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    <title>身の丈に合った“せこい話”</title>
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    <summary>　結局４月は何も書けなかった。書いたことは書いたのだが、思うようなものじゃなかっ...</summary>
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        　結局４月は何も書けなかった。書いたことは書いたのだが、思うようなものじゃなかったので、やめてしまった。
　ここのところ自分が思っていることがうまく書けずに、イラだっているところがある。もう一つのブログは以前に書いたものがあるので、それを利用して書き込んでいるから問題はないのだが、ここはリアルタイムで自分のことを書くので、困っているのである。５月もこのまま行くと何も書けずに終わってしまいかねない。でも頑張ってみよう！

　書いてみよう、と思ったのはスキャナーが壊れたことによる。私は自分のブログに載せる本をスキャナーで読み取って、それを画像として載せている。本の画像など、たとえばアマゾンでも、私がいつも利用している紀伊國屋ＢｏｏｋＷｅｂでも使おうと思えば、簡単にそこから取れる。おそらくネット上でゴロゴロしているに違いない。けれど私はわざわざスキャナーで画像を作成するのは、それが実際自分で読んだ本である、というこだわりにある。ただ単にそれだけのことで、面倒なスキャニングをしている。ブログを始めてずーっとそうしてきた。だから今さらやめられない。スキャナーは必需品なのである。
　その使ってきたスキャナーが昨日を急に動かなくなった。画像ソフトがスキャナーを認識しない。ＵＳＢコードが抜けたのかなと思ったが、確認してみてもちゃんと付いている。“お亡くなりになった”
　このスキャナーはもう何年経ったろうか？１０年までは行かないだろうけど、７、８年は経っているだろう。少なくとも簿記上で言う減価償却期間は過ぎている。
　仕方がない。買うしかないかと思い始めると、何だか急な出費に腹が立ってくる。今は個人が使うスキャナーなど１万も出せば充分なものが買えるだろうけど、その１万が惜しいのだ。

　何故か？

　それは予期しない出費だからである。たとえば予定して何かを買うといった場合、それが何万もしても、惜しいとは思わない。むしろ楽しみである。ここが急な出費と違うところである。
　だいたいパソコンやその周辺機器というのは、いつか、しかも急に動かなくなる。そのたびに「あれ？」と思いつつ、「やばぁ！」となり、あれこれいじってみても、ウンともスンとも言わず、その代替えを強要する。なければないで済まないところが悔しいのである。それほどパソコンに依存して生活しているからそういうことになる。有無を言わせない状況である。これが悔しさを生むのだろう。

　ということで、ヨドバシへ走る。悔しいので、貯まっていたポイントを全部使って、支払を２，０００円以内に収めた。どうもせこいね。

　せこいついでに、与太話を続ける。

　先日かみさんと気になっていたラーメン屋に行ってみた。いつも二人で買い出しに行く時に、通る道にその店はあり、店の外は行列をつくっている。毎度行列を見かける。人が並んで順番を待っている以上、ここのラーメン屋は美味しいに違いないと思うのだが、如何せん、私は並んで順番を待つのが大嫌いなのだ。並んでまでそこに入りたいと思えない。だからディズニーランドなんて行けない。“１時間待ち”なんてとんでもない。
　しかしこんな東京のはずれの江戸川区に人が並ぶほどの名店？があるなら、住民として行っておく必要もあるかもしれない。意を決して並んでこのお店に入ってみた。
　ラーメンの種類は少ない。私は塩味ラーメンを注文する。出来上がったきたラーメンを見て、これはコッテリ味かと思いきや、以外とあっさりしている。煮干しかなんかを使っているのだろう。
　しかし確かに最初の一口、二口は美味しいと思ったのだけれど、そのうちそうでもないな、と思い始める。それはここのラーメンが並ぶほどのものでないというのではなく、私の味覚の問題である。正直言うと、いつも食べている餃子の王将の東京ラーメンの方が私は好きだ。（餃子の王将へ行くと、店員に「いつもありがとうございます」と大きめの声で言われる。こっちはそんなに来ていないのだけれど、顔を覚えられちゃっている。これ結構恥ずかしいからやめてほしいのだけれどね）ましてセットにすれば餃子も付くし、値段もこちらの方が安い。

　もっと言っちゃおうか！

　イオンなどのフードコートに入っているリンガーハットのちゃんぽんの方が好きである。ガキが走り回るのを我慢すれば、美味しく食べられる。早くて、野菜たっぷりなのがいい。
　“今半”の高級弁当より、ホカ弁でもいいと思う。むしろワンコインでおつりが来るの方がうれしい。
　有名天ぷら屋の天ぷらより、てんやの天ぷらが好きである。有名な天ぷら屋のカウンターに座って、天ぷらが一品、一品揚がるのかしこまって待っているより、いきなり天ぷらの盛り合わせがど～んと来る方がいい。「これは今が旬のふきのとうです」なんて、つまらん説明など一切ない。目の前の皿に、金属の長い箸でつまんでカウンター越しで出されるのを、“はは～”と恐れ多い感じで聞くのも、結構鬱陶しい。
　天丼も、すばやく来るし、具にかかっている天つゆが少なければ、テーブルにある天つゆを思う存分かけられる。つゆだくも可能だ。それを思う存分口にかき込むことも出来る。時にはサービス券を使ってネタの追加が無料でできる。
　鮨にしても鮨屋のカウンターで座って、握ってくれる職人さんに気を使いながら、「今日のおすすめは？」と聞いたりするのも面倒だ。下手に自分の好みを注文するのも気を使う。こんな安いネタを注文しやがって、なんて思われそうで嫌だ。それならスシロウがいい。何せ一皿１０５円は魅力だ。腹一杯食べても、そこそこの値段で済む。それに案外美味い。
　有名イタリアンで出されるパスタより、ファミマの大盛パスタでいい。名のあるパテシエが作るケーキより、お持ち帰りの不二家の「たっぷりフルーツのタルト」でいい。（スーパーでよくヤマザキがやっているケーキバイキングはパサパサなのでちょっと遠慮するが・・・）

　とにかくこうしたジャンク食事というか、激安食事で事足りている。それなりに美味いと思っている。これはどういうことかといえば、いつもここで食べているものだから、その味に馴らされちゃって、これが私の舌の基準となってしまい、こういうことが起こる。味覚は案外麻痺しやすく、慣れてしまうと、それ相応美味く感じてしまうのだろう。
　でもこれが問題かも知れない。確か開高健さんだったと思うが、良い文学を知るには、ひどい作品を読むことで、やっぱりいい小説は違うな、と思えるのだ、と書いていたと思うが、こうした食事をいつも食べているにもだから、有名店で食事をしても、美味しい、と思えなくなってしまっているのだ。
　結果、食べ物が価値がそこに出来てしまう。だから値段ばかり気にかかる。安い物がそれ相応に食べられちゃうからまずいのだ。もちろんまた手の込んだ美味しい料理は手間がかかっている分、それが値段にはね返ってくる。当然だと思う。また店の雰囲気も大事だ。時にはそうした本格物を味わう必要もあると思う。ただ私は気兼ねなく、食事が出来るという点では、これらで充分である。私にはそれが身の丈に合っており、分相応だと思っているからである。
　しかしちょっと危惧する。こんなことを書いちゃうと、「こいつに有名店で食わせても、もったいないだけだ」と言われそうだ。
        
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    <title>３月２９日</title>
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    <published>2012-03-29T08:18:56Z</published>
    <updated>2012-03-29T08:20:36Z</updated>
    
    <summary>　毎月一回行っている病院へ行った。ここのところ決算処理などで、ストレスが溜まって...</summary>
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        　毎月一回行っている病院へ行った。ここのところ決算処理などで、ストレスが溜まっているのか、また胃腸の調子がよくない。先生には「出来るだけ、ストレスを溜めないように」と注意されるが、公私共々ストレスが溜まることが多く、わかってはいるのだが、なかなか難しい。
　そのため夜もなかなか眠れないことが多く、一時飲まずに済んでいたマイスリーをまた飲むことが多くなった。飲まなくなったことでストックとして持っていたこの薬だが、それも少なくなったので、今回また出してもらった。「睡眠は生活のリズムが大切でそれが狂ってくると、睡眠障害となるんだ」と先生は言っていたが、確かにそうなんだろう。先生もよくこの薬を飲んでいることを言っておられた。医者もかなりストレスが溜まる職業なのだろう。


　本当はあまり書きたくなかったのだけれど、やはり３月１１日のことは書かざるを得ない。あれから１年。テレビではほとんどが特集番組となっていて、私もこの日はほとんどテレビを見ていた。しかし長時間テレビを見ていて、何かおかしな感じがしてきた。昨年の３月１１日にあった地震、津波、そして原発事故を、今だから様々な記録が出てきているので、それを立て続けに流すことで、もう一度恐怖感を与えようとしているのだろうか？それともこの災害を忘れないために、改めて記憶を呼び起こそうとしているのか？
　しかしこのような映像の垂れ流しが、かえって感覚を麻痺させないだろうか、と思う。あのときの悲惨な状況をこれでもかといった感じでテレビから出てくると、これはただ悲惨な状況を興味本位で流しているんじゃないかと思ってしまう。それがひどければひどいほど、そう思えてきたのである。

　何かが違う！

　そう感じた。それが何なのか、よくわからないが、我々が今必要としていることはこういうことじゃない。
　去年のあのとき以来、私たちはいつも“不安”を抱えながら生きていたのではないか？頻繁に起こる地震。テレビや携帯に急に流れる「緊急地震情報」に怯え、２０秒後、３０秒後、何が起こるのだろうと身を縮めて構えてきた。あるいはこの食材は放射能に汚染されていないよなといって、産地を確認する毎日。
　もしかしたらこの日本では、これから先もこういう不安の中で暮らしていかなければならないのではないか、と思わせる。こういう中でどうやって生きていけばいいのか、その指針がまったく見えないことの不安をどう解消していけるのか、それを知りたいはずだ。これらのテレビ番組は、そういうことにほとんど触れずにいるところが腹ただしい。
　あのときのことを映像として流すのも結構だけれど、ステレオタイプ的に同じ映像を流すことに、どこに意味があるのか？それよりも、あのときから先に一歩踏み出す時に必要な何かを、たとえ小さなことであっても、我々に少しでも希望みたいなものを見せてくれるなら、少しは救われたのに、と思うのである。
　やっぱりテレビってダメだな。せっかくビジュアルに見せることが出来るメディアなのに、その使い方を間違ってしまっているのだ。


　２６日帰りに、空に向かって写メを撮っている人がいて、何を撮っているんだろうと思い、そちらの方を見てみると、何だか知らないが星二つの間に月が挟まった形で、ほぼ一直線に並んでいた。それを見て妙な感じだなと思いつつ、後でニュースを見ていたら、「金星、月、木星が等間隔でほぼ一直線に並ぶ天文ショー」と知った。
　あのとき妙な感じがしたのだけれど、どちらかといえば不気味な感じであった。私には天体ショーには感じられなかった。ふと『１Ｑ８４』で青豆と天吾が見ていた二つの月が出ている描写を思い出してしまった。


