2011年10月31日
本を処分する
この月末の土日に本棚の整理をやった。整理というより、本の処分である。いつかやらなければならないと、ここのところ感じていて、延ばし続けていたのだが、どうにも本が本棚に収まり切らなくなってしまった。棚に収まらない本は、棚に積み上げたままになっている。
東日本大震災にときにも、棚に収まっていない、積み上げた本が落ちてきた。幸いその時はそれほど冊数がなかったので、大事に至らなかったが、今度同じ規模の地震があったら、大変なことになる。
それと私の年齢も問題となってくる。私の本棚は玄関から二階に上がる壁面に吹き抜けで作られている。そのため高いところにある棚は、階段と途中にある梁に板をかけて、そこを渡りながら本の取り出しや、棚に収めたりする。今はまだ足腰がしっかりしているから、そんな高さなどなんともないが、そのうちそこに上ることもできなくなる。つまり遅かれ早かれ高い位置にある棚の本には手が付けられなくなる。今でもどうでもいい本がそこにあるのだが、まずはここにある本を処分してしまい、空いたところに、読み終えて、もう絶対に読み返すことのない本に置き換えた方がいい。
次に文庫本である。とにかく冊数が多い。昔に買った本が数知れずある。読んだ本も多数あるが、未だ読み切れない本もかなりある。さらに後で全集を買ったために、同じ作品が重複しているものもある。ということで、基本文庫本はほとんど処分することにした。全集も不要なものを3点ほどまとめて処分することにした。
その結果かなりの冊数の本が処分の対象となった。どのくらいあるだろうか。千冊近くあるかもしれない。ほとんどが文庫本なので、売っても大した金額にはなるまい。もちろん高額で買い取ってくれれば、それに越したことがないが、期待はしていない。ただブックオフには売れない。なぜならブックオフでは値段が付かない古い本が多すぎるからだ。だからせめて古本として付加価値を多少でも認めてくれそうな神田の古本屋さんに電話をして、引き取りに来てもらうように手配する。引き取りは今週の土曜日となった。
さすが処分する本がこれだけでると、棚の方はすっきりする。
ところで処分する本がこれだけあると、どこか感慨深いものが出てくるはずである。そう思っていた。私は二度ほど大々的に本を処分したことがあって、古本屋さんが引き取っていった後の自分の本棚を見て、呆然となったものだ。その時もやむにやまれず処分したのだが、できればそのまま置いておきたかった。本には一冊、一冊、思い出がつきまとっている。ときにはあの本は売らなければよかったと後悔したこともあった。
以来もう本は絶対に売らないと決めていたのだが、やはり売ることになってしまった。けれど今回は昔のような感慨にふけることはなかった。むしろさっぱりした気分になったのを驚いている。これでよかったんだ、と思った。
何かの本に、古本は抱えるではなく、流通に回るようにすべきだと書いてあったことを思い出す。私が今回売ろうとしている本が再度古書業界で環流するかどうか分からないけれど、中には誰かが探し求めている本もあるかもしれない。自分の本棚に眠ったままでいるよりも、だったらその人のために回した方がいい。本の命がまた蘇る可能性があるからだ。
それとこれだけ自分の本棚がすっきりすると、気持ちが楽になるのを感じる。気がつかなかったけれど、ここに積み上げられていた本は、私の精神に妙な圧迫感を与えていたことを知ったのである。数の多さがそうしているのか、それとも本の内容が自分の能力以上のものなので、私の気持ちを重くしているのか、よく分からないが、とにかくすっきりとした棚からは、そうした圧迫感がない。それだけでも棚を眺めても、安らぐ感じがする。残った本は本当に自分の好きな作家の本と、読みたいと思っている本だけになった。
昔は広く浅く様々なジャンルの本を読みたいと思っていた。それはある意味自分にそれを課していたところもある。もちろん専門的な本は読めないけれど、もう少しくだけて頑張って読めば読めないことはない本なら、ちょっと頑張って読んじゃおうかな、という本読みをしてきたところがある。しかしこれは結局ところ、どこか背伸びをしている。本を読むことを楽しんでいない。まして読んでいてもまったく理解できないとなると、何のために本を読んでいるのか分からなくなってくる。私はどこかで“知的”に見られたかったのかもしれない。そうして本ばかり増えていったのだろう。
もう年齢的にこれから先どれだけ本が読めるか分からないけれど、それだってそう多いものじゃないと思う。だったら自分の好きな作家の本、本当に読んでみたいと思う本を読む方がいい。今更気取ったところで、どうなるわけでもあるまい。そんなことを思っていたから、処分される本に未練はないし、残った本をゆっくりと読んでいけるという安らぎを覚えるのだろう。これからはますます偏った本の読み方をしていくことになるだろうけど、それは自分にあった本なのだから、それでいいのではないか、と思っている。
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- by kmoto
- at 18:04
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