毎日である。

 開高さんの分厚い本を読み終える。最初その厚さにたじたじになったけれど、読んでみると、面白く、また懐かしく、ページが進んだ。
 私は読んでいる本が終わったら次にこれ読もうと、次を楽しみにする方なのだが、時たまその予定が狂うことがある。今回もこの後北尾トロさんの新刊の文庫を読んで、次に明日発売になるポプラ社の文庫を読もうと決めていた。ところが帰りに書泉さんに行ったら、フォーサイスの新刊を見ちゃったのである。あ~あ!勘弁してよ!予定が決まっているのにと思ってしまった。私はフォーサイスの作品にはすべて付き合ってきた。ファンなのである。だから当然これを買わねばならないし、すぐ読みたい。
 ということで、急遽予定を変更して、フォーサイスの新刊を読み始める。
「その若いタリバンのボディガードは、携帯電話を使えば自分が死ぬことになるとわかっていたら、むろん、そのようなことはしなかっただろう。でも、かれはそのことを知らなかったために、携帯電話を使い、死んでしまった」う~ん、出だしからワクワクする。
 
 ところで、書泉さんのカバーに支店名が一件なくなっているのが気になった。川口にあった書泉ブックドームは今年の1月に閉店したのだ。ネットで調べてみると売上低迷のため品揃えが悪くなり、フロアをどんどん縮小していって、最後は閉店に至ったとある。川口の人もお店の状況を見ていて、「そろそろやばくねぇ?」と感じていたらしい。聞くところによると、もう一店舗もやばいと聞く。
 私がひいきにしている(ついにひいきにしていると言っちゃった)書泉ブックタワーも営業時間を延長したし、競合店も有隣堂だけじゃなくて、ブックファーストもできちゃったし、都内最大のブックオフもできたし、大丈夫なのだろうか?一昨日文庫本を二冊買ったけれど、あのしおりが一つは新しいデザインのやつだったけれど、もう一枚が以前くれたやつで、見覚えがある。気のせいか紙の色が変色していた。どこかの料亭じゃないけれど、何か残ったやつを使ってないか、なんて感じたのだけれど。杞憂であればいいのだが・・・。関係者の方、頑張ってくださいね。

2008年04月24日

思うままに その9

 探している本があった。古本じゃないのだけれど、書泉さんや有隣堂、book1stでは見つからなかった。だけど錦糸町のくまざわ書店で偶然見つけたのだが、その時買うかどうか迷って結局やめてしまった。でも後で気にかかりどうしても読んでみたくなった。いつもそうなのだ。欲しいと思ってメモ帳に書名など書いておくのに、どういう訳か実物を手にすると悩んでしまう。
 で、仕方がないので、アマゾンで買おうと思いアクセスすると、もう新刊ではないようで、古本となっている。(この場合新古本というのか?)アマゾンにあれば他に欲しい本があるから1,500円以上にして送料をただにするのだけれど、アマゾン登録の古本屋さんに注文となると、送料がかかるから、ばかばかしいなぁとまた悩む。
 かといって、一冊の本のためにわざわざ錦糸町に出向くのおかしな話で、どうしようかなと迷ったところで、そうだ!天下の三省堂ならきっとあるんじゃないかと予想する。でも出向いていってなければこれも徒労に終わるしと、またここであれこれ悩む。とにかく仕事の帰り行ってみるかと、営業時間をネットで調べていたら、店頭在庫をインターネットで確認が出来ることがわかった。おお~、これはすごい! さっそく調べてみると、本店に在庫があることがわかる。しかも棚番号まで書いてあるから、ストレートにそこへ行けばいいことになる。ついでに先日買い損なったシムノンの本も調べてみると、文庫であることがわかり、これも在庫があることがわかった。 とぼとぼと雨の中神保町に出かける。え~と、17列のAだなとメモしていた棚番号に行ってみるが、ない。おかしいなと思い、目をさらにして探すが、やはりない。何だよ、役に立たないなと思いつつ、そうだ!この本はイタリアでの生活をつづったエッセイだから、旅行書のところにあるかもしれない。事実くまざわ書店ではそこにあった。で、旅行書はどこじゃと探してみると、ありました。平台にど~んと積んでありました。ネットはいい加減だけど、さすが天下の三省堂である。在庫は豊富である。もう一冊も見つけ、レジに向かう。
 レジではいつも「三省堂カードはお持ちですか?」と聞かれる。持っていないので、持っていないと言う。でもこの三省堂カードというのは気になっていた。帰りに三省堂カードの申し込み書と案内をもらう。要はポイントカードなのだけれど、他に面白い利用法もあるみたいだ。会費は無料なので、加入してみようかと思った。
 ところで、買った本に三省堂オリジナルのしおりがはさまっていた。会計の時、入れてくれたのであろう。三省堂はよく他の企業とタイアップしてその企業の広告の入ったカバーなど使っているので、それかなと思って何気なくそのしおりを見てみる。しかしこれは三省堂オリジナルのしおりみたいで、なかなか渋くていい感じだ。書泉さんのしおりも結構だけれど、ちょっと奇抜なところあるので、使えない時もある。しかし三省堂のこのしおりはいい。落ち着いた感じだ。
 だいたい企業の広告が入ったしおりだと、ページを開くたびにそれが目に入るのでうざったくて仕方がない。正直やめて欲しいなと思っている。(こだわり過ぎかもしれないけれど・・・)
 広告しおりといえば、買ったシムノンの文庫にも広告しおりが入っていたのだが、旧三和銀行の広告の入ったものであった。こういうのもおかしなものだ。本は物持ちがいいといえば、そういうことなのだろう。だから店頭に並んだ古い本でも、挟まれた広告はいつまでも残ることになる。

2008年04月23日

激変秋葉原

 秋葉原の筑波エックスプレスの駅入り口にAKIBA TOLIMというビルがまたできた。その四階にbook1stができたというので行ってみた。私はbook1stという名前の本屋にはいるのは初めてだ。しかし最初に感じたのは、なんか狭いお店だなとということであった。そこに迷路のような感じで背の高い棚を置かれている。ビルの入り口は健康的に明るいのに、中は今はやりの“癒し”に徹しているのか、またそうすることでちょっと格調高く見せるためか、わざと照明を落としている。たださえ通路も狭いところに、棚の威圧感もあり、本が見にくい。またこんなに死角を作っちゃうと、万引きやり放題じゃないか。隣には都内最大と宣伝しているブックオフもできるから大丈夫なのだろうか?
 またデザイン的に見栄えがいいものだから、本を面陳列し、表紙を見せる方法で棚に並べられている。これも最近のはやりのようで、書泉さんもここのところやり始めている。ただ書泉さんの方はあまりかっこよくない。本の表紙を見せる陳列方法は、全体がきれいに見えて、はじめてきれいに見えるものだが、元々本をつっこんでおく棚だから、面陳列をすると一部隠れてしまう。まして下の棚など屈まないと見えない。それに棚が貧相に見える。実際昔の棚の方がボリューム感があった。
 さて、book1stである。迷路のような店内を歩いてみたが、とてもじゃないが本を探す気になれなかった。まだオープンしたばっかりだからか、仕方がないのかもしれないが、この地域にどんな本を置いていいのかわからないから、まんべんなく置いてみたという感じがしてしまう。たとえばジュンク堂みたいなスペースを持って、何でも置いてあるぞ!というならともかく、このスペースじゃただ無個性になってしまう。もう少し的を絞って個性的な本屋にしないといけないんじゃないかなんて思った。せめてオープン前に市場調査をするべきだったのではないかなんて思った次第だ。
 ということで、さっさと店を出て、階下の無印良品の方へ行った。
 ビルを出てみると、秋葉原も若い女の子が多くなったなぁと思った。サーティーワンのアイスクリーム食べて、キャッキャ言っている姿など、一昔前には想像もできなかった。そういえばリュックを背負ったオタクちゃんの姿も見えないな。たぶんここじゃ彼らも居づらいのだろう。
 この駅前は以前やっちゃ場があった。そこから出る段ボールを集めるリヤカーを引いた汚いおやじたちがそこかしこにいた。おやじたちはリヤカーに目一杯段ボールを積み、前屈みになって重いリヤカーを引いていた。いつも通行人のじゃまをしていた。しかしこうも駅前が衛生的になってしまうと、居心地が悪いのか、最近はその姿もあまり見かけなくなった。
 歩道を我が物顔でリヤカーを引き、疲れればどこでも止める。中にはリヤカーを住み処にして寝ていた。お店をやっていた頃は、こうしたおやじが店の前にリヤカーを止めるものだから、営業妨害され、よく喧嘩をしたものだ。
 オタクにしても、リヤカーを引くおやじにしても、彼らが秋葉原にいたのは、秋葉原が今と違いどこか薄暗いところがあったからここにいられたのだろう。
 私は消毒されて、健康的で、むやみに明るい街というのはどんなものかと思っている。モダンなビルが建ち並ぶところを歩いていると、妙に疲れてくる。日本の伝統文化である“陰翳礼讚”はどこへ行っちゃったんだろうと思っちゃうのだ。そういう私の方が異常なのだろうか?

2008年04月09日

思うままに その8

 「思うままに」という題名はかなり気に入っている。というのも面倒くさがりの私には、もってこいである。だいたいこうして文章を書く場合、題名は本文を書いた後考えることが多い。最初から題名を決めていて書くことなどほとんどないといっていい。書いた文章に題名を考えるのが結構大変なのだ。

 さて、今朝電車の中刷りにマックの“メガマック”があった。最近このメガというのをつけるのが流行っているようで、マックに限らず、丼物や新聞の文字も“メガ文字”などといって宣伝している。
 私の友人でコレステロール値の異常で強制入院させられて奴がいる。こいつ強制入院させられてにもかかわらず、この“メガマック”を熱く語るのである。私など、こんなの胃が受け付けないから、聞いているだけで胃がもたれてきそうだ。とにかく一度は食べないといけないと言う。まったくバカとしか言いようがない。50になっても、若い奴と同じようにこんなものを食って喜んでいる神経がわからない。いっそうのこと狂牛病で死んでしまえ!と言いたくなるけれど、こいつが狂牛病を発症するまでには、コレステロールの異常で脳梗塞か何かで先に死んじゃうだろうから、そんなの関係ねぇと言えば関係ないのかもしれないが・・・。
 でも、“メガ文字”は最近いいなと思う。ちょっと前までは、たとえばでかい文字で印刷された本を見ると、なんだか損をした気持になったり、こんなでかい文字でないと一冊の本にならなかったんじゃないのかと疑ってみたりしたものだが、今は大きな文字の文庫本など有り難いと思う。
 特に古本などを読んでいると、まず文字の細かさにうんざりしてしまうのだ。そして案の定、その文字の細かさで読むのに苦労する。とにかく長いこと読めないのだ。間違いなく老眼が進んでいる。めがねをかけても、そもそもそのめがねの度があわなくなっているので、多少読みやすくなっても、基本的には変わらないのと同じである。やっぱりめがねを作り直さないといけないようだ。

 私たち家族はみんなめがねを掛けている。近所のめがね屋さんで作ってもらっている。最近は駅前にもいくつかめがね屋さんが出来ているので競争が激しいのか、頻繁にそのめがね屋さんからダイレクトメールがくる。だからいつものめがねやさんでめがねを作り直してもいいのだけれど、このめがね屋のおやじの印象が我が家族で芳しくないのだ。我が家では“ペッ、おやじ”と呼ばれている。
 このめがね屋のおやじはめちゃくちゃ腰が低くて、ホント馬鹿丁寧である。ダイレクトメールでもねじの調整だけでも結構ですから来店下さいともある。
 しかし見られてしまったのである。うちのかみさんに。どうやらこのおやじ我が家の近所に住んでいるみたいで、自転車で我が家の前の道を通る。そのとき、ペッ!と痰を吐いて通り過ぎたらしい。あのおやじがである。とてもそんなことをするとは思えないおやじがである。その瞬間、うちのかみさんはお店での態度に疑問を持ってしまったらしい。つまりお店での態度はきっとうそだ!本当の姿は、道に痰を吐き出す非常識なやつなんだと見抜かれてしまったのである。それ以来めがね屋のおやじは“ペッ、おやじ”と呼ばれるようになり、店での態度が嘘八百で、腹の中では何を思っているかわからんやつと烙印を押されてしまったのだ。
 当然ここでもう、めがねは作るのをやめようという話になってくる。さらにひどいことにここのめがねの作り方もおかしいという話にもなってしまったし、値段も高いということにもなってしまった。おやじにしてみれば身から出たさびかもしれないが、たった一つの行為が家族5人分の客を失ったことになる。
 ということで今回私のめがねを作り直すのも、当然この店ではない。駅前に出来た新しいめがね屋となった。ところがここのめがね屋は“ペッ、おやじ”のところよりも馬鹿丁寧の二乗的な接客をする。まずは冷たいお茶を出し、私の目の具合を計る前に、店長がまず顔写真付きの名刺をくれる。その名刺がいかにもパソコンで作ったとわかる代物なのだが、とにかくいろいろ計測するのに何と一時間ほどかかる丁寧さなのだ。待っているかみさんには、その間備え付けの雑誌を差し出しくれ、暇をつぶしてもらう計らいよう。
 そして会計となるのだが、ここで担当者が変わり、別のねえちゃんとなり、また名刺をくれる。店長と同じものだ。やっぱり名刺は印刷したものの方が箔があっていいと思うのだけれど、どうであろうか?どうもパソコンで作ったやつは、まず紙がインクジェットでしみた感じになってしまい、ぶよぶよな感覚がある。それに二枚もお店の人の名刺をもらってもしょうがない。
 そして最後は我々が店に出て、ほぼ姿が見えなくなるまで、入り口のところで頭を下げている。ちょっとやりすぎのような気もしないでもないが、こういう接客を喜ぶお客がいるのだろう。こうまでしないとこの業界は生き残れないのだろうか?
 ところで肝腎のめがねの方だが、これが時間をかけただけあって、非常に見やすい。どうも私は乱視で右左の視力が極端に違うらしく、これが疲れの原因にもなっているらしい。今度のめがねは手元をよく見えるようにしてもらった。これで本を読むのもかなり楽になりそうである。
 ただここでレンズを合わせることも出来るけれども、レンズをフレームにあったように軽く、薄く仕上げるには、工場で仕上げてもらった方がいいというので、そうしてもらった。来週できあがる。楽しみである。

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2008年04月05日

思うままに その7

 処方せんを書いてもらうために病院に行く。ここのところちょっと胃に痛みがあるときもあるので、今回痛み止めが出た。そして今月19日に胃カメラ検査をやることとなった。まぁ仕方があるまい、とほほ・・・。
 天気もいいので、また神田の古本屋でも出かけようかなとも思ったが、コーヒーを飲んでいたら、なんだか気が変わり、そのまま帰る。
 で、かみさんと葛西にあるジャスコに買い物に出かけた。途中桜並木になっている道を通るが、もう桜の花が散り始めていて、それが風で舞って桜吹雪となっている。桜並木が結構長いこと続いているものだから、幻想的な感じであった。
 まずは餃子の王将で昼飯を食べ、そのあと、斜向かいにあるドトールでコーヒーを飲んでいると、“本”を逆さに描いた看板があるリサイクルショップが目に入る。個人がやっているのか、どこかのチェーン店とは違いこぢんまりした店である。本よりゲームソフトがメインで、地元の子供相手の店みたい思える。でも逆になってはいるけれど、本と名のっている以上、多少は本もあるだろうと思い入ってみた。やはり予想した通り、ゲームソフトやコミックが中心のようだが、それでも奥には書籍や文庫棚があり、きれいに並んでいる。これは予想外だった。そして文庫棚を見ていたら、阿刀田さんの探していた『好奇心紀行』を見つける。今まであっちこっち探してもなかったので、ネットで買うしかないかなと思っていたのだけど、こんなところで見つけるなんて、思わなかった。早速棚から取り出しレジへ持っていく。予想もしていないところで、探していた本が見つかるのは、結構うれしいものである。
 家に帰り、くつろいでいたところ、埃っぽくなっているサーバーが気にかかる。きっと中も埃がたまっているんだろうなぁと思い、ちょっと掃除をしてやろうという気になった。
 私のサーバーはDELLのPower Edge420SCというやつで、ものすごく安く手に入れたものだ。こやつ安い割には働き者で、文句も言わず働いてくれている。会社の事務所においてあったときは、埃など気にかからなかったのだが、自宅においてあると、どうしても家庭内の埃がついてしまうようだ。久しぶりに電源を落とし、配線を外し、本体の中身を開けてみると、埃がたまっている。まずはエアーダスターで奥に入った埃を吹きだし、それを掃除機で取り除く。なんか風呂上がりのすっきりした感じに見えた。ちょっとは喜んでくれたかもしれない。きっともう少し長く働いてくれることだろうと期待しつつ、配線をし、電源を入れる。
 サーバーや周りをきれいにしたら、今度は隣にあるデスクトップの埃が気にかかった。今、私はほとんどこのデスクトップは使わない。いつもノートパソコンで作業しているので、デスクトップの方はほとんど気にしていなかった。この際だからついでに掃除をしてやろうと思ったのだけれど、こっちは配線が入り組んでいるし、周辺機器もいっぱいくっついているので、掃除を始めると、大がかりになる。時間的に厳しいと思ったので、明日に回す。
 ということで、明日やるべきことが、本を読む以外に一つできた。

2008年03月22日

春の古本屋巡り

 東京の桜が開花したそうだ。天気がものすごくいいので、ちょっと古本屋さんでも歩こうかなとふと思う。そうだ阿刀田さんの本を探してもいい。思い立つ日が吉日である。花粉症のマスクを持って出かけた。いや~本当にいい天気だ。歩いていて気分がいい。これで花粉がなけりゃもっと爽快な気分になれるのにと口の周りを被っているマスクを鬱陶しく思いながら歩いた。
 神保町の古本屋さんをまずはワゴンの中にある文庫本などを見て、それから店内に入って棚にある本を眺めてみる。巌南堂書店に入る。開高健さんの本がある。ここにある本はすべて、所有しているのだが、値段が気にかかる。たとえば文藝春秋社の『私の釣魚大全』はなんと6,000円とある。私はかなり前に初版本じゃないが同じ本をかなり安く手に入れたと思う。初版本じゃなかったからそうなのかなと思ったが、私は初版本コレクターじゃ別にないので、関係ないがそれでも6,000円は高いなぁ。ガラスケースには、開高さんのサイン本が数点並べられていた。開高さんのサインがあると万単位になる。開高さんのサイン本は持っていないのでちょっと欲しくなるけれど、自分の財布の中身と分相応じゃないなと思い諦める。
 それにしてもさすがこのガラスケースに並べられた本はきれいだ。真新しい本にはない風格がある。ちょっとした美術品みたいである。そういえば今読んでいる司馬遼太郎さんの本に「新刊本には新鮮な果実のような魅力はあるが、こくのある醗酵食品のような古本の魅力に、しばしばおよばない」と書かれていたが、まさにその通りだと思う。
 さて、ゆっくりと靖国通り沿いにある古本屋さんを歩いて、まずワゴンから箱入りの旺文社文庫を手にした。長谷川博隆さんの『シーザー』である。確か長谷川さんは先日読んだ『ハンニバル』を書いた著者だったはずだ。だからこの本は買いだなと思い、読んだ後“シーザー萌え”の大野さんに差し上げてもいいしななんて、勝手なことを思いながら100円を払った。
 旺文社文庫って、もちろん今はないけれど、このように箱入りの文庫本だった。私も一冊ぐらい箱入り旺文社文庫を持っていたと思うが、文庫が箱入りなんて面白い。それ以外に図書館用にごっついハードカバー装丁で文庫本も出していたように記憶している。
 こうして棚の本を見ているとなんだか昔の友人に会ったような気がする。
 私が本屋に勤めたのはもう三十年以上も前のことなのだが、当時勤めた本屋さんの棚にあった本が今古本屋さんに並んでいる。古本屋さんの棚を見ていると、“ああ~こういう本があったよなぁ”と懐かしくなるのである。また自分が以前持っていた本で古本屋さんに売ってしまった本など見つけると、“そうそうこの本読んだよなぁ”と思うのだ。
 当時勤めていた本屋さんの棚に同じように並んでいた本が、今では片や古本屋さんのお店の棚にパラフィン紙などつけて大切に扱われ、片や外の吹きさらしのワゴンの中に100円均一で売られ、まったく待遇が違うのは面白い。三十年という月日が本の価値を変えてしまったのだ。

 さて阿刀田さんの文庫本が案外見つからない。やっと探しているエッセイ集を一冊を見つけたくらいだ。値段は315円。まぁいいところだろう。面白いもんで、この後行った東京堂のふくろう店で「ふるほん文庫やさん」が出店している。ここでは絶版の文庫本を置いていたのだが、同じ本が680円となっていた。これを見たとき“得したな”と思った。ちょっと前にここで岡茂雄さんの『本屋風情』を見かけたのだけど、高かったのでやめた記憶があるが、どうも「ふるほん文庫やさん」は値段が高いような気がする。
 昼飯を食べていなかったので小諸そばを食べる。実を言うと私はここのかき揚げそばが好きなのだ。時計を見るとまだ二時前である。天気もいいし暖かいし、もう少し足を伸ばして早稲田の古本屋さん巡りをしようかなと思ったのだが、さっきから腰に軽い痛みを感じていた。ここのところ疲れがたまっている。あまり無理をするなという警告かなと思い、無理すると後で大変なことになるのはわかっているので、ここで切り上げた。早稲田の古本屋さん巡りは今度にしようと思う。

2008年02月08日

再び売上スリップにつて

 売上スリップについて、そのままにして万引きと間違えられたことはもう一つのブログに書いた。またこの売上スリップのことを書きたい。妙に売上スリップにこだわるじゃないかと言われそうだけど、別にこだわっている訳じゃない。ただ懐かしくもあり、おかしくもあるから書きたいだけなのだ。
 この売上スリップの構造は、片割れが補充注文書になっており、もう一方が報奨金になっている。(もちろんすべてそうだというわけじゃなく、報奨金がついていないものも数多くある)
 つまりお客さんがレジに本を持ってきたら、店員はまずこの売上スリップを抜く。書店のカウンターには必ずこの置き場所がある。で、ある程度一杯になると、それぞれ切り離し、まずは補充注文書から売れた本の補充をする。お店のストッカーに在庫してあるものがあれば、そこから引っ張り出し、なければ、それを問屋の注文に回す。
 時にはお客さんが持ってきた本に売上スリップが外れてしまってないものもある。その場合その後補充が出来なくなり、欠本のまま機会損失につながるから、必ずその本の書名などを書いておかないといけない。今はポスレジやVANもあるから、売れればそのまま問屋に注文にすぐ回せるから、それほど神経質にならなくてもいいのかもしれないけれど、私が小さな書店員の時はそうしていた。いや今でも中小の本屋のおやじさんはスリップの注文書を束にして問屋をかけずり回っていることだろうと思う。
 スリップの片割れが報奨金になっている。文庫だと多分一枚一円だったと思う。これを百枚数えて一組にして、出版社送る。そうすると郵便為替で報奨金が届く。今はやっているのかどうか知らないけれど、新潮社は、文庫の売上上位店を海外旅行に招いたりする。当社も景気のいいときなどは招待された。私はそれで香港へ行った。
 またたとえ報奨金がついていなくとも、その出版社の売上スリップをまとめて、出版社に送る。それは自分の所ではおたくの出版物をこれだけ売りましたよと出版社にアピールすることで、少しでも新刊の配本や注文をよくしてもらおうという主旨からそうする。中小書店のむなしい行為なのである。
 しかしこの売上スリップの管理が結構大変なのだ。ただでさえ中小書店のおやじさんは店に立ったり、注文書を問屋に探し回ったり、あるいは本を配達したり、時間がない。必然的に休みを利用して、せっせと売上スリップを振り分け、まとめている。まぁ、まとめるだけ能がない。スリップをまとめると、自分の所の売れ行き動向も把握できる。それを使って月刊ベストなど作ったりする。
 ということで、これをやり出すと結構な時間を要することになる。昔お店の責任者を負かされていた頃は、未整理の売上スリップを家に持ち帰り、部屋中広げてまとめていたことをふと思い出した。当時は何をするにしてもすべて手作業の時代だったんだなと改めて思ってしまう。でも、手作業で苦労していると、嫌が上でも本の知識が身につき、それが頭に焼き付いて、いっぱしの書店員になっていたと思う。今みたいに何を尋ねても、ちょっと待ってくださいねといいつつ、パソコンで検索するのとは訳が違う。これだとパソコンが操作できて本が好きな奴なら簡単に書店員になっちゃう。コンビニの店員となんら変わらない。そんなもんじゃないだろうと声を荒げて言いたいのだけれど、時代がそうしちゃっているのだからどうしようもない。たぶんどこの業界でも似たような現象は起こっているのではないか?スペシャリストは養成するには時間とお金がかかる。そして彼らが一人前になったらなったで、今度は彼らを雇い続けるにはコストがかかる。だったらスペシャリストはいらない。将棋の駒みたいな奴で結構ということになる。後はコンピュータとマニュアルがあれば何とかお店を維持できるシステムを構築すればいいだけなのだ。

 話がずれた。そんなことを書くつもりではなかった。売上スリップの件である。
 ところでアマゾンで本を注文すると、売上スリップがついたまま届く。アマゾンはこの売り上げスリップをそのまま読者に渡しちゃうのだから、報奨金の部分は放棄したことになるのだろう。でも考えてみると、一枚一円を数えて、まとめる手間を考えれば、報奨金よりコストの方がかかるのは必然的だ。だったらやらない方がましなのはわかるような気がする。なに、一枚一円、けっ!といったところだろう。
 注文だって間違いなくコンピュータ管理しているはずだから、入庫と在庫はリアルタイム把握出来ているはずだ。発注点を決めておけば勝手に注文してくれることだろう。
 アマゾンにとって文庫の売上げスリップはゴミでしかなく、抜き出すにも手間がかかるし、抜きだせばどこかに捨てなきゃならんのだから、それならそのまま読者に渡してしまえ!きっと読者はしおりとして使うんじゃないのというぐらいの扱いなのだろう。もちろん出版社にゴマをする必要もない。
 ただたとえば限定出版や高額商品につく報奨金の額はちょっと馬鹿に出来ないような気がするので、このあたりはどうなっているのか知りたいところだ。フランス書院のエロ文庫など一枚十円だけど、これまとまると案外馬鹿に出来ないような気もするが、考えてみればアマゾンでエロ文庫を注文する奴はそういないかなんて思い直す。

2008年01月27日

本の注文をして、新しいページを開くとき

 ここのところアマゾンで何回か本の注文をしている。昨日も二冊文庫本が届くはずであった。家に帰ってみると、確かにアマゾンから荷物が届いている。ところが、文庫本二冊の割には、大きな箱で届いた。思わず「やべぇ!文庫本じゃなくて単行本を注文しちゃったかな」なんて一時不安になる。しかしよく考えてみると、注文した本は文庫本でしかないはずで、単行本が届くはずがない。で、開封してみると、底の方に文庫本が二冊梱包されて入っている。とりあえずは一安心した。けれど、たかが文庫本二冊でこの梱包はないでしょうと思う。私の方は送料無料だから、どんな梱包でもかまわないけれど、何かもったいない気がしてしまう。
 以前にも書いたけれど、私はアマゾンでの注文に関しては、賛成派である。いいと思っている。ところがリアル書店の方々は苦々しく思っていらっしゃるようだ。本は本屋さんで買ってねというのが彼らの主張である。もちろんそうだと思うけれど、しかしその本屋さんに求めていた本がなかったから、アマゾンで注文したのだ。といって本屋さんの品揃えが悪いなんて思っちゃいない。これは仕方がないと思っている。だって私が今回求めた本自体が絶対に棚に常備されている本じゃないからだ。
 こう考えると、本屋さんが読者のニーズにいかに応えるかというのは、むずかしい問題のような気がしてしまう。どんなお客さんが来るかわからないし、そのお客さんがどんな本を求めているかもわからない。しかも本そのもののアイテム数があまりにも膨大である。その上店そのものスペースも限られている。となればお客さんが多分求めているだろう最大公約数を店に並べることになるのは仕方がない。その為それが裏切られれば、品揃えの悪い本屋だということになってしまうわけである。
 で、お店でなかった本を注文することになるのだが、これがまた面倒くさい。しかも馬鹿な書店員を相手にしなきゃならないので、鬱陶しい。何とか手続きを済まし、一週間から二週間待つことになる。はっきりした入荷期日がわからない。入荷したらしたで、また足を運ばなければならない。
 最初は私も元書店員として、本の注文は本屋さんでしていた。けれど、アマゾンの注文を覚えてしまうと、とてもじゃないがそんな面倒なことはやってられなくなってしまう。アマゾンはネットで注文すれば、入荷期日がある程度はっきりしている。しかもメールで出荷したことも教えてくれる。支払もカード支払なので、受け取るだけでいい。
 ただ自分が注文した本から、こんな本もありますよと教えてくれるのはちょっとまずい。ついつい誘惑に負けてしまいそうになり、ほぉ~こんな本もあるのかと触手をのばしたくなっちゃうのだ。そこはしっかりとした意識を持って拒否させていただく。
 ということで、ここのところアマゾンからのメールが多い。先日はアマゾンと契約している古本屋さんから古本を買ったので、その古本屋さんを評価してくれというメールが届く。そのときは二冊古本を買ったものだから、それぞれの古本屋さんはどうだったかを教えてくれと二通のメールがあった。基本的に届いた本に関しては満足していたので、最高評価をして返信した。

 アマゾンのこうした丁寧な対応をみていると、リアル書店のあり方がむずかしくなってくる。どんな読者にも対応できるほどの在庫を持ったジュンク堂みたいな本屋さんしか生き残れないんじゃないかなんてやっぱり思ってしまう。ただジュンク堂で欲しい本を探すのは結構大変なので、在庫を膨大に持てばいいというものでもない。探すだけで疲れちゃうのだ。
 こうなってくると、欲しい本があれば、これからはまとめてアマゾンで注文しちゃおうかなんて今考えている。そこで思うのだけれど、アマゾンの存在を苦々しく思っているリアル書店の方々、特に中小の書店のおやじさんに言いたいのだけれど、あなた方アマゾンで本の注文をしたことがありますか。けしからんと思うだけで、アマゾンで本の注文をしたことがないのではないか。一度アマゾンで本を注文してみれば、あなたの店の対応がいかにひどいものかおわかりになるんじゃないのですか!まずは敵を知るべきである。

 さて、その注文をした本を開く。本の最初の一ページ目って、ちょっと緊張する。この本が期待しているような本なのか、どうか。それによってページが進むか、進まないか、結構最初の書き出しににかかっているように思える。うん!なかなかいい感じじゃないか。このまま面白くなればいいのだけれど・・・。
 それより先ほど読み終えた本のことをブログに書く原稿がうまくまとまらない。どう書けばいいかなぁと悩んでいる。今回もパスしちゃうかななんて、そんなことが頭をよぎる。

2008年01月15日

新小岩

 先週からかなり寒い日が続く。通勤途中が寒いのでそれまで着ていたコートからオーバーコートに変え、手袋をするようになった。今までほとんど手袋なんてしたことがなかったのだけれど、なんか急に欲しくなった。手袋をはめるとどうしてもぱんぱんと両手をたたきたくなるのは何でだろうか?

 さて、昨日新小岩に行った。ほんと久しぶりである。今は都営新宿線の駅が近くにできたので、JRは私用ではほとんど使わなくなった。それ以前は東京メトロの東西線を使っていた。
 私が新小岩駅を利用していたのは、東西線や都営新宿線がまだこちらまで開通していなかった頃で、その当時はどこに出かけるにしても都バスで新小岩駅まで行き、そこから国電に乗るためであった。だから新小岩は身近なところでもあった。
 中学、高校と写真をやっていたので、現像液などの消耗品を駅前のカメラのタカノで買っていた。今はここはなくなっており、ゲームソフト屋さんになってしまっている。駅横には、西友があって、屋上には映画館もあった。よく怪獣映画をここで見たものだ。映画館の横には喫茶店もあって、高校時代かみさんとここに入ったこともある。確か冬の寒い頃だったと思うけれど、ふるえながらクリームソーダを二人して飲んだことを覚えている。その後駅から二人でとぼとぼと自宅まで歩き、帰った。今は西友も食品館だけになってしまい、建物はそのまま残っているけれど、ほとんどが飲み屋と食べ物屋となってしまっている。
 駅前は相変わらず狭いロータリーなので、車を止めるところがない。近くのコインパーキングに車を止めて、アーケード街を歩いた。ここはほとんど昔と変わっていないようだ。もちろん細かく見れば、店も変わっているのだろうけれど、最近よくある商店街のようにシャッターが閉まったところはない。結構人も歩いている。年寄りが多いが、中には若い奴も歩いている。
 第一書林もあった。昔よくここで学参を買った。当時ここが一番参考書が揃っていた。一階、二階とあり、店の形が逆L字の入り口より奥に伸びた店であった。ブックカバーがカッパの絵が描かれた茶色のものであった。今もそのカバーなのだろうか。本でも買ってカバーをつけてもらいたかったが、あいにく欲しい本がなかった。
 そして今は奥の部分がなくなって当時より狭くなってしまっている。近くにきれいな競合店ができているので、結構厳しいのだろうか。品揃えも貧相で、当時の面影はない。
 自分の会社が本屋をやっていて、まだ勢いがあった頃、問屋の日販に接待を受けたことがある。多分そのときだと思うのだが、我が社の担当の森下さんが、この新小岩のアーケード街に自分の行きつけの店があるといって連れて行かれたことがある。それがどの辺なのか今では見当もつかないけれど、たしかアーケード街の横の道を入ったところだったと記憶しているが、それ以上はわからない。どんな感じのお店だったのかもよく覚えていない。ただ自分の知っている人が新小岩に止まり木を持っていたことが妙に新鮮だった記憶があるだけである。あの店は今もあるのだろうか?
 その後森下さんは営業から店売の係に変わってしまい、店売の商品を並べていたけれど、なんか元気がないように感じた。そういえば日販のおつきあいのあった方々はどうしていらっしゃるのだろうか?当時それなりの年齢だったからもう退職されているのだろうか?それとも偉くなられて、残られているのだろうか?

 ということで、ここを歩きながらいろいろなことを思い出す。かみさんが買い物をしている間、寒い中ゆっくりとアーケード街を歩いた。昨日は成人式だったので晴れ着姿女性が寒い中歩いていた。古めかしいアーケード街にちょっとした華がある感じで、なかなかよかった。

2008年01月06日

余裕のある生活をめざして

 正月これといって何するわけでもなく過ごしてきたせいか、今日午前三時に目が覚める。まだ三時だから寝ようと思っているうちに、だんだん目がさえてくる。仕方がないので起き上がり、コーヒーを入れ、こうしてパソコンに向かっている。
 結局正月休みも一冊も本が読めなかった。でも、散歩がてらブックオフに行って、これといって目的もなく本棚を眺めていたり、あるいは自分の本棚を眺めているうちにちょっと頑張って読んでみようかなという気持ちになりつつある。
 先日書いたように、今年はのんびりと本を読もうと思っているので、学生時代読めなかった本などじっくり腰を据えて読んでみてもいいんじゃないかなんて思っている。
 考えてみると、いつも新しい年を迎えて思うことはこの「のんびりと過ごす」ということを思うような気がする。毎年そう思うということは、そのように過ごせていない証拠なのだろう。そして一年が終わって、へとへとに疲れている自分を見出す。でもいい加減、この歳になってくると、がむしゃらに生きるということはできなくなってくる。そもそも持続力がない。そして思うような結果が見いだせず、イライラしてしまうし、焦ってしまう。この繰り返しだったような気がする。楽しい時間を過ごすことがだんだんできなくなっちゃうような気がしてきて、これはやばいなと思うのだ。

 届いた年賀状を見ていると、一言近況など書かれていて、へえそうなんだ思えるものが何枚かある。わずかな記述なんだけれど、そう思わせてくれるだけでも、なんか有り難く感じてしまう。捨てたもんじゃないな。私みたいに半ば仕方がないから書いたのとは基本的に異なる。面倒だけれど仕方がないと思いつつ書いているのと、確かに面倒なのだけれど、それでもそれを書くにあたりちょっと椅子を座り直して書いているのとの違いだ。気持ちの持ち方に大きな差がある。
 結局自分に余裕がないから、面倒だと思うのだ。すべての面で自分の余裕のなさが表れてしまい恥ずかしくなってくる。
 だから今年こそは自分に余裕のある一年を過ごしたい。できる限りイライラせずおおらかな気持ちで一年を過ごせればと思うのだ。そんな中で自分がこれから先本当にやりたいことは何なのかその一端でも見いだせれば自分にいいんじゃないかと思うのだ。ブレーキをかけながら過ごしてみたいのだ。人は人。自分は自分だもんね。

2008年01月03日

新しい年を迎えて・・・

 ブログを始めるようになってから、下書き用のファイルを用意して、一年間それを使う。そして新しい年を迎えると、新しいファイルを作る。最初は一太郎を使っていたのだが、その下書きをそのままコピーして使うと、変に改行されたり、文字の間があいてしまったりするので、秀丸を使ってテキストファイルで残すことにした。以来、今年も一年間この秀丸を使って、「書きかけ-日々是好日(2008).txt」を用意して、この文章を書いている。まずは、


新年あけましておめでとうございます。今年もよろしくおねがいいたします。


 新年早々、昨年のスランプを引きずっており、年末から新年にかけて、一冊も本が読めない状態である。これは昨年の11月あたりから続いており、自分でもどうしようもない状態に陥っている。
 で、どうしてそうなってしまったか自分なりに考えてみた。
 昨年、密かに一年間で100冊本を読んでやろうと企んでいた。もっとはっきり言うと、一昨年もそう思っていた。しかし一昨年はそれができなかったので、昨年リベンジじゃないけれど、頑張ってみようと、私にしては結構ハイスピードで本を読んできた。といっても本を読むペースは決まっているようなので、後は本を読む時間を一日のうちどれだけとれるかで、読める冊数が決まってくる。そのため仕事以外ではほとんど本を読むことに費やしてた。これがまずかった。いつの間にか本を読むことが義務になり、それがストレスとなってしまったのではないかと思うのだ。
 年間100冊なんて私には無理だと分かった。無理なことをしたって仕方がない。しかもこうしてブログに書くとなれば、それだけで結構時間を必要とする。焦っているうちに時間がなくなっていき、最後は本も読めない。そしてかろうじて読んだ本のことも書けなくなってしまった。
 そのため今年は無理なことをせずに、のんびりと本を読むことにした。そして読めるまで開店休業になってしまうけれど、それも仕方がないと思っている。
 好きで本を読んでいるのにそれがストレスになってしまうのでは、話にならない。とにかくのんびり、気ままに、余裕をもって今年はやっていきたいので、更新はかなりペースダウンすることになると思います。ですから思い出したときで結構ですから、ちょっと覗いてくれれば有り難いです。
 とにかく新しい年はスタートしました。私はスタートダッシュはできそうもありませんが、何とか最後まで同じペースで完走できればいいなぁと考えております。