　先週からかねてからやろうと思っていた本棚整理を始めた。昨年文庫を中心にかなりの冊数を古本屋さんに処分したので、棚があちこちあきが出来ていた。一方納まりきらないときに、棚からはみ出した本はそのままなので、それらをきちんと棚に収める必要があった。
　本棚は一階から二階へとくくりつけになっている関係で、高いところある本は読み終えて、取り敢えず取っておこうかな、という本ばかりになる。そして手元に近いところには、まだ読んでいない本や、自分の好きな作家の本が並んでいる。その作家の一人開高健さんの本も棚四段ほど占領している。しかし学生時代はよく読んだが、最近はほとんど手にしない。かといって苦労して揃えた本ばかりなので、処分などできない。結局開高さんの本も私には過去の人の本となってしまっているので、手元から離れた場所に移した。
　その分が移動した関係で、手元にある本棚がかなりあきが出来た。いまここに何を入れようか思案中している。
　基本的にはこれから読む本を置くことにしているが、もともと雑読？なので、棚に入れると統一感がない。やはり本棚はうつくしいほうがいい。先日買った雑誌が本棚特集だったので、ついつい買ってしまったのだが、写真に載るだけあって見ていてうっとりしてしまう。確かにいつもこうもうつくしいわけじゃないだろう、と突っ込みを入れたくなるけれど、出来ればそうありたいとは思う。
　でも仕方がない。手元に置く本はこれから読む本にする。ではその本は何か、ということになる。本を整理していて、棚に埋もれていた面白そうな本が何冊も出てきたし、また以前読んだ本でまた読み返したいな、という本もあった。ここにはそうした本たちを置くことにしたのである。
　私はあまり読んだ本を読み返すことをしない人である。一度読んだ本より、まだ読んでいない未知なる本の方を読む方を優先する。読んだ本をまた読み返す時間があるなら、新しい本を読んだほうがいい、と思ってしまう。それだけ未読の本があるということなのだが、でも最近は昔読んだ本を読み返してもいいかな、と思っている。また読んでみたいと、思うのである。これからはそのような本も手にしたいと考えている。
        
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    <title>３月１９日</title>
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    <published>2012-03-18T20:51:09Z</published>
    <updated>2012-03-18T20:51:57Z</updated>
    
    <summary>　また保健所に提出書類があったものだから、通勤時にそのまま直行した。九段下で下り...</summary>
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        　また保健所に提出書類があったものだから、通勤時にそのまま直行した。九段下で下りるのだが、まだ保健所が開くまでに少々時間があった。朝食を食べていなかったので、近くの喫茶店に入り、モーニングを食べる。その後通り沿いにある啓文堂書店が開いているのでそこに入って時間をつぶす。
　以前にも書いたはずだが、ここは朝８時から開いている。２４時間営業のお店以外に朝の８時からお店を開いている本屋さんって珍しいのではないか。でも朝早くからお店を開けてくれていると、何かうれしい。たとえば朝刊の広告で読みたい本を見つけたら、仕事に行く前にお店によって買えるのである。それを手にしただけでも、今日一日いいことがありそうな気がしてしまうではないか。たとえ目的の本がなくてもお店に入って、並んでいる本や雑誌を眺めるだけでもいい。
　私が本屋で働いて頃は、朝８時半にお店を開けていたが、夜遅くまで営業するために時間がずれて、９時なったりした。大手書店などはテナントとして入っている商業ビルの開店にあわせて１０時とか１１時とか開店するところもある。本屋が朝早くから開けているのがいいのか、それとも夜遅くまで開けているのがいいのか、意見が別れるところだろうけれど、私は基本朝型なのでやっぱり朝早くから開けてくれる本屋さんがいいな。朝イチで目的の本を手に入れられる感覚が好きなのだ。

　書泉がオタク化してしまっているので、個人的に魅力がなくなってしまい、正直がっかりしていることも何度も書いた。で、最近は駅ビルにある三省堂に行くことが多くなった。ヨドバシにある有隣堂でもいいのだけれど、何故かそこへ行くのが億劫なのだ。
　ということで三省堂で本を買うことが増えたので、ポイントがたまる。ところがこのポイント期限があって消滅することを知らなかった。クラブ三省堂のホームページでMyページへ初めて行って知ったのだ。
　ポイントが期限が来ると消滅してしまうのは、どこか国が休眠口座に残っているお金を勝手に使っちゃおうとしているのと同じ感じがしてしまう。幸い私は休眠口座を持っていないので（はずだ）国に使われることはないが、せっせと貯めたポイントがなくなるの悔しい。だから慌てて金券に買えた。４００円分の三省堂だけで使える商品券をゲットした。さっそく欲しいと思っていた新書にそれを使う。本が半額で買えたので、何かうれしい。ポイントっていいな。
　出来ればポイントはいつまでも残ってくれた方が有難い。たとえポイント加算率が低くてもいいから（もちろん高いに越したことはないのだが）、“小さなことからコツコツと”貯めているのだから、残して欲しいものだ。

　ここのところ小さなミスをやることが多くなった。私の仕事は日時の期限があるものが多く、何においてもその期限内でやらなければならない。あるいは法改正のため、年月をしてして変更するといったものもある。だからパソコンでそのスケジュールを管理し、設定するのだが、その日付をミスっておかしなことになった。もう平成２４年なのにまだ平成２３年と書いたり、思ったりするのである。平成２４年が始まって３ヶ月も経っているのに、あれ、今年平成何年だったけ？と時々分からなくなる。それでもまだそうしたことが分からなくなって、手が止まるなら、考える余地があるが、無意識に平成２３年と決めてしまうと、とんでもないことになる。パソコンの設定を２４年４月とするところ２３年４月としてしまったことで、おかしな数字が出てきて、はて？何でこんなことになるんだろう、頭が混乱する。
　それを昨日やってしまった。それで２、３時間ムダにする。もちろん設定する時は、充分に注意しているはずなのだが、一つ見過ごしてしまったことでそういうことになった。
　やっぱ歳なんだろうか。注意力が散漫になってきているのかもしれない。昨日はそんな失敗をしても、何とか修正出来たけれど、今後場合によっては取り返しのつかないことになりかねない。充分自戒しなければいけないな、と思っている。
　幸い私はすべきことは余裕をもってする先にどんどんやることにしているので、見直す時間が取れる。今後こういうことが起こることが多くなるかもしれないので、期限ぎりぎりでやるのは控えなければならない。
　もっともやっかいなことに、そうして早めにやってしまったことで、今度それ自体やったかどうか忘れてしまうことも多々ある。あれ？やったっけ、といった感じだ。事務所にいればその資料を見ればすぐ分かるが、これを家などで思い出すと、もうそればかり気になってしまい、最悪である。翌朝仕事に行くまで気になって仕方がない。
　だいたいこういうときはちゃんとやっているはずなのだが、確認するまで不安で仕方がないのは、性格なのだろうか？歳をとってこんなことが多くなってくると、今後どうすればいいのか？
　限界っていうのは、こういうことが積み重ねって、もうどうにもならなくなった時なんだろう。もしかしたらその兆候が始まっているのかもしれない。
　限界に挑戦するなんていうトライ精神などもともと持たないタイプだが、でももう少し頑張らないといけないとは思うので、ここはたとえ時間がかかっても間違いがないか一つひとつ確認し、やっていかないといけないと思っている。
　そうそう物忘れも多くなったな。特にどこにしまったか分からなくなる。いまだに一つ出てこないものがあるのだが、気になって仕方がない。別になければないでかまわないのだけれど、気になって仕方がないのである。
        
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    <title>２月１０日</title>
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    <published>2012-02-10T02:28:02Z</published>
    <updated>2012-02-10T03:28:53Z</updated>
    
    <summary>　私は文章を書く時、そのほとんどがパソコンで書く。ＡＴＯＫを使って書いている。今...</summary>
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        　私は文章を書く時、そのほとんどがパソコンで書く。ＡＴＯＫを使って書いている。今はマイクロソフトのＩＭＥやワードが主流になっているのに相も変わらずＡＴＯＫや一太郎を使っているのか、と言われそうだが、私がパソコンをやるようになった頃はがＩＭＥはまだ頭が悪く、とんでもない漢字に変換してしまっていた。日本語変換ソフトはやはりＤＯＳ時代からのＡＴＯＫで、WIDOWS版になってもこちらの方が使い易かった。私もそうであった。以来今日までＡＴＯＫと一太郎を使っている。また辞書も広辞苑が入っているので重宝しているから手放さない。これは勝手に思うのだけれど、ＡＴＯＫと一太郎を使っている人は割と年配者が多いのじゃないかと思っている。
　昔秋葉原の中央通りにＴ－ＺＯＮがあった頃（今はＡＫＢ劇場になっているのかな？）、ＡＴＯＫと一太郎のバージョンアップ版を購入した時、年配の人がそのバージョンアップ版のパッケージを持って、悩んでいるような姿を見かけたことを思い出す。
　最初の頃はきちんとバージョンアップしてきた。こうして文章を書くことが多いので気を使っていたのである。ただ毎年一回、必ずバージョンアップされるので、毎年付き合うのは馬鹿馬鹿しいと思い、何年かして適当にバージョンアップすることにした。
　で、今回久しぶりにバージョンアップすることにした。というのもこれが最近頭が悪くて、こちらが期待しているように一発で漢字を変換してくれないことが多くなったからだ。使っているバージョンが古いからそうなるのかと思い、これはそろそろ替え時だな、と思ったのである。
　その一太郎が今日発売だ。ネットで予約注文してあるので、後で届くはずだ。事前の説明には相変わらず様々な機能が搭載されているようだけれど、まぁそれを使うかどうかはわからない。基本は一発でこちらの期待する文章なり漢字に変換してくれればいいのだ。　そうそう筆まめも今年はバージョンアップしないとならない、と思っている。郵便番号を入力すると、該当する住所が出てこないのだ。これも古いからそうなっちゃっている。来年の年賀状の話をすると、早すぎるけれど、それまでに何とかしようと考えている。


　昨日早稲田に行った。古本屋に行ったのである。向井透史さんの本を読んで久しぶりに行ってみようか、と思ったのである。夕方早稲田から高田馬場方面に歩いてみた。ネットで早稲田古書店マップを見てみると、それなりお店があるので、少々期待していたのだが、いくつかはシャッターが下りていた。時間が時間だからかもしれないけれど、夕方５時に店仕舞いは早くないか？あるいは休みなのか休業しているのか。
　ここの古本屋さんが厄介のは、店に入る度にドアを自分で開けなければならない店が多いことだ。自動ドアのある店が少ない。なので入るのにひやかしみたいで少々気が引ける。仕方がないので外から棚にある本を見て、ここは自分の範囲じゃないと思えば、次の店に行ってみる。文芸書がある古本屋だとわかれば、意を決して入ってみるが、そんな感じで店に入っているものだから、落ち着いて本を探す余裕がない。そうして欲しい本がなかったら帰るわけだが、その時何も言わずにドアを閉めて外に出るのも申し訳なくなってしまう。
　向井さんの古書現世にもそんな感じで入ってみた。レジカウンターにいる人がたぶん向井さんだろう。ここで初めて「いらっしゃいませ」と言われた。他の古本屋さんからは声を掛けられなかったが、逆に声を掛けられちゃうと、余計に緊張してしまう。もちろん店内は私一人しかいない。
　棚構成が面白かった。「１，０００円以下の本」と売値で棚の本を埋めている。それを見て思い出した。ここで昔本を買ったことがある。買った本も覚えている。阿刀田高さんの文庫本だ。ただ今日は収穫はなかった。結局私は向井さんの本に書かれているひやかしになってしまった。
　三楽書店に入った。ここで昔開高健さん探している本を数冊買ったことを覚えているので、もしかしたら何かあるかもしれないと思ったのである。なぜこのお店を覚えているかというと、棚に入っている本すべてパラフィン紙で包装されているからである。開高さんの本もパラフィン紙で包まれていた。ここで吉村昭さん本を上下を買った。
　そうそう今読んでいる矢田挿雲の『江戸から東京へ』が全９巻揃いで２，５００円とワゴンにあった古本屋さんに足が止まった。この本昔の写真が載っていて、なかなか興味深いのだが、如何せん今読んでいるものが文庫本なので、写真が小さいのが難点である。単行本ならもう少し見やすいのかな、と思って触手が動いたが、文庫本で持っている以上必要ない、と思い諦めた。
　そのまま高田馬場へ歩く。駅に近づくとラーメン店が多くなってくる。それでなくてもこの通りはラーメン店が多いな、と思っていたのだが、それが隣同士で並んでいる。学生や予備校生が多いからだろうか？
　駅でふと思い出すことがあったので、そのまま通り過ぎて、私が昔通っていた予備校の１３時ホールの方面へ行ってみた。ゼミをさぼってよく入った本屋さんで上にある喫茶店はまだあるだろうか、と思ったのである。もちろん本屋さんもなかったし、喫茶店もなかった。そもそもどこかわからなかった。
　入試が近づいて来た頃もここにいた。私は入試の勉強よりもここで本を読んでいることが多く、このときも確かそうだった。テレビではラグビーの早明戦をやっていた。雪が降っていて、そんな中画面では早稲田の華麗なパスワークと相変わらず正面突破しかやらない、それこそ泥くさい明治の試合だった。
　１３時ホールも昔は結構目立っていたはずなのだが、今はそれ以上高いビルに囲まれてしまっていて、すぐわからなかった。ここかな、と思って上を見上げたら、１３時の文字がある時計が見えたので、確認出来た。昔はもう少し入り口は広くなかったかなと思ったけれど、よくわからない。でも何だか古ぼけたビルになっていた。
　そのまま引き返し、地下鉄の駅に戻った。
        
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    <title>１月３０日</title>
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    <published>2012-01-30T02:39:46Z</published>
    <updated>2012-01-30T02:51:12Z</updated>
    
    <summary>　今年もシンビジュームが咲いた。昨年株を二つに分けたので、鉢が二つになったのだが...</summary>
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        <![CDATA[　今年もシンビジュームが咲いた。昨年株を二つに分けたので、鉢が二つになったのだが、二つとも花を付けている。親株にはまだ花が開いていないつぼみが二つあるので、これからが楽しみだ。
　そうそう花を支える支柱がなかったので、近所の花屋に買いにいったのだが、お店で使ったものだけどと言いつつ店員さんがただでわけてくれた。


<a href="http://www.k-moto.net/daily32/archives/2012_01_30_01.jpg"rel="lightbox"><img alt="2012_01_30_01.jpg" src="http://www.k-moto.net/daily32/archives/2012_01_30_01-thumb.jpg" width="320" height="426" /></a>


<a href="http://www.k-moto.net/daily32/archives/2012_01_30_02.jpg"rel="lightbox"><img alt="2012_01_30_02.jpg" src="http://www.k-moto.net/daily32/archives/2012_01_30_02-thumb.jpg" width="320" height="240" /></a>


　また昨年９月私の誕生日にかみさんが買ってくれた、花が咲いているシャコバサボテンが、狂い咲きなのか、また花を付けていている。



　先週の土曜日に孫の初節句のため、ひな人形を浅草橋に買いに行く。孫の母親は私の娘である。その娘の初節句のときは、私の親父と母親が娘のためにひな人形を買ってくれた。このときは勝手に親父たちがひな人形を買って送りつけてきたので、今回のように一緒に選んだ訳じゃない。
　今回は娘が基本的に選びたいということで、一緒に行くことにし、お金だけ出すことになる。だから浅草橋に人形を買いに行くのは初めてとなる。
　浅草橋に着いて驚いたのが、駅前で何人か胡散臭いオヤジたちが、ひな人形の割引券を配っているのである。まるでキャバレーの客引きみたいだ。こんなオヤジたちがくれる割引券でひな人形を買って大丈夫なのかと思ってしまう。
　娘はもうネットでお気に入りのひな人形を決めており、そのひな人形が売っているお店に直接向かう。私が抱いているひな人形のイメージは何段飾りと大がかりなもので、当然そのような大げさなひな人形がお店に飾ってあるものと思っていたのだが、お店の入り口に飾ってあるのは親王飾りといったシンプルでコンパクトなものばかりであった。もちろん豪華なものもあるのだが、今は核家族化でそんな大きなものは売れないそうだ。むしろこうしたものの方が場所も取らないし、飾るのも楽なので、長いこと飾ってもらえるらしく、人形にとっていいことですと言っていた。
　コンパクトだからといって値段が安いという訳でもない。それなりに手が込んでいるらしく、大がかりなものとそうそう引けを取らない。
　もう候補を決めてあるから、即、決まるものと思っていたら、娘はかなり悩んでいる。お店に来て、実際ひな人形の顔を見てみると少しずつ違うらしく（まぁ当然だな）、パソコンの画面とは趣が違うらしい。
　なかなか決めかねている娘を見て、これは驚きであった。娘の性格柄ものを買う時は割と簡単に決めてしまう方なのだが、今回違うのだ。あれこれ見比べ、お店の中を行ったり来たりしている。かみさんもそれに付き合い、あれこれ意見を言っている。こういう時は女はしつこいものだ。
　娘が自分の子どものためにこんなに悩んでいる姿に驚きつつ、私は孫のベビーカーを任されているので、ぐずらないようにあっちこっち移動しながら、孫をあやしていた。
　ひな人形はたぶん一生に一回しか買わないものだろうし、しかも初節句を迎える赤ん坊が対象だから、お店にも赤ちゃん休憩室や授乳室を用意しているのも、言われてみればなるほどと思った。面白いものである。
　かなり悩んだ末、やっと決まったらしく、かみさんにカードを貸してくれと言われる。えっ、俺のカードかよと思いつつ、孫が可愛いバカオジイチャンはカードを渡すのであった。かみさんが勝手に暗証番号を打ち込んで会計をしている間、私は店員さんに駅前で割引券を配っているオヤジたちのことを聞いてみた。
　浅草橋の通りの奥にはかなりの数の人形屋さんがあって、通りの奥にお客が行かないものだから、あんな割引券を配って客を呼んでいるとのこと。中にはこの時期だけお店を開いている所もあるらしい。割引率は高いけれど、定価をその割引を織り込んで最初から設定しているらしく、結果安いものじゃないらしい。品質においても、疑いの部分があるらしく、出来れば引っかからない方がいいと言われた。人形の組合があるらしく、その組合でもそんなのに引っかからないようポスターを作っているという。
　だいたい可愛い孫のために買ってやる人形である。そこで値引率で引かれるようじゃいかんじゃないかと思うのだが・・・。配送は２月１１日と決め、飾るのは大安の１４日だそうだ。娘はかなり人形が気に入ったらしく、後でメールでもお礼が届く。]]>
        
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    <title>１月１７日</title>
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    <published>2012-01-17T23:50:04Z</published>
    <updated>2012-01-17T23:50:42Z</updated>
    
    <summary>　あけましておめでとうございます。 　本年もよろしくお願い致します。 　といって...</summary>
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        　あけましておめでとうございます。
　本年もよろしくお願い致します。

　といっても、１月ももう半分が過ぎてしまった。こう言うからには訳があって、正月だけでなく昨年末からバタバタ過ぎてしまったからである。
　今年は正月休みを長くもらったので、先週から動き出した。そして今日、年末に作った住民税の給与支払報告書を郵送し、神田税務署に法定調書合計表を提出してきた。
　事務所から神田税務署に行くには、自転車が便利である。というわけで新年第１発目、寒い中自転車で繰り出す。今年は秋葉原にある無印良品で３０％引きの手袋を買った。
　私は昔から手袋が苦手で、はめるのが面倒でもあった。そしてよくなくすのである。いつも片方を落としてしまう。しかし今年は歳のせいか、寒さがこたえていたので、意を決して買おうと思ったのである。通勤時ここのところいつもはめているが、さすがに暖かい。手袋して思ったのは、私はいつも手をコートのポケットに入れて歩いていたことである。しかし手袋をするとその必要性がないが、その手のやり場所に戸惑ってしまう。手を出して歩くことがどこかぎくしゃくして不自然な感じがしてしまう。なんかロボットが歩いている感じだ。
　でもこの時期自転車に乗る時はいい。爽快に昭和通りから靖国通りに走る。税務署で書類を提出し、医療費控除をするための、確定申告書一式をもらってくる。まぁこれら書類はネットで申告書を作成するので必要ないと言えば必要ないのだが、性格柄どうしても手で計算して書き込んでみないと納得できないところがあるので、それをネットで作ったものと照らし合わせるため、一式をもらってくるのである。
　帰りに三和図書に寄る。大沢在昌さんの新刊が入荷していた。発売は１９日だ。高橋君に一冊売ってくれないかと頼み、スリップを持って店売の大山君に会計してもらう。店売で珍しい顔を見かける。安達図書にいた川村さんだ。昔は川村さんに世話になった。新潮社や文藝春秋の新刊をわけてもらった。
　私の子供や弟の子供がまだ小さい頃、鎌ヶ谷にぶどう狩りに行ったことがあるが、ぶどう園の前でばったり川村さんに出会ってびっくりしたこともあった。聞いてみるとここに住んでいるという。「人が住んでいるところに家族でぶどう狩りなど来るなよなぁ」と言われたのも懐かしい。
　安達図書はとうの昔に廃業してなくなっているが、川村さんは杏雲堂病院の売店で本屋をやっていると聞いていたが、今でもそこにいるとのこと。挨拶をして別れる。別れ際に昔のように「頑張ってな！」と言われた。
　その後三省堂本店に寄る。１階の新刊をざっと眺め、２階に上がる。北杜夫さんの『楡家の人々』がまた気になった。北杜夫さんが昨年亡くなって、その追悼で著作が棚に並べられているのだが、まだそこにあったのである。
　『楡家の人々』は私が高校生の時読んだ。今は本も手元にないので、なぜか懐かしくなって、また読みたいなという気持ちになるのである。でも今日も買わずに、他の文庫本を２冊買う。
　帰りに靖国通りを走っていたら、スカイツリーが大きく、しかもくっきりと見えた。空気が澄んでいるからよく見えるのかもしれないが、今まで気づかなかった。
　秋葉原に着いて、手は暖かかったが、耳が冷たく痛い。今度は耳当てか、とも思ったが、まさかこの歳で耳当てをしながらチャリに乗るのもどうかと思い、慌てて事務所に入る。
        
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    <title>年末新井薬師から中野へ行く</title>
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    <published>2011-12-28T01:07:44Z</published>
    <updated>2011-12-28T01:10:43Z</updated>
    
    <summary>　新井薬師にお守りを急遽もらいに行く。いつも休みの土曜日に出社となってしまったの...</summary>
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        　新井薬師にお守りを急遽もらいに行く。いつも休みの土曜日に出社となってしまったので、金曜日に残ってしまった仕事を一気に片付け、午後から出かける。まずは新宿へ行けばいい。総武線から中央線と乗り換え、新宿へ。そこから西武新宿線の新井薬師前駅で降りた。
　改札は一つしかないけれど左右どちらに行けばいいのかわからず、駅員さんに聞いてみる。「薬師さんはこの先です」と降り口を教えてくれた。地元の人が自分のところにある神社などをこのように「○○さん」と呼ぶことは聞いたことがあるが、実際自分の耳でこのような言い方を聞いたのは初めてだ。親密感があって、なんか、いいものである。
　駅から参道まではちょっと歩くが、それほど道幅が広くない道の両側に昔ながらお店がいくつもあって、懐かしい感じである。昔よくあった木の棚の本屋さんも一軒あって、ちょっと入ってみたくなったが、先を急ぐのでそのまま通り過ぎた。
　新井薬師は山門の前に出てみるとこぢんまりした本堂が見える。お参りをして、横にある社務所でお守りをもらう。山門を出る前に、もう一度本堂に向かって「よろしくお願いします」という気持ちで頭を下げる。
　わざわざ新井薬師に行ったのは、そこは眼病治療に霊験あらたかと知ったからであるが、実はもう一つここは中野駅に近いということがわかったので、その後中野に行こうと思ったからである。
　何故中野駅に行きたかったのか、というと、昔中野のブロードウェーの地下にある果物屋さんでバイトをしたことがあったからだ。高校時代である。それ以来私は中野には行っていない。かれこれ４０年近く行っていないことになる。
　たまたまテレビで中野のブロードウェーが映っていたのを見て、ちょっと懐かしくなり行ってみたいな、と思っていたのである。それが今回いい機会なので行ってみたわけだ。
　サンプラザの横でバスを降り、多分この先入ればブロードウェーに行けるアーケードに入れるはずだ。アーケードの狭い道に人がいっぱい歩いている。高校時代このアーケードを何度も歩いていたが、記憶にあるお店は一軒もない。４０年ぶりに歩いているのだから当然と言えば当然だ。ただ何か古めかしい感じが漂う。
　ブロードウェーの前に出た。何か違う？こんなにけばけばしくなかった。それも全体が古めかしい中にけばけばしい感じなので、言ってみればばあさんが無理して派手な衣装を着ている感じだ。
　まぁいい。とにかく地下に行こう。もしかしたら昔あったお店が一軒くらい残っているかもしれない。しかし中を歩いて見て、お店をくまなく見て回って、記憶に残っているお店は一軒もなかった。私がバイトしていた果物屋もなかった。もしかしたらお店は残っていて、当時私に仕事を教えてくれた人がまだお店に立っているかもしれないと多少期待していたのだが、それも果たせなかった。そこで記憶にある顔を見かけて、「○○さん？」と声をかけたかった。私によくしてくれたお店の前にあった精肉屋さんもなくなっていたし、隣の八百屋さんもなかった。 
　仕方がない。あまりにも年月がたちすぎている。地下も昔のような明るく、わりと通路も広く取ってあったのと違い、とにかくお店の数を目一杯詰め込んでしまっているので、通りが狭くなってしまっている。そこにもともと地下であるから天井が低いので、ちょっと息苦しくもなる。
　一回りして地上に出る。

そうだ！この上には明屋書店があったはずだ。

　ここでよく本を買ったものだ。行ってみよう。階段を上がるが、何か昔秋葉原にいた感じのオタクみたいな、汚らしい奴らがつるんでいる姿が目につく。階段を上がってみてその理由がわかった。ここにはフィギヤとかその系の漫画とかやたら置いてある。サブカルチャーばっかりだ。これが今日感じた私の違和感だ。
　Wikipediaによると、「１９６０年代後半より１９７０年代にかけて青島幸男、沢田研二、渡辺浩弐、平山喜堂など数多くの有名人が住居階に自宅を構えた、屋上には庭園、屋外プール、ゴルフ練習場、セントラル冷暖房、住民専用エレベーター、守衛の常駐施設などを備えたデラックス・マンションである。開業当時は中野駅周辺で最も高いマンションであったことから注目を集めた」とある。今でもここは駅から近いということで人気があるらしいが、階下のお店は当時の当時とはまったく変わってしまい、住む人も様変わりしていることだろう。
　いずれにせよ、４０年という年月はあまりにも長いということか。この日本で変化するだけの十分な時間だということなのかもしれない。正直来なければよかった。そしてもう私は用がない限りここには来ないということだけはわかった。


　さて、今年も残りわずか。何とか一年を終えられるといった感じでいる。とにかくこの一年いろいろなことがあった。３月１１日の東日本大震災から日本は嫌が上でも大きく変わらざるを得なくなってしまった。あの地震、津波、原発事故はおそらく来年以降長いこと引きずって行くことになることは間違いないだろう。
　人の意識も大きく変わるに違いない。もちろんあの震災は私の意識も大きく変え、一時は受け入れることに苦労した。何も出来ない日が続いた。
　プライベートにおいても、もうこれ以上ないといったことがいろいろあり、その対応に右往左往した。それも年末ぎりぎりまでだ。でもどんなことがあろうとも、時間は、世の中は過ぎていくわけで、その中で私も同様に動かされていく。たとえ個人的に立ち止まりたくても、待ってくれとは言えない。その中でこの一年過ぎていった感じだった。おそらく年が明けてもそれを引きずることになるだろう。ただ今年ほど右往左往することは避けたいものだと思っている。仕方がないことなので、要領よく、時には事務的に対処出来れば、と思う。何事においても平常心でありたいものだとつくづく思うのだ。出来れば物事ひとつひとつどんと構えていたいものだと思う。そして今年のような災難がないよう願ってしまう。

　今年も一年ありがとうございました。
        
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    <title>１２月</title>
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    <published>2011-12-02T03:04:09Z</published>
    <updated>2011-12-02T03:06:02Z</updated>
    
    <summary>　結局先月はここでは何も書かなかったことになる。書いたことは書いたが、書いた内容...</summary>
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            <category term="仕事の上で・・・" />
    
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        　結局先月はここでは何も書かなかったことになる。書いたことは書いたが、書いた内容をもう一つのブログに使っちゃたので、使うことができなくなってしまった。そうそう話題なんてないものである。
　で、手っ取り早い話として、書泉の悪口を書くことが一番いい。もう書泉のことは書かないと言っていたのだが、どうしても文句を言いたくなってしまう。
　私が書泉というのはブックタワーのことなのだが、とにかくひどい。一階には文芸書がほとんどなくなり、２階に持って行かれちゃった。あるのは雑誌と、秋葉原的サブカルチャー本と、棚を見ているとイライラしてくる。書泉のいいところは、文芸書の新刊が店に入ってすぐ見られることが魅力だった。何か面白い本が出ていないかな、と行くのが楽しみだったのに、わざわざ２階に上がらないとならないだけでも、面倒くさい。しかも在庫を極力減らしてしまっているので、さらに面白くない。困ったものである。
　たまたま買った本をレジに持って行くと、「しおりいれますか？」と聞いてくる。今までそんなこと一度も聞かれたことがなかったので、何でそんなことを聞くんだろう。以前は無条件で書泉オリジナルのしおりを放りこんでいたのに、わざわざ一声かける。ははぁん、これは経費削減のため、一声かけて、要らない人には入れないことで、しおりの枚数を減らそうとしているんだな、と思った。それに最近のしおりのデザインが面白みがないのも、手を抜いている。お金をかけていないことがわかる。ダメだね、もう。
　そこで秋葉原駅のアトレにできた三省堂に行くことにした。ちょっと遠いのだけれど、まだ新刊の在庫は豊富だ。これからはここで本を買おうかなと思う。書泉は新刊の魅力がなくなってしまったし、しおりも面白味もなくなったし、もういいかなと思い始めている。それに三省堂で本を買えばポイントもつくし・・・。でもやっぱり書泉の変貌にはがっかりしてしまう。
　駅から昭和通りに戻る時、ブックオフにも寄れるので、これはいいかもしれない。もちろんこの日も帰りに寄ってみた。欲しい本がなかったので、そのまま岩本町の駅へ向かう。書泉に寄らずにである。

　１２月に入って、これから忙しくなる。ざっと書き込んだスケジュール表を見ても、予定がすべて押せ押せとなっている。しかも今年は２３日が天皇誕生日で、２４日が土曜日、２５日が日曜日となっているので、給料日が２２日となってしまう。１５日に締めて、１６日までには数字を固めておかなければならない。次の１７，１８日が土日となっているから、１９日には給与処理をして、データを銀行に送信しておかなければならない。そこに年末調整が入ってくるので、これは１７日の土曜日は出社しなければ間に合わないかな、と考えている。そうそうその前にボーナスもあった。源泉徴収票の作成、給与支払報告書の作成、法定調書も作らないといけない。もちろん毎月の通常業務はあるわけで、やること一杯だ。
　これらの仕事は昨年自分で抱えてしまったことなので、仕方がない。会社の経費削減に協力することで、こうなってしまった。こう押せ押せになるなら、やらなければよかったなと思ってしまう。事務組合の人が私のブログを読んでくれているらしいので、「そうでしょう！なんならやりましょうか？もちろん有料ですけど」と言われそうである。
　年末調整は昨年ソフト導入時に練習はしている。が、もうやり方忘れちゃっているし、パニックになりそうだ。だいたい一年に一回しかやらない作業というのは、そうそう覚えていられないものだ。しかもこのソフトのバックアップがうまくできない状態になっている。外付けのハードディスクがごねているようで、おいおいこんな時に頼むよ、と言いたくなる。
　来週ソフトを提供してくれたシステムの人が来てくれ、様子を見てくれることになっている。その時わからないこと全部聞いちゃおうと思っている。これらの作業は連動しているので、やればすべて一気にできてしまうはずだ。やってやろうじゃないか！今月は例によって３０日まで仕事だ。だから時間はないことはない。うまくやればできるだろう。
　正月休みは３１日から１月９日まで休めることになったので、それだけでも救われる。もっとも何事もなければの話だけれど・・・。こういう時に限って何か起こるんだよね。そうならないよう祈りたい。
　さて、仕事のメールを確認してから町会事務所に社長の新年会申し込みをして、昼の弁当でも買ってきましょうか。
        
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    <title>本を処分する</title>
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    <published>2011-10-31T09:04:01Z</published>
    <updated>2011-10-31T09:05:32Z</updated>
    
    <summary>　この月末の土日に本棚の整理をやった。整理というより、本の処分である。いつかやら...</summary>
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            <category term="どうでもいいことかもしれないが・・・" />
    
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        　この月末の土日に本棚の整理をやった。整理というより、本の処分である。いつかやらなければならないと、ここのところ感じていて、延ばし続けていたのだが、どうにも本が本棚に収まり切らなくなってしまった。棚に収まらない本は、棚に積み上げたままになっている。
　東日本大震災にときにも、棚に収まっていない、積み上げた本が落ちてきた。幸いその時はそれほど冊数がなかったので、大事に至らなかったが、今度同じ規模の地震があったら、大変なことになる。
　それと私の年齢も問題となってくる。私の本棚は玄関から二階に上がる壁面に吹き抜けで作られている。そのため高いところにある棚は、階段と途中にある梁に板をかけて、そこを渡りながら本の取り出しや、棚に収めたりする。今はまだ足腰がしっかりしているから、そんな高さなどなんともないが、そのうちそこに上ることもできなくなる。つまり遅かれ早かれ高い位置にある棚の本には手が付けられなくなる。今でもどうでもいい本がそこにあるのだが、まずはここにある本を処分してしまい、空いたところに、読み終えて、もう絶対に読み返すことのない本に置き換えた方がいい。
　次に文庫本である。とにかく冊数が多い。昔に買った本が数知れずある。読んだ本も多数あるが、未だ読み切れない本もかなりある。さらに後で全集を買ったために、同じ作品が重複しているものもある。ということで、基本文庫本はほとんど処分することにした。全集も不要なものを３点ほどまとめて処分することにした。
　その結果かなりの冊数の本が処分の対象となった。どのくらいあるだろうか。千冊近くあるかもしれない。ほとんどが文庫本なので、売っても大した金額にはなるまい。もちろん高額で買い取ってくれれば、それに越したことがないが、期待はしていない。ただブックオフには売れない。なぜならブックオフでは値段が付かない古い本が多すぎるからだ。だからせめて古本として付加価値を多少でも認めてくれそうな神田の古本屋さんに電話をして、引き取りに来てもらうように手配する。引き取りは今週の土曜日となった。

　さすが処分する本がこれだけでると、棚の方はすっきりする。
　ところで処分する本がこれだけあると、どこか感慨深いものが出てくるはずである。そう思っていた。私は二度ほど大々的に本を処分したことがあって、古本屋さんが引き取っていった後の自分の本棚を見て、呆然となったものだ。その時もやむにやまれず処分したのだが、できればそのまま置いておきたかった。本には一冊、一冊、思い出がつきまとっている。ときにはあの本は売らなければよかったと後悔したこともあった。
　以来もう本は絶対に売らないと決めていたのだが、やはり売ることになってしまった。けれど今回は昔のような感慨にふけることはなかった。むしろさっぱりした気分になったのを驚いている。これでよかったんだ、と思った。
　何かの本に、古本は抱えるではなく、流通に回るようにすべきだと書いてあったことを思い出す。私が今回売ろうとしている本が再度古書業界で環流するかどうか分からないけれど、中には誰かが探し求めている本もあるかもしれない。自分の本棚に眠ったままでいるよりも、だったらその人のために回した方がいい。本の命がまた蘇る可能性があるからだ。
　それとこれだけ自分の本棚がすっきりすると、気持ちが楽になるのを感じる。気がつかなかったけれど、ここに積み上げられていた本は、私の精神に妙な圧迫感を与えていたことを知ったのである。数の多さがそうしているのか、それとも本の内容が自分の能力以上のものなので、私の気持ちを重くしているのか、よく分からないが、とにかくすっきりとした棚からは、そうした圧迫感がない。それだけでも棚を眺めても、安らぐ感じがする。残った本は本当に自分の好きな作家の本と、読みたいと思っている本だけになった。
　昔は広く浅く様々なジャンルの本を読みたいと思っていた。それはある意味自分にそれを課していたところもある。もちろん専門的な本は読めないけれど、もう少しくだけて頑張って読めば読めないことはない本なら、ちょっと頑張って読んじゃおうかな、という本読みをしてきたところがある。しかしこれは結局ところ、どこか背伸びをしている。本を読むことを楽しんでいない。まして読んでいてもまったく理解できないとなると、何のために本を読んでいるのか分からなくなってくる。私はどこかで“知的”に見られたかったのかもしれない。そうして本ばかり増えていったのだろう。
　もう年齢的にこれから先どれだけ本が読めるか分からないけれど、それだってそう多いものじゃないと思う。だったら自分の好きな作家の本、本当に読んでみたいと思う本を読む方がいい。今更気取ったところで、どうなるわけでもあるまい。そんなことを思っていたから、処分される本に未練はないし、残った本をゆっくりと読んでいけるという安らぎを覚えるのだろう。これからはますます偏った本の読み方をしていくことになるだろうけど、それは自分にあった本なのだから、それでいいのではないか、と思っている。
        
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    <title>さらに９月の思うままに４話</title>
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    <published>2011-09-26T02:56:44Z</published>
    <updated>2011-09-26T02:57:50Z</updated>
    
    <summary>　あるリース会社の担当者から先日電話があり、転勤の挨拶に来たいというので昨日会っ...</summary>
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        　あるリース会社の担当者から先日電話があり、転勤の挨拶に来たいというので昨日会った。彼は私との付き合いがもう１５、６年近くなると言っていた。そうか、もうそんなになるのかと、思った次第。ということは私が職種を変えてから間もなく、彼と知り合ったことになる。
　後任の人と名刺を交換し、次のリース契約の話をする。たぶんこのまま次のリース契約を続けることになるだろうと思うが、この契約をした後、その次の契約は５年後となる。その時は私も６０歳になっている。ということはこのときは私はこの会社にはいないかもしれないな、と彼らが帰った後思った。ということは、九州に転勤になった彼とももう会えないことなるかもしれない。このことにもっと早く気がつけば、彼と話せたのに、と思っても後の祭りだった。
　そんなことを考えていると、私がこの会社にいられる時間というのも、限られて行くんだなと思うようになる。もちろんそれより早まるかもしれないし、あるいは後のなるかもしれないけれど、少なくとも時間が無尽蔵にあるんじゃないなと感じつつある。

　この連休は「シルバーウィーク」というらしいが、これといって大したことはしなかった。本も読まなかった。気がついたら三連休が終わっていたという感じだ。
　自分専用に使っているノートパソコンのソフトをバージョンアップする。ウィルスバスターを２０１２にし、インターネットエクスプローラーをInternet Explorer 9にした。ついでにたまに使うGoogle chromeもバージョンアップしておく。
　そうそう今まで家で使っていた古いカラープリンターを買え替えた。会社で使っているプリンターの使い勝手がいいのと、写真印刷がきれいなことで、自宅のパソコンもこれに替えたいな、と思っていた。ただ今までのカラープリンターは壊れているいる訳じゃない。１年に１回、年賀状印刷には十分威力を発揮してくれていた。けれど年賀状ならいいけれど、写真印刷となると、その印刷画面に荒さはどうしようもなく、ここに来て写真印刷が増えているので、ここは決断して買い換えたわけだ。最初は会社と同じプリンターにするつもりだったが、もうこのプリンターは製造中止になっていて、その後継機がつい最近発売された。まぁ、その後継機でいい。それほど使用勝手は変わらないだろう。
　ということで、この休みプリンターを入れ替え、設定も行う。今回自分用のノートパソコンでも印刷できるよう、プリントサーバーを導入する。これがあれば、プリンターケーブルは必要ないので、ものすごく便利だ。設定はもちろん初めてなので、ＬＡＮ関係は小難しいかなと懸念したが、わりと簡単に出来、安心する。
　ところでプリンターに附属しているソフトが鬱陶しい。プリンターを設定するとき、何も考えずそのままＣＤを入れ、命ずるままインストールしたところ、他の作業をやっているときに、ちょこちょこ画面に現れてくるのだ。おもわず、「うるさい！」と言ってしまう。こういうお知らせみたいなものを喜ぶ人っているのだろうか？メーカー側の親切の押し売りにはへきへきする。とにかくこれが顔を出さないよう設定したり、削除したりして、何とか落ち着いた。

　連休前に秋葉原のブックオフの１０５円のコーナーで、阿刀田高さんの『ホメロスを楽しむために』の単行本を見つける。私は阿刀田さんの古典解説本が好きで、楽しく読ませてもらっている。もちろんこの本も文庫本で読んでいて、ブログにあげている。
　ところで、私は読んで好きな本があれば出来れば単行本で揃えたいといつも考えている。当然この本も出来れば単行本で手元に置いておきたいと思っていた、その後単行本を手に入れたかどうか、わからなくなってしまっていた。確かに文庫本を持っていたと記憶していたが、単行本に関しては自分の記憶に自信ががない。
　さて、買おうか、どうか、迷った。こういう時が一番困る。一度確認して、後で買えればいいのだけれど、古本はその時買わないと間違いなく買いそびれる。決断はここでするしかない。このとき買ってしまおうと促したのは、この日は特売日で１０５円の本が一律９５円なのだ。だから買ってダブってもダメージが少ない。
　１０５円でもそれほどげさな話じゃないのに、まして９５円なら、それほど悩むことじゃないじゃないか、と言われそうだけど、同じ本をダブって買ってしまうことは、結構ショックなのである。たとえそれが９５円であっても・・・。だから棚の前を行ったり来たりしたのだ。
　とりあえず買い求め、家に帰ってすぐ自分の本棚を確かめ、この本は単行本で持っていなかったことで、やっと安心する。安心して今度はしげしげとお宝を眺める。１０５円、いや９５円でこれはかなりお買い得だ。だってほとんど読まれた形跡がなく、美本であったからだ。やっとうれしくなってきたのであった。

　２１日、私は再び“帰宅困難者”となった。今回は台風である。台風１５号が首都圏を帰宅時間に直撃した。雨風がものすごく。ニュースでは電車が次々と止まっていく模様が流れる。「これはやばいな！」と思ったが、まぁ地下鉄だからなんとなるだろうと、不安を抱えつつ駅に向かう。傘を差してもちっとも役に立たなかった。とにかく傘を吹き飛ばされないよう姿勢を低くして、両手で傘をもって歩いて行ったのだが、駅まで行くだけで、ズボンがボトボトとなった。
　駅についてホームに行ってみると、電車が止まっている。何とか動きそうな気配なので、強引に乗り込む。一駅毎に長い時間止まって、ついに運転中止となった。風が危険領域を越えて、それがおさまるまで動けないという放送が流れる。不安が的中した。
　いくら地下鉄とはいえ、荒川を越えるところは地上に出る。ここで風速３０メートル以上吹いちゃっているので、その先に行けないのだ。とりあえず、次の連絡駅まで電車は動いたが、その先は一切動かなくなった。
　私はホームに出て、風がおさまって動くのを待つしかないと決めるのだが、それが２時間以上待っても、まったく動く気配がない。そこでいったん外に出て様子を見ようと思い、改札の方に向かったが、そこにはものすごい人が改札が開くのを待っている。他の路線から来る人が改札で足止めをくらっているのだ。なのでここを出てしまうと、戻ってくることは出来なくなる。ここにいるしかなくなってしまった。完全に身動きがとれなくなった。
　地震の時は歩けば何とか帰れた。少なくとも歩くことで自宅に近づいていることを実感できた。しかし今回は暴風雨の中歩くことは難しい。歩けてもかなりキツイ。こうなると地震の時より厄介だ。待つしかないのである。（家に帰ってニュースを見てみると、歩いて帰る人の姿を映していたので、このとき歩けないことはなかったようであるが）
　そしてさらに１時間経って、どうやら風が危険領域から抜けたようで、やっと電車が動くという構内放送がある。結局私は３時間近く、ずっと立ちっぱなしであった。駅についたら、ヘトヘトになった。
　あの地震の時は２時間半で自宅に着いた。今回はそれ以上に時間がかかったことになる。歩いた方が早いというのは皮肉なものである。ただ何度も言うように台風で外は暴風雨なので歩くことが出来ないと思った。
　しかし地下鉄は外の状況がまったくわからないし、外にも出られないことが構内の低さが生む閉塞感とともに精神的に堪えた。正直歩いた方が楽だった、と思った。駅から外に出たとき、何度も深呼吸をしてしまった。風はまだ強く吹いていたが、雨はやんでいた。道路には壊れたビニール傘が何本も落ちていた。
　まさか１年に２度も帰宅困難者になるとは思いもよらなかった。２度あることは３度あるというが、もうこりごりである。
        
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    <title>さらに、思うまま四話</title>
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    <published>2011-09-11T02:25:01Z</published>
    <updated>2011-09-12T00:56:53Z</updated>
    
    <summary>　気がつくと、アルバムが２冊目となっている。孫が生まれてまだ４ヶ月だというのに、...</summary>
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        　気がつくと、アルバムが２冊目となっている。孫が生まれてまだ４ヶ月だというのに、このままだとえらいことになってしまう。とにかく昔から写真が好きで、こんな人付き合いの悪い人間でも、中学、高校と写真部に入っていたことがあるくらいなのだ。もっとも長いことは続かなかった。高校時代意地の悪い先輩と喧嘩をしてしまい、さっさとやめてしまったからだ。しかし写真の面白さは捨てられず、一人で写真を撮り、押し入れを改造した現像室で写真を焼いていた。
　まぁそういういきさつがあるので、写真にはちょっとこだわりがある。撮りたい被写体があると、昔のくせ？が出てきてしまうのだ。孫の写真が増えてしまうのは、自分で撮ったものと、娘夫婦が撮った写真が加わるから、こういうことになる。しかしこのままではいられない。
　たまたまネット上で共有している娘が撮った写真をうちのかみさんにも見せてやりたいな、と思い、それをダウンロードしてＣＤに焼き、それをテレビ上で見せてやった。その時思ったのである。何も写真をアルバムに貼る必要はないじゃないか。こうしてテレビの大画面で見られるのだから、そういう方法で保存すればいいではないか、と思ったのである。とりあえず今はＣＤに焼いたのだが、これでもいい。ＣＤならアルバムのように冊数が増えないし、保存方法も簡単だ。場所もかさもとらない。これはいいやと思い、さっそく孫の写真の保存方法をこれから変えることにした。それにＣＤならかみさんに呆れられなくてすむし・・・。
　もちろん写真は写真で捨てがたい部分がある。写真の良さがある。けれど背に腹は代えられない。これから間違いなく増える一方だろうから、その対策はちゃんとしておかなければならない。
　しかし今は本当にいい時代になった。例えば昔はモータードライブをくっつけてシャッターを押し続けると、あっという間にフィルムがなくなってしまったものだ。でも、一番最初自分の一眼にモータードライブをつけた時の感動は忘れられないな。あの仰々しいモーターの音。連続シャッター音。電池で動かすものだから、その重みが加わったカメラの重み。肩にずっしりくる感じも忘れられない。
　しかし、しがない高校生にはいつもフィルムの残り枚数が気になった。調子に乗ってシャッターを押し続けると、あっという間にフィルムがなくなってしまったものだった。デジカメだとそんな心配はない。逆を言えば、だから写真の枚数が増えることにもなる。
　そうそうデジカメを初めて買って、かみさんに撮らせた時、フィルムが入っている感覚で、撮る枚数を気にして、シーンごとに間隔を置いて、シャッターを押すのであった。私はとにかくシャッターを押す回数など一切気にしなくてもいいと言っているのも関わらず、昔のような写真の撮り方をしていた。かみさん曰く「もったいない」というのだ。確かに昔はそうだった。幸い私はカメラにモータードライブをくっつけて写真を撮ることになれていたので、デジカメ式の写真の撮り方には違和感がなかったが、ちょっと前まではそれが当たり前であった。だからかみさんのことを笑えない。
　現像だって、フィルムから始めて、それから印画紙に焼き付けてなんて、そんな作業は一切必要ない。もちろん暗室なども必要ない。パソコンとプリンターがあれば、きれいなスナップ写真など簡単に出来る（これも余計に枚数が増える原因だ）しかも自分で簡単に画面上トリミングもできてしまう。そういう便利で簡単な時代になっていて、それを享受していたにもかかわらず、私は最後で写真の保存方法を昔のままアルバムにしていたのだから、やっぱり自分はアナログなんだな、と思った次第。だって仕方がないでしょう。そういう時代が長かったのだから・・・。


　メインのブログを再開した。５ヶ月ぶりである。それはいいのだが、アップする方法を忘れちゃっている。いつものように本の写真をアップして、そこに書いた文章を入れ、アップしたら、写真がべらぼうに大きくなちゃって、慌てた。どこかでやり方を間違えたのだ。慌てて手動で修正したのだが、本当はもっと簡単にできるはずだ。しばらくたって、思い出してくる。単にやり方を間違えただけだと知って、ホッとしたのと同時に、たった５ヶ月しかたっていないのに、もうやり方を忘れちゃう自分に呆れる。やっぱり歳なんですね、とほほほ・・・。


　新潮文庫の「Yonda?CLUB」というのがある。文庫カバー折り返しについている応募マークを切り取って、それを集めて送れば、希望の景品がもらえるというやつだ。しかしその景品というのが、個人的に欲しいなと思うものがなかったので、それを集めている会社の同僚にあげていた。しかしその同僚も辞めていなくなったので、結局何もせずそのまま文庫は棚に収まった。
　たまたま今回有隣堂に行って、この「Yonda?CLUB」の景品申込書を手にした。そこにZipper付きブックカバーがあった。これはいいな、と思ったので今回初めて応募してみることにした。
　このブックカバーは２０冊分の応募マークを集めればもらえる。２０冊ぐらい棚から引っ張り出せばあるだろうと思い、適当に最近買った新潮文庫を取り出してみる。案の定集まったので、さっそく送ってみる。果たしてどんな感じのものが届くだろうか？ちょっと期待しちゃう。届いたら書いてみる予定。
　さて問題は簡単に応募マークの付いた新潮文庫が２０冊集まってしまうことである。これだけ文庫本があるということである。正直その多さに手を持て余しているのである。結構棚を占めてしまっているのである。
　本屋で働いていた頃、新刊をすぐ手に取ることが出来る環境であったので、見境なく、面白そうと思えば買っていた結果こういうことになってしまった。それには訳がある。当時読みたいと思って、注文した昔の本が、品切れや絶版となっていることが多かった。古いといっても、それほど昔の本じゃない。なのに出版社の方で採算が合わないとなると、すぐ品切れや絶版にしてしまう。その時間があまりにも速く感じたので、これは欲しいと思った時に買っておかないと、後で手に入らないなという強迫観念みたいなもので本を買っていた。新刊書店で手に入らなかった本は古本屋で探してみたけれど、それを見つけるのに苦労したことも拍車をかけた。
　その結果収拾がつかなくなってしまった。
　さらにここは重要なことなのだけれど、手に入れてすぐ読めなくても、後で時間がある時に読めるという安易な考えが、間違っていたのだ。手に入れた時は読みたいと思っていても、それが時間がたってしまうと、“賞味期限”が過ぎてしまって、時にはどうしてこんな本を買ったんだろう、と思うこともしばしばある。今になっても読めないままにある本は、よほどのことがないとこれからも読まないだろうな、と思うようになった。
　それとどんなに頑張っても読めない本があることである。本を読んでいてなかなかページが進まない本がある。私はこういう本があることを私は認めたくなかった部分がある。途中で投げ出すことが、自分で許せないところがあるのである。
　もともと私が買った本は、自分の守備範囲である本であるはずだ。自分とかけ離れた本は買わない。門外漢である分野の本を買っても、わかるわけがないからだ。だから読み切れない本があることを認めたくなかった。とりあえず途中でやめて、後日再度挑戦という形を取ることにしているのだが、そんな本もかなりある。でもこれもこれから先読めるかというと、疑問符が付く。
　最近は本を途中で投げ出すことを認めちゃっているところがあって、そんなに面白くないなら、違う本を読んだ方がいいと思うようになった。諦めも大切だ。
　ということで、この秋、私は本を大量に処分しようと思っている。読まない本、読めない本は、もう手元に置いていても仕方がない。それと読み終えた本で、この本は残しておきたいな、という本以外は処分していいんじゃないかと思っている。
　私は先日５５歳となったが、これから先ここにある読んでいない本をすべて読むことはたぶん不可能だろうと思っている。だったら読みたいと思う本だけ残しておけばいい。
　一方で新しい本も増えていく訳だから、それも考慮して、処分は絶対に必要だ。もうコレクター的要素は必要ない。この秋、休みになったら、本の整理を大がかりでやろうと考えている。


　ところで、昨日発売の文庫本が書泉にないのである。以前書いたと思うが、書泉は神田村の問屋と取引がある関係で本が発売予定日の前日ぐらい店頭に並ぶことが多い。私は早く読みたい本があった場合、本の発売日前に書泉に行き、その本を手に入れる。ところが今回前日にもなかったし、発売日にも店頭に並んでいなかった。
　そしてそれより以前に一階の陳列ががらっと変わっていることに驚いていていた。今まで文芸書の新刊があったところが、サブカルチャーの本で埋め尽くされていて、既刊の文芸書コーナーがなくなっているのである。文芸書はかろうじて新刊を中心に並んでいるだけであった。正直どうしたんだろう、思っていた。いくら秋葉原だからといって、これはないんじゃないか、とさえ思った次第だ。
　で、今日、神田村の問屋に用があって、そのことを聞いてみると、書泉は会社を丸ごと売ったというではないか。それでネットで調べてみると、「書泉がアニメイトの傘下に」とある。
　そもそもアニメイトなる会社を知らなかったので、リンク先で調べてみると、秋葉原の中央通りでよく見かけるアニメを作っているのか、管轄しているのか、よくわからないが、要するにそんな感じのアニメを売りにしている会社がアニメイトらしい。それで書泉の一階がサブカルチャー本で埋め尽くされた訳がわかった。
　まぁ、その手の関係の愛好者にはうれしいことなのかもしれないが、私ははっきり言ってショックである。
　時代の流れとは言え、書泉の秋葉原出店で、自分の会社にあった本屋部門の撤退を余儀なくされ、仲間がみんな解雇され、かろうじて職種を変えて会社の中で生き残っている私にとって、ざまあみろという気持ちがまったくないとは言わない。
　けれど、変ないいか方かもしれないが、書泉が書泉で頑張っていてくれれば、自分のところのお店がなくなっても、諦めがつく。気持ちの収まるところが自分の中に持てていた。
　それは私が書泉という本屋さんが好きだったからだ。ちょっと前までは書泉は他の本屋さんと違った形で、わりと垢抜けていて、スタイリッシュなところを感じさせる本屋さんであった。それまでのちょっと大きな本屋さんは、いわゆる本という知的文化を取り扱っているという自負心みたいなものをプンプンさせていたし、その分堅苦しく、重圧感を感じさせていた。それがいわゆる有名書店だと思わせてきた。そしてそういう本屋さんに行くこと自体、いく側に自分は知的だと思わせてくれた。自分自身がどこか立派になった感じを与えてくれたものだった。少なくともまだ多くあった地元の本屋さんとは違い、置いてある本の種類や在庫量の違いに圧倒したものであった。
　そんな中で書泉はそうした質的にも、量的にも、それを維持しつつ、それでいてフランクな感じを与え、明るく、誰でも入りやすい本屋さんであった。ブックカバーにしても、しおりにしても、オリジナルでデザインに凝っていた分、人気があったはずだ。
　だから書泉が秋葉原に進出してきて、うちみたいな弱小書店が太刀打ちできるわけがない。そう思った。諦めがついたのである。
　ところが今や書泉みたいなスタイルは既存の大書店でも当たり前になった。いやそれ以上にかっこいい本屋となってきている。古本屋でさえ、カビ臭く、古ぼけたものから、個性的で明るい古本屋へどんどん変わっていく時代になってきた。書泉の影が薄くなってもあたりまえだ。そこに長いこと本屋で働いてきた経験上、ここ数年、書泉にきな臭いものを感じていたので、大丈夫なのかな、と思い続けたことは、何度か書いてきた。
　自分がいた本屋を潰した一原因の書泉がこの先なくなるのか、それとも名前だけ残して、形を変えながら存続していくのかしらないが、いずれにせよ、今までの書泉がなくなることは、私の中にあった、諦めの収まり所をなくしてしまうことになるので、いささかやりきれない気持ちでいるのだ。それとまた一つお気に入りの書店を失ってしまったという喪失感が私の中で大きくなっていくのを感じているのである。
        
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    <title>お盆休みに仕事して思ったこと。</title>
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    <published>2011-08-18T01:01:09Z</published>
    <updated>2011-08-18T01:04:18Z</updated>
    
    <summary>　たぶん毎年同じことを書いていると思うけれど、やっぱり書きたくなる。今年もみんな...</summary>
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        　たぶん毎年同じことを書いていると思うけれど、やっぱり書きたくなる。今年もみんながお盆休みを取っているのに私は仕事をしている。このことは今更どう言ったって、期間が決まった仕事がある以上仕方がない。
　ただこの時期仕事をしていると、例えば通勤が楽で、今日など最初から座って行ける。あるいは私の仕事の邪魔をする電話、飛び込みセールス、あるいは取引業者の訪問など一切ないので、集中して仕事が出来るという特典がある。
　もちろんそんなことは意識しなかった。気がつくと仕事がものすごくはかどっていることに気づく。仕事がかなり早い時間に片づいてしまって、“あれ、おかしいな？”と感じて初めてそれを実感した次第だ。
　そう考えると、私の仕事はこうした邪魔の中、合間をぬってやっていることになる。すべてがそうだとは言わないが、大なり小なりその傾向があるのかもしれない。

　そんな中唯一仕事の邪魔をしに来た奴がいた。リコーの新人である。もう新しい配属先に行っているはずなので、何でこっちに来るのかと思ったが、ついでがあったからと言う。

　「ついで？」

　「おたく、担当大井だろう。大井とここではついでとは言わんだろう」


　と突っ込んでしまう。少し話せば、研修がこっちであり、そのついでに寄ったということをぽろっともらす。だったらもったいぶって、「ついで」なんて言わないで、最初からこっちで研修があったので、と言えばいいのに、そうすれば余計な突っ込みをくらわずに済んだのに。相変わらず、うまく立ち回れない奴だ。
　私としてはいくらこっちに用があったとしても、あんたはこっちの担当じゃないんだろう。自分の担当地区に早く戻って、一軒でも顧客を開拓せよと言いたいくらいだったが、そんな説教をしても仕方がないので、適当に相手をして、早々にお帰りを願った。たぶん奴とすれば、なんか冷たいなと思ったに違いない。
　私は、多少不器用で、融通が利かないところはあるにせよ、彼のやる気と熱意は買っている。だけれども、私の担当でないなら基本的に用はない。ビジネスとはそういうものである。

　結局私の会社のリコーの担当者と会ったのだが、基本的に何をするにしても、対応が遅すぎる。メールを出してても、多分読む暇がないのだろう。いつまでも返事が来ない。見積もなかなか出てこないし、出てもネット上の画面にその値段がいつまでも反映されない。こっちはイライラしながら画面を何度も見るのだけれど、さすがに頭に来て、電話を入れる。午後６時過ぎだったと思う。電話からは本日の業務は終わったとテープで流れる。まるで銀行である。まぁ今は節電のため、会社の業務時間を変更せざるを得ないところが多いので一概に言えないけれど・・・。
　このままだとずるずる時間がたってしまい、プリンターのインクが切れる可能性もある。仕方がないので大塚商会の担当氏の携帯に電話を入れる。彼にリコーとの話をして、結局ダメだとわかり、もうそっちに注文することにしたことを伝えたら、価格をリコーより安く出来ると言ってくれる。言ってみるもんである。品物は翌日朝に届いた。


　いつもなら昼飯はみんなと一緒に休憩室で弁当を買ってきて食べるのだが、このお盆休みは私一人なので、外に食べに行く。長いことみんなと休憩室で一緒に昼飯を食べていたので、外に食べに行くのは新鮮である。と言っても、しがないサラリーマンである。食べるものは大したものではない。昨日は日本そば、今日はＣ＆Ｃのカレーでも食べようかな、と思っている。昨日の帰りにここの前を通ったら、カレーがうまそうだったので、今日はカレーにしようと思ったわけだ。
　お店に入って、椅子に座り、食券を渡す。まずは店員が持ってきた冷たい水の入ったコップを手にする。しかし“夏はカレーだ”というのはよくわかる。実際そう感じました。
　しかし外食はお金がかかる。Hotto Mottoの弁当だと５００円ワンコインでおつりが来るが、外で食べると千円札を出すことになる。いつも安い弁当をばかり食べていると、どうしても“高いな”と思ってしまう。それは本来当たり前の値段のはずなのに、Hotto Mottoの弁当のおかげで自分の金銭感覚がおかしくなってしまっている。
　何でも安いのに越したことはないという発想は、本来あるべき価値をおとしめることになる。原価をとことん下げて、かかるコストも下げることで実現した価格なのだろうが、そこにはどうしたって無理が生じるはずだ。
　マルクスは商品の価値をを規定しているのは人間労働であり、商品の価値の大きさは労働の量に比例（生産力に反比例）して決まる、という労働価値説を唱えたが、これだといくら原価（マルクスのいう使用価値のこと。具体的な商品体の属性に基づく価値。たとえば鉄とか小麦とか）を下げても、それを食べ物にするための労働力の価値などほとんどないんじゃか思ってしまう。その結果手抜きが行われ、ちょっと前に焼き肉屋が食中毒を出して、潰れてしまったのは記憶に新しい。あるいは農薬混じり野菜を食べさせられることになる。
　たかが久しぶりに外で昼飯を食べて、その値段に驚いて、こんなことを思うのも大げさなことかもしれないが、まあそういうことなんだろう。


　ところで話はがらりと変わってしまうけれど、今年は街頭でテッシュではなく、よくうちわを配っているのを見かける。そのうちわをパタパタ扇ぎながら信号が変わるのを待っている人達が多く見かける。
　言うまでもなく、今年は電気が不足している。そため節電が呼びかけられている。冷房温度を例年より高めに設定しているところが多い。外はもちろん、屋内でもそれほど涼しくない。だから今年は暑いことは間違いないけれど、それ以上に体感的に暑く感じる。だからうちわが重宝されるのはわからない訳でもない。けれど、炎天下いくら扇いでも、涼しくなるとは思えない。そのため余計に力を入れて扇いでいる人を見かけるが、端で見ているとこっちの方が暑くなってくる。まぁこれも今年の夏の一風景と思えばいいのかもしれない。私もここのところ通りすがりで、３枚うちわをもらってしまった。


　で、また仕事に戻る。電卓をポンポンたたいていて、何かおかしく感じる。画面の数字が消えるのである。試しにソーラーパネルの部分に手をかざすと画面の数字が消えた。そうか、何かの拍子に私の手がソーラーパネルの部分あたり、それで画面が消えたんだなとわかった。この電卓ソーラーと電池の二刀流なのだが、要するに電池が切れたのだ。というか、普段この電卓に電池が入っていることさえ忘れていた。
　この電卓は個人で購入したもので、事務用の大きめのものだ。電卓の下全面に滑り止めのラバーが付いている。それでも最初の一台は机から落としてダメにしてしまい、今のは二台目である。それでもこれも一回落としてしまい、表示画面の液晶がもれたのか、右下が黒くなってしまっている。
　私は仕事をする時は、とにかく書類を大々的に広げてするものだから、どうしても電卓は隅に追いやられる。で、電卓を引っ張り出そうとする時に落としてしまうのだ。
　それでもこの二台目は頑張っている。ボタン電池のが入っている所を開けて、中の電池を取り出してみる。この電卓を買ってから一回も電池を取り替えたことがないので、電池の液がもれていた。大丈夫かな、と思ったが、一応接地部分を掃除して新しい電池を入れてみると、大丈夫だった。これでどのくらい持つのだろう？
　この電卓、古くなったこともあるのかもしれないけれど、梅雨の時期に使うと、数字の部分が引っかかって、もとに戻らないことがある。しかし梅雨が終わると、何の問題もなく、押せる。たぶん湿気のためであろう、と思う。だから数字のボタン部分に引っかかりを感じると、梅雨だからな、と妙な季節感を感じられる優れものである？

　１６日までは人の出が少なかったが、昨日から朝はいつもの人並みが駅から続いていた。もうお盆休みがほとんどの人が終わったんだなと思った。またいつもの通常のスタイルに戻るのだろう。天気予報によると、この暑さは今週が峠とか言っていたが、早く涼しくならないかな、と思いつつ事務所に向かった。
        
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    <title>９月にブログ再開します</title>
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    <published>2011-08-04T02:04:40Z</published>
    <updated>2011-08-04T02:05:27Z</updated>
    
    <summary>　２ちゃんで今度オープンした本屋さんについてあれこれ書かれているけれど、オープン...</summary>
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        　２ちゃんで今度オープンした本屋さんについてあれこれ書かれているけれど、オープン初日に私も帰りに寄ってみた。レジにものすごい人が並んでいた。どうしてこんなに人が並んでいるんだろうと思ったのだが、２ちゃん書き込みによると、一緒に売っている文具がポスレジに読み取れないことと、店員が慣れていないことで、こういうことになったらしい。私も文房具のコーナーを見てみたかったのだが、レジに並ぶ人でそこに行けなかった。まぁオープン初日だから、いろいろ不手際もあるだろうから仕方がないけど、レジの横にいた太った男はただ横にいるだけなら、そのあたりちょっと人員整理をしたらどうなのよ、と思った。
　実は私は地元に本屋が出来ることは期待していた。そのため欲しいと思っていた本を書泉や丸善などで買わずに、ここで買おうと思っていた。だから帰りに寄ってみたのである。しかし欲しい本が１冊もないのである。それは古い本や専門書じゃない。新刊である。それが１冊もないのだ。おいおい、これはまずいでしょう・・・。まだ出版されてそれほど時間がたっている本じゃないよ。
　しかしこのことはある程度予測していた。急にお店をオープンするとなれば、在庫の確保がどれだけ出来るかが問題となってくる。だいたいが問屋任せの既刊本の売れ筋を用意することで、棚を埋め、後は雑誌となる。新刊、売れ筋は厳しい。だって他の本屋さんだって欲しい本だもの。まぁそれでもこれだけ人が並ぶということは、その程度の本で満足しちゃう住民が多いということなのだろう。なんか悲しい。（翌日以降は店内はガラガラである。もちろん私は店内に入らず外から眺めていただけだけど）
　この日の朝刊にチラシが入っていて、そこには「探しませんか？あなたの１冊」というキャッチコピーがあったけど、「あなたの１冊など、ここにはありませんでした」と突っ込んでみたくなる。オンライン検索も出来るそうだけれど、その必要ないでしょう、だってないんだもの・・・。
　ここで思ったことは、本屋さんも行きつけの本屋さんがあるんだな、ということ。自分が読む本の傾向の本が多くある本屋さんが、やっぱりいい。なにか面白そうな本がありそうな予感を感じさせる本屋さんがいい。そういう本屋さんが本当に少なくなったは残念である。だからせっせと自宅のパソコンで検索して、（オンライン検索など、今時わざわざうたうほどのもじゃないと思う）、その都度どこで買うか決める。
　例えば発売日に買う新刊は書泉で、何か面白そうな本がないかなあと行く本屋がお茶の水の丸善と三省堂本店。時間に余裕があるなら、東京堂によることもある。
　古本ならまずは最寄りのブックオフ。自宅の近所にある二軒のブックオフと秋葉原にあるブックオフである。で、そこになかったら、とりあえず携帯にメモを入れておいて、古本屋さんに行く時があったら、探してみる。それでも急にどうしても欲しくなる時がある。その時は、アマゾンのマーケットプレイスで探し出し、そこで買う。大体がこういうパターンである。
　仕事場の近くにはヨドバシの上にある有隣堂があるのだが、どうも７階まで上がるのが億劫で、あまり行かない。
　書泉は帰り道にあるのでの、どうしてもよってしまう。私が要のあるのは１階の文芸売り場と３階の文庫本売り場だけで、他の階はほとんど行かない。だから目的の本が発売されればここで買うし、なければ棚をざっと見回して帰る。
　最近１階は棚は薄くなってきたな、と感じて仕方がない。節電で店内を暗くしているのだろうけど、なんかそれ以上にうら寂しい感じがするのは私だけであろうか？棚の配置換えも最近行ったようで、私には在庫の少なさを隠すためにそうしているように思えてならなかった。私は新刊が発売日前日には棚に並んでいるので、ここで買うのだけれど、ちょっと時間がたった新刊は補充がうまくいっていないようで、在庫がないことが多い。ざっくり仕入れて、売り切っちゃうスタイルに変更しているようだ。
　１階の奥のレジはよく閉鎖されている。まあ私が行く時間が仕事帰りなので、そういうことになっちゃうのだろうけど、そのレジに人が入り込まないよう何かが立てかけてある。よく見ると風呂マットである。すごいでしょう！（あれ？これもしかしたらどこかで書いたかな？）店内にはちょこちょこ動き回る女性がいて、一方レジにはおじさんくさいポロシャツを着た男の店員がいて、どうも流行っている本屋には見えない。書泉ってこんなに泥くさかったっけ？と思ちゃう。

　さて４月から休んでいた本のブログをぼちぼち再開しようかな、と思っている。まだ自宅にあるサーバーが元気なうちに再開しておいた方がいいかなと思ったからである。
　私に自前のサーバーを立てて、こうしたブログを教えてくれた大野さんのサーバーがおかしくなったと聞いたのはつい最近だ。大野さんのサーバーは私よりも新しいはずで、そのサーバーがいっちゃったということは、大野さんのサーバーの方が私のサーバーよりアクセス数が圧倒的に多いからその負担が大きかったのではないかと思う。けれど遅かれ早かれ、私のサーバーもそうした事態になる可能性がある。その後は一切考えていない。その時はその時でおしまいという気持ちなのだ。なのでサーバーがご存命中に次を始めた方がいいかなと思っているわけだ。
　といって目新しいことをする訳じゃなく、淡々と今までやってきたことを続けるだけのことなんだけれど・・・。ちょっとイメージを変えてみたい気持ちもあるけれど、そうしたスキルもないので、このままやっていけるまでやっていこうと考えている。めどとして９月から再開しようと思っています。
        
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    <title>またまた思うままに三話</title>
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    <published>2011-07-26T03:56:52Z</published>
    <updated>2011-07-26T04:05:29Z</updated>
    
    <summary>　今年は節電ということもあり、しかも世の中、震災の影響で何かと騒がしいところもあ...</summary>
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        　今年は節電ということもあり、しかも世の中、震災の影響で何かと騒がしいところもあり、例年の夏より暑さがこたえる。たぶんそういうことだから、体感温度がかなり暑く感じる。
　でも果たしてそれだけかな、とも思う。間違いなく暑くは感じるのだが、それに対応する自分の身体が昔より耐えられなくなってきているような気がしてならない。ちょっと前までなら、このぐらいの暑さなど、どうでもなかった。炎天下自転車を乗り回しても、確かに暑かったけれど、バンバン汗をかいていた。平気だった。
　しかし今年は違う。まず今日は暑くなるといわれれば、その時点で尻込みしてしまう。ちょっと外に出ても、すぐバテてしまう。時にはめまいさえする。これはやばいと思うことが、度々あった。やっぱり歳なんだなぁと思う。年より熱中症が騒がれているけれど、これホンと歳をとると暑さに弱くなるんだ、と思う。ちょっと前まで平気で出来たことが出来なくなることが多くなった。それが嫌になる。いわゆる身体がついて行かなくなるというやつだ。
　で、暑いから冷房を効かせ、その中にいると、今度とたんに寒くなる。冷房の設定温度は控えめにしているにもかかわらず、身体が冷えてしまっている。
　これはどういうことなんだろう。暑い時はいつまでも熱が身体に残り、冷房の部屋にちょっといるだけで、冷えてしまい、いつまでも寒い。要するに体温調節がうまくできなくなっている、ということなのだろう。そのためか余計に疲れる感じだ。困ったものである。


　お中元の季節である。我が家はもともとこういう贈答関係は、基本的にやらないのが主義であった。気を使うのが面倒だからである。でも、娘が結婚し、旦那のお父さんから、お中元、お歳暮が届くようになると、そうも言ってられない。で世間一般がやっているように、我が家もそうした贈答関係が始まった。しかし私たちの方は何を贈ればいいのか、いろいろ悩む。東京は何でもあるけど、結局地方の特産や銘品が集まっているだけで、その地方に行けば、買えるもので、東京ならではというものじゃない。あったとしても、見てくれのいい洋菓子みたいで、大したことがないのに見てくれで値がはるものばかり。だいたいその素材が東京以外の日本各地のいや世界中から、集めてきて作ったものばかりだ。このことはどこかで書いたような気がする。
　で、頂く方は、北海道の名産品で、これは何を頂いても美味しい。メロンなど結婚式や何かのパーティーに薄く切ったものを食べるしかなかったものが、大きく切って、ぱっくと頬張れば、ジュースがしたたり落ちる。その甘さといったら、今まで食べてきた高級メロンって何だったんだろうと思ちゃう。生ハムなどのせて誤魔化かさなくてもいい。そのままその味を堪能しちゃう。
　今年は孫が生まれてから、アスパラガスも送って頂いた。これも美味しかったなぁ。サラダに入れたり、ベーコンをまいて炒めても、最高であった。いわゆるスイーツにしたって、東京で売っているものと比べものにならないものばかり。北海道から何か届くと、ついついワクワクしてしまう。当然頂きものがあればお礼の電話を入れるのだが、そのたびにこっちが送った品物が貧相で申し訳なくなる。


　なでしこジャパンがワールドカップで優勝した。私も朝からＢＳで見ていたのだが、６時を過ぎて、いつもチャンネルに変えた。テレ朝である。テレ朝を朝見ているのは、日テレのズームインが終わってしまったからである。別にズームインのファンではないが、その後をついだ番組が朝からバラエティを始めちゃっているので、うるさくて仕方がないので、やめてしまったのである。
　それで朝は日テレからテレ朝に変えた。でこの日も出勤の準備もあるので、６時過ぎからテレ朝にチャンエルを変えた。サッカーのニュースもやるだろうと思っていたのでる。でもちっともやらない。後になってかろうじてニュースを流すが、画面は写真を写すだけ。

　おかしいな、と思った。

　サッカーと言えばテレ朝だと思っていたのにどうしてなんだろう。結局男子サッカーには力を入れるが女子サッカーは無視といった感じなのだろうか？しかし優勝しちゃったもんだから、軽く受け流すことも出来ず、かろうじて写真を画面で写し、後はアナウンサーが記事を読むことでお茶を濁したのかもしれない。男子サッカーの試合のたびに「絶対に負けられない戦いが、そこにはある」と絶叫するのに、女子だとこれだ。これってどうなのよ・・・？

　なでしこジャパンがワールドカップで優勝して、さらに墓穴を掘った人がいる。前行政刷新相である。この人やめておけばいいのに「なでしこＪａｐａｎ、優勝！！すごいです。」とツイッターに書き込んで、炎上したそうだ。
　この人スポーツ振興費などを仕分けた過去がある。それでなでしこジャパンの給料は０円～１０万円の極貧生活になってしまったそうで、あんたがそんなