2006年06月14日

ほぼ完成!

 約3週間かかって、Movable Type を3.2にバージョンアップし、スタイルもほぼ完成した。やむにやまれずMovable Type をバージョンアップしなければならなくなったときは、正直目の前が真っ暗になってしまった。できればこのまま対処できるなら、その方がいい。何とかならないかとさえ思った。バージョンなんか新しくなくてもいい。要は書き込む器として自分のブログがあればいいだけのことなのだ。
 今回もかなり大野さんの手助けを頂いて、ここまでたどり着くことができた。何とか形だけでも早く決めたいと思うので、本よりもブログの作成に力を注いでしまった。お陰で本が読めない状態になっており、いささかこの部分でもストレスがたまってしまっている。
 でも、ひとたび形が決まれば後はいつもの通り書き込めばいいので楽である。頼むからいたずらはやめてくれよなぁ。余計な労力は使いたくないのだ。おじさんはこれだけでもかなり疲れ切っているのだから・・・。

2006年06月10日

ブログのお勉強

 世間ではワールドカップや秋田の児童殺害事件やシンドラーのエレベーターの事件(このお陰でエレベーターに乗るときついついこのエレベーターはどこのやつだろうとメーカーを見ちゃうけど・・・)と、何かと騒がしい。
 けれど私はほぼ1日かけてブログのお勉強をした。久しぶりに自宅のパソコンの前に長いこと座っていた。自分のブログをカスタマイズしようと思ったわけだ。
 もちろん私にできることなんてたかがしれているので、大したことなどできるわけがない。それでもせっかくMovable Type3.2にバージョンアップしたのだから、ちょっとくらい知識を仕入れてた方がいいだろうと思ったのだ。
 で、『Movable Typeでつくる!最強のブログサイト』 という本を買った。


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 これを参考して、私ができるカスタマイズをやってみた。今あるブログはちょっとシンプルすぎるかなあと感じてもいるので、もう少し派手でもいいのではないかと、本を参考にしながら、ああでもない、こうでもないと、わざわざ練習用のブログを作って試してみた。全体にカラーを付けてみたり、バナー(タイトルのところ)にネットで拾ってきたフリーの写真を使ったりしたのだが、どうも何か不自然であった。自分のものという感じがしないのである。いかにも借りものといった感じで、よろしくない。
 悪戦苦闘の末、やっぱりシンプルイズベストで、今までの方が自分らしいという結論に達した。ただ、カレンダーは欲しいなぁと思ったのでそれをちょっと付けてみた。(ちょっとと書いたが、かなり苦労した)

いいじゃないか!

 このブログのスタイルはあくまでも「器」なのだから、いくらこったものにしても内容が伴わなければバランスが悪い。書いている自分がそれほど大したことを書いているわけじゃないのだから、こんな感じがいい。見かけ倒しじゃみっともない。
 以前のバージョンは一度決めたら、そのままいたずらされるまでそのスタイルを続けた。これは私の飽きっぽい性格からするとめずらしい。すぐいろいろといじりたくなって、結局失敗するパターンが多い。けれど今回はそんなことがなかった。たぶんスタイルより中身の内容に最大の関心があったからだろうと思う。スタイルのことより中身の充実を自分なりに考えてやっていたからだ。もちろん形も大切だと思う。けど、私の能力では、両方に時間がかけられない。だったら好きな本のことを書いていた方がいいので、そうしたまでのことなのだ。
 たぶん今回も形が決まったら、こんな感じで問題が起こるまで続けるような気がする。逆に急にスタイルにこだわり始めたら、中身に興味が失った証拠でもあるわけだから、その時は「おぃ!中身は大丈夫か!」文句でもつけて下さい。

2006年06月01日

マイスターシュテュックMB149

 毎朝「ズームイン!!SUPER」を見ている。その番組のコーナーに「新聞の見方」というのが好きで、辛抱治郎さんと橋本五郎さんの解説が面白く、ためになるのでついつい真剣に見てしまう。その橋本五郎さんが新聞をさすとき、万年筆を使って新聞を指し示しながら解説する。その万年筆が気になってしょうがない。何となくモンブランの万年筆に見えるが、どうだろう?
 沢野ひとしさんが万年筆のことを書かれているが、それを読んで、気になっていた自分の万年筆を取り出してみた。モンブランのマイスターシュテュックMB149である。

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 私のもっているこの万年筆は太めのボディで、手によく馴染み、書き味も悪くはないが、ただ通常のノートに文字を書くときはちょっと太く書けてしまうので、罫線から文字がはみ出てしまう。それでも気どって文字を書いていたが、どうも罫線からはみ出る文字が気に入らなくなってしまった。元もと字はきれいに書けないので余計である。そんなことでいつのまにか使わなくなった。
 もう1本モンブランの万年筆をもっていたがそれは細字のもので、大学の卒論を書くときに使った。当時つきあっていたかみさんから誕生日プレゼントしてもらったものである。ところが結婚して娘が生まれ、いたずら盛りの時、ペン先をつぶされてしまった。しばらくたってから万年筆屋さんに直してもらっているので、使おうと思えば使える。
 さて、そのマイスターシュテュックMB149である。何となく使いたくなった。こうして自分のブログに文章を書くようになって、下書きをノートやプリントアウトに失敗したA4の紙の裏に書くようになったので、筆記用具が必要になったのである。それまでは調剤でもらった持つところが太めのボールペンを使っていたが、この万年筆でもいいのではないかと思ったのである。
 この万年筆、インクが吸引タイプのもので、確かあったはずのインク瓶を探し出し、万年筆にインクを入れる。なかなかいい感じだ。この万年筆にインクをいれるという作業が好きだ。テッシュを数枚用意して、手にインクが付かないよう慎重に万年筆のペン先をインク瓶に入れて、インクを万年筆に入れていく。本体についたインクをテッシュで拭き取り、書き味を試してみる。

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 いいじゃないか・・・!

 しまい込んで使わずにいるよりは、こうして使われる方がこの万年筆もいいだろう。下書き用にはいささか贅沢ではあるが、書き心地がいいのでこれから使うことにした。

2006年05月30日

相変わらずいたずらは続いているようだ

 サーバーのAN HTTPDのログを見てみると、相変わらずいたずらは続いているようである。今のところ手をつけていないBBSには変な書き込みがされている。まぁよくも懲りずに同じことばかりできるもんだと呆れかえる次第だ。多分自動書き込みソフトかなんか使って、書き込んでいるのだろうが、そんなことをして何が楽しんだろうか?自分がやっていることがみんなで嫌がられているのに馬鹿な奴だ。しかも自分の正体を明らかにしないで、卑怯きわまりない。
 ご丁寧に、パスワードまで設定して、簡単に削除できないようにしている。しかしこっちは管理者権限で、ごそっと削除できるのに・・・。あまりにも悪質なので、BBSのフォルダー名を変更した。これも近いうちに何とかしないといけない。
 しかしブログのバージョンアップをやむなくせざるを得なくなった関係で、『街道を行く』の7巻について書いていたのが途中で中断してしまった。こういうのって、気持ちの持続がどうしても必要なので、変に中断したので妙な具合になってしまった。これもいたずら者せいである。残念である。

2006年05月29日

何とかここまでこぎついた・・・・

 ふっ~、やっとここまでたどり着いたという感じである。この休み、このブログのとが気になって気になってしょうがなく、途中で中断しても、ブログのことが頭から離れない。結局2日がかりでここまできた。
 とりあえずMovable Type が3.2の動作確認ができたし、こうして新しいスタイルができて、ちょっと満足している。
 じつはこのスタイル偶然できあがっちゃったのだ。最初気に入ったテンプレートをダウンロードして、同じようにしようと思ったのだが、どういう訳かうまくいかない。同じようにならないのだ。理由はスタイルシートの構文が違うからだが、でもできあがったスタイルは悪くない。シンプルで飽きがこないんじゃないかなんて思ったのだ。なまじこったものにすると、すぐ飽きが来ちゃって、あれこれいじりたくなってしまうから、この方がいいような気がするのだ。ブログはみてくれじゃない、内容だ!なんて中身のないことばかり書いているくせに、そんなことを思った次第だ。
 まだまだ修正しなければならないところがたくさんあるが、少しずつ直していこうと思う。
 自分のブログがいたずらされることから始まったバージョンアップだが、お陰で、本も読めないし、テレビも見ずに、これにかかりっきりになってしまった。読みたい本もたくさんあるし、読んだ本のことも書きたいし、やりたいことがたくさんあるので、こればかりに時間を割いてばかりいられない。
 それにしてもブログのバージョンアップをしていると、不思議な感覚にとらわれる。ファイルの修正は自宅のパソコンからやっているのだが、まるで自宅のパソコンの中にあるファイルをいじっているように感じてしまう。しかしそれは遠く離れたサーバーの中にあるファイルをいじっているわけで、自宅のパソコンの中にあるファイルをいじっているわけじゃないことに気が付く。改めてネットに通じていることのすごさを感じてしまった。 それとファイルの修正はエディターでやっているのだが、そのエディターの「秀丸エディター」は本当に便利だと、これも改めて感じた。
 今この「秀丸エディター」がないと、こうして文章を書くにしても、ファイルの修正をするにしても、不便だろうなと思う。

2006年05月23日

まったく、頭にくるなぁ・・・

 DELLからPower Edge420SCの保守サービス契約期間終了のお知らせが来た。そうか、このサーバーを買ってもう1年たったんだ。
 それまであれこれホームページを作ってきて、頻繁にスタイルを変えたり、ホームページそのものを全く違うものに変えたりしてきた。つまり作っては、変え、あるいはやめてきた。考えてみたら、それまで作ってきたホームページは1年も続かなかったのだ。
 最初はプロバイダーから提供される領域でFrontPageを使って作っていた。結構手間がかかった。それをブログに変え、現在に至っている。さらにそれをMovable Type にするにあたり、このサーバーを買い、もうすぐ1年になるわけだ。実際これを稼働するのは7月からだが、その間細々とやってきたことになる。昔ならすぐ浮気ごごろをおこして、あれこれいじって変えてしまうのだけど、ここのところそういうことが面倒になってしまっているし、現状に満足しているので、そのままできた。おそらくこれからもこのままスタイルは変えないだろうと思う。

 ところでここ何日間、いたずらのトラックバック、コメントの書き込みがあって頭を痛めている。まったく何の目的でこんなことをするのか理解に苦しむ。こんな私のブログに悪戯したってしょうがないじゃないかと思うし、そんな暇があるならもっと建設的なことをすればいいのにと思う。
 コメントの書き込みは私が許可しないと掲載されないので、アホな書き込みはそのまま放って置いて、後でまとめて削除しちゃえばいいので問題はないのだけど、トラックバックは打たれた瞬間、ここに載っちゃうので厄介なのである。
 大野さんのブログにも悪戯のことが書かれていて、いろいろ対策を立てられている。相談してみたら、Movable Type 3.2にバージョンアップすることをすすめられた。しかしやり方を聞いてみると、これが厄介である。そう簡単にできそうもない。しかも聞いてみると、スタイルも変わってしまうとのこと。これは困った。かといってこのまま放っておくこともできないし、どうしたらいいのだろうか?


 とりあえず、トラックバックは「休止」します。


 ブログを見ていただいて、トラックバックが打てないというのは何だか申し訳ないのだけれど、事情が事情なのでお許し願いたい。

 サーバーが1年間黙々と動いてくれているお陰で、こうしてブログが維持できるのだけど、一方でこんないたずらにさらされているのを思うと何だか申し訳なくなってしまう。
 大声で怒鳴りつけたい気分なのだけど、それを表現すれば相手の思うつぼだろうから、ここは黙って対処するにこしたことがない。

2006年05月20日

検索

 考えてみると、本というのはデータベース化するにはもってこいの商品じゃないかと思う。つまりこれだけアイテム数があって、次から次へと出版されていき、どんどん消えていく訳だから、1冊の本を探す場合、きちんとしたデータベースがあれば便利でいい。
 そんなことを思ったのは、有隣堂にあるタッチパネルの書籍の検索システムに感心したからだ。
 北尾トロさんの新刊を買おうと思い、有隣堂へ行ったのだが、さてこの本がどこにあるのか探すのが大変である。ましていくら新刊とは行っても、メジャーな本でもないので、そもそも在庫があるかどうか分からない。
 で、その検索システムを使い探してみる。タッチパネルだから書名をそのままパネルに表示してある50音からひろっていく。どうやらヒットした。在庫はあるようだ。しかしどこの棚に行けばいいのか分からない。でも便利なもので、その本がある棚番号も表示されているし、それでも分からない方向音痴の人のために棚の地図まで表示される。さらに、物忘れの激しい人のために、その場所を表示した紙をプリントアウトできるのだ。つまりその紙を持って棚番号目印に探せば、お探しの本は見つかるわけだ。う~む、さすが!

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 なるほどここまでやれば、いちいち店員を探して、気を使いながら本を探してもらう必要もないし、そもそも馬鹿な店員に聞いたって、最初から分かりゃしないのだから、この機械に探してもらえば、まずは店内に在庫があるかどうかすぐ分かるし、在庫があればこうして場所まで示してくれるのだから、この方がいい。
 お店の側にしたって、こうした在庫管理を徹底することで、すべてをシステム化し、いわゆる専門のプロとして書店員を抱えなくても、アルバイトをカウンターに置いて、お客の対応だけをやらせればいいのだから、人件費のコストも抑えられるだろう。要は少ない正社員で基本を抑えておけば、後は人件費の安いアルバイトでもやれるようにしている訳である。
 書店のシステム化もここまできている。このようにやれるようになってきた訳だ。もちろんこのようなシステム化がいいのか悪いのかという議論をしているのではない。このように最近の技術を使って書店経営するところもあれば、そんな必要のない店もたくさんある。ただ、大書店が経営コストを考えながら、お客に満足な情報をこうして与えているの対して、中小書店は中小書店ができることをお客に与えているだろうかと、ふと思う。どこか、できないから仕方がないだろうといってふんぞり返っている姿が浮かんでしまう部分があるのは私だけだろうか?
 北尾トロさんの本は買わなかった。中身を見てみて、読みたいと思わなくなったのである。結局、『Dr.コトー』の最新刊と『岩波新書の歴史』、それに『武士道』の3冊を本日は購入した。『武士道』は最初岩波文庫のものを手にしたのだが、どうも字が小さく読みにくいのもあってやめ、三笠文庫のやつにした。この方が字が大きく、又内容も読みやすくしてあるので、私にむいている。

2006年05月15日

古くて結構!

 秋葉原にある交通博物館が14日で閉館した。小学校の頃都内見学で交通博物館に行ったことがあるし、自分の子供がまだ小さい頃、連れて行ったこともあった。
 靖国通りから昭和通りに出るのに、途中横道には行って、交通博物館に前を通るのだが、最近はよく人が入っているのを見かけた。多分閉館が決まって、ちょっと行ってみようという見学者が多くいたのではないかと推察する。

 ちょっと前、書泉さんが秋葉原に進出するといって、その対策を考えろと社長に言われたことがあった。その対策の一つとして、お店をリニューアルして、今風の明るくきれいなお店にするという案があった。
 確かにお店は古ぼけていたが、どうもお店を改築して明るくし、お客を確保しようとする目先だけの案には疑問があった。だって人も建物も時間がたてば古くなるのは仕方がないことであって、こんなことでお客を確保しようとする発想は、お店が古くなれば、絶えず新しくリニューアルが求められることになる。むしろ古ければ古いほどその歴史が加わるわけだし、それこそ風格が備わるもんじゃないかと思うのだ。たとえそれが機能的じゃなくても、その分人の手が必要になるわけで、人のぬくもりがそこには存在するような気がする。

 お茶の水の駅前の又調剤薬局ができるので、当社のお茶の水店もその店の対策としてリニューアルをしたのだが、これだって本来おかしな話である。患者さんはお店の新しさで調剤薬局を選ぶとしか見ていない部分がある。患者さんは信頼できる薬剤師さんがそこにいるから、多数ある調剤薬局のなかのうち当社の薬局にきてくれているのではないか。外面より中身の問題ではないかと思うのだ。その店の存在感が外面だけにあるような考え方はおかしいと思うべきだ、と思うのだ。
 確かにきれいで、新しく、最新の機能をもったお店、調剤薬局、博物館に引き寄せられる部分はあるだろうけど、どうもそれだけじゃないのではないか。もしそれだけなら、本当に民度が低いとしか言いようがないのではないか。そんな気がする。
 多分こう言えば、それは理想論だと反論されるだろう。そんなことを言ったって、お客や患者は新しくきれいで、最新の機能を持ったところに行くもんだから、そうせざる得ないのだと。そうなんだろう。でも、よく考えてみると、リニューアルが客寄せの最大のポイントになるのなら、そのお店、調剤薬局、博物館の中身はどうでもよくなってしまう可能性がある。本来は中身で勝負しなければならないのに、それがおろそかになる可能性があるのではないか。
 博物館の老朽化、結構じゃないか!暗くて薄汚い感じはするかもしれないけど、東京の下町にそうした博物館があること自体価値がある。薄汚い=不潔という発想自体貧相な発想である。明るい日差しがさんさんと差し込むガラス張りの建物だけが清潔という訳じゃないだろう。そんなことを言ったら、東京に手軽に行ける博物館がなくなっちゃうかもしれない。あるいは高いビルの中にある博物館や美術館しかなくなってしまうかもしれない。

 私はお茶の水にある大学出身なのだが、ちょっと前に校舎がものすごく近代化してガラス張りの校舎となり、それこそ都会のキャンパスといったモダンな感じなってしまった。でもあの古ぼけた、迷路みたいな校舎の方がものすごく魅力的だとさえ思っている。今の校舎には入りたいとは思わないが、もし昔の校舎が残っていれば入ってみたいとさえ思う。
 そろそろ何でも新しければいいという発想は捨てるべきじゃないか。古いものを残しつつ、中身の充実をはかるべきなんじゃないかと思う。そのため多少不便であっても、古ぼけていたとしても、いいのではないかと思うのだ。

2006年05月12日

業者さん

 私は総務の仕事もしているので、会社に必要な備品、消耗品など、それぞれどこで買うか業者を決めている。
 最近はASKULが便利なので、カタログを見てインターネットで注文してしまうことが多いけど、それでも決まったものは、いつも頼んでいる業者さんに頼んでいる。
 たとえば、名刺や封筒の印刷などは事務所の近所にある印刷屋さんに頼んでいるし、印鑑やゴム印などは自宅の近くにあるはんこ屋さんに注文する。あるいは展示用のフックなどは浅草橋の西川金太郎さんのところで、コピー紙はPDCという紙屋さんで買う。
 電話の業者さんは昔からお願いしている業者さんだし、求人広告の代理店も、いろいろな代理店などが飛び込みで入ってくるけど、これも昔からのつきあいで一社にしている。お店の工事や解体なども決まった大工さんにお願いしているし、赤帽も決まった人にお願いしている。
 それらの業者さんは大きな会社ではなく、あるいは個人商店が多い。たとえれば、電話やメールなどで「いつもお世話になっております」から挨拶を始め、「誰々さんお願いします」という回りくどい感じではなく、「ちわ!」と始め、「お願いがあるんだけど・・・」といきなり用件を言える関係のつきあいができる業者さんである。もちろん仕事はきちんとしてくれるし(当たり前のことなのだが)、こちらのわがままも聞いてくれるものだから、いつの間にか、つきあいが始まっていく。
 こう言っても、最近は大企業でも当社専属の担当者がついて、いろいろお世話になっている。あのデルコンピュータでさえ、いつのまにか当社担当だと言って、電話で挨拶があったし、NTTでさえ、担当者がついた。そうだ!今日、NTTの担当が当社の電話代を安くするためのシミュレーションを持ってくると言っていたっけ・・・。
 そんな業者さんの中に自転車のパンクや修理をお願いしているいつもの自転車屋さんに、事務所の自転車の修理を依頼した。愛用している自転車の後輪から妙な音がするようになったのだ。
 自転車を持ち込むと、さっそくつなぎを着たおやじは自転車に乗り、すぐおかしいところ判断するが、「もういい加減に買い換えたら」と言われる。私も「買ってもいいけど、これ修理したらどのくらいかかる?買った方が安ければ、買うけど」というと、「そりゃあ、直し他方が安いよ」と言うものだから、「じゃあ、直してよ」と言えば、「分かった!明日までにやっておく」と無理強いしない。
 この自転車、大正製薬の販促の景品としてもらったものなのだが、1年前までは本の仕入に使っていて、荷台に重い本をのっけて走っていたし、最近はお茶の水店へ行くときに頻繁に使っている。そして乗っている私が結構荒い乗り方をしているので、ガタがきても仕方がない。よく分からないけど、後輪を回す歯車がすり減ってしまっているらしい。だろうなぁと思った次第だ。
 で、昨日修理されたであろう自転車を取りに行く。いい感じだ。オヤジに言われてしまった。「まったく、ブレーキもすり減っているし、あっちこっちねじはゆるんでいるし、どうしようもなかったよ」と。
 「うん、分かっている。この自転車がおしゃかになったら、新しい自転車をここで買うから」と言って代金を払う。

2006年05月08日

ブックカバー

 ブックカバーに困っている。本屋に勤めていたときは、そんなこと考えたことがなかった。とりあえずお店で本を買って、すぐ読むときは、その場で自分でカバーかければよかったし、後で読む場合、読むときにカバーをかければよかった。ところが、お店がなくなって、買っておいた本を読もうとするとき、その本にかけるカバーがないのだ。幸い文庫のカバーはお店を閉店するときに、多少多めにもらっておいたので、今のところ問題はないのだが、単行本のカバーがない。こんなことなら、もっと多くもらっておくべきだったと後悔している。
 最近は有隣堂で本を買うことが多くなったが、できる限り本にカバーをかけてもらうことにしている。それを読む本にカバーをかけ直すのである。
 ところで有隣堂では文庫のカバーはかけてもらわない。手持ちの文庫カバーがあるからだけど、このカバーは気に入らない。役に立たないのだ。10色のカラーがあるのは結構だけど(はっきり言ってどうでもいいのだけど・・・)、ただその色つきのカバーを折り込んであるだけで、すぽっととれちゃうのだ。せめてどっちか片一方でも引っかかっていれば、そんなことにならないのにと思う。こうして10色のブックカバーを作って、お客に「なんとおしゃれなんだろう」と思わせるのが目的なのだろうが、レジでどの色のカバーにしますなんて聞かれること自体鬱陶しい。
 それとかねがね不思議に思っていたことなのだが、単行本にカバーをするとき有隣堂は本にカバーをするのではなく、本のカバーにカバーをかけるのだ。だから本のカバーと一体化しているため、これも本体から簡単にとれてしまう。
 確かに本屋さんでかけてくれるカバーは本を痛まないようにすることと、人に何の本を読んでいるか分からないようにするための目隠し的な機能があると思う。(ここでは本屋さんの宣伝効果は考えていない)だから有隣堂の本にカバーのかけ方にはそれほど問題はないのかもしれないが、ただ下手をすると、本体とカバーがずれてしまうのと、本体を落としてしまうところがある。
 で、私はどうしているかというと、単行本に関しては、有隣堂でかけてもらったブックカバーをかけ直して使うことにしている。しかし所詮カバーは紙なので何度も使い回しができなし、私のカバーのかけ方は、本格的?(当たり前だ。元本屋さんなのだから)なので、本の形にきちんと合わせてカバーを付けるので、基本的に使い回しができない。そのかわり本体から外れることもない。もちろん本にダメージもあたえない。ふふふ・・・。
 しかし、棚に眠っている本を読む場合、決定的にカバーが足らない。仕方がないので、合皮の安いブックカバーを買って、それを使っている。これだと外れる心配はないのだけど、多少大きめの作りなので、表紙のカバーと本体がほんのわずかだがずれる。そのため、表紙のカバーの上の部分にシワができる。細かいことだけど、どうもそれが気になる。ついつい読んでいる途中で、本体とカバーのずれを直してしまう。やっぱり紙のカバーをきちんと付けておきたいと思うが、そのカバーがない以上仕方がない。諦めるしかない。なんかいい方法がないだろうか?

2006年04月28日

給与計算

 当社は給与計算及び社会保険、労働保険関係の手続きすべて労働保険事務組合に委託してきた。従って、給与計算や保険関係の手続き、労働保険料の納付などすべて任せっぱなしである。だから、これらの煩雑な仕事から解放されていた。
 こう言えば楽じゃんと言われそうだが、確かにそうである。けれど、総務の仕事も任されている人間としては、これらの仕事や仕組みを知らないままでいいわけがない。それじゃプロになれないと思う。だから委託していたとはいえ、その仕組みなどはある程度自分で勉強してきたつもりである。だから給与計算の仕組みや社会保険、労働保険、税金などの仕組みも必要な範囲で理解してきたつもりである。
 なんでこんなことをいうかといえば、その労働保険事務組合を脱退して、給与計算などの業務をこれからやろうとしているのだ。何故か?簡単である。書店の廃業で従業員が減ったため、労働保険事務組合に委託している手数料がもったいなくなったからである。それと労働保険事務組合に加入していると、経営者が労災の特別加入が認められる(経営者は労働者でないので労災の加入が本来認められないのだ)ので、もし労災があった場合、労災の支給される。
 ところがうちの社長は毎週木曜日にしか会社に顔を出さないから、労災などあり得ないし、もともと労災を起こすほど危ない業務を当社はやっていない。となると、社長の保険料も無駄だ。
 しかも当社は社員の出入りが激しい会社ではないし、社会保険や労働保険の手続きもほとんどない。わざわざ高い手数料を払って、やってもらわなくても私でもできる。
 というわけで、労働保険事務組合を脱退して、今までやってもらっていた仕事を私がやろうと下準備している最中なのである。それに労働保険事務組合は結構おいしいところがある。そんな労働保険事務組合を儲からせる必要はない。それほど余裕があるわけでもないのだから・・・。
 まずは給与計算の仕組みの確認をしている。EXCELで給与明細を作ってみると、簡単にできてしまう。これで通常の給与明細としてプリントアウトしても問題はないだろう。けれど、いくら何でも体裁が悪い。
 面白いことを顧問税理士から聞いた。自社で給与計算をやるつもりでいるので、アドバイスを請うた時、その税理士の顧問先でどういう給与明細を出しているか聞いてみたのである。そうしたら、手書きで、もしくはワープロで明細を打ち出し、銀行のATMにある袋に名前を書いて渡しているところもあるというのだ。 確かにお金そのものは振込だから、それでもいいのだけど、でもちょっとなぁと思ってしまう。大企業になると、明細をメールで送ってしまうところもある。これはかっこいいが、メールアドレスを持っていない人がいた場合できないし、うちの社長みたいにメールをうまく見られない人間もいるから、ここまではできなそうだ。(それでも昨日、Windows搭載のパソコンを買おうかなんて言っていたので、いずれそういうシステムに移行できるかもしれない)
 というわけで、給与計算のソフトを買って、給与明細を打ち出し、ちゃんとした袋に入れて出す予定である。
 連休が終わったら、給与計算のソフトの導入セミナーに行ってみようと思っているし、先日は社会保険事務講習会の「算定基礎届」事務の講習会の申し込みをした。これからはちょっと仕事が面白くなりそうだ!

再就職

 前の同僚が解雇後なかなか次の仕事が決まらないで、あるいは一旦決まったのだけど、話が違い辞めざる得なかったりして、再就職が厳しい状況にあることを知らされる。確かに歳くったばあさんだし、口うるさいから、そう簡単に雇ってくれるところなど見つからんだろうとは思っていたが、失業給付が打ち切られるギリギリまで、仕事探しに奔走していた。
 その間何度かメールや電話で相談を受けてきたのだけど、どうやらやっと仕事が決まったらしい。就職先は偶然社長の知り合いのところらしく、昨日社長からその知らせを聞いた。
 早速彼女にメールを出す。就職先が決まったら教えてくれと言ったのに、何で教えないんだ!と文句をいうところから始め、とりあえずは「よかったなぁ」とお祝いの文句を書いた。
 すぐ返事が来る。いきさつと連絡が遅れたことの詫びが書かれていた。就職先が若い女性が多いらしく、多少不安も書かれていたが、ばばあ風を吹かさなければうまくいくだろう!
 とりあえずはよかったと思う。落ち着いたら美味しいものでも食べに行こうと約束してあるので、その時が楽しみだ。

2006年04月27日

書くこと

 こうして、読んだ本のことをああでもない、こうでもないと書きつづっているが、これが結構苦しんで書いている。こういう雑文を書くのと違って、かなり頭を使う。
 確かに自分がブログやるにあたり、好きな本のことを思うだけじゃなく、きちんと形にして残したいという気持ちがあるからやっているのだけど、これがただ単に読みっぱなしにしておしまいというわけにもいかないから、きちんと頭の中を整理して、何をどう思ったのか?あるいは何を感じたのか?それを書かなければならない。しかも読んでくれる人にそれを分かって欲しいという気持ちがあるから、いい加減な形で表すわけにもいかない。(分かりやすいかどうか、疑問だけど・・・)
 とにかくここに書くにあたり結構頭を悩ましているのだ。本を読むことは苦痛じゃないだけに、すいすい読んでいく。けれど読んだ本のことを書くとなると、ここで一時止まってしまう。今、正直「まいったなぁ」というところがある。できる限り読んだ本のことをアップしていくけれども、もし今後書き込みのスピードが遅くなったら、うまく書けないんだなぁと思ってくれるありがたいなぁ。決して本を読むことを中断したわけではないのです。ハイ・・・

2006年04月18日

お~い!みんな元気かい?

 何だかいきなり同窓会で学校の先生が言うようなセリフをタイトルを付けてしまい、変な感じなのだが、なんかそんな気分なのである。

 実は昨日岩田さんが事務所にお見えになり、思わずうれしくなってしまったのである。とにかくどうされているか気になっていたので余計である。こっちから連絡を取ればいいのだろうけど、どうしても電話を取ることが出来なかった。
 理由は簡単である。自分だけ会社に残ってしまい申し訳ない気持ちでいっぱいだからである。苦労されて次の仕事を探されていることだろうなんて思うと、とてもじゃないが受話器にのびる手を引っ込めてしまうのである。
 だから連絡がないのはいいことだからと思うことにして、きっと彼のことだから落ち着いたら連絡をくれるだろうと思っていたのだ。そうしたら昨日わざわざ事務所を訪ねてくれ、それまでお茶の水店のやっかいなタイムカードのチェックをして苛立っていたのも忘れ、思わず話し込んでしまった。彼と話しているとこちらも優しくなれるので不思議である。やっぱり彼の人徳なんだろう。近況を伺ったり、メールアドレス聞いたりして別れる。
 家に帰って彼から聞いたメールアドレスに、試しのメールを今日来ていただいたお礼を兼ねて出した。すぐ返事が返ってくる。
 そして昨日偶然にも、田中のばあさま(以前の同僚)からもメールをもらう。今就職活動中ということで問い合わせのメールなのだが、以前も同じようなメールをもらった。思わず「今度は何だ!」と思いつつ、メールを読む。決して怒っているんじゃない。どうしてかうれしいのである。昔の仲間とこうして連絡があることが・・・。

 このブログをどれだけの人が見てくれているのか分からないけど、たまには大学の友人や元二六堂書店に勤務してしていた人が見てくれていることは知っている。電話や会ったりしたときに「ブログ見てますよ」と言ってくれたり、私のブログの内容の話になったりするからである。お恥ずかしい次第だけど、やはりそういわれるうれしい。
 以前私のブログを見て何か書かないといけないと思いつつ、なかなか書けなくてと言った友人がいたけれど、そんな無理して書く必要なんかないと言っておいた。たぶん見るだけ見て何も書かないというのは申し訳ないという気持ちからそういう言葉が出てきたのだろうが、そんなこと当の本人は全然気にしていない。もちろん書き込み歓迎だけど、それよりこのブログを見て呆れられていること想像することを私は楽しんでいる。「おまえ馬鹿だなぁ!」なんて言われているんだろうと思いつつ書いている部分があるのだ。決して自虐的になっている訳じゃなく、実際問題自分でそう思うし、自分で自分に呆れつつ生きているものだから、半ば諦めてもいる。私は私でそういう自分を楽しんでいるのだから、それだけでいい。
 ただ、予想もしなかったけど、こうして私の知っている人達や昔の仲間が私のブログを読んでいてくれるということが、どこかこのブログでそれぞれつながっているような気がしているのである。なんだかそれがうれしい。だから思わず「お~い、みんな元気かい」なんて青臭いことを言ってしまったのである。

2006年04月17日

使い捨て

 もうスギ花粉はだいぶ楽になりつつある。が、昨日などは、最後のあがきか、まだいつもの症状が出る。
 今年も使い捨てマスクのお世話になった。例のカッパマスクである。ところでこの使い捨てマスクいつ捨てればいいのだろうか?
 たとえば使い捨ての本家といえば、代表格として使い捨てカメラがあるけど、この場合、フィルムがなくなって、撮影できなくなった時点で「おしまい」と、ある程度「おしまい」がはっきりしている。
 ところがマスクは微妙である。使っている人がもういいと思えばそのまま捨ててしまえばいいのだが、私みたいにけちくさい人間は一度使ったくらいじゃ捨てるのはもったいないなぁと思い、もう一度使ってしまう。下手をしたら更に使い続けることもある。
 確かによく考えてみると、花粉症対策用のマスクである。何度も使うものじゃないかもしれない。だって使えばこのマスクの表面にも花粉が着いてしまっているはずだから、再度使うときには表面に花粉が付いているマスクを使っているわけで、中に入り込んだら意味をなさない。やはり一度使ったら捨てるべきなんだろう。が、そう思うけど、なんかもったいなくてもう一度使いたくなるのは、これは性格の問題か?ただ単にけちなのか?それこそ一度使ったらもう使えなくなるといったシステムが組み込まれていれば(システムというほど大げさなものじゃなくてもいいけど)そんなことで悩まなくても済むのにと思うのは私だけだろうか?

2006年04月07日

新書のこと

 『街道をゆく』の2巻をぐずぐずと読んでいると、ダン・ブラウンの新刊が発売され、どうしてもそちらも読みたくなり、2冊並行して読むはめになる。が、やはりダン・ブラウンの方が面白いから、どうしてもこちらを主流に読んでしまった。
 で、それが読み終わって、又『街道をゆく』に戻ったのだが、不思議なことに案外ページが進むので驚いている。本を読むのにも、ペースがあって、いったんペースが上がるとその勢いが余韻として残っており、同じペースで読めるものだと知る。もちろん焦って読む理由なんてどこにもないのだけど、ページが思うように進むのは快い。
 私は今年この『街道をゆく』をメインに読書計画を立てているが、これ一辺倒で行くつもりはない。途中読みたい本があれば、そちらに寄り道して、いわば息抜きとして違う本を読むつもりでいる。
 今読んでいる後にも違う本を読むつもりでいる。もう控えているのだ。『国家の品格』、『ウェイブ進化論』などがそうだ。
 
 ところで最近新書が面白い。一昔前だと新書といえば、岩波新書や中公新書が代表格であったが、最近は岩波新書が売れないらしい。中公新書などは今どうなっているのかよく分からない状態である。それくらい他社が新書を出していて、既存の新書は影が薄い。また競い合って新書を出しているものだから、いいものがたくさん出てきている。確かに岩波新書は読まなくなった。
 昔本屋で初めてアルバイトして仕事を始めた頃、岩波新書を定期で取っている人がいた。新刊で発売された岩波新書を全部集めているのである。確かこの人は大会社の幹部職に就いていた人だ。今にして思えば、岩波の権威主義的出版物を好みそうな人のような気がしてしまう。でも、今でも新刊の岩波新書を買い続けているのだろうか?その後を知りたいものだ。
 岩本町店を閉店したとき、ショタレ(返品不能品)として岩波新書がかなり残った。返品できないものだから、最後は叩き売ったのだけど、それでもかなりの数が残ってしまった。残った岩波新書を見てみると、とてもじゃないが今読みたいと思うことができない代物ばかりであった。そうなのだ。岩波新書はその時話題となった事柄を解説するようなところがある。出版された当時はまだ話題としてホットな状態だから、読む意味があったかもしれないが、時間がたってしまうと読むに堪えないものばかりになってしまう。風化してしまうのだ。
 どうも当時の岩波新書はその時代の解説本みたいな性格を持っていた。だから一過性の内容になってしまっていたような気がする。そしてその傾向を今も引きずっているから、売れなくなってしまったのではないかという気がする。しかも岩波特有の小難しさがあるから余計である。(個人的には中公新書は好きだったのだけど、中央公論がつぶれて読売新聞社の買収されてから、なんだかおかしな具合になってしまった。それは文庫も同じだ。昔の中公文庫はいい作品を文庫化していた)
 最近の新書は確かに今話題になっているテーマを主流する部分はあるにしても、一方で時間がたっても風化しない内容のものも数多く出てきているような気がする。
 というわけで、これからも新書には目が離せない。

2006年03月29日

毎日が花見?

 毎日朝せっせと歩いていることは以前書いた。お陰で体重が3キロ減った。
 今自分が歩いているところは、桜がいっぱい咲いていて、毎日が花見気分である。今日デジカメを持って家を出る。桜を撮ろうと思ったのである。
 今、「小松川千本桜」の桜はまだ5部咲きらしいが、やはりきれいだ。



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 きっと夜になると人が多く出るのだろうと思うが、朝なので、心おきなく写真が撮れる。

 ただここのところ花粉症がひどく、カッパマスクをしながら、デジカメで桜の写真を撮るのはちょっと異様かもしれない。
 しかし、このデジカメというのは本当に便利だ。カバンの中にデジカメを入れて、ちょっと気に入った景色などあれば、すぐぱちりと撮れるからいい。現像などという面倒な手続きが必要ないのもいい。これからはカバンにデジカメをいつも入れておいて、気の向いたときに撮るのもいいかもしれないと思った。

2006年03月19日

 胃の調子が悪くなって、ここのところ医者に2週間に一回通っている。胃カメラも飲まされた。いくつかポリープが出来ていることが判明したが、幸い大したことはないので安心している。が、とにかく薬は飲めという。後はストレスをためないように注意されているが、そんなの無理である。ここでこんな仕事をしている以上ストレスがたまらないわけがない。
 診察の時、どうですか?と聞かれ、はぁ、良くはなっているようですけど、最近ちょっと喉が痛いですと言ってしまった。言ってしまったあと「しまった」と思った。案の定喉を見られ、ちょっと赤いですねと言われ、又薬を出される。完全に薬漬けだ。
 不思議なもので、こうして毎日薬を飲んでいると、飲まないと不安になる。飲むのを忘れた翌日など、「なんか調子が悪いよな」なんて思ってしまう。多分精神的なものなのだろうが、どうやらこうして薬に頼るようになってしまった。
 木曜日に調剤の手伝いをしているが、患者さんがお薬をこまめに取りにお見えになるのが、何となく分かるような気がする。ないと不安なのだ。よく分からないけど、1回や2回薬を飲まなくても、問題ないような気がするが、どういう訳か飲まないと不安に駆られる。不思議なものである。
 多分こうして薬漬けにされていくのだろう。そんな気がする。こうして医療費を無駄遣いしていくのだろう。
 大丈夫!こんなの心配ない。ゆったりとした生活をすればいい。薬も必要ないなんて言ってくれた方が、本当は早く治ったりして・・・。
 でも病院へ行く側とすれば、薬も出さない、注射も打たないとなると「やぶ」というレッテルを貼ってしまうところがある。病院へ行く以上、薬ぐらい出せという気持ちがある。きっとそれを逆手にとって、どんどん薬を出すんじゃないかなんて邪推してしまう。気がついたら、食後、寝る前に薬を飲むことが習慣化されちゃうわけだ。
 もちろん本当に薬が必要な場合もあるはずだと思うけど、少なくとも私の場合、今はそこまで重傷じゃないと思うのだが。なんだかサプリメントを飲むような気軽さで、薬を出されると、ちょっと違うんじゃないのと思う。
 でも、そんなことを言っちゃたら、先生にへそを曲げられちゃう。毎年胃や大腸の検査する必要があるので、仕方なしに先生の言うことを聞く。やれやれ・・・。

2006年03月13日

身辺整理 その3

 久しぶりに本棚の整理をこの2日間かけて整理した。私の場合、本のデータをパソコンで管理しているため、書名、著者、出版社などのデータ入力をした上で、最後にどこの棚にしまい込んだか棚に整理番号を付けてあるので、それを入力する。つまり本を入れた棚が決まらないと、データが完全に入力できないのだ。
 こんな面倒なシステムを作ったのは自分なのだが、もともとは持っている本なのに、読まずに寝かせてあるために、それを忘れてしまい同じ本を2度買ってしまうことがあったので、それを避けるために、読んだか読んでいないか一目で分かるようにしたかっただけなのだ。
 しかし本音は、どちらかといえば、パソコンで自分の蔵書を管理することがかっこいいなんてミーハー的なことで始めたのが正直なところである。
 しかし始めてしまった以上、もうやめるわけにもいかなくなり、いつの間にかそれに縛られることになってしまった。
 確かに便利なのだ。たとえば大野さんに頼まれたエーコーの『薔薇の名前』はC段の上から7段目にあると一発で分かるが、そもそもそんなことをしなくても、棚を見ればそれがそこにあるということが分かるのだから、ある意味無駄である。つまりちゃんと整理してあればパソコンに頼る必要がないということなのだ。
 もっとも多少役に立つこともある。それは文庫で本の場合だ。私は文庫本を無造作に棚に詰め込んであるので、時たまどこへいってしまったか分からなくなることがある。その場合どこにいったのかすぐ分かる。まぁそんな程度しか役立っていないということで、偉そうにパソコンで蔵書管理をしてますなんて言えたもんじゃない。

 とにかく本棚に未整理まま横に積み上げられていた本をきちんと本棚に納めると、やっぱりすっきりする。うむ、いいではないかと自己満足する。
 この整理で本棚入れたくない本を15冊ほどブックオフに売り飛ばす。買値は1、590円とのこと。まぁそんなもんだろう。仕方があるまい。蔵書するに値しない本を買ってしまった私が馬鹿なのだから・・・。お金と200点のサービス券(ブックオフで200円として使える)もらって、かみさんの待つサミットの売り場へ急ぐ。そうだ!胡椒せんべいを買わないといけないなんて全く関係のないことを思う。そうそう会社の分も一袋買っておかないと・・・。

2006年03月11日

身辺整理 その2

 うちのオヤジ(社長のこと)に書店のデータ、資料どうします?と聞いたら、もう会社がないのだから、資料なんか持っていても仕方がないから処分しろと言う。よっぽど書店の閉店が苦々しいのか、けんもほろろに宣う。挙げ句の果てに、「少し身軽になった方がいいだろう」と付け加える。私もその方がいいと思うから、少しずつ整理をし始める。

 私はこれでも結構いらない書類など思い切って捨ててしまう方だと昔から思っていたが、いざ整理してみると、これがあるんですね。どうしてこんなものまで取っておいたのか我ながらうんざりしている。私の前任者が作った資料まであるし、先代の社長の名前の入った契約書まである始末。これはやばいと思い、とにかく書店の関係の資料は思い切って捨てることにした。幸い捨てるか、残すかの基準が今回はっきりしているので、それほど迷うことなく処分できそうである。
 それに伴って私が個人で所有している書店の資料やいらないものなども処分しようと、会社、自宅の両方で整理し始めている。
 問題は自宅のあるやつである。私は昔から文章を書くのが好きなので、手書きのものや、シャープの書院で書いたワープロの文章など出てくること出てくること。しかも読むに堪えないものばかり。赤面しつつ処分していく。
 又写真など懐かしいものも出てくる。しまい込んでいたためにそのまま埋もれてしまっていたのだ。こうでもしなければたぶん日の目を見ないものばかりだ。
 本屋の店長時代の自分の名刺、その後店長はイヤだし、肩書きなど要らないとごねたら、「店長代理」と付けられ、ほとんど使わなかった名刺も出てきた。
 又新潮社から招待されて香港へ行ったときの写真などなど、一体こんなものなど取っておいてどうするつもりだったのだろうかと思うものが出てくる。
 まだある。第35回永年勤続従業員表彰者名簿なんていうのも出てきた。笑っちゃうのが、神田法人会主催の簿記実務講習会の修了証書なんて訳の分からないものさえ出てきた。そういえばそんな講習会に行った。
 圧巻はリクルートから出ていた「アグレ」という「いきいき書店人のためのネットワーキングマガジン」というものである。この「アグレ」という「おみこし雑誌」(当時リクルートは住宅情報をどんどん売って欲しいから書店人をよいしょしてこんな雑誌を書店に配っていた)に自分の写真が載っているのである。リレーインタビューといって、書店に働く人をインタビューして、次の書店人を紹介してもらい、つなげる、いわば「友達の輪」というやつだ。
 よく見てみると、私のを紹介したのはなんとあの激太りの大学の友人である。思い出した。奴も一時は本屋で働いていたのだ。そしてリクルートの人間からインタビューを受けたことがあった。私のことを二六堂書店合同庁舎店店長として顔写真が紹介されている。あぁ~恥ずかしい!破って捨ててしまおうと思ったが、今度その友人に会ったとき、これを見せて、思いっきり文句を言ってやろうと思い、それまで取っておくことにした。
 この「アグレ」という名前最近目にした。永江朗さんの『菊池君の本屋』にあったのだ。その時どこかで聞いた名前だなぁとは思っていたのだが、まさか実物を手にするとは思わなかった。

 こうして整理しているのに、ついつい中身を見てしまうのですね、これが・・・。そういうことってありませんか?片づけているのに、いつのまにか座り込んで、中身を読んじゃったりして、何をしているのか分からなくなっちゃうのだ。前回もそれで話が横道にそれてしまったのだ。いかん、いかん、こんなことをやっていたらいつまでも整理がつかんじゃないかと、自分を叱咤しつつ、せっせと整理する。

2006年03月10日

レシート

 10年前の発売された雑誌を読んでいたら、岩本町店のレシートがはさまっていた。私は本に何かをはさむことはほとんどないのだけど、どうしてかこのレシートがはさまっていた。ただのレシートなのだけど、妙に懐かしいかった。もうこのお店はないのだよなぁと思うと、このレシートが捨てられなくなってしまった。(いつまでも女々しいなぁと我ながら思う)
 よく古本を買うと、前の所有者が本にはさんだものが出てくることがある。新聞の切り抜きだったり、しおり替わりに使ったものなどである。
 以前に古本の中にはさまっていたはがきを紹介したことがある。割と気に入っていて、今もそれを大事にその本にはさんだままにしてある。面白いからもう一度紹介しちゃおうかなぁ~。


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 ね。何かいいでしょう?レトロっぽくて・・・。この古本の発売が昭和38年10月だから、多分その頃の広告だろうと思われる。そういえばほうきって見なくなりましたよね。みんな掃除機になっちゃっているから。

 ちょっと前に宮部みゆきさんの短編を読んだとき、自分の会社の宣伝のために、古本屋に行って、本棚ある本の中に自分の名刺をはさみこむ営業マンの話があったけど、本の中にはさまっている広告は全て手作業だと聞いたことがある。全集なんかの月報などもたぶんそうだろう。余計なことだけど、この月報、あるとなしでは、古本屋に売るとき価値が大幅に違っちゃう。(ブックオフに売る場合は関係なさそうだけど ・・・)読むときにじゃまになるからうっかり捨ててしまうと損しちゃいますよ。

 で、そのレシートを見ていたら、私は今持っている本の殆どが自分の会社で買った本だろうなぁと思ったのだ。というのも、私は2度ほど自分の蔵書を大がかりに処分しているので、その後の年数を考えたら、残っている本は、かなりの数が二六堂で買った本だろうと思われる。それを考えると、ちょこちょこ買っていた本も、合計したら結構な金額になるだろうと思った。考えただけでも恐ろしい金額になりそうだ。

 そんなつまらんことを考えていたら、ふと本の整理をしないといけないなぁと思い始めた。ここのところ、読んだ本はそのまま本棚に積み上げていて、棚に入れていないのだ。またパソコンに自分の蔵書をデーターベースとして管理しているのだが、その入力さえやっていない。今度の休みは徹底して本棚の整理、データーベースの入力をやろうと思う。

2006年03月09日

身辺整理 その1

 当社は2月が決算月なので、3月から新しい年度に入ったことになる。だからというわけではないが、今決算処理をしながら、事務所の書類なども整理している。
 特に昨年まで書店があった関係で、様々なデータがファイリングされていた。元々書店の人間なので、いろいろなデータを取っていた。それが結構膨大な量になっていて、事務所の棚をかなりのスペースを占領していた。しかし書店を閉鎖した以上、もうこの資料はいらないことになる。そのため一気に処分し始める。 処分しているうちに、よくこれだけのデータを収集したもんだと我ながら思う。
 今はEXCELでデータを集計し、解析しているが、それまではLOTUS1-2-3でやっていた。その時の資料を見て、そうだよなぁ。最初はLOTUS1-2-3を使っていたんだよなぁと感慨深かった。
 そういえば最近LOTUS1-2-3のことは耳にしなくなったけど、まだソフトとして存在しているんだろうか?気になってインターネットで調べてみたら、今はソースネクストが販売している。驚いたのがその値段である。ダウンロード版で、1,980円という。パッケージ版(ガイドブック付き)で3,129円!えっ、本当かよと言いたくなる値段である。私が会社で買ってもらったWindows3.1対応のLOTUS1-2-3は9万円ぐらいしたはずだ。嘘みたいな話である。
 今はExcelがスタンダードになっているけど、昔は表計算といえばLOTUSだったのに・・・。
 又日本語IMEもWindowsだとMS-IMEが主流だが、私は今でもATOKを使っている。ワープロソフトといえば、昔は一太郎だったのだ。そうなのだ。一太郎とLOTUS1-2-3がプリインストールされたパソコンが売っていた時もあったのだ。
 昔Microsoft Wordを使おうと思い、MS-IMEを使ってみたのだけど、その頭の悪さにうんざりして、やめちゃったことがある。その時はまだMS-IMEも性能が悪かった。そのためやっぱり日本語変換ソフトはATOKの方が日本製だけあって、使い勝手がいいと、それらを使うのを諦めたのだ。もちろん今はそんなことはないだろうし、むしろATOKより使い勝手がいいのかもしれないが、こればかりは昔から使い続けているので、変える気がない。慣れたやつの方がいいのだ。別にATOKを使っていても、この文章がATOKで書かれたなんて言わなければ分からない訳だし、自分の思っていることをさらっと表示してくれるし、漢字変換でイライラしないだけで、それだけで満足である。

 と、書いているうちに題名と関係のない話になっちゃった。次回きちんと「身辺整理」のことを書こう。

2006年02月25日

うぅ~、こ、こ、腰が・・・

 今朝、駅に着いたらすぐ電車が来たので、飛び乗った。けれどちょうど混んでいるところに乗り合わせたみたいで、久しぶりに本を読むスペースが確保できない。仕方なしに本を読むことを諦め、立っていたのだが、そこへ後ろからぎゅーぎゅー押す奴がいる。なんだこいつ!と思いつつ、振り返るとどうやら女連れである。要するに自分の彼女をこの人混みから少しでも守ろうとして、私を押してくるわけだ。おいおいいい加減にしろよな。こちらは腰が悪いんだから、あまり負担をかけるなよと思いつつ、必死に守っている男の彼女の顔を見たくなった。しかし男がじゃまになって見えない。
 駅に着くたびに人が増えてきて、男は必死になって手すりにつかまり、突っ張って彼女を守っているが、その分私を押し続ける。私はドアにへばりついた恰好になってしまい、そろそろ腰が限界にきつつある。声を出して「おい、いい加減にしろよ」と言おうと決心したら、駅に着いた。人がど~と降りていく。私はちょうど人が一番降りていく駅の入り口に近いところに乗ってしまったようだ。このカップルも降りていく。その時彼女の顔が見えた。やっぱり!?ひどいブスだった。こんなに必死に彼女を守っているのだから、エビちゃんみたいに可愛い子なのかと思ったけど・・・。もっとも、もしそうなら、えっ!と目を見張っちゃうかもね。そういえば、女の子をほめる言葉として、最近は「エビちゃんみたいだね」と言うといいらしい。そのようにR25書いてあったゼ。エビちゃんを知らない世の中年男性のために写真をアップ。


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 しかしこういうバカップルがいるんだよなぁ。自分達のことしか考えない奴。ナイト気取りのバカ男とブスな女。
 えっ?男の方はどうだったて?想像がつくじゃないですか!汚いひげ面のひ弱そうな男であった。やっとの思いで彼女をゲットした感じで、これなら文句を言っても勝てそうだと思い、もっと早く文句を言うべきだったと後悔する。
 自分の降りる駅に着いて、腰を押さえながら階段を上った次第です。

2006年02月19日

やっぱりね

 昨年江戸川区の区民検診を受けて、その中で「胃ガン検診(X線間接撮影)の結果は、異常ありませんでした」という結果を受けたことは以前書いた。そしてちょっとおかしんじゃないかと疑問を持っていたことも書いた。何故ならその前にポリープが見つかり、再検査を受けているからである。そしてその前もである。それを急に異常ありませんでしたといわれて、やったぁ~!という気分にはなれず、えっ?本当、おかしんじゃないのと思うのが当然である。
 で、今年になってからお腹の調子がよくないので、病院に行って胃カメラで調べてもらうと、いくつかのポリープが見つかった。やっぱりである。区民検診の方がおかしかったわけだ。どうしてなんだろう?2年前の区民検診ではポリープを見つけてくれた。それなのに昨年は見つけられなかった。要するにレントゲンに写っていなかった。あるいは写りが悪かった。又見落とした等考えられるが、もちろんよく分からない。
 そういえばテレビでどこかの地方の集団検診で異常なしといわれた人が、その後肺ガンですぐ死んじゃったのは、検診で見落としたからだと訴えられていたのを思い出した。頼むからしっかりやってくれよと言いたいところだけど、案外集団検診てこんなもんなのかもしれない。
 たとえば、私が直接江戸川区に、この検診結果はおかしいんじゃないのといってもどこまで取り合ってくれるかである。そんなに不安ならもっと詳しく調べてもらったらどうですかと言われること間違いない。あるいはこの時は異常がなかったのですと役人的、事務的にいわれるのがおちだろう。きっとそうだ。
 もっともそんなことをいうつもりはない。だって最初から結果を疑っていたのだから・・・。しかし、ね、集団検診をどうとらえればいいのか分からなくなっちゃうね。

2006年02月17日

たく、もう!

 銀行の振り込みはパソコンでやっていることは何度も書いている。今回東京三菱とUFJ銀行が合併して、三菱東京UFJ銀行になったことはご存じのことと思う。銀行が勝手に合併し、名前を変えようが、基本的には預金者には関係ない。少なくとも使っている支店がなくならない限り、どうでもいいことである。しかしお金を振り込む側にとってはそうはいかない。きちんとした銀行名、支店名にしないとすぐ銀行から「該当の口座がないんですけど・・・」と文句がくる。まったく、もう!自分達で勝手に合併しておいて、こちらの手間なんてちっとも考えないのだからいいきなもんである。全国の会社の経理職員はきっとかなり頭にきてるんじゃないかと推察する。
 で、銀行のシステムに電話してやり方を聞きながら作業をする。まずは最新版の銀行支店情報をダウンロードし、更新をする。ところがこれが簡単じゃない。まずは既存のマスターをプリントアウトして、更新後に使うのだ。
 マスターを更新すると、東京三菱は三菱東京UFJ銀行に変わるが、UFJ銀行は該当銀行がない状態になってしまう。これだけでも、東京三菱とUFJ銀行の合併がどちらがイニシアティブをとっているかが分かってしまう。
 問題はこの該当銀行がなくなってしまったUFJ銀行の修正である。こればかりは手入力で修正しないとならない。だから、今までのマスターをプリントアウトさせたわけだ。銀行コードを0008から0005に変更し、三菱東京UFJ銀行に変えた後、プリントアウトしてあるデータから支店コードを入力して、支店名を入れる。幸いそれほどUFJ銀行を使っている会社や人が少ないので、何とかすぐ出来たが、これが多かったら大変だろう。しかしお金を動かす以上、修正したものを銀行名、支店名、口座の種類、口座番号をきちんと確認しておかないといけない。本当にいい加減にしてくれと言いたくなってくる。

2006年02月15日

後ろが気になる、気にしてくれ!

 お茶の水界隈に銀行がなくなり、ATMばかりになっちゃって、両替ができないことは以前書いた。仕方がないから、こちらで両替をやっている。
 その両替が半端じゃない。300,000円以上、五千円札や千円札、100円玉、50円玉、10円玉と結構手間がかかる。だから9時ちょっと過ぎに銀行に入って、両替機でそれを行う。ところが細かいから、焦っちゃうのだ。今日も2度失敗し、慌ててやり直す。そのため時間がかかる。振り向くと、後ろに2人並んでいる。目つきが「おい、早くしろよ!」と怒りの三角目になっているような気がしてしまう。やめてほしいなぁ、こういうの・・・。ごめんなさい。すぐやりますから、もうちょっと待ってね、とお願いモードになってしまう。
 確かに自分が両替のため並んでいるとき、前の奴がぐずぐずしていると、「おい、さっさとやれよ!」と思っているから、同じ気分なのだろう。
 とにかくこういうのは苦手なのである。焦った気分をそのまま引きずっているから、前回本部の現金が5,000円あわず、お茶の水店に5,000円多く渡しちゃっていた。
 別に焦る必要なんかないのだろうけど、どうしても自分の後ろに人が並んで待っていると、そうなっちゃうのだ。結構小心者なのである。今日はちゃんと確認して間違いのないようにした次第です。とほほ・・・。

 とここまで書いて、チャリでお茶の水へ行く。秋葉原からお茶の水へ行くとき坂を登っていかないといけないので、いい運動になる。一気に加速して坂を登るが途中おばさん達がつるんで、広がって歩いている。こちらはこのまま一気に坂を登りたいのだが、このおばさん達のため、どうしてもスピードを落とさないとならなくなる。たく、もう!こいつら話に夢中になっているから、後ろから私が来ていることさえ気がつかない。ついに止まるはめになる。どうしておばさんたちは広がって歩くんだろうか・・・?
 お茶の水で用を済まし、ついでにという訳じゃないが、調剤の井上女史から、都薬(東京都薬剤師会)で、レセプトの時使う請求書を買ってこいというご命令があったため、帰りによる。途中三和図書の倉庫に寄って、一服。文庫を1冊卸値で買って(寄らなければ買わなくてもいいのに、ついつい買ってしまう)、都薬へ行き、今帰ってきた。

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2006年02月14日

自転車を買おうかなぁ

 あんまり健康オタクになるのは好きじゃないが、ちょっと気になることがある。私のパソコンが置いある机のデスクマットの下にやたら病院の診察券が多くなったことに気がついたのだ。もちろんこれ全て今現在使っている訳じゃないのだけど、新しい病院へ行くたびに診察券を作ってくれるものだから、こうして増えてしまった。しかしそれだけ病院に行っていることは事実だ。これはまずいよなぁとパソコンに向かうたびに思うのだ。調子の悪いのは仕方がないにしても、とにかく病院に行くのは勘弁願いたいものだ。正直不健康をかっこいいなんていう生き方をしてきたつけがここにきてこんな形になったのだろうから、自業自得なのだけど、気分や体調の不具合を感じながら生きるのもちょっとつらい。やっぱり健康という奴は、いつも気遣っていないいけないものなのだろう・・・。

 とにかく運動不足である。昨年の春からそういう状態になっている。もともと運動することが嫌いなので、だからといって何かスポーツでもやろうなんてもちろん思わない。思わないけど、このままじゃぶくぶく太ってしまう。それこそ大学時代の友人みたいになっちゃうから、それだけは何とか避けたい。
 で、今天気のいい日は、せっせと歩くことをしている。通勤時二駅先まで約40分かけてゆっくり歩くことにしている。これが結構いい運動になるようだ。ただ、体調がいまいちなので無理はしないようにしている。
 今はまだ寒いけど、歩いているうちにだんだん身体がぽかぽかしてくる。駅に着いて、階段を上がるときも、あら不思議?!簡単に階段が上れる。今までふーふー言いながらやっとの思いで階段を無理して上っていたのが嘘みたいに足どりが軽い。
 歩いている場所は、親水公園の遊歩道をせっせと歩くため、人工の川に鯉がはねているのも見られるし、DASH村のパトロール隊、カルガモの群れが泳いでいる姿も見られる。今は堅いつぼみだけど、もう少ししたら桜の花も咲くだろう。中川と荒川の橋を歩いていると、川風が気持ちいい。土手は今は茶色だけど、きっともう少しすれば緑に変わることだろう。と思いつつ歩く。
 橋を歩いていると、自転車に乗った人が私を追い抜いていく。それを見ていると俺も自転車ですいすいと走りたいと思う。自転車を買って、自宅から会社まで行ってもいいかなぁとふと思った。
 自宅から会社まで自転車でどのくらいかかるだろうか?距離を測ると約10キロぐらいだろうか。自転車通勤できない距離じゃない。そうだ!俺にも得意なものがある。自転車だ!本屋時代、自転車で配達もしていたし、仕入もしていた。これならもしかしたらできるかもしれない。うん、できるはずだ!
 昔、旧国鉄時代、よく春闘をやっていて、しょっちゅうストをやっていた。その頃、新橋の本屋でアルバイトをしていた。毎日、本の配達をやっていて、ストだからといって休むわけにいかなかったから、配達で使っていたドカチャリ(配達専用のがたいがしっかりしていて重い自転車のこと)で新橋から自宅まで帰ったことがあったじゃないか・・・・。うむ~、できない距離じゃない。確かにあの時より歳はとったけど、その分サイクリング用の軽いチャリを使えばいい。何とかなるんじゃないかとふと思う。
 いきなりじゃきついから、今は歩くことで体力をつけて、もう少し暖かくなったらやってみてもいいかもしれない。ちょっと真剣に考えてみようかな。

2006年02月13日

Arm Chair Bookstore Master

 本について書いているブログってかなりの数があって、読ませてもらうと、我ながら文章の拙さと、考えの幼稚さにうんざりしてしまう。どうして私はこうも文才がないのだろうと改めて思ってしまう。誤字脱字は当たり前で、よくもこうも恥ずかしくなく公開しているもんだと思ってしまう。
 読んでいる本だってデタラメで、節操もないし、もう少しまとまりがあってもよさそうなものじゃないかとも思ったりする。
 確かに次に何を読むかと手にするのは衝動的だし、むちゃくちゃだから仕方がない。分かりもしないのに、興味だけは人一倍あるもんだから、余計にまとまりがつかない。
 たぶんそれは長い間本屋で働いてきたから、新刊の荷物を開けたときに感じる、「おやっ?!」という気持ちがそうさせるのだろうと思う。全て直感的に本をセレクトしてしまうのだ。
 一方で、閉店してしまったため本屋の店員でいたくてもいられなくなったので、どうしても書店員が抜けきれない部分もある。だから馬鹿な書店や書店員に文句を言ったり、どうしようもない組合などにも腹が立つのだろう。
 私はこのブログが潰れてしまった二六堂書店であればいいなぁと密かに思っている。自分では本屋はできないから、(だって儲からない、潰れること必死の店なんかリスクが大きくて怖くてできるわけがない)こうしてバーチャルのお店を作ろうと思っている。もちろんここでは本も売っていなから、自分が読んだ本をここに載せることで書店の棚を作っている。そういう気分なのだ。まさしく、Arm Chair Bookstore Masterである。
 この言葉は菊池さんの『ヴィレッジ・ヴァンガ-ドで休日を』にあった。今の私がこのブログを維持しているのはまさしくこれである。そう思ったから、この文章を書いた。このブログの棚にこれからどんな本がつまっていくか。自分でも楽しみである。

2006年02月02日

休刊誌2誌

 以前山本夏彦さんの本を紹介したが、その山本さんが創刊したインテリア雑誌「室内」が、通算615号目の3月号で休刊することになった。創刊から50年だそうである。
 もう一誌、「ASAhIパソコン」も2月28日発売(3月15日号)で休刊になったことを知った。これはインターネットで「室内」の休刊を調べていたら知ったのである。そこには「PC普及が進み、情報はインターネットに満ち溢れている現在。コンシューマー向けPC情報誌の役割は終わったのかもしれません」と書かれていた。なるほどそうかもしれない。
 私も本当にパソコン雑誌を買わなくなった。以前は「ASAhIパソコン」も買ったし、「EYE・COM」(こちらの方が先に休刊してしまったが・・・)という似たような雑誌も買っていた。
 こうなると雑誌にも命があって、その役目が終われば必然的に終わるもんだと知る。しかもその寿命は読者がいるかどうか決まってしまう。きっと読者も絶えず流動的に変化する以上、なかなかひとつのコンセプトで雑誌を続けていくというのは難しいかもしれないなんて思う。創刊当時は「これはいける!」なんて意気込でいても、それが廃れるのも早い時代だから余計だろう。売る方も大変だけど、作る方も大変な時代だなんて改めて思っちゃたりする。

2006年01月20日

返事

 先日有隣堂ヨドバシAKIBA店で雑誌を買って、不愉快な気分になったのでクレームのメールを出したことは書いた。その後返事がないので、無視されたとも書いた。
 で今日夕方、有隣堂ヨドバシAKIBA店の店長さんからお詫びのメールを頂いた。勝手に文句ばかり書いて、しかも返事がないとまで書いてしまった以上、きちんとお詫びと、今後の対応を説明いただいたのだから、そのことをちゃんと書かないと、公平さに欠ける。
 店長さんのメールには「本を商う仕事をしていながら、本を大切に思うお客様の気持ちに思い至らなかったこと、大変恥ずかしく、また申し訳なく存じます」と書かれていたし、今後の対応もどうするか細かく説明を頂いた。文面から丁寧な対応をしていただいたことが分かったのでうれしかった。さすが有隣堂の店長さんだ。
 むしろ私の方がむやみやたらに腹をたて、クレームのメールを出したことが大人げなかったかなぁと反省しちゃった。
 でも、本を大事に扱って欲しいという気持ちで文句を言ったわけで、ただそれだけなのである。

2006年01月19日

本に精算済みのテープを貼っていいものか?

 「ここでクレームのメールをしていいのか分かりませんが、ちょっと納得できなかったので、メールすることにしました。
 昨日ヨドバシカメラマルチメディアあきばにある御社のお店で、「週刊街道をゆく」を購入しました。カウンターの店員さんに「袋にお入れしますか」と聞かれ、私は鞄を持っていたので、「結構です」と申し上げました。そうしたらその店員さんはその雑誌に御社のテープを貼っていいかと聞いてきました。もちろんそれは精算済みの商品だということで、私に迷惑がかからないよう配慮してくれた行為だと思いますが、だからといって雑誌の表紙にテープを貼っていいものかと思うのです。スーパーでトイレットペーパーを買うのとは訳が違うと思うのです。雑誌にテープを貼れば、いかに簡単にはがせるようにしても、場合のよってははがせなくなることだってあるでしょうし、無理にはがせば破れてしまう可能性だってあると思うのです。ましてこの雑誌はファイリングして保存しておくものですから、無闇にテープなど貼られては困ります。
 有隣堂という大書店の店員さんがこんなことも分からないのかと正直腹が立ちました。社員教育もきちんとされていると思われますが、不用意な言葉が不快に感じることもあります。また本当に本や雑誌を大切にする人なら、こういう行為はしないのではないかと思います。
 もし、御社が私みたいに袋をいらないといった場合、無闇に本や雑誌にテープを貼ってもいいという教育なされているなら、その点は改めるべきじゃないかと考えます。このあたりどのような対応をされているのか、よろしければ教えて下さい」

 と昨日メールを有隣堂に出してみた。正直店員の行為に呆れてしまったのである。本当に本や雑誌を大切にする人なら、こんな行為は許されない。事実以前お店で働いていたときに、お客さんが平台に積み上げられている中から状態のいいものを選んでレジへ持ってくる人を度々見かけた。だいたい一番上にある本は他の人が何度も見ているから、多少ページがめくれ上がっていたりする。だからわざわざその下の本を取ってレジへ持っていくのが一般的だ。買う以上本の状態がいいものを選んでも不思議じゃない。それにテープを貼られたんじゃかなわない。ましてファイリングして保存しておくものだから余計である。だから思いあまってクレームのメールを出してしまった。
 けれど有隣堂からの返事は今日までない。小賢しいことでうるさい奴だと思われたのだろう。それなら仕方がない。確かに細かいことで文句を言っているのだから・・・。接客に対しての文句をいちいち返答していたら、有隣堂ぐらいの大書店になるときりがないのだろう。文句を言うなら雑誌を買ったときに言うべきだったのかもしれない。次回から袋に入れるかどうか聞いてきたら、入れてくれと言えばいい。そうしよう。そうすれば苛立つこともないだろう。

2006年01月12日

黒胡椒せんべい

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 私は実はおせんべいが大好きで、これと熱~い日本茶と、本があれば至福の時を過ごせる人なのである。おせんべいは何でもいいかというと、もちろん好みがあるし、あまりかたいのは歯の問題もあるので遠慮しているが、前歯の差し歯に影響のないものなら喜んでいただく。
 特に最近は黒胡椒せんべいがマイブームなのだ。黒胡椒せんべいって知ってます?これが食べ始めるとやめられなくなるのです。基本は塩もしくは醤油せんべいなのだが、その上に黒胡椒がまんべんなくまぶしてあって、食べると舌がぴりぴりして、辛~いと言いつつ、次から次へと手を伸びてしまう。うむ~、これは一体誰が考えたのだろうか?おせんべいに黒胡椒をまぶすという発想はなかなかのものだ!お茶も美味しい!本を読みつつ、おせんべいを食べるなんて何か日本的でいいじゃないですか!
 と、全てに感動しつつ、最近は休みになるとこのパターンで過ごしている。しかしこの黒胡椒せんべいどこでも売っていない。まだメジャーじゃないんだな、きっと・・・。我が家の方ではドラッグストアーのウェルシアで売っている。ドラッグストアーでおせんべいを買うなんて、ちょっとおかしな感じだけど、最近はドラッグストアーは食品、お菓子など結構品揃えが充実しておりなかなかのものなのだ。しかもこの黒胡椒せんべい、広告の品ということで安くなっているし、いいことずくめだ。
 で、今日、帰りに寄り道をして、ウェルシアに行って、黒胡椒せんべいを補充した。みなさん是非お試し下さい。きっとやみつきになりますよ。

2006年01月06日

今年の計画

 私はあれこれ計画を立てるのは嫌いではない。いやむしろ好きな部類に入るかもしれない。
 で、今年もいろいろ考えてはいる。いるが新年早々腰を痛めて、もう挫折している。やろうと思っていたことが出来ずにいる。でもいくつかこれから先やってみたいと思うことはある。
 その一つが、今年の読書計画である。計画なんて偉そうなものじゃないけど、今年は司馬遼太郎さんの本を中心に読んでいこうかと思っている。実を言うと司馬さんが亡くなってから出版された評論や対談などまだ殆ど手をつけていない。それを今年はきちんと読んでいきたいと考えている。
 それと『街道をゆく』をもう一度読み直したいと思っているのだ。というのも昨年ファイルマガジンとしてこの『街道をゆく』が発刊され、後10冊で完結する。それと一緒に読み合わせたいと思っているのだ。この雑誌司馬さんが訪れた地域をかなり詳しくビジュアル的に紹介してある。これと一緒に『街道をゆく』を読めば、更に理解できそうな気がするのだ。やっぱり頭の中で想像するのと、実際の写真を見ながら読むのとではだいぶ違うんじゃないかなんて考えている。
 これとは別にもう一つ違う本の読み方をしてみたいと思っている。昨年からまったく個人のブログを立ち上げて、自分の趣味である「本を読むこと」をここに書き込んでいるが、それはある意味私の読書履歴にもなっていた。
 今までは読んだ本のことは別にパソコンに書き込んでいてたが、それがこのブログに変わったのだ。だからこれから先、読んだ本のことをここにつづっていくつもりでいる。
 でも、今まで読んできた本の扱いをどうしようかと考えていた。できれば自分の記憶の中にある本も紹介したいなと思っているのである。このブログには「過去に読んだ本」として紹介するつもりで、カテゴリーを作ってある。それをちょっと充実させたいなんて考えている。そのためにはもう一度読み直してもいいんじゃないかと思うので、昔読んだ本を再読してみたいと考えている。その上で、ここに紹介できればと思っている。だから、今年は昔読んだ本で、私の記憶に残っている本を再読したい。

 それとはまったく話は別なのだが、今年はノートパソコンを1台欲しいなぁと思っている。というのも、私の家では家族揃って1台のデスクトップパソコンを使っている。別のそれはそれでかまわないのだが、私個人思いついたことを書きたいとき、わざわざ椅子に座って、構えて書くと、どうもかしこまった感じになっていやだったのである。そのためいつもノートを持ち歩いて、思いついたらそこに書き込んでいる。それをパソコンでやりたいなんて考えたのだ。だから別のハイスペックのパソコンじゃなくてもいい。もちろんインターネットに接続する必要も今のところ考えていない。ちょっと書き込みが簡単にできるやつでいいのである。ちょっと考えようと思う。
 ということで、私にもささやかだけどちょっとした楽しみがありそうな予感がする。

2006年01月05日

ふざけるな!みずほ銀行

 この1日より東京三菱銀行とUFJ銀行が正式に合併し、三菱東京UFJ銀行となって、4日より稼働した。銀行が合併すると支店の統廃合も進み、今まであった銀行がなくなってしまうことも起こる。それでなくてもどんどん銀行がなくなってしまい、御茶ノ水駅界隈にはもう銀行そのものがない。唯一あったみずほのお茶の水支店も先月中旬にATMだけになり、店舗はなくなってしまった。
 お茶の水店の患者さんの一部負担金を入金するため、この支店を使わせてもらったが、それもできなくなりATMで入金するしかなくなってしまった。また銀行がなくなると両替ができなくなってしまう。そのため仕方がないので本部で両替をするようにした。
 まったく銀行というところは自分勝手で、利用者の利便性など考えやしないのだ。こっちだってただで両替をしようなんてもう思わないから、手数料をきちんと払うのだし、そのくらいのことをしたっていいじゃないかと思うのだが・・・。

 たまたま昨日、年末に残してしまった仕事をしてしまおうと、正月休みを返上して、痛い腰を押さえながら、午後から事務所に来た。早速お茶の水店の薬局長からメールが来ている。なんとみずほのお茶の水支店が店だけでなくATMも置かなくなっているというのだ。昨年まであった銀行のシャッターが全部閉まっているというのだ。思わず、えっ!と絶句する。ATMだけは残すとお茶の水支店があったとき確認していたので、話が違う。確か案内も来ていて、お店はなくなるけどATMだけは残すと書いてあったはずだ。思わず嘘だろうと思ったのだが、とにかく何とかしないと入金ができない。仕方がないので今日も出社し、その対応する。
 まずは事実確認をしなければならない。お茶の水店に電話をかけて、かつてのみずほ銀行のお茶の水支店がどうなっているのか確認する。やはりシャッターが閉まっているという。慌てて管轄の九段支店に電話をする。
 まずはどうしてATMもなくしてしまったのかを聞くが、らちがあかない。ただ申し訳ございませんとしか電話に出た奴は言わない。私は昨年12月にお茶の水支店にも確認し、ATMだけは残すと聞いていたし、案内にもそのことが書いてあったじゃないかと文句を言う。(電話に出た奴もATMを残すことは案内にも書いてあったと認めた)
 結局文句を言っても、支店ができるわけでもないし、ATMを設置してくれるわけじゃないことぐらいは分かっているが、ただあまりにも自分勝手に、しかもきちんと案内もせずに全てをクローズしてしまうやり方に腹が立っていた。文句を言わないと腹の虫が治まらないのだ。こんないい加減なことをしていいのだろうか?ふざけるのもいい加減にしろ!と電話に出た奴に20分ぐらい文句を言い続ける。みずほ銀行はこういういい加減な銀行だぞと声を大にして言いたい。私は根に持つタイプだからこのことは絶対に忘れないぞ!

 最近は銀行で口座を開設するのは結構大変なのである。特に法人の場合、会社の謄本を用意しなければならないし、申し込みする人間(この場合私なのだが、私の身分を証明するものが必要となる)
 慌てて九段の東京法務局へ行って謄本をもらい、そのまま口座を開設する銀行へ向かい、何とかりそな銀行の神田支店の普通預金の口座を開設する。これでお茶の水の駅の近くにあるりそなのATMが使えるようになる。
 みずほ銀行のお陰で、腰の痛いのを押さえながら、ひーひー言ってかけずり回るはめになる。しかも今日はやたら寒い。これじゃ腰にも良くない。今年も銀行で悩まされるのかなぁと思いながら、コートの襟を立てながら駅に向かう。

2006年01月04日

新年早々、腰痛に悩まされる

 新年明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。


 と始めたのはいいのだけど、正月早々持病の腰痛が痛み出し、殆ど動けない状況に陥る。ソファに座って本を読んだり、テレビを見たりしていたのだが、立ち上がれば激痛が走り、すっと立ち上がれない。何かにつかまってやっと立ち上がれる始末。これでは何もできない。横になって本を読んだり、テレビを見たりして過ごす。お陰で、見る予定もなかった「電車男」を全部見てしまった。

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う~ん伊藤美咲は楽な仕事をしているなぁ。だって「いえ、いえ」というだけでいいんだから・・・。
 新年早々こんな状態じゃ、先が思いやられる。

2005年12月29日

仕事納め

 会社のみんなは昨日が仕事納めだったが、例年私一人今日出社して、月末の経理処理をする。私は一日遅れの仕事納めとなる。それでも何だか朝の電車は混んでいた。結構人が出ている。それを裏付けるかのように、税理士の水井さんが電話で言っていたが、顧問先の会社がかなり営業しているという。やはり景気は回復しつつあるといっても、ごく一部であって、まだまだ厳しいのが現実なのかもしれない。
 幸いここのところ会社は財務的に落ち着いているので、明日まで銀行が営業していても、お金の移動は予想がつく。資金繰りも問題ないと判断し、明日から正月休みとする。年を越してもすぐ銀行対策をする必要がないので、5日まで休ませてもらい、6日より出勤する予定だ。
 なんだかんだといって、パソコンで資料を作成していたら、もう夕方である。慌てて事務所に掃除機をかけ、机を拭いて、事務所の入り口のドアに町会からもらった「謹賀新年」と書いてる紙を貼る。やっぱりここまでは去年と同じだ。いや、毎年同じ。
 とにかく嫌な一年が終わった。来年こそはと思うけど、おそらく来年もこのまま引きずったままいくんじゃないかと思っている。劇的に変わるということは、この歳になるとなかなかあるもんじゃない。それが現実だ。

 このブログも半年たった。考えてみたら、半年も同じスタイルで続いたのはもしかしたらはじめてかもしれない。いつもちょこちょこ手直ししていたし、せっかく作ったお店のホームページも閉店のため、閉鎖せざるを得なかった。
 今のところこのスタイルが気に入っている。だから来年もこのまま同じスタイルで続けていくことになると思う。
 ここに来年は何が書けるだろうか?思いたったら書き込むことにしているので、まったく予想がつかないけど、スタンスとして自分に正直でありたいと思っている。その上で私が感じたこと、経験したことなどを私なりに表現できればいいと思っている。
 このブログをどれだけの人が読んでくれているのか分からないけど、今年一年お付き合いしてくれた方々、つたない文章、悪文にお付き合いして下さって、ありがとうございます。来年も同じように書き込みますので、よろしかったら、お付き合い願います。

2005年12月24日

激太りのサンタさん

 今年は大学の友人と4回も会って、酒を飲み、笑い、楽しい時間を過ごした。特に今年は22年ぶりに友人と再会したので余計である。
 22年も会わなかった理由は、ただ二人とも無精で、連絡を取り合うのが面倒であっただけで、それがいつの間にか22年もたってしまったということなのだ。
 で、今年クラス会をやると聞いて、急に奴と会いたいと思い、苦労しながら(奴の都合なのだが)連絡がつき、6月に会った。
 当然私の記憶の中での奴は22年前の姿で止まっている。もちろん加齢に伴い様々な問題は身体のあちこちに現れているだろうということは想像できたが(特に頭部に)、その6月に再会したときは、その想像を超えていた。頭はハゲあがり、それをカバーするために無理にきたない口ひげをはやし、更にその激太りぶりは、一瞬こいつ誰だと思ったくらいであった。でもその後懐かしさや、それまで何をしてきたか話に夢中になり、時間を忘れるほどであった。そして昨日集まれる友人達と忘年会をやった。もちろん奴も呼ぶ。
 確かに6月に一度奴と会っているわけだから、当然免疫は出来ているはずで、待ち合わせ場所に奴が現れてもすぐ対応できて然るべきなのに、いきなり「ヨォ~!」と言われてしまうと、思わずたじたじとなってしまう。
 まぁいい。とにかくメンバーが集まり、酒も料理も注文し、みんなが話し始めたら、奴はいきなりクリスマスプレゼントと言って小さな包みを渡す。ここでクリスマスプレゼントとは想定外のことで、ちょっとみんな戸惑った感じではあったが、「こういうのも、まぁ有りか・・・」と奴からのクリスマスプレゼントを受け取る。そういえば奴にはこんな様にならないキザな部分があったよなぁと思い出す。(今回は他にも昔の奴を思い出させてくれることがあった)
 プレゼントの中身は「THE BODY SHOP」のアロマキャンドル入りのボディーシャンプーであった。もちろん男の私がこんなものもらってもどうしようもないものだから、帰りに神田川に捨てると言うと、女性陣に娘にあげればいいと言われ、家に帰ったら娘に「こんなしょうもないものもらった」と言って渡す。聞いたら「THE BODY SHOP」って有名なんだそうだ。とにかく急に激太りのサンタさんが現れたわけだ。それから奴は面白い話題を提供してくれ、大笑いさせてくれた。

 こうして昨日のことを思い出してみると、今年は奴に会えてよかったんだと思った。もちろん他の友人とも楽しく話す機会が増え、ただでさえ気分が落ち込む年であっただけに、このことは私にとって今年の一番の収穫だったかもしれない。

2005年12月19日

本をインターネットで注文し、本屋さんで受け取る

 以前銀行の窓口で手続きをするのが鬱陶しいと書いた。窓口の女の子を通してお金をおろしたり、振込をしたりするのが嫌だからである。だから機械でやれるのは非常に精神衛生上よろしい!というわけで、殆どが機械やパソコンでやってしまう。
 本の注文もこんな感じでできないだろうかと思っていた。以前は本屋に勤めていたから、何でも自分でやってしまえばいいので、人の手を煩わすこともなく簡単にできたのだが、最近はそれが出来なくなって困っていた。アマゾンなどネット書店で注文すればいいのだろうけど、どうもリアル書店に長いこと勤めていた関係か、本の注文は本屋さんで注文するものだという頭がある。古くさいと言われようが、そういう風にインプットされちゃっているものだから仕方がない。
 で、以前、店頭で本の注文をしたことは書いた。でもやっぱり鬱陶しい。

私は

すみませ~ん


本の注文お願いしたいですけど・・・

と卑屈にお願いしなければならないし、

え~っ、こんな本を注文すんの~

ねえ、ねえ、この人こんな本読むだって~

と言われているような気がしてしまうのだ。(このパターン、一度覚えるとやるとやめられなくなるのはまずいなぁ~)

 でも本はやっぱり本屋さんで買いたいというのがあるから、どうしたらいいか困っていた。そこで日販がやっている「本やタウン」というサイトで本を注文して、指定した本屋さんで本を受け取ることができることを知る。早速登録して本の注文をやってみる。すると以下のようなメールが来る。


○○ ○○ 様

 「本やタウン」をご利用いただきありがとうございます。
今回のご注文は下記内容にて承りました。万一ご注文されたものと
相違がございましたら至急「本やタウン」事務局
までメールにてご連絡ください。

 なお本メールにて表示されております在庫情報は、ご注文時点で
の情報のため変更となる場合がございます。商品の調達状況につき
ましては、別途メールにてご連絡いたします。

 ご注文いただき誠にありがとうございました。


◆◆◆ご注文された覚えがない方へ◆◆◆
 「本やタウン」にご注文していないのにこのメールが誤って送ら
れた場合、お手数ですがその旨入力の上、発信者宛にそのまま返送
して頂きますようお願い申し上げます。お手数をお掛けして誠に申
し訳ございませんが、何卒よろしくお願い申し上げます。

 *******************************************

ご注文No.   :07095316
ご注文日時  :2005/12/16 12:34:21
備考     :

こちらの画面から、お客様の注文内容・商品の最新の調達状況が確認できます。
https://www.xxxxxx


【ご注文商品 No.01】
 商品名   :ある首斬り役人の日記  
        
        フランツ・シュミット
 メーカー  :白水社
 税込価格  :998円
 ご注文数  :1

 通常1~3日以内で出荷します


合計金額   :998円(税込)

■店頭でのお引渡し(ご指定の店舗店頭でのお引渡しとなります。)

■受注書店
 書店名   :有隣堂ヨドバシAKIBA店
 郵便番号  :101-0028
 住所    :東京都千代田区神田花岡町1-1ヨドバシAKIBAビル7階
 電話番号  :03-5298-7474
 E-MAIL   :info-akiba@yurindo.co.jp
 営業時間  :9:30~22:00
 定休日   :なし


◆ご不明な点などございましたら
「本やタウン」事務局 < info@honya-town.co.jp > まで
メールにてお問い合わせください。

============================================
「本やタウン」
 URL http://www.honya-town.co.jp/
E-Mail info@honya-town.co.jp

日本出版販売株式会社 本やタウン事務局
〒101-0062 東京都千代田区神田駿河台2-8
        瀬川ビル7F
TEL 03-5282-2817   FAX 03-5283-6507
============================================

 これはいい!後は本が入荷したらお店に取りに行けばいい。本屋さんに行くことは大好きなので、別に嫌じゃない。翌日またメールが来る。

○○ ○○ 様
「本やタウン」をご利用いただきありがとうございます。
ご注文いただきました下記の商品につきましては、
弊社より受注書店へ出荷いたしました。
詳しくは下記をご覧ください。

 *******************************************

ご注文No.   :07095316
ご注文日時  :2005/12/16 12:34:21
備考     :

こちらの画面から、お客様の注文内容・商品の最新の調達状況が確認できます。
https://www.xxxxxx

【ご注文商品 No.01】
 商品名   :ある首斬り役人の日記  
        
        フランツ・シュミット
 メーカー  :白水社
 税込価格  :998円
 ご注文数  :1

受注書店に出荷いたしました。書店への到着予定日は12/19です。

合計金額   :998円(税込)

■店頭でのお引渡し(ご指定の店舗店頭でのお引渡しとなります。)

■受注書店
 書店名   :有隣堂ヨドバシAKIBA店
 郵便番号  :101-0028
 住所    :東京都千代田区神田花岡町1-1ヨドバシAKIBAビル7階
 電話番号  :03-5298-7474
 E-MAIL   :info-akiba@yurindo.co.jp
 営業時間  :9:30~22:00
 定休日   :なし


◆ご不明な点などございましたら
「本やタウン」事務局 < info@honya-town.co.jp > まで
メールにてお問い合わせください。

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「本やタウン」
 URL http://www.honya-town.co.jp/
E-Mail info@honya-town.co.jp

日本出版販売株式会社 本やタウン事務局
〒101-0062 東京都千代田区神田駿河台2-8
        瀬川ビル7F
TEL 03-5282-2817   FAX 03-5283-6507
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 今日、もう本がお店に入っているらしい。きちんと入荷状況が確認できるというのは安心だ。一昔前みたいに、本を注文したのはいいけれど、今どこにその注文が行っているのか皆目分からない状況とは全く違う。
 こういうのは、書店にしても楽だろうし、ミスがないだけにいいのかもしれないと思う。
 以前本屋さんで本を注文する場合、まず書名や著者、そして出版社などをきちんと調べて、店頭で書店員に依頼する。書店員はそれを注文短冊に書いて、本の発注をする。ここでミスがあれば、もちろん本はお客の元には届かない。しかもいつ入荷するか分からないし、注文の本が手元に届くまでに時間がかかる。
 ところがネットで本の注文をする場合、正しい書名、著者、出版社がデータベースから把握できるし、そのままワンクリックで注文してしまえば、すぐ問屋の注文センターへデータがいってしまう。つまり書店から問屋へ注文がいく時間がかからない。その上データのみが問屋にいくから、本を集める側も効率よく集品できると思われる。後はその本を指定の本屋さんへ配送すればいい。今までかかっていた人の手を極力減らすことで、かかる時間を少なくする訳だ。本屋さんだって、わざわざ受付をしなくてもいいし、勝手に注文してくれるから楽であろう。
 いずれにせよ、このシステムは私にとってみればいい。これから使わせてもらおうと思う。

2005年12月17日

ポリープが消えた?そして歯医者探し

 大腸にポリープができていて、それを切除したことは以前書いた。そして先日胃の検診を受けてその結果が来た。異常なしというのである。
 実はこの2つの検診は毎年受けていて、胃についても昨年はポリープができていた。そのため胃カメラを飲んで、再検診を受けた。幸い良性という診断が出て安心したが、当然今回もポリープがあるもんだと思っていたし、今年も再検査のためあの嫌な胃カメラを飲まねばならないと覚悟はしていたのだ。
 それが異常なしというご判断だから、思わず「えっ?」と思ってしまったわけである。本当かよと疑っているのである。どうして昨年まであったポリープが消えてしまったのか不思議なのである。ちゃんと見ているんだろうかと思う。異常がないというのだから、素直に喜べばいいのだが、どうもおかしいんじゃないかと疑ってしまっている。

 人間50年近くやっていると身体のあちこちを修復しないとならないのは、いささかうんざりしてしまうのだが、こればかりは仕方がない。できる範囲で何とかしたいとは思うのだが、これから先を考えるとこんなことばかりで神経をすり減らすのもどんなものだろうか・・・。

 そういえば、歯の検診も受けないといけないのだ。私は歯槽膿漏の気があるので、ちゃんとケアしないとまずいらしい。そのため1年に一回は歯石や歯垢をきちんと取っておく必要があるというのだ。それでかかりつけの歯医者さんを決めて、ケアをしていたのだが、その歯医者さんが廃業しちゃったのだ。行ける歯医者さんがなくなっちゃったのだ。それでかなり困っている。
 かみさんがインターネットで人気の歯医者さんを近所で探してくれるのだが、どうも尻込みしている。
 候補の一つである歯医者さんは毎週買い出しに行くスーパーと同じフロアーにある。最初はここにするかと思って、買い出しのついでに様子を見たのだがちょっとなぁと思ってしまった。野菜や魚の売場と同じフロアーにあって、買い物の袋を持ってよたよたと歩いているおばさんたちが歯医者さんの前を歩いている。ガキが走り回っているのである。いくらついたてがあっても、入るのに勇気がいる。こんなところで大きな口を開けて歯を診てもらっている自分を想像すると思わず

本当に大丈夫かぁ~?!

と思ってしまう。(なんだか真鍋かをり風になっているが・・・)

 ここはちょっとパス!しよう。ここはまずい。とにかく今年も残りわずか。しょうがないから今年はこのままにして(幸いどこも歯は痛くないので)、年が明けたら本格的に歯医者を捜そうと思う。

2005年12月14日

謝金振込希望金融機関記入票

 以前中央社会保険医療協議会の「医療経済実態調査」に協力したことがあった。結構細かいことが質問されていて、正直面倒であったのを覚えている。もともと協力するつもりはなかったのだが、うちの社長が協力するよう命令するので、仕方なしに質問事項に書き込んだ。
 当社の会計処理上、質問に完全に答えられない部分があって、その場合どうすればいいのか、電話をかけて聞いたりしたし、調査票を送った後も、中央社会保険医療協議会から問い合わせがきて、何か答えたのを覚えている。
 で、協力してくれたから謝礼をしたいという手紙が来た。そこには謝礼金を振り込むから「謝金振込希望金融機関記入票」を記載して送ってくれとある。思わずなんだこれ?と思っちゃった。
 この「謝金振込希望金融機関記入票」の記入の仕方が別紙で同封されていたが、これが頭にくる。だいたい謝金振込希望金融機関というのが気に入らない。本当にお礼をしたいならこんな票を書かせないだろう。ここにはお金を払ってやるから取引金融機関を書けと言っているもんじゃないか!
 挙げ句の果て、期限内に返信しな場合や記入が不備があれば「謝金が振り込まれない場合がございますのでご留意願います」とある。なんだかこちらが礼金をものすごく欲しがっているみたいに書かれているのが腹が立つ。
 どうしてこうも大げさにしなければならないのかよく分からない。別に謝礼がほしいとは思わないし、どうせ大した金額じゃないのだろうから、適当にやればいいのに思うのだが・・・。どこにこうも大上段に物事を構える必要があるのか不思議である。たかが礼金だろう!これも国民から徴収した税金で支払われますから、ちゃんと書いてというなら、お前らが無駄に使っている税金はどうなんだと言いたくなってしまう。こんな細かいことばかりやるから役人の数が必要になるのだ。もっと効率的やれ!と文句を言いながら、取引口座を記入した。まったくもう!暮れの忙しい時に手間ばかりかかることをやらせるもんだ。手紙の末文には「時節柄ご自愛のほどお祈り申し上げます」とある。よくもこう心にもないこと書くもんだ。

2005年12月12日

目録を開く

 2~3年前にインターネットで古本を買った古本屋さんから毎年自分のところにある古本の目録を送ってくれる。この目録かなりしっかりしたもので、B5版の総ページ数が366ページもある。しかも今年は表紙、裏表紙ともカラーになっていて、これは結構お金がかかっていると思われる。しかも送料もかかるわけだから、何だかただでもらっていては申し訳ないほどである。
 その目録のページをぱらぱらめくっていて思った。そういえば最近目録に目を通さなくなったなぁと。
 昔は各出版社の出版目録や文庫、新書の目録を何社か持っていた。だいたい1年1回ほど新しい版が出るので、それを差し替えて持っていた。その目録を見るのが大好きであった。特に本屋で仕事をし始めたときなどは、自分の知らない本がたくさんそこにはあって、ページをめくるたびにどんな本なんだろうと思ったものである。あるものは読んでみたいとさえ思ったものである。
 所詮本屋の店頭に置ける本などたかがしれている。まして私が働いていた本屋など小さなものだから余計である。当然知らない本がたくさんあった。それをカバーしたのが目録であったような気がする。今はインターネットで検索が簡単にできるシステムがあるから本を探すにもそれほど苦労がいらないが、ちょっと前までは、お客さんから注文などで本を調べないとならないときは、ぶ厚い日本書籍総目録や問屋の検索システムで電話を使って問い合わせていた。後は本屋さんの知識がものを言う時代であったのだ。それに当時の本屋さんには本のことを詳しく知っている店員が一人くらいは必ずいたものであった。それが最近はブックアドバイザーなんてしゃらくさい名前の付いた担当者を置いている大手書店があるけれど、たぶんそんな奴らは、パソコンの端末の使い方を知っているだけで、長いこと本に直に触れてきた人間じゃないだろうと思われる。そんな奴らに本のアドバイス受けて、何を教えてくれるのだろうと思う。昔は書店員が全員ブックアドバイザーでったのだ。それも汗水流しながら、本に触れ、棚に入れ、配達し、お客様がレジに持ってきた本をカバーし、そして返品伝票を手書きで本を手にしながら書いたから、身をもって本のことを知り得たのである。又自分たちもお客様と一緒になって本を探した。これら目録を何冊も見て、探したものであった。ある意味各社出している目録は書店員の教科書であったかもしれないと思う。
 今はさっきも書いたけどインターネットで検索が簡単にできるから、それはそれで便利なのだけど、時にはこうして実体のある目録をぱらぱらめくってみるのもいいもんです。ページを手で実感しながら、そこに紹介されている本のことをあれこれ想像するのは最高である。

2005年12月07日

身の丈以上の幸せ

 ブラウザーを立ち上げると、私の場合MSNがトップページになっている。朝起きて、まずMSNのニュースを見る。毎日新聞のニュースなのだがそこにこんなのがあった。

耐震偽造:公営住宅支援の902戸 応募は22件のみ
 耐震データ偽造問題で、各自治体がこれまでに支援策として打ち出した公営住宅の提供戸数計902戸に対して、6日現在、応募は22件にとどまっていることが毎日新聞の調べで分かった。住民からは「満足できる住空間がない」「通勤・通学の便がよくない」などの声が上がっている。分譲型マンションの居住者計294世帯中、転居を済ませたのは判明分で12世帯だけで、多くの住民が危険なマンションにとどまっている。国が発表した公的支援策にも公営住宅の確保や公営住宅家賃の無料化が含まれているが、こうした支援が住民の要望に応えているとは言えない実態が浮かんだ。

 ◇「分譲」居住者、転居は12世帯だけ

 毎日新聞は、国土交通省が偽造があったと5日までに確認した物件のうち、完成済みマンション17棟の居住住民数や移転状況、関係自治体の支援状況などをマンション管理組合や自治体担当者に聞くなどして調べた。

 その結果、偽造発覚前、マンション17棟には計526世帯が入居し、家族数などが分かった世帯分の合計から少なくとも990人が居住していたことが判明した。7棟は賃貸型で、計232世帯のうち既に122世帯が引っ越した。

 一方、10棟の分譲型マンションのうち4棟では全世帯がいまだに危険なマンションで暮らす。10棟の計294世帯中、転居を済ませたのは12世帯しか判明していない。

 これまでに各自治体が支援策として打ち出した公営住宅の提供戸数は、東京都の500戸など計902戸に上る。しかし、応募は7日を締め切りとする都の11件が最多で、270戸提供予定の千葉県、14戸の同県船橋市などでは、まだ応募がない。

 東京都江東区の「グランドステージ住吉」に住む会社員の男性は「公営住宅は狭いし、通勤にも不便なので、民間の賃貸物件を探している」と話す。こうした状況について、都の都市整備局は「短期間の移転先として募集したが、住民は移転先を本格的に探そうとしているのかもしれない。今後の対応は改めて検討したい」と話している。

毎日新聞 2005年12月7日 3時00分

 これを読むと、毎日新聞は住民の支援が充分でないという主張だ。(馬鹿な新聞だ。きっと正義の味方、弱者の味方を気どっているのだろう。)だけどこれってマンションの住人のわがままじゃないのかと思ったのだ。これだけ支援されて、「公営住宅は狭いし、通勤にも不便なので、民間の賃貸物件を探している」とはふざけた話じゃないかと思ったのだ。
 元々このニュースを読んだり、見たりしていてどこか不愉快になるのは何だろうと思っていたところが私にはあった。マンションの住人の代表が涙を流しながら、自分達が窮地に立たされていることを訴えていたのを見て、おいおいと思ってしまった。
 たとえそれが震度5強で倒壊するマンションであっても、元々相場より広くて安いマンションを買ったのはあんた達だろう。ヒューザーが瑕疵担保責任を負えないから、国に何とかして欲しいと泣きつき、国は国でマンション建設に当たり監督管理をする義務があったが、それが機能しなかった。だから国にも責任があるということになり、これは責任上支援しなければならないということで、国がお金を出すハメになっただけである。そういう事情をこれらの住人は理解しているのだろうかと思う。
 狭くて、通勤に不便という言葉は、恐らくこの事件が発覚する1ヶ月前まで、「通勤に便利でしかもこんな広いマンションに住めて幸せネ。しかも安かったし」という気持ちがここの住人あったから、こんなことを言うのじゃないかと思う。私は身の丈以上の幸せを求めた結果じゃないのかと言いたくなる。
 あんた達が早く退去しないと、地震があったとき、マンションのある近隣の人達に被害が及ぶことになることを分かっているのだろうか。もし私が住んでいるところにこんなマンションがあったら不安でしょうがない。自分達のことばかり考え、他人に迷惑がかかることを考えない姿が頭にくる。
 こんな住人には「安物買いの銭失い」を思い知らせるべきだと思っている。こんなことを言われるとますます国がこれらマンションの住人を支援するのは反対である。このマンションの住人はこんなことばかり言っていると、国民全体からそっぽをむかれることを知るべきである。それでなくてもやりすぎな部分が国にはあるのだから・・・。

2005年11月28日

ALWAYS 三丁目の夕日

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 岩本町店を閉店したときに、岩田店長からもらったものがある。一つは新潮文庫の「Yonda君」のディスプレイと、西岸良平の「三丁目の夕日」に出てくる「鈴木オート」の名前の入ったオート三輪車のミニチュアである。
 で、土曜日に「ALWAYS 三丁目の夕日」を見に行く(あんまり関係ないけど)。この映画を見たいと思ったのは、昭和30年代の風景を見たかったからで、単純に「懐かしさ」からだ。私は昭和31年生まれだから、この映画の設定である昭和33年の時はまだ2歳でしかない。けれど、自分が子供の頃に覚えている風景は、この映画にもあった。映画館の席を見渡してみると、結構年配者の方が多かったのを見ても、この頃を生きていた人達が、私たち夫婦同様懐かしさから見ているのではないかと思った。
 話の内容は大したことはなく、ストーリーも単純なのだけど、この映画はそれでもいいのだろう。見ていて思ったのは、とにかく人が「低い」ところで生活していたんだということだ。だから当時は空が大きく見えていたんだなぁと改めて思ったし、夕日だって、東京タワーだって大きく見える訳だ。時間が素肌で実感できた時代だった。
 子供の頃を懐かしく思うなんて、それだけ歳をとったということだろうが、事実来年は50になっちゃうんだから仕方があるまい。
 かみさんが言っていたが、夫婦のどちらかが50歳になったら、映画を二人で行くと2,000円で見られるらしい。歳をとったことで割引が受けられるなんて考えたことがなかったけど、もうそういう年齢に差し掛かってきているのだ。やれやれこれからこんな特典が増えていくのだろう。そして今の老人が優遇されているのと同じように、そういう特典が当たり前だと思うようになっちゃうのかもしれない。昔が懐かしくなってくるのも当たり前か。でも何か寂しいなぁ・・・。

2005年11月18日

あのあと

 先日やっと書店の残務整理と会計上の伝票処理を終えて、税理士さんに伝票を渡した。そして今日、4月まで岩本町店があったところに、VELOCEがオープンした。
 4月までいたところがどんな風に変わったのか知りたくて様子を見に行く。できる限り店内を見渡せる席を見つけそこに座る。座ってみるなり、私の席の後ろにある壁には、かつて文芸書の棚があったんだと思ったし、喫煙席になっている奥の方には文庫の棚があったんだと4月まであったお店のことを思い出す。このビルの構造上取り除けない柱がかろうじて当時の面影を残している。
 確かに4月まで私はここで働いていたのだと思ったが、その柱以外当たり前だけど何も残っていない。

 私はいつも閉店した店の残務整理を最後までやってきた。新大久保にあったお店の後出来たコンビニにも行ったし、秋葉原店の後に出来た喫茶店にも行った。大手町の合同庁舎にあった店の後が空いたままになったのも見てきた。りそな銀行の本店の売店にあった店の後も、ジュースなどのストッカーなどが置かれているのも見てきた。今回みたいにわざわざその後を見に行ったのもあるし、閉店後も必要があって行った場合もある。今日もそうだけど、あの時もやはり寂しい感じを持った。
 今店にいるお客さんはここにあった本屋さんのことなんて気にもしていないだろう。ふと岩田さんのことを思い出した。岩田さんは今頃どうしているだろうか?彼がここで一人で頑張ってきた姿が目に浮かぶ。岩田さんは自分が働いてきた場所がこんな風に変わってしまったことをどう感じるだろうか?多分彼はきっとここには来ないだろうなぁと思った。

 社長が閉店を決断し、それを我々に話したとき、彼は我々の前で泣いた。正直彼がここで涙を流すなんて思わなかったので、彼の態度の急変に驚いてしまった。彼は悔しかったに違いない。どんなに頑張っても、どんなに苦労しても、一向に売上が伸びないことに彼は自分自身の能力の限界に涙したのかもしれない。あるいはもっと別な思いが彼の涙にはあったのかもしれない。
 とにかくここに座って、これを書いていると、ちょっと前のことなのでけど、様々なことが思い出されてくる。

 i-pod聞きながらこんなことをノートに書いた。帰ろうと思ったとき、中村雅俊の古い歌が流れてくる。けっ、何もこんな時にこんな歌など流れなくてもいいのに思いつつ、VELOCEを出る。

2005年11月09日

見栄っ張り

 我が社のコピー機でお世話になっている青木さんが以前事務所にお見えになって、今度「Security&Solution」というフェアをやるので、是非来て欲しいと頼まれる。普段ならいくらお世話になっているとはいえ、わざわざ足を運んで行くこともないのだが、青木さんの話を聞いていると、参加者がどれだけいるかで、青木さんの営業成績に影響するらしい。こうなると普段お世話になっているだけに行かないわけにはいかなくなる。
 もらった招待状には担当者として青木さんの名前もきちんと入っている。これを持って会場である有楽町まで行く。まぁ、行けば義理は果たせるわけだ。
 「Security&Solution」というけど、行ってみると文房具、OA機器の展示会であった。いろいろな文房具の見本がただでもらえるらしく、多くの女性が受付でもらった紙袋にどんどん見本の文房具入れていく。見本といったってちゃんとしたものだから、もらえば使える。
 しかし、このただでもらえるというのに、私はそれをうまくもらえない。何だか物欲しそうに見えちゃんじゃないかと思って、うまく手が伸ばせないのだ。こういうのは本当に苦手だ。もちろんただなら私も欲しいとは思うのだけど、ただうろうろするだけ。
 青木さんの名前の入った招待状も受付で出したから、彼に義理も果たしと無理に見栄をはって、さっさと帰ろうと思っていたところに、青木さんが私を見つけて、寄ってくる。うろうろしている私を見て、私の代わりに様々な見本の文房具をもらってくれた。
 それにしても女性はこういうときは図太いもんだと改めて思った。彼女らが持っている紙袋はほとんどもらった見本でいっぱいになっていた。こういうときは体裁を気にしていたらダメなんだなぁと思った次第だ。見栄っ張りは損だネ。

2005年11月06日

お世話になりました

 先生には以前私の大腸にあるポリープを見つけてもらい、それが一部がん化していたことが、取ったものを検査したら分かった。幸いその部分だけで済んだので、今こうしてこんなことを書いている。先生にも「命拾いしたなぁ」といわれたくらいだった。それ以後、私は毎年先生のところで定期検診を受けている。
 ここの病院には内視鏡による検査が出来ないから、バリウムを注腸してX線で検査する。しかし今回そのX線にうまく写らない部分があって、不安だから内視鏡検査をした方がいいと言われたのだ。先生にしてみれば写っていないところそのままにして判断を下すわけにもいかなかったのだろう。考えてみればこれだけでも有り難い。このまま放って置かれたんじゃたまったもんじゃないからネ。
 で結局写っていない部分にポリープがあって、それを切除したもらった訳だ。どうも私の大腸はポリープが出来やすいようだ。来年もきちんと検査した方がいいと内視鏡検査をしたくれた先生に言われた。
 となると、バリウムによる注腸診がいいのか内視鏡検査がいいのかこれが問題になる。そしてバリウムによる注腸診のレントゲン写真の枚数が非常に多いことが以前から気にはなっていた。つまりレントゲン写真による被爆の問題である。これだけレントゲン写真を撮っているわけだから、たとえば胸のレントゲン写真を撮るのとは訳が違う。インターネットで調べてみると、バリウムによる注腸診が診断1件当たり実効線量当量(ミリシーベルト) で3.2と一番高い。だろうなぁと思う。
 もちろん検診で被爆の心配は少ないのだろうが、全く影響がないとは言い切れないだろう。しかもそれで完璧に腸内が写っているならともかく、写らない部分も出てきてる以上、となると内視鏡検査に切り替える方が賢明じゃないかと思い始めたのだ。
 ただそうなるとここの先生の所では検査出来ない。だからといって勝手に先生の所から他の先生の所へ変えるのは、今の先生を裏切る感じがして嫌なのである。正直困った。これはきちんと先生と話し合って決めるべきだなと思ったのだ。もし検査がバリウムによる注腸診で大丈夫といわれたどうしよう。その時は被爆の心配を話し、その上で自分で判断するしかない。
 昨日先生所へ行って、今後の検診をどうしたらいいのか聞いてみた。先生は私みたいにポリープ出来易い体質の人は今後内視鏡検査で検査をした方がいいかもしれないと言ってくれた。これを聞いて安心した。先生自らそう言ってくれたことで、私の方は内視鏡検査に切り替え易くなった。私もそのようにしますといって、お礼を言って診察室をでる。これで大腸に関してはここの先生のお世話にならなくなったわけだ。でもこうしてみるとやっぱりいい先生だったと感じる。

2005年11月02日

3悪地区の1位秋葉原

 週に1回はヨドバシカメラマルチメディアAkibaの有隣堂に行くことは何度も書いた。お店に行けば当然どんな本や雑誌が並んでいるのだろうと、店内を一周するが、平台に「Tokyo Walker」の別冊だろうか「Akiba Walker 秋葉原ウォーカー」というのはいっぱい並んでいる。

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 要は最近話題の秋葉原特集というやつだ。中を覗いてみると、やっぱり「萌え」が中心になっている。やれやれと思いつつ、いくら秋葉原をIT産業の中心にして情報発信基地みたいにしたいと言っていても、「萌え」が秋葉原の代名詞になってしまうようだ。
 だいたいインターネットをつかった産業は本来場所を選ぶ必要がないだろう。当然こんな地べたの高いところで拠点を構えないと思うのだがどうだろう。となるとやっぱり秋葉原の代名詞は今のところ「萌え」なんだろう。
 ところで「週刊千代田」のという地域新聞があるのだが、ここに「歩きタバコ禁止条例3年」という記事がトップにあった。千代田区では歩きタバコをすると2,000円の過料が徴収されるのだが、それがこの3年間で17,000件に達したというのだ。確かに歩きタバコは危険だし、ポイ捨ての原因になるから、罰金を取ることには反対はしないし、過料2,000円というのは安すぎるとさえ思っている。調べてみると、過料の最高限度額は50,000円以内とあるから、それぐらいとってもいいとさえ思っている。2,000円というのは「あっ、しまった!」ぐらいの気持ちしか起こらないような気がしてしまう。これはやばいと思うぐらいの金額を徴収する方がいい。そうしなければ歩きタバコなんてなくならないだろう。
 私が朝晩、岩本町から秋葉原駅前を通って事務所があるところまで歩いていると、必ず一人や二人歩きタバコをしている奴らを見かける。これは一体どういうことなのだろうか?歩きタバコを監視する奴も9時から5時までが勤務時間だから、その間は野放し状態になっているのではないかと思うのだが、どうだろう?この時間帯に監視していれば、結構お金が徴収できるのにと思う。いや、それは勤務時間外だから出来ないというなら、この過料を2,000円じゃなくて、たとえば20,000円にすれば、十分人件費もペイ出来るような気がするし、それこそ歩合制にしてやれば、どんどん徴収出来そうだ。そのくらいやらなければ片手落ちだ。やるならそこまでやるべきじゃないかと思う。
 さてこの新聞によると、「3悪地区」というのがあって、1位が秋葉原の3,889件、2位が靖国通り3,724件、3位が有楽町の2,431件で、この3悪地区で全体の56.4%を占めるらしい。やっぱり秋葉原は多いのだ。ITだ、情報発信基地だ、萌えだといったって、所詮ここにいる人間の質がそんなものだからたかがしれている。特集号を出してまで自慢できる町じゃないような気がする。

 ところでこの歩きタバコの違反が過料2,000円というのに反対意見あってそれが面白かったので、ついでに載せておく。

①路上で喫煙規制をするならタバコを吸える場所を設置しろ
②この地区でタバコが吸えないなら、この地域だけはタバコ税を返納すべき
③吸えないなら、タバコの自販機を設置するな
④個人の嗜好を条例で規制するな
とある。
 喫煙者である私としては、①はあったらいいなぁとは思う。②関しては本当ならそうすべきと言いたいところだけど、それは何だか言いがかりのような気がする。それが嫌ならタバコをやめればいい。③に関しては、吸えないなら、吸わなきゃいいのであって、自販機には関係ない。④に関しては論外。個人の嗜好を規制しているんじゃない。迷惑だから規制しているのだということを忘れ、八つ当たりとしか言えない反対意見で、これじゃ話にならないだろう。

2005年10月29日

再検査

 金曜日の夜、下剤のプルゼニドを6錠飲んで寝る。翌日6時からニフレックを溶かした水2リットルを1時間半で飲み、大腸の中をきれいにする。その間例のごとく何度も何度もトイレに行く。もう何にも出ないよという状態までしなければならない。
 前回大腸の検査でちょっと疑わしい部分があると言われ、内視鏡の検査を勧められ、病院を紹介された。そして今日、その検査を受けた。
 3年前に、やはり大腸にポリープがあることが分かり、内視鏡で切除してもらったことがあり、内視鏡検査がどんなものか分かってはいたので、あまり気が進まない。
 こうして下剤を飲んで、お腹なの中をすっきりさせるのも大変だし、おしりから内視鏡を入れられるのも、正直恥ずかしい。まして若い看護師さんが二人もついているのだから余計である。何でこうなるのかなぁと恨みつつ、検査用のおしりに大きく穴のあいたブルーのパンツを履き、検査室に入る。
 大腸内に内視鏡が入る。これが痛い。ちょうど大腸のカーブしているところが最悪で、思わずウォ~と声が出てしまうのをかみ殺す。看護師さんは私が苦しんでいるところを察して、「はい、大きく深呼吸して!」と何度も言ってくれるが、それどころの話じゃないって!
 何とか落ち着くと、自分の大腸の中をモニターで見ることが出来る。以前にも書いたけど、自分の内臓を画面で見るってなんか不思議な気分だ。
 疑いのある箇所は、何ら問題がなく、大丈夫ですねと先生は言ってくれたが、1つポリープが発見され、それを切除してもらう。
 何とか検査は終わり、ほっとする。すると車椅子が用意され、病室へ運ばれる。何で車椅子に乗らないとならないのかよく分からなかった。車椅子に乗るほど重傷じゃないし、それに歩けるって!と思ったが、強引に座らされる。仕方がない。そのまま車椅子を押してもらい、病室に入る。止血剤の注射を打つからここで休めという。ベットに横になり、止血剤の注射を打ってもらう。1時間ほど様子を見るからここにいろという。けどたかが検査じゃないかと思い、そんなにここにいる必要があるのか看護師さんに聞いてみる。何ともなければ30分ぐら横になっていて、それから出て行ってもいいですよという有り難いお言葉を頂く。もちろんそうさせてもらう。病人じゃないのだからこんなところに長居したくない。さっさと会計を済まし、自宅へ帰る。11月4日に取ったポリープの病理検査の結果出るからその日に来いと言われる。
 もう完全に検査疲れとなってしまい、午前中でへとへとだ。まずはお腹が張っているので(たぶん空気を又入れているんだろう)、それを出してすっきりしたところで昼寝をする。
 でもこうして下剤を飲んで、何もない状態だから、お腹の中がすっきりしている。苦しい思いはしたけど、これだけはよかったかもしれない。何だかお腹がすいてきた。

2005年10月25日

りそな当座カード

 私は銀行の窓口で手続きするのが大嫌いで、出来る限りそんなことにならないようにしている。たとえば総合振込、給与振込、住民税納付はパソコンで済ましてしまうし、源泉の納付にしても、事前に小切手を切って、納付日を10日に指定して、先に手続きをしてしまう。そうすれば10日には銀行のメールボックスに納付書の領収書が入っているので、ついでの時に取りにいけばいい。(住民税はパソコンで納付できるのに、どうして源泉は出来ないのか不思議なのだが・・・)
 どうして窓口で手続きするのが嫌いなのかというと、基本的に銀行が嫌いなのだ。ちょうどこの本部の仕事をやることになった頃、我が社は銀行からの借入の返済で殆ど余裕がなかった。毎日当座の残高を確認していた。銀行から借入をしているものだから、いつも銀行に対して気をつかい、年始に行きたくもない賀詞交換会なんか社長と二人でとぼとぼと出かけて、支店長におべっかを使っていた。
 幸い財務体質が改善して、銀行に対して何も気にする必要がなくなったけど、当時の銀行に対する卑屈さがトラウマになっていて、未だに銀行には行きたくないのだ。しかし経理をやっている以上、銀行とは手は切れない。だから最低必要源に済まそうとしている。でも、最近は窓口にわざわざ行かなくても機械がほとんどやってくれるので、だいぶ助かる。ただ、当座預金から現金を引き出す時はどうして窓口で裏判を押した小切手を持って、現金化する必要があった。
 当座預金は決済預金なので、ATMが使えない。それが使えるようになった。早速手続きをして「りそな当座カード」を作ってもらう。今日それを使って現金を引き出した。これはいい!これでうざったい窓口の女性と会話しなくていいと思うと精神的によろしい。それに細かいことだけど、小切手帳の消費量も少なくなる。だって今りそなの小切手帳は50枚綴りで2,000円もするのだ。(ちょっと前まで税込で630円だったのに・・・)
 ということで、小口現金を確保するため、事務所に入る前にATMで現金を引き出し、一部を両替して事務所に入った。
 今日は給料日、振込は19日にパソコンでやっておいたので、後は明細を配るだけ。そういえば昨日、銀行から電話があって、振込先の銀行の支店コードが該当するものがないと言ってきた。思わずそんなことはないだろう!言ってしまったけど、要は支店の統廃合のため、支店がなくなったり、一つにまとめられちゃって、支店コードが変わってしまうことがここのところ度々ある。今回はこちらで直しておくから次回から新しい支店コードに変更してくれと言う。確認のため名前を聞かれる。多分ちゃんと言ったんだから、次回直っていなければ、私の名前を言って文句でも言ってやろうという魂胆なのだろう。全く自分のところで勝手に統廃合しておいてその手間を利用者に押しつけるのだから、やっぱり銀行は好きになれない。仕方がないので、インターネットで最新版の銀行・支店コードをダウンロードし、マスターを更新する。お気に入りに銀行・支店コード更新ログイン画面を入れるのもしゃくだけど、仕方がない。ちっともお気に入りじゃないのだけどネ。

2005年10月18日

サァー本屋さんへ行こう?

 本屋の店員を辞めてもうすぐ半年近くなる。相変わらず本のこと、出版界のこと、書店のことなど、いろいろ考える。本屋を辞めて残ったものは、そんな未練みたいな気持ちと腰痛だけだ。
 この腰痛、最近の長雨で少々痛む日々を送っている。こんなものまで引きずる必要性なんかないんだけど、こればかりはどうしようもない。

 毎年1回行っている大腸の検診も無事に終わり、詳しい結果は後日分かるが、とりあえず画面上は問題がなさそうと言われ一安心だ。
 この検診、とにかく鬱陶しくてしょうがない。検診の前日お昼から「クリアスルー」というふざけた名前の検査食を食べないといけない。要するに検査の当日に大腸にものがあってはならないので、消化のいい、しかも便として残らないものを食べるわけだ。前日の昼と夜がこの検査食で済まし、8時以降は何も食べちゃいけないし、寝る前は1リットルの水で下剤を飲む。翌朝起きていきなりトイレに何度も駆け込むはめになる。
 検査は空になった大腸にバリウムを入れ(肛門からです。この検査をするまでバリウムとは飲むものだとばかり思っていたが、それだけじゃないんですね)、しかも空気を入れてふくらまされるから、おなかが張って仕方がない状態で、上を向いたり腹這いになったり、横になったりと上下、左右と位置を変えて、何枚もレントゲンを撮られる。
 何とか検査が無事に済むと、まずはトイレに駆け込み、おなかに入った空気をとバリウムに出ていただくことにする。もちろんその後また下剤を飲んで、おなかの中のバリウムを出すことになる。そのためその日は1日中トイレとお友達の状態。
 天候不順が、腰痛を生んでいることは書いたけど、気分も大腸の検査もあったこともあって、非常にブルーな気分でいる。
 本も『ローマ帝国衰亡史』の9巻が読めずにいて、落ち込んでいる。気分転換に違う本を3冊続けて読んで、リフレッシュしたので、再度『ローマ帝国衰亡史』に取りかかろうと考えている。

 ところで、書店組合から、CDが送られてきて(お店はなくなっちゃったけど、組合費は払っているから、まだ組合員なのです)、「音楽CD」制作・趣意書なる紙も入っていた。

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 読んでみると、昭和61年には日書連の組合員が12,935名いたのが、今年の8月には6,843名減少し、えらいことになっていると嘆く一方、今年の7月に「文字・活字文化振興法」が制定されたことで、10月27日を「文字・活字文化の日」が作られたらしい(これ祝日じゃないよね?)。それを記念して、「書店からの熱い思いを込めて『サァー本屋さんへ行こう!』という音楽CDを作ったから、BGMとしてお店で流してくれということらしい。
 で、実際聞いてみた。思わず唖然とする?!「なん、なんだこれ?」こんな安っぽい歌をお店でかけろという組合幹部の神経を疑っちゃう。だいたい本屋でかけるBGMじゃないだろう。これはスーパーでよくかかっていた「さかなさかなさかな~さかなを食べると~」と同じじゃないか。絶対におかしい。まず間違いなく大書店で雰囲気のある本屋では絶対にBGMとしてかけられる音楽じゃない。(こんなのガンガンかけらたんじゃたまらない。)場末の子供相手の本屋ならともかく、少なくとも全国の組合員に配って、全国展開するもんじゃない。こんなことに夢中になっていたら更にひどいことになりそうだ。
 歌詞もひどい!NHKのうたのおにいさんが作って歌っているのだが、ちなみにその歌詞を書いてみると以下の通り。

「サァー本屋さんへ行こう!」
作詞=よしもとももたろう/坂田おさむ
作曲=坂田おさむ

サァー本屋さんへ行きましょう
本屋さんへ行きましょう
本屋さんで待っている きっと答えが待っている

流れる雲に 乗ってきたよ
青い空の想い出を抱いて子供達の笑い声は
どこから来たの どこへ行くの

だから 僕らは 理由(わけ)を探している
風の行方をみんな探している

サァー本屋さんへ行きましょう
本屋さんへ行きましょう
本屋さんで待っている きっと答えが待っている

 もういいでしょう!ここに書いていて恥ずかしくなっちゃう。全く本屋の組合は何を考えているのか?本気で全国展開でこれをかけさせようとしているのか、本音を聞いてみたいもんだ。仮にこれが「だんご三兄弟」みたいに大ブレイクしても、子供達が本屋に来てくれて、どんどん本が、あるいは児童書が売れるとでも本気で思っているのだろうか?本をさかなと同じレベルで考えちゃう思考回路はもう末期的としかいいようがない。あぁ~、悲しいなぁ・・・。

2005年10月13日

比較

○○○○ 様

当店をご利用下さいまして、誠にありがとうございます。
ご注文頂きました商品が入荷しました。
----------------------------------
『神保町「書肆アクセス」半畳日記』
『キリスト教大研究-知って役立つ』

 計 2 冊で、2,550円(税込)です。
----------------------------------
「サービスコーナー」にてお預かりしております。
今月16日の閉店時間は、21時までとなります。ご了承下さいませ。
近日中のご来店お待ち申し上げております。
==================================
有隣堂 ヨドバシAKIBA店: 03-5298-7474
営業時間: 9:30 ~ 22:00
==================================
ご注文は、本やタウン http://www.honya-town.co.jp/yurindo/ もご利用ください

 というメールが朝10時半に来た。本を注文したのが火曜日だから、これは早い。中1日で入荷してしまうから、すごい。ちなみにアマゾンだと『神保町「書肆アクセス」半畳日記』は「通常1~2週間以内に発送します」とあるし、『キリスト教大研究-知って役立つ』は「通常24時間以内に発送します。3点在庫あり。ご注文はお早めに。」となっている。やっぱりきちんとした注文システムを構築してある本屋さんはやることが早い。こうなると書泉さんで注文したらどうだっただろうかと気になるところである。
 最近、書泉さんと有隣堂を比べる癖が出てきて、密かに黒い笑いを楽しんでいる。ちょっと書いてみる。
 
1.お店に行くにはどっちが楽か?
  交通手段による。但し有隣堂は7階まで行かないといけないのでこのあたりが不便か?よって書泉の勝ち。

2.営業時間
 有隣堂は午前9時半から午後10時まで営業。書泉は平日午前11時から午後7時半まで営業。ちょっと仕事の帰りに寄ろうと思っても、7時半じゃ間に合わないことも度々ある。よって有隣堂の勝ち。
 最も書泉さん営業時間は当店があったときに、無理にお願いしてそんな営業時間になったわけで、たぶんこれから先、営業時間の延長があるんじゃないかと思っている。

3.お店の雰囲気
 書泉は建物の構造上真ん中にエスカレータがあって、それがお店を左右を分断しちゃっている。(もともと家電メーカーのロケットが使っていたビルなのだ)従って、エスカレータのまわりをぐるっと回らないとならないことが度々起こる。
 それにとにかく狭い所に棚が作られているので、人が棚の前に立ったら通れないことがある。また狭いところに多くの本を置くため、棚全体が高い。雑誌の棚はちょっと前に増設したが、一段と高くなっている。取りづらい上に、鬱陶しい。照明は明るいのは明るいが、ちょっといらつく。本屋の照明はちょっと暗い方がいい。 一方有隣堂は、ゆったりとしたスペースを確保していて、真ん中の柱のあたりにソファがあって、座って本や雑誌を見ることが出来る。よって有隣堂の圧勝。

4.陳列
 有隣堂はワンフロアーなのでどんなジャンルでも店内を歩けば目的の本が探せるが、書泉はジャンルが違うと階を移動しないとならない。たとえば新書を買おうと思えば、3階まで行かないと買えないし、ついでに文庫本を買いたいと思った場合、7階まで上らないとならない。非常に不便。よって有隣堂の勝ち。

5.立ち読み
 書泉は週刊誌を立ち読みしたくても、なかなか読めない。通路が狭くて、後ろを通るお客とすぐぶつかってしまうからだ。従って中身を吟味するのが難しい。
 それにジャンル別に階を分けてあるので、そのジャンルがある階に行かないと目的の雑誌が買えない。雑誌としてまとまっていると、魅力的なんだけどなぁ・・・。各階にバラバラに雑誌が置いてあると、ボリュームがなくなってしまう。
 有隣堂の方は雑誌のコーナーをきちんとまとめて作ってあるので、有隣堂の勝ち。

6.週刊街道をゆく
 書泉は入荷部数が少ないのか、仕事の帰りによると、発売当日でもなくなっているか、あっても手垢にまみれ、よれよれのものが1冊あるだけ。定期購読者としてはそんな雑誌は買えない。一方有隣堂はたくさんある。よって有隣堂の勝ち。

7.R25
 リクルートが出している無料の雑誌「R25」は書泉には置いてある。有隣堂は置いてあるのかもしれないけど、どこにあるか分からなかった。よって書泉の勝ち。

8.店員
 書泉スタイルのスニーカー履き店員ははっきり言って気に入らない。女性の制服も鬱陶しい。個人的にはちょっと勘弁してほしいなぁといった感じの女の子が多いような気がする。(この件に関しては、今日それとなく女性店員を見てみたが、有隣堂もいい勝負かもしれない?)
 男性の店員はノーネクタイの奴が多く、それに書泉ロゴが入った黒いエプロンをしている。今風にクールビズじゃんといえばかっこいいが、何だかだらしなく見える。有隣堂は店員が白いシャツに統一しているみたいで、それにエプロンをしている。こちらの方があか抜けた感じがする。よって有隣堂の勝ち。

9.レジ
 書泉は各階に2カ所レジがあるが、よく「休止」になっている。そうなるとぐるっと回って違うレジに行かないとならない。ただでさえ、エスカレータがじゃまして面倒なのに、行った先のレジが「休止」となっていると腹が立つ。せめてちゃんとレジ要員はきちんと立たせてほしいもんだ。また、レジに店員がいてもお客のいないときなどは店員同士がおしゃべりしているか、さもなければ奥のパソコンでなんかやっている。
 有隣堂はレジカウンターが横に広く取ってあって、10人くらいでお客を捌いている。お客の精算が済んだら、店員が手を挙げて、お待ちのお客様こちらへと言って誘導する。よって有隣堂の勝ち。

10.開店記念品
 有隣堂は開店初日、付箋をくれた。書泉は何をくれたのか分からない。よって判定不能。ちなみに当社の新大久保店(もちろんつぶれちゃったけど)オープンの時は店名の入った100円のボールペン。せこいって、うるさい!

11.検索
 本屋には探している本について必ず問い合わせがくる。その場合書泉はたぶんレジカウンターの奥にあるパソコンで店員が自ら、インターネットのサイト「ほんやタウン」から検索してると思われる。(書泉の店員に本の問い合わせをしたことがないのでよく分からないのだ。ただレジで精算するとき奥のパソコンの画面が見え、いつも「ほんやタウン」が開かれているので、そこから類推している)
 あるいは店頭在庫を確認する場合、店員がそのジャンルの本が置いてあるフロアーに電話して、確認してくれるが、在庫があれば、わざわざその階まで行かないといけない。本来店員が持って来るべきじゃないかと思うのだが、どうだろう?
 有隣堂は何カ所にも検索機が置いてあって、そこで自分で入力して本が探せる。いちいち店員に聞かなくても自分で出来るから、あんまり大きな声で書名の言えない本など探すときは安心かも・・・?個人的には有隣堂の勝ち。
 
12.サービスカウンター
 書泉はない。有隣堂はレジカウンターとは別にあって、そこで注文を受け付けてくれる。書泉の場合、どこで本の注文をすればいいのだろうか?やっぱりサービスカウンターがあった方がいいなぁ。よって有隣堂の勝ち。

13.しおり
 書泉オリジナルしおりは人気がある。でも最近のしおりは余りぱっとしない。昔の方が結構面白味のあるしおりを作っていたような気がする。最も、あんまり可愛すぎるしおりだと男の場合ちょっと恥ずかしくて持ち歩けないのだけど・・・。
 有隣堂は特別独自のしおりを作ってはいないようだ。よって書泉の勝ち。

14.カバー
 それぞれオリジナルのカバーがある。ただ有隣堂は文庫に限り、10色カバーが選べる。それはいいのだけど、このカバーすぐ取れちゃう。ただ折ってあるだけなのだ。これじゃカバーの役目をほとんどしないんじゃないかと思うのだけど・・・。こんな貧相なカバーよりしっかり留まってくれるカバーの方がいい。よって書泉の勝ち。
 ただし、有隣堂の新書、書籍のカバーは再生紙を使っているので、地球にやさしいということで、この点は有隣堂の勝ち。

15.ビニール袋
 可愛い!といえば書泉のビニール袋だろう。女の子がよく持ち歩いている。おばちゃんだって、よれよれになっていても、可愛いからか、結構持ち歩いている。おばちゃんは物持ちがいいのだ。あそこまで使ってくれれば、ビニール袋も本望だろう。
 男の客には可愛い絵の入ったビニール袋じゃなくて、グレイでロゴの入ったやつに入れてくれるが、時たま何を考えているのか、可愛い絵の入ったビニール袋に入れる奴がいる。そんなの大の男が持ち歩けないだろうが!けれどこれはやっぱり書泉の勝ちだろう。
 一方有隣堂の方はみどりのあか抜けないビニール袋だが、炭カルと再生原料50%の入ったリサイクル袋で、燃えるゴミとして出せるので、これも地球にやさしいということで、この点は有隣堂の勝ち。
 話は横道にそれるけど、先日有隣堂で「週刊街道をゆく」を買って、雨が降っていたので、ビニール袋に入れてもらった。帰り道だが、書泉の前を通る。何とはなしに、ちょっと寄っていこうと思い店内に入る。レジの前を通ったら、レジにいる女の子がじろじろと私を見ている。最初は気がつかなかったが、どうやら有隣堂のビニール袋が気になるらしい。そうか!やっぱりお前らも気になるか!と以前岩本町で書泉のビニール袋を持ったお客さんを胡散臭く見ていた自分を思い出してしまった。これからは有隣堂で本や雑誌を買ったら、ビニール袋に入れてもらい、その足で書泉の店内を歩き回ってやろうかと、思わず黒いたくらみが沸々とわき上がってきてしまった。(やるわけないけど)


 と、まぁどうでもいいことを書いてきた。どっちかと言えば、個人的に有隣堂に肩入れしてしまっているけど、これはしょうがないでしょう!正直有隣堂は今のところ気にいている本屋さんなのだから。
 帰りに注文した本を取ってきた。早速読もうかと思っている。本当は今月中に『ローマ帝国衰亡史』を読み終えるつもりでいたのだが、ちょっとスランプになっている。そのため気分転換に違う本でも読もうかと思っている。

2005年10月12日

時代遅れ

 今まで本を注文するという行為をほとんどしたことがない。当たり前である。だってずっと本屋で働いていたのだから。ところが本屋を辞めて(というより働いていたところが廃業になってしまい)、一読者となってしまった今、お店にない本をどこで買えばいいのか困っていた。例によって、書泉さんでは本を買うつもりがないから、そこでは注文できないし、近所には本屋さんがないし、どうしようかと悩んでいた。インターネットで注文も出来るが、今ひとつ乗り気になれない。
 幸いヨドバシカメラに有隣堂が出来たので、意を決して本の注文を依頼する。有隣堂は週に1回は必ず行くので、ここならいいだろうと思ったのである。
 サービスカウンターがあってここで本の注文を受け付ける。注文したい本の在庫をパソコンで探す。この時点で在庫がないことが分かり、注文を受け付けるシステムになっているようだ。書名、出版社、私の連絡先など、どんどんパソコンに女の子が入力していく。入力が終わって、私に注文書の控えをくれる。

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 多分この時点でもう注文はそれを管理するところにデータとして行っているのだろう。あるいはもう問屋さんにデータが飛んでいるかもしれない。
 私がいた本屋では短冊という注文書に手書きで、書名、出版社、著者、そしてお客さんの連絡先を書いて、それを問屋に手渡しで渡すか、さもなければその短冊を持って、問屋に探し回っていたのを思うと、本当にこの時代非効率的なことをやっていたんだなぁと思わざるを得ない。これなら本のことをよく知らない店員でも、パソコンを使いこなせれば、本の注文受付など簡単に出来てしまう。
 もちろんそういうシステムが導入できる資本が必要だけど、やっぱり店員が動いて問屋を駆けずり回るお店じゃ今は生きていけないのかもしれないと思ってしまった。いつまでも旧態依然のままじゃやっぱりお店は潰れるんだなぁと思ってしまった。本という古い情報媒体を扱う書店でも、それが物、あるいは商品である以上、流通システムに乗るわけだから、今風にシステム化しているわけだ。それを駆使できなかったのは残念だ。人が直接動くことにはどうしても限界があるし、それを補うシステムがあれば、それに代行させれば効率化、スピード化もはかれる時代なのだ。私のいたお店はその流れに乗り遅れたお店でもあったと、改めて思い知った。
 家に帰ってメールを開くと次のようなメールが来ている。

○○○○ 様

当店をご利用下さいまして、誠にありがとうございます。
入荷ご連絡用のメールアドレスを登録しました。
※このメールに心当たりがない場合は、恐れ入りますが、このままご返信下さい。
===============================================
有隣堂 ヨドバシAKIBA店: 03-5298-7474
営業時間: 9:30 ~ 22:00
===============================================
ご注文は、本やタウン http://www.honya-town.co.jp/yurindo/ もご利用ください

2005年10月03日

じいさん

 さすがに疲れてきた。ぶっ続けで『ローマ帝国衰亡史』を読んできて、何とか7巻まで読み終え、8巻を昨日午後から読もうとしたのだが、何だか本を手にすることさえ、鬱陶しくなってしまった。特に7巻の最後はローマ法に関する記述で、退屈極まりなかったから、余計かもしれない。
 本を読む時、夢中になっていると時間も忘れて読んでしまうけど、今はちょっと本は読みたくないなぁという、いわばスランプみたいなことになることが度々ある。多分それは私の精神的な問題なのかもしれないけど、こうなるとしばらく本を読むことを受け付けなくなってしまう。昨日は、無理して8巻に進むのをやめておいた。

 さて、一昨日の夜、我が家の駐車場に男が倒れていた。もう11時を過ぎていたので寝ようと思ったところへ、かみさんに「男の人が倒れている」と起こされ、行ってみると、じいさんが自転車と一緒に倒れている。
 我が家は、通りから私道に入った奥にある。つまり袋小路になっている。このあたりは抜け道が何本もあるので、よく抜け道だと勘違いして、自転車が入ってくることがある。たぶんこのじいさんも勘違いしたのだろう。
 最初は「どうしました?」と丁寧な言葉でしゃべりかけるが、話しているうちに酔っぱらいだと分かった。こんなところで寝ていたら風邪をひくから、帰った方がいいと言えば、「おまえには関係ねぇよ!」「放っておいてくれ!」「まったく、今の若い奴らはどうしようもない!」「俺たちの時は違ったよ!」とか酔っぱらいおきまりの言葉がでる。名前や住所を聞いても「おまえには関係ねぇよ!」としか答えない。
 どこのじいさんか分からないけど、どうやら近所に住んでいるようだ。パジャマに薄いウインドブレーカーを首元までチャックを上げて着ている。足下は裸足だ。
 しばらく押し問答をしていると、ふらふらと立ち上がって、自転車もそのままにして、裸足で歩き出す。さすがにこの時になると腹が立ってきて、「こらっ!裸足で歩いてどうすんだ。それに自転車をあのまま倒れたままにしておいたら、うちの車が出られんだろう!いい加減にしろよ!」「歩けるんだったら、自転車を押して帰れ!」
 押し問答しているときに、かみさんは警察に電話していたので、「もうすぐしたらおまわりが来るから、じっとしてろ!」と言ったとたん、しらふに戻り、倒れた自転車のところに戻り、履いていたはずのサンダルを探して、帰ろうとする。「迷惑かけましたね」と私とかみさんに握手をしようと手をだす。かみさんは握手をして「気をつけて帰ってくださいね」というが、私はじいさんの手をはね除け、「危ないから、自転車乗って帰るなよ!押して帰れ!」と言う。じいさんはそのままとぼとぼと自転車を押して帰っていった。どうして酔っぱらいはいつも最後に握手を求めるのだろうかと不思議がりながら、通りを帰っていくじいさんの後ろ姿見送る。
 じいさんと押し問答しているとき、私もかなり腹が立っていたらしく、大声でじいさんとやり合っていたらしい。確かにもう少し若い奴なら殴っていたかもしれないが、相手を見てそれなりに自重はしていたつもりだけど、かみさんには、そうは見えなかったらしい。
 こうなると呼んだおまわりをどうするかだ。いつ警察に電話したのか分からないが、結構時間がたっている。じいさんの後ろ姿見送った後、今度は呼んだおまわりを待つ。しばらくすると赤色灯つけたパトカーがゆっくりと来る。事情を説明し、じいさんが帰ったことを言い、呼びつけて、迷惑かけたことをおまわりさんに詫びる。何で俺が謝らなきゃならないのか分からんが、そういう羽目になってしまった。
 翌日我が家の車を見てみたら、後ろに軽いキズがある。じいさんが自転車でぶつかった跡である。まぁ元々この場所には、かみさんが車庫入れの時にこすったキズがかなりあるので、そっちの方が気になるくらいだから、いいやということになった。じいさんがぶつかって倒れて死んでしまったら、それこそ大変だったことを思えば、大したことじゃない。

2005年09月28日

復活

 やっとモニターが直ってきた。これで修理に出したのは2度目となるわけだが、もうこれっきりにしてほしいものだと思う。
 今回はどこか分からないけど、コネクターを取り替えたとあった。そういえばサポートセンターに電話したときも、パソコンからの信号がモニターにうまく伝わらない可能性があると言っていたが、このコネクターのせいでそうなったのかもしれない。前回ももしかしてこのためにおかしくなった可能性があるが、その時は修理としか明細に書いてなかったから、完全に修理できなかったのではないかと疑っている。なぜなら今回も前回同様似たような症状でモニターがおかしくなったのだから・・・。それで今回は全部取り替えたのではないかと思っている。
 さて、こうしてモニターが直ってきたので、早速書き込もうと意気込んでいたが、画像ファイルを作らないといけない。これがちょっと手間なので、明日にでもやろうかと思っている。とりあえずは復活したことをお知らせまで・・・。

2005年09月19日

またモニターがおかしくなってきた

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 この液晶モニターを買ったのはちょうど去年の今頃なのだけど、買ってそうそうおかしくなり、SONYに症状を言ったら、初期不良だと言われ、すぐ修理に出した。そして1年たった今、又画面に横に細い線が全面にはいって、全体がグレイがかってしまうようになってしまった。そうなると画面の文字など読めなくなってしまう。
 ただ、いつでもそんな症状になるわけじゃなくて、時には元に戻ったりして、何とか使えるのだが、おかしくなる機会が最近多くなってきた。もう一度SONYに電話して症状を説明すると、修理に出した方がいいと言われる。やはり修理に出せねばならないかと思い、かなり憂鬱になっている。でもこのまま放っておいても症状が改善するわけじゃないし、直すなら早いほうがいいだろうから、早めに修理に出そうと思っている。
 ですから、しばらくの間、このブログは更新できません。その間せっせと本を読むことにして、直ってから、読んだ本のことをまとめて書き込みます。
 それにしても、もうSONYの製品はあまり買いたくないな!

2005年09月17日

しこり

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 ヨドバシカメラマルチメディアAkibaが昨日オープンした。国内最大の家電量販店としてオープンしたこのマルチメディアAkibaに開店記念のセールを目当てに、約5、000人が駅出口からビルを取り囲むようにして、早朝から行列をつくり、開店時間を30分繰り上げて午前9時にする盛況だったという。
 私もちょっと様子を見に行く。初日ということもあって、かなりの人だった。今までと人の流れや車の流れが変わってしまっていたくらいだ。オープン前など何機もヘリコプターが飛んでいた。

 私は個人的に有隣堂の方に興味があって、これはすごい!と思った。約500坪のワンフロアーで、ゆったりとした店作りはさすがだなぁ!感心してしまった。聞くところによると、坪○万円という家賃らしいが、それでも落ち着いた感じで、充分なスペースをとっているところはさすが業界で上位の売上のある有隣堂だと思う。
 悪いけど、書泉の手狭さ、窮屈さと比べものにならない。これだけの高い家賃でお店を開く以上、多くのお客さんを呼ばないとならないだろうから、面白く、興味をわかせるお店になることだろう。正直本好きの私としてはたまらない!

 これから書くことは、他人から見れば、何を言っているんだと思われるかもしれない。負け犬が何をほざいていると思われるかもしれない。自分たちの能力のなさを棚に上げてものを言っているだけじゃないかと言われても仕方がない。
 ある意味それは事実だと認識している。けれど自分の気持ちの中で、払拭しがたい事実としてある以上どうしようもないから、書いてみる。
 我が社はこの地で本屋を創業したのだけど、結局今年の4月に廃業に追い込まれた。廃業の原因は、当社の力不足につきるのだけど、外的要因として書泉ブックタワーが平成6年5月にオープンしたことによる売上の低迷があげられる。どう考えても、資本力のある大書店には中小書店なんか、そう簡単に太刀打ちできるわけがない。結局、苦労しながらお店の存続をやってきたけど、書泉さんに当然のことの如く、お客が奪われ、廃業となってしまった。
 自分たちの店だから何とかしてやっていきたいと、労働基準法違反となる勤務時間をこなし、経費も削減できるものはどんどん削っていき、挙げ句の果て自分たちの給与だって削ってきた。売上が上がらない以上、そうするしかなかった。
 でも結局廃業ということになって、お店もなくなり、仲間やスタッフが解雇されるという現実を見てきた私としては、どうしても書泉さんの存在が許せないでいる。
 だから有隣堂がここにオープンすると聞いたときは、正直「やったぁ~!」と思ったのだ。有隣堂出店がを書泉さんにかなりのダメージ与えることは間違いないだろうと思ったのだ。もっとはっきり言えば、書泉さんを潰してくれるかもしれないと思ったのだ。
 とにかく自分の気持ちの中で、ただ器だけがでかくて、しょうもない店に自分たちの店が潰されたという、拭いきれない気持ちがある以上、こんなふうに思ってしまうのは仕方がない。
 これからは大書店が中小書店を食いつぶしていく一方、大書店同士が、つぶし合いをやっていく時代になるのかも知れない。そんな予感がする。

2005年09月10日

感謝と迷惑

 岩本町店がなくなって、当然お店の電話がなくなる。以前の電話番号をかけた人に迷惑をかけてはならないから、本部の電話番号の案内を流し、私が対応している。そのため本部の電話が多くなった。電話はお客さんからよりも出版社の方が多い。
 昨日も暦の神宮館から電話があった。来年の暦の仕入数の確認だろう。本屋を廃業した旨を伝えると、「そうですか。長い間お取引を頂いて、ありがとうございます」とお礼を言われた。
 だいたい、廃業を伝えると、「分かりました。失礼しました」と電話が切られるのが普通であった。今回はさすが神宮館と感心してしまったし、それにちょっとうれしかった。言えそうでなかなかこんな風には言えないものだろうけど、それをさりげなく言えるあたりは人格を感じちゃうなぁ。またそういう電話の対応を教育している会社は立派だと思う。
 というのもここのところ腹の立つ電話が多くてうんざりしているのだ。特に個人向けの投資など頭にくること甚だしい。
 まず個人名を言い、社長に取り次いでくれと言う。こっちも誰だか分からないし、かといってどうでもいい勧誘など取り次げば社長に何を言われるか分からないから、警戒して「ご用件は?」と聞く。すると「社長さんですか?」と聞かれる。ここまでくるとだいたい電話の内容が見当がつく。「違うけど」と言えば社長を出してくれと言う。私は怒りを込めて、更に「用件は?」と聞くと、相手は仕方がないといった感じで説明をし始める。が、なかなか用件を話さない。自分のところの会社の概要など言うのだ。さすがに「それで用件は何?」と強く出ると、やっと個人向けの投資の案内だというのだ。やっぱり!
 断りを入れれば、こういう奴らは、ちょっと待ってくれといった感じでいつまでも話し続ける。こっちは仕事を中断して電話の対応していることを全然分からない。自分の都合だけだ。そしてどうしてか分からないけど、この手の電話って、私が電卓をたたいて計算しているときが多いような気がする。当然途中でやめて電話に出るわけだから、電話が終わった後、どこまで計算したか分からなくなってしまい、最初からやり直すはめになる。
 相手もそれが仕事だから必死なのだろうけど、どうしても腹が立つ。飛び込みで直に事務所に来る奴も腹が立つが、だいたい電話だけでことを済まそうなんて甘い。もっとひどいのは、機械音でメッセージを流す奴、いったい何を考えているんだろうと思う。それと分かると思いっきり腹が立つ。有無も言わさず電話を切ってしまう。
 頭にくることと言えば、アダルトサイトの迷惑メールも何とかしてくれと思っている。長い文章が書いてあるので、何だろうと思って読んでみたら、そんなメールであった。最後に「詩織」という名前が書いてある。詩織?どっかで聞いたことがある名前だ。そういえば、大学時代の友人と会ったときに、迷惑メールの話があって、そこに「詩織」という名前が書いてあったというのを思い出した。もしかして友人が私のメールアドレスを教えた?なんて思っちゃった。それにしても奴と会ってそんな話の後に私のアドレスに「詩織」という名のメールが来るのは本当に偶然なのだろうか・・・?今度会ったときに詳しく聞いてみよう!

2005年09月06日

懐かしむ

 ここのところ、目が悪くなったことや、物忘れといった自分の身体で年齢的な問題?が起こっていること書いた。何を回りくどいことを言っているのかと思うが、要は歳をとったということだ。ならもう一つそれに付け加えよう。
 さだまさしさんの本を読んでいるときに、頭の中で「精霊流し」が流れていたと書いた。そのうち本当に聴きたくなってしまったのだ。たしかCDがあったはずだと思い、探しまくり、聴いてみる。う~ん、懐かしい!思わずいいじゃないかと思い、i-podに入れる。だけど、このCDには「精霊流し」が入っていない。それと曲名を忘れちゃったけど、「たばこをくわえたら、あなたのことを突然思い出したから~」というやつ、なんていったっけなぁ忘れちゃったけど、あれも聴きたいと思った。
 又CDを探しているうちに中村雅俊さんのCDも見つけちゃって、「ふれあい」や「俺たちの旅」なんか懐かしく聴いちゃった。う~ん、こんなに懐かしがっていいのだろうか?何か嫌だなぁ。恥ずかしいなぁ。だけどこうして昔聞いた曲を聴いていると、妙に興奮してくる。ちっとも興奮するような曲じゃないのだけど、懐かしさがそうさせるのかもしれない。
 変に興奮したので、最後に好きなビゼーの「アルルの女」を聴いて締める。別に懐古趣味に走っている訳じゃないけど、考えてみたら明日49歳の誕生日だ。もう50に大手がかかってしまった。こうなるのもやむを得ないのかもしれない。やれやれ・・・。

2005年09月02日

抜け落ちる

 大野さんがゴルフ場で自分の帽子を忘れたことを書いているが、大野さんの場合、忘れた場所ははっきりしているが、それがどんな場面で帽子を置き忘れたか、その部分の記憶が抜けているというのだ。自分でもそんな時がある。

 先日大学の友人から壊れたパソコンが復活したから、私のブログのURLを再度教えてくれというメールがあった。パソコンが壊れてデータが吹っ飛んでしまったのだろう。
 そこで、私は返事を書き、それはよかったと書いたのだが、余計なことにデータのバックアップはちゃんとしておいた方がいいとも付け加えた。
 問題は、この余計なことを、以前パソコンが壊れたと聞いたときに書いたのではないかということなのだ。つまり同じことを2度彼女にメールしたのではないかという不安に苛まれている。
 確かに以前に同じことを書いた記憶がある。問題はそれを送信したかどうかで、その部分が完全に抜け落ちている。メールソフトの「送信済み」を見てみるが、履歴にはない。もしかして「送信済み」の履歴を整理しているときに、削除してしまったことはないだろうかといろいろ考えてしまう。もし同じことを書いていたら、ごめんなさい。

 ところで、私は文章を書くとき、下書きが必要な人で、今もこうして「秀丸」で書いている。頭で浮かんだ文章をそのままキーボードで文字にするのだが、このとき出来上がった文章を、再度見直しているうちに、嫌になっちゃってそのままボツにしてしまうこともあるし、大幅に書き直したりする。
 今回のメールにしても同じように書いたことは覚えている。ただ、それをそのまま生かして、メールしたかどうかは覚えていない。その部分が完全に記憶が抜けているわけだ。つまり一部は記憶にあり、他の一部が完全に記憶にないのは、何だか自分の脳にどこかなくなってしまっている部分があるんじゃないかなんて思ってしまい、ちょっと恐ろしい気がしてしまう。昔もそうだったのだろうか?そのあたりもはっきりしない。これはかなりやばいんじゃないかなんて不安になる。
 他人が私を見て私だと思うのと、私が自分自身を意識するのは全く別もんだろう。私自身は鏡でも使わない限り、自分自身を見ることが出来ない。では私はどうして自分を意識するかと言えば、頭の中にある様々な考えや感情が私を形成して、それが自分だと思うことで、自分の存在感を意識しているわけだ。まさしくデカルトが言ったように、Cogito ergo sum (我思う故に我あり)だ。それがちょっとやばくなってきているんじゃないかと思うと、私自身の存在感が自分で意識できなくなっちゃうじゃないかという不安に駆られているわけだ。
 確かに年齢的な問題だからどうしようもないし、元々忘れっぽいのだからちょっと抜けていたって仕方がない。
 ただちょうどさだまさしさんの『解夏』のなかの「サクラサク」で主人公の父親が痴呆症、いや今は認知症っていうんだっけ、とにかくそれになって所々記憶が抜け落ちていく姿を読んだ後だっただけに、ちょっと気になっている次第だ。こういうのはやっぱり嫌だなぁ。
 横山秀夫さんの『半落ち』で、主人公の奥さんが同じ病気になり、自分の子供の命日さえ忘れてしまい、自分が壊れていくことを悲しんで、殺してくれと頼む姿が思い出される。まぁちょっと考え過ぎかもしれないけど・・・。

2005年08月31日

過去の栄光?

 自宅の近所に贔屓な本屋さんがないことは書いたが、一駅先にちょっと大きい本屋さん(大きければいいという問題じゃないのだけど)とブックオフがある。 どういう訳か私はどちらかといえば、ブックオフに足を向けることが多い。それは本が安いというだけじゃなく、別の意味がある。それはブックオフの方が落ち着くのである。
 ここのブックオフは1階がコミックやCDやゲームなどがあって、2階が単行本、文庫、新書等の売場になっている。当然ガキンチョがいないので、うるさくない。結構落ち着いて本が探せるのだ。ただ、それだけでここがいいというのではない。近くにある新刊書籍が並んでいる本屋さんにいると疲れてきてしまうのだ。いつも新しい本が並んでいるのはいいのでけど、どこかけばけばしい。本が「俺を買ってくれ。俺を見てくれ」と言っているようで、自己主張がガンガン聞こえてきそうなのだ。
 ところがブックオフだと「俺は売られた本だから・・・」といったうなだれた感じで静かに棚に収まっているのがいい。そこの棚には、かつてのベストセラーもそうでなかった本も、一緒に並んでいる。いや、どっちかというとベストセラーの方が在庫が多いためか、値段が下げられ、叩き売っている感じさえするから、肩身が狭い感じだ。かつての栄光などそこにはない。
 いずれにしても並んでいる本が落ち着いた感じ、ぎすぎすした感じがない。それは普通の古本屋さんで感じる静かさと同じかもしれない。たぶんそれは古本そのものが生み出すもんじゃないかと思う。ゆっくり本を探せて、時にはこんな本があったんだという感じで新しい発見があって楽しい。

 それにしても今月は長い休みもあった関係で、よく本を読んだ。
 最近はほとんどテレビも見ない。見るとすればNHKの朝の連続ドラマ「ファイト」(ジョンコです。あの歌一度聞くといつまでも頭に残っているのが不思議ですね)を出勤前に見ているのと、夜9時のニュースだけ。後は居間につけっぱなしにしてあるテレビをそれこそ眺めるだけ。ほとんど家にいるときは本を読んでいる。とにかく読む本がすべて面白いのだ。大した本は読んでいないけど、読んでいる本が最近すべて新鮮に感じる。
 ただ、老眼が進んでいるみたいで、どうも昔出版された本を読むのが大変だ。文字が小さくて見づらい。どうしてもメガネが必要になる。もともとメガネが好きじゃない。かといってコンタクトなんか面倒だ。だから目をこらして細かい字を無理して読むのだけど、やっぱりうまく読み取れない。仕方がないので、最近は家で本を読むときもメガネをかけることが多くなってきた。こうなってくると最近の本は文字が大きくなってきているので有り難い。これから先、もっともっと本が読みづらくなっていくのだろう。メガネが手放せなくなることを思うと多少憂鬱にはなるが、仕方があるまい。
 子供の頃は視力が2.0もあった。それも過去の栄光?だ。今は老眼鏡なければ本もろくに読めなくなってしまっている。私が歳をとるというのを実感するのは、やっぱり目からかもしれない。メガネをかけて本を読むことに早く慣れるようになりたい。

2005年08月20日

包装

 仕事の帰りにいつも降りる駅の一つ手前の駅を降りて、熊沢書店による。飯島夏樹さんの本を買おうと思ったのである。目的の本はすぐ見つかったのだが、せっかくわざわざここに来たのだから、何か面白そうな本があればと、店内を歩き回る。Dr.コトーの17巻を見つけたので、それも一緒に持ってレジに向かう。
 店員が「カバーはおかけしますか?」と聞いてくる。お願いすると、すぐカーバーをかけてくれた。ここで本が2冊ともなると、それを袋に入れるかどうか、再度確認してくる。私は「袋に入れなくても結構です」と答えると、「ありがとうございます」とお礼を言って、カバーをした2冊の本を輪ゴムでとめて手渡してくれる。
 このように包装をどうするかお客に聞くのはお店の経費節減のため、一応お客の意思を尊重した上で、できるだけ包装紙は節約するようにという方針かもしれない。あるいは過剰包装は資源の無駄遣いという意思があるのかもしれない(そんなことはないか・・・)
 私がレジに立っていた頃は、お客が本を持ってきたら、無条件で本にカバーを掛けていたし、何冊かまとまれば紙袋やビニール袋に有無も言わさず入れて手渡していた。いちいち確認するのが面倒なのだ。しかしこの店は、店員が一人一人のお客に本にカバーをかけるかどうか聞くし、袋もいるかどうか聞いてくる。そのことがいつも感心してしまう。
 中にはカバーもいらないお客もいるだろうし、私みたいに鞄を持っているから、それをわざわざ袋に入れる必要もないので、袋はいらないというやつもいる。逆に週刊誌1冊だけでも、ビニール袋に入れろという客もいる。いろんなお客がいるから、たとえそれがこの店の接客マニュアルに沿ってやっているにしても、こうやっていちいち聞くのは大変だろうなと思う。

 私がこの店でいいと思うことは、雑誌などを買うと、入れてくれる袋が紙袋だということなのだ。近頃、何でもかんでもビニール袋に入れてしまう本屋さんが多くなっただけに、妙にその紙袋が新鮮に写る。ブックオフで本を買うと、あの黄色い透けたビニールにすとんと入れてくれるが、あの袋、何だかお弁当を買うと入れてくれる袋と同じ感じで好きじゃない。(ブックオフで安く本を買っておいて文句を言うのもなんだけど)
 ビニール袋に入った本を家で取り出し、その袋をどうするか。そのままゴミ箱に捨てることができないから、燃えないゴミとして別のゴミ箱にわざわざ入れないといけない。紙袋だとそのままゴミ箱に入れることができるけど、ビニール袋は後始末が面倒だといつも思う。
 だから簡易包装がいいかというと、それも問題がある。どこの本屋さんか忘れちゃったけど、雑誌を1冊買ったら、自分のところのブックカバーつけて、丸めてテープで留め、手渡してくれたところもあった。これはちょっとやりすぎだ。
 雨でも降っていればともかく、何でもかんでもビニール袋に突っ込んで入れてしまう安直なやり方は、できれば本屋さんではやめて欲しいなぁというのが私の気持ちである。

2005年08月18日

夏休み

 いつもと変わらないはずの帰りの駅で、聞き覚えのある声が聞こえる。携帯をかけている娘の声だ。声をかけると、「あっ、おとうさん!」と声が出た。どうやら同じ電車に乗ったみたいだ。
 娘はこの春から社会人となったため、定時に帰ってくることが多くなり、今日初めて私と帰りがかち合った。
 私は娘と会社帰りで話をするなんて考えてみたこともなかったので、ちょっと不思議な気分になる。考えてみれば、彼女が短大生の時はすれ違いの生活だった。でも会社勤めになればある程度私の日常とかち合うことがあっても不思議じゃないかもしれない。
 どうやら家に電話をしているらしく、これから友達と会うから、夕食はいらないと母親にいっているらしい。駅を出たところで私は「遅くなるなよ!」今までと同じ言葉をかけ、娘と別れる。
 
 私はこの会社に入って初めて6日も夏休みをもらった。しかし、娘は一番下っ端なので、夏休みは先輩が取った後になるらしく、しかもトータルで2日しかないという。当然私の休みの間、家族の中で1人だけ朝、家を出て行く。
 私は彼女が出かける前には起きていて、彼女を見送っていた。しかし何だか家の中で娘1人だけ、会社に出かける姿を見るのがかわいそうでもあった。
 今まで私は短い夏休みしかなかったので、みんなが夏休みで休んでいる時など、うらやましく思ったものだ。特に通勤電車の中が家族連れの姿が多くなるこの時期など、何で自分だけ仕事をしないといけないのかと腹ただしくもあった。だからこそ、自分の娘がみんなが休んでいるこの時期に会社に行かなければならない姿を見ると、何だかいたたまれなくなり、ちょうど娘が出かける時間に布団に潜り込んでしまった。親ばかも甚だしいけど・・・。
 今日から私は通常通り仕事に戻ったが、娘の方は今日少ない夏休みのうち1日を取っている。後1日9月に入ってから休暇を取るらしい。ただ有給休暇はきちんと消化しないといけないというのが会社の方針らしく、それを聞いて私の会社よりこの点は待遇がいいと思い、ちょっと安心する。

2005年08月10日

いろいろと・・・

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 スペースシャトルが帰ってきましたね。打ち上げの時もすごいと思ったけど、帰ってくるときもかっこよかったなあ。
 今日の新聞にはスペースシャトルの帰還記事が華々しく載っている一方、日本の訳の分からない衛星が操縦不能なところが出てきたとあった。いったいこの差は何なんだと思ってしまう。片一方は、打ち上げてちゃんと地球に帰ってくる。そして不具合があれば、宇宙に出て修理しているのに、一方は地球での操作が不能になって、もう使い物にならないのだから、笑っちゃうよね。

 お盆休みの前に、国会が紛糾し、衆議院が解散され、郵政民営化解散なんて言って、反対、賛成と自民党が割れている。これは小泉さんやばいかななんて思ったけど、新聞の世論調査では、48%も解散を支持している結果が出ている。こうなってくると、法案を否決した反対派の立場がやばくなってくる。自民党執行部も反対派に反撃に出て、反対派を公認せず強力な対抗馬を出してきた。
 いいじゃないか!少なくとも小泉さんは国民に自分の信念を問うているのだから、法案に反対した議員を庇う必要はない。当然である。後は問われた国民がどっちを選択するかにかかってくる。反対した議員もそれなりの信念を持って反対したのだろうから、いつまでも自民党の公認にしがみつくのおかしな話だ。それこそそんなことをしていると保身のためだと思われちゃうぞ。
 私は詳しいことは分からないけど、郵政民営化で公務員の数がかなり減るというのは大賛成だ。我々の税金で雇う公務員の数は少ない方がいい。それに簡保などで集めたお金を民間に回すのもいいじゃないかと思う。今までみたいに国が強制的にお金を回収して、勝手に国の無駄な事業に回されたんじゃかなわない。それに国会の議員が特定郵便局とつながっているのも何か胡散臭いから、この際きれいに断ち切ってもらいたいもんだ。

 横浜の浜の大魔神こと佐々木投手の引退試合が昨日巨人戦で行われた。この試合に新聞はかみついていた。清原が涙で対決していたけど、そんなことをしている場合じゃないだろうというのだ。
 通常引退試合は消化ゲームなどで行われるのだが、Aクラスを狙っている横浜はそんなことをやっている場合じゃないだろうというのだ。いくら弱い巨人でも使い物にならない投手を投入すべきじゃないというのだ。確かに・・・。
 言わせてもらえば、そんな投手の相手をさせられる巨人も不甲斐ない。

 つくばエクスプレスが8月24日に開通する。秋葉原の駅は大幅にリニューアルしているが、そのつくばエクスプレスの秋葉原駅にヨドバシカメラが大きなビルを建てている。9月16日にオープンということらしいが、その7階の500坪にY堂書店が入る予定だそうだ。おお~いいじゃん!天下のY堂書店がそこにはいると、書泉はやばいぞ!だってヨドバシカメラは駅からすぐ入れるところにあるから、お客の流れが変わってしまうだろう。しかも450台の駐車場完備だから、書泉の売上にもかなりの影響が出てくるはずだ。しかも9時から22時までの営業となれば、今の書泉の営業時間より長い。まぁ書泉もきっと営業時間の延長などやって来るだろうけど、かなりきびしいと思う。撤退した本屋の恨みもあるけど、今後この展開にも目が離せない。むふふふ・・・。

2005年08月05日

1度で2度得

 早速、昔読んだ本で、もう一度読み直したい本を読んでみる。個人的感想、意見はメインのブログで見てもらえばうれしいのだけど、読んで、個人的感想などを書いていると、資料として関係の本を取り出すことになる。たとえば、今回レンブラントやホルバインの画集をおもむろに本棚から取り出し、それを眺めることとなった。そういう古い画集を持っているところ自体、我ながら変わっているなと思ってしまうが、少なくとも昔はその画集を眺めていた。ただ今回、こうして書き込みをしている内に、解説文まで読んでいる。なるほどそうなのかと改めて感心している次第だ。
 又読んでいる本に紹介されている本も読んでみたくなった。確かカミュの方は読んだ記憶があるけど、デュフォーの方はまだ読んでいなかったはずだ。まずは自分の蔵書を探してみると2冊とも棚にあるようだ。近いうちに読んでみようと思っている。
 でも、こうして1冊の本を読んでいて、そこから波及して読みたい本が次に出てくるのはうれしいものだ。1度で2度得した感じがしてしまう。最近こういう連鎖反応で本を読みたいと思うことが少なくなったので、余計にうれしい。昔はこうして読みたい本が次から次へと出てきたものだけど、どうしてか今はそういう気持ちに余りならない。
 それは自分が悪いからか、それとも読んでいる本の内容が思ったよりくだらないからか、よく分からないけど、いずれにせよ、昔の本を読み直すことで、更に本を読みたいという気持ちになっている。

2005年08月03日

コンビニでも好評発売中!

 全国書店新聞の「本屋のうちそと」というコラムは本屋のぼやきとして面白いと以前書いたが、8月1日号も面白かった。(というか面白いといっていてはいけないのだろけど)
 日経新聞に経済雑誌の「プレジデント」の広告があって、そこに「コンビニでも好評発売中!」という文字が、「お求めは書店、駅売店にて」の文字より大きく書かれていたというのだ。更に年間購読だと、13,200円のところわずか10,000円」になると書いてあるというのだ。この10,000円というのを計算すると75.8%になるから書店卸とほぼ同じ利率になる。
 今までだと、雑誌の広告では「お求めは最寄りの書店、駅、又はコンビニで」だったはずなのが、下克上が起こって「コンビニでも好評発売中!」となり、年間購読は書店を通さないから安いですよとあからさまに広告するあたりは、ここでも書いてあるけど、「雑誌の売上に頼る小書店は早く潰れろってことなんでしょう」と思われても仕方がない
 出版社がこういう広告を平気で出す時代になったということなのだろう。今まで書店と一緒にやってきた出版社がこういう広告を平気で出すこと自体組合は怒るべきじゃないか。なめられているとしかいいようがない。
 だいたい日本を代表する経済誌を出している出版社がこういうモラルハザードをやっているところに、ポイントカードは再販制に抵触するとか、書店が提供する景品の額は、現行の100円か又は100分の7のどちらか高い方にしろとか、しかも年2回までで期間は90日までとか議論している場合じゃないでしょう!
 それに最寄りの書店がなくなっちゃったから、コンビニでなんて言われちゃんだ。どこかで歯止めをかけないと、そのうち書店という文字もなくなっちゃう可能性があるような気がする。

行きつけの本屋さんがないこと

 昨日たまたまお茶の水店に用があったので、帰りに駅前の丸善による。司馬遼太郎さんの「週刊街道をゆく」の発売日でもあったので、それを買おうと思ったのだ。ついでに何かおもしろい本でもあったらいいなぁと思っていたが、この時期はだめである。にっぱちは本が売れないというのが通例で、2月、8月は本が売れないのだ。
 例によって大手出版社が主催する夏休みの読書感想文用文庫フェアー、そして終戦記念日にからめて、戦争に関する本が平台を埋めている。(こんなに戦争に関する本が並んでいるなら、もう少し日本人が先の戦争に関してしっかりした認識を持ってもいいと思うのだけど・・・。あるいは認識不足を補うために毎年やるのだろうか?韓国や中国の人がこれを見たらどう思うのだろうか?)とにかく面白そうな新刊が見あたらない。それに最近は日航機墜落事故の本が加わっている。
 日航機墜落事故に関する本は、事故の後出版された本をかなり読んだ。最近その当時出版された単行本が文庫になったので、それを1冊手に取る。それ以外目新しいものはないようだ。
 岩本町店がなくなって、手伝いもなくなったから、とにかく本を買わなくなった。加えて近所の書泉で本を買わないと決めたので、余計に買わなくなった。勿論買わなくたって、読む本はたくさんあるからいいのだけど、何か寂しい。行きつけの薬局じゃないけど、行きつけの本屋さんが今ないのが最大の悩みである。 だからこうして外に出たときに、用件を済ませた後、本屋さんにちょっと寄るのが唯一の楽しみである。
 全く私の住む地元は知的水準が低いからか、ちょっと寄ってみようかという本屋さんがない。あるのはマンガとエロ雑誌がメインの古ぼけた本屋のみ。店番をしているオヤジがあくびをしている状態なのだ。困ったもんである。

2005年08月01日

本を読み直すこと

 7月中に何とか新しいブログのスタイルでスタートでき、とりあえず1ヶ月たったわけだ。こうして、自分のブログを2つに分けたことで、それぞれがすっきりした形になったのは良かったと思っている。
 やっぱりメンインしている本に関するところに日々の雑感を書き込むのは、いくら自分の生活が本を読むことが中心になっているとはいえ、ごちゃごちゃした感じがしてしまうのは否めない。だから別のスタイルをとることで、形の上で分ければ、すっきりした感じになるし、自分自身の思考回路も整理できるメリットがある。

 本は毎日読んでいる。読んだ本のことを書くには問題ないのだけど、以前読んだ本で、自分の記憶にある本のことをどう取り扱おうか今悩んでいる。せっかくこうして自分が読んできた本のことをかける場所が提供されたのだから、私の記憶に残っている本のことも残しておきたいと思うようになった。
 ただ、記憶に残っている本というのは、それだけ曖昧な部分が多くて、いざその本のことを記憶をたよりして書こうと思うと、うまく書けない。それで実際その本を手に取ってみるけど、結局最初から読む羽目になってしまう。何だかここに取り上げたいが為に、もう一度読んでいるといった感じがしてしまうのだ。
 又、以前読んだ本でその時の自分の感想が残っているやつがあるが、まず文章がひどい。(今もそうだけど)だから使い物にならないのだ。
 でも自分の記憶に残った本を再読するというのは、ある意味いいのかもしれないと思い始めている。何も新しい本ばかり読むことがいいわけじゃないのだから、ここでもう一度読み直すという作業もあってもいいかもしれない。だいたい一度読んだ本はよほどのことがないと読み直すことなどないのだし。
 ということで、これからは読んでいない本を読むのと、読み直したい本を再読する方法をとろうかと考えている。

2005年07月28日

腱鞘炎

 ほとんど慢性化しているのだけど、そのままうっちゃっておいたのがいけないのか、ここのところ両手首がかなり痛い。何だか指まで引きつった感じがして、こりゃあこのままだとまずいことになると不安になっている。
 今までは、手首が痛くなると、見本でもらったモーラステープを貼って痛みを取っていたのだけど、我が家のホームドクター(かみさんのこと)によると、モーラステープを貼ったところに紫外線を当てちゃうといけないとうるさく言われるので、貼れずにいる。特に夏場は半袖で腕を出しているからダメだというのだ。そんなことたいしたことじゃないだろうと思うのだが、一度言い出すと絶対に聞かないから、仕方なしにアンメルツを塗ってごまかしていたが、これが効かない。
 夜寝るときなど、手首から指にかけてしびれがあって、自分の腕じゃない感じがしてしまい、寝られない。仕方なしにホームドクターにどうしたらいいのか聞いてみると、早速先生はインターネットで調べ始める。手慣れたもんだ。で、サポーターを手首にすればいいと言うのだ。どうしてサポーターがいいのかこれもよく分からないが、つけてみると不思議と痛みや引きつった感じが薄れている。こりゃあいいやと今も両手首につけて、パソコンをやっている。しばらくサポーターをつけておこうかと思っているが、今度の土曜日は休みだから、近所の整形外科でも行って、先生(こちらは本物の)に診断してもらって、対処の仕方を教わって来ようと思う。
 ところで私の腱鞘炎はある意味、仕事で毎日パソコンをやっていることと、電卓を打っていること、伝票を書いていることからなっているのではないかと思う。しかも私の場合、キーボードにしても、電卓にしても、結構強くたたく。ボールペンも強く押して書く。多分そのためにひどくなっているのだろう。
 ということは、これは労災じゃないか。もし病院へ行って、どうしてこうなったかを説明したら、それは労災だなんて言われたら面倒なァ。五号用紙だったっけ?それを用意しないといけないのかなぁ。用紙に必ず「勤務中に」という言葉を「災害の原因及び発生状況」の中に入れろと書き方を教わったけど・・・。つまらんことを考えてしまう。まぁ余計なことは考えず土曜日に整形外科の先生にきちんと診断してもらおう。

2005年07月27日

通販

 今日は台風一過で、かなり暑くなった。今朝スペースシャトルが2年半ぶりに打ち上げられるシーンを見たけど、あの打ち上げシーンはかっこいい!!何だかワクワクしてしまう。宇宙に行ってみたいけど、不可能だろうから、せめてスペースシャトルの打ち上げを見に行きたいもんだ。

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 その打ち上げシーンをインターネットでも見られるけど、何度も見てしまう。
 インターネットといえば、今日息子のMDウォークマンの専用スティック・コントローラーが徳島の電気屋さんから届く。

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 ウォークマンの本体は大丈夫なのだけど、イヤーホーンのコードが接触不良をおこして、音が出たり、出なかったりしていた。
 最初は近所の家電量販店で修理をするつもりでいた。イヤーホーンのコードが接触不良をおこしているとわからなかったのだ。それで、修理をして安くあがるならその方がいいし、1万近くかかるなら新しいのを買った方がいいと思い見積を取ってもらおうとした。そうしたら見積にお金がかかるという。それをかみさんから聞いて、なに、今は見積も金を取るようになったのか!と、慌てて、ウォークマンを手にしてみる。そこで初めて、イヤーホーンのコードの接触不良だと分かり、その部分を変えればいいと判断した。
 そしてそのスティック・コントローラーの在庫を聞くと当然のように取り寄せとなり、10日以上かかるという。だんだん腹が立ってきて、そんなのインターネットで探せばあるんじゃないかと思い、探してみると、これがあるんですね。しかも安い。
 で、徳島にあるお店で注文をしたのが日曜日。そして今日届く。
 メールで注文すれば、ちゃんと注文のお礼と、その時在庫がないけど、翌日には入荷するから、それからこちらに送れますという案内がきちんと来るし、送ったら送りましたという案内も昨日ちゃんと来ていた。顔も見えない、声も聞けない相手と取引をするのだけど、こういうのって、安心できますよね。安く売ればいいという売りっぱなしの家電量販店からすれば雲泥の差だ。
 インターネットでの買い物には不安がいつもつきまとうけど、しっかりしたところもたくさんあるはずだ。そういう店を見極めて、うまく使うのもインターネットの使い道のひとつじゃないかと思ったりした。

2005年07月25日

段ボール

 書店組合から出ている「全国書店新聞」という組合報があるが、岩本町店なくなってからも送られてくる。読む人間がいないので、私が読んでいる。
 しかし、どうしてこうも役員といわれる年寄り連中は目先のことばかりしか考えないのだろうと思ってしまう。こんな奴らを役員にしていたら、中小書店未来なんか有るわけがない。
 ポイントカードが値引にあたるから再販制度に違反するとか言っていても、三省堂なんかそのポイントカードを導入しているじゃないか!きっと大手はこんな中小の書店の小賢しい文句など勝手にやってよ!うちはうちで勝手にやるからといった姿勢なのだろう。
 その分出版社が持ってくれればいいけど、自分のところの利益が減るからポイントカードは反対だとはっきり言えばいいのに、伝家の宝刀の再販制度を持ってきて反対だというのは、嘘っぱちとしかうつらない。
 駅前に大型書店ができるから、組合をあげて反対する。それしか能がない。組合をあげて影響を受ける書店をバックアップしてやろうということにはならない。要は自分のところは関係ないもんね。そこまではできないよ。けど、大型書店出店反対の署名を集めることは、手軽にできるからやりましょうという姿勢なのだ。こんなことが見え透いているから、そんな記事を読んでいると薄ら寒くなってくる。
 でもこんな組合報でも読むところがある。「本屋のうちそと」という本屋さんのぼやきである。これは面白い。今回は段ボールの話だ。思わずそうだったよなぁと自分ところでも経験しただけに感慨深かった。
 返品用の段ボールが不足しているという話である。たとえば書籍は段ボールで送られてくるけど、雑誌はビニールで梱包されて送られてくる。だけど雑誌を返品をする際は段ボールを使って返品をするし、勿論書籍もだ。中小書店は書籍より雑誌の個数が圧倒的に多いから、返品も雑誌が多くなる。けれどそのために使う返品用の段ボールは自分ところに送られてきた書籍の梱包用の段ボールでまかなえないのだ。何故なら、新刊の配本もないし、注文も少ないから、圧倒的に個数が少ない。あっても小さめの箱のみ。当然段ボールは不足する。
 そのため段ボール集めに苦労するというわけだ。私が大手町の官庁の売店で本屋をやっていた時なんか、本当に返品用の段ボールに苦労した。幸い隣に酒屋さんがあったから、そこから段ボールをもらって、返品をしていた。ここの本屋さんも他の業種の段ボールを使って返品しているという。
 ところが大型書店はとにかく書籍の荷物が多いから、逆に段ボールが余るようである。よく神田村の問屋さんが余った段ボールを回収してきて、それを自分のところの荷物を配送するのに使っている。そして私などはその回収された大型書店段ボールをピンハネしてきて、自分のところ返品にも使っていた。
 昔は引っ越しをする時など、自分の本を入れる段ボールなどよく神田村の問屋さんからもらってきて使ったもんだ。段ボールには「紀伊国屋」なんて名前が入っていた。けど本を梱包するなら、日販の段ボールがぴったしだ。そりゃあそうだよね。だってそのための段ボールなのだから・・・。

2005年07月24日

地震と暑気払いと同窓会

 いやぁ~、昨日の地震はすごかったですね!江戸川区で震度5弱というから、ゆれるわけだ。ちょうどパソコンをやっていたところだったんで、思わず液晶モニターが倒れそうな気がしたので、押さえてしまった。しかし何で液晶モニターを押さえたんだろう?
 こんなことを書くつもりじゃなかった。一昨日のことを書こうと思ったのだ。
 一昨日大学の友人と暑気払いをしたのだ。前回クラス会があったので、それからみんなとメールのやりとりができるようになったので、ちょっと飲まない?というメールが来るようになったわけだ。
 暑気払いをするといっても、ここのところそれほど暑くはないので、ちょっと拍子抜けがしないでもないが、それで友人と話すのは楽しいもんだ。
 だけど話の内容は、子供とどういう接し方をしているとか、身体調子がどうとか、老眼だとか、最近涙もろくなってきたとか、そんな話に終始してしまった。まぁそういう話をすることで、自分たちの今を主張しているわけだから、それでもいいのだろう。又、同調できる部分が多いから、話しも続いてしまうもんなのだ。
 それにしても本当に私はお酒が飲めなくなってしまった。元々強い方じゃないので、どうでもいいのだけど、ビール数杯とワインなど飲んだだけで、帰るだけでやっとで、翌朝はもちろんお酒が残った状態で、頭が痛かった。

 昨日は中学時代の同窓会をやっていた。私は前回言ったようにパスした。うちのかみさんが一人行っている。
 子供達も出かけていたので、昨日は夕食は私一人、オリジンの弁当を食べて、のんびりと過ごし、本を読んでいた。
 ところが息子が帰ってきた。「早いじゃん?」と聞くと、友人と会って夕食をする予定だったのだそうだが、地震で電車が止まってしまい、来れなくなったので中止となったという。こんな所に地震の影響があったのだ。又同窓会でも、地震のため来られなくなってしまった友人が5名ほどいたらしい。

2005年07月21日

カルクヤバイ

 先日受けた区民健康診断の結果が来た。今回は血清脂質つまり中性脂肪がホンの少し高いという結果になった。この通知表は3年前のデータから載っていて、それを比較してみると、いろいろな点で、数値が3年前より若干だが高くなっているようだ。
 でも3年前からすれば、今年は当たり前だけど3年、歳をとっているのだから、それだけ問題が出ても不思議じゃないような気がする。だって歳をとればそれだけ身体の方もがたがくるもんじゃないかと思うのだ。
 確かに、昨年はこの暑い中、自転車で毎日本の仕入れをしていて、いい汗をかいていたけど、今年はそれがない分身体が鈍ってしまっている。
 問題は、この結果を持って、1ヶ月以内にかかりつけの医療機関に相談しろという部分だ。診断基準値より1ポイント高いだけで病人と決めつけるのだ。いったい病人ってなんなのだろう。日々の生活を送るのに問題があるならともかく、別に何ら支障もないのに、この結果を見て、ああ、俺は病気なんだ、病院に行かないといけないと不安を募らせる。 こうしてどんどん病人じゃないのに病人だと思わせ、病人を作っていく。だだでさえ健康保険が破綻しそうなのに、こんなことをしていていいのだろうか?
 中性脂肪が診断基準値より1ポイント高いことが、どれだけ問題なのかその説明があればともかく、たかが1ポイント高いだけで、病院に行け、あなたは病人ですよと思わせるのは変な話しだと思う。区民検診というのは潜在的病人の発掘を目指しているような気がしてしまうのは私だけだろうか?
 だいたい1ポイント高いというのは、時と場所を変えれば、変わってしまう数値じゃないかと思うのだが、それでも病人としてしまうところは恐ろしいものだ。
 まぁ1ポイントでも診断基準値より高かったというのは、この時点で事実なのだろうから、ちょっと生活習慣に気をつけないといけないくらいに考えていいと思っているが、このあたりは大野さんに聞いてみよう!

2005年07月15日

精算

 お店がなくなれば、当然返品できる商品は返品する。問題はその後で、その精算がすぐしてくれる問屋やメーカーもあれば、いつまでもうだうだ言ってなかなか精算してくれない問屋もある。
 特に日販がひどい。金額的にも大きな金額になるので、こっちとしては早くきれいにしたいと思うのだけど、催促しても、その後返答なしの状態。さすがに頭にきたから、担当を呼びつけ、どうなっているのだ!と問いつめる。集金の時は、金額が大きいから少し送らせてくれとといえば嫌な顔をし、月末になれば、有無も言わさず満額集金していく。それでいて返してくれといってもなかなか返さないのはどういう了見なのだろう。
 事務所に呼びつけた時、どうしてお金を返してくれないのかと聞くと、逆送品(つまり返品期限が過ぎているものや買切商品の返品があった場合、日販は当然それを取ってくれないので、それをお店に返す。そのこと)があった場合困るので、その状況を見ているという。
 ところが、4月末でお店を閉めて、その後すぐ返品をしたわけだけど、その返品伝票の控えを請求書とチェックしたら、6月末ですべて入帖されている。そしてこちらには1冊も逆送品を受け取っていない。つまり逆送品を理由にお金を返さない理由がないのだ。それをきつく言い、どういうスケジュールで返金するのかはっきりさせろと伝える。

2005年07月14日

あまのじゃく

 昔、帰りの電車の中で、二六堂のブックカバーをつけた本を読んでいる人を見かけると、うんざりした覚えがある。同じ電車に乗るお客さんだろうと思うが、そのブックカバーを見ると、何だか仕事が終わっていない気分になり、どこか憂鬱になってしまった。仕事が終わっても、つきまとわれている感じがしたのである。だから二六堂のブックカバーが好きじゃなかった。元々耐久性の悪いブックカバーだったので、自分では自分の店のカバーをつけずに、他の本屋さんのブックカバーをつけるか、カバーも全部外して、むき身で持ち歩いていた。
 今二六堂書店がなくなってしまい、今度は逆に二六堂のブックカバーが愛おしくなっている。本当なら、自分のところのブックカバーをつけて持ち歩けば、宣伝効果も多少得られたかもしれないのに、お店がなくなってから積極的につけても何の意味もない。
 ただ、どうしてか読む本に閉店時に余ったブックカバーをつけるようになった。案外いいカバーじゃないかとさえ思うようになっている。本当に私はあまのじゃくだとつくづく思う。
 閉店時にもらった二六堂のブックカバーは単行本の方はそれほどないけど、文庫サイズはかなりの枚数があるから、かなりの間使える。ある間は使ってみようかと思っている。もし欲しい人がいれば差し上げますけど・・・。

2005年07月13日

前口上

 50に手が届こうとしている男が、Movable Typeのブログを立ち上げようと悪戦苦闘し、失敗してはやり直しの繰り返しをしている。こんなことをしていたら精神衛生上もよろしくないと思っていても、性格上、気になって仕方がない。
 ただいろいろ失敗していると、何となくMovable Typeのブログがどうしているのかがおおよそだけど分かってくる。自分が理解できれば、その部分は応用できるから、自分のスタイルなども構築できる。
 一方で肝心の本体の方だけど、今まで何度かホームページを作り替えてきて、その度にそれまで書いてきた文章をばっさり切り捨てたり、あるいは移植して残してきたりした。今回もただシステムを変えただけだから、直前まであった文章はそのまま残しておこうと考え、一度はかなりの数の文章を移植してみた。しかし、移植しているうちに「どこかおかしい?」と思い始めたのである。
 直前のブログの題名は「何があっても、本が好き」なのに、本のことより、日々の出来事が多くなってしまっていて、何だかごちゃごちゃしてしまっている。 確かに本を読むことは時間を要する訳だし、ましてその読んだ本のことを書くとなれば、更に時間を要する。つまりそう頻繁に書き込みなど出来るわけがない。それをカバーするために、日々の出来事を書くようになってしまっていた。
 勿論自分のブログだから、どうあってもいいのだけど、まったく関係のないことをうだうだ書いたって面白くない。
 それに移植していて思ったのだけど、日々の出来事はその時は「旬な話」であっても、時間がたてば本当に色あせているのに気がついたのである。しかも私の場合、大して時間がたっていなくてもこの有様である。ということは逆に言えば、自分では「旬な話」だと思っていても、本当はどうでもいい話ばかりで、いつまでも生き生きしている文章ではないということなのだ。
 そう感じたから、今まで書いてきたこの手の話は一切破棄することにして、改めてここから書き始めることにする。そういう文章を書くわけだから、当然読むのに堪えるものじゃない可能性が大きくなると思う。自分でもここにある文章は雑文中の雑文と自覚しておくつもりでいる。
 でもそうであっても、私に中で、どこかそういう息抜きもあっていいと思うところがあるので、別なブログを立ち上げ書き込むことにしました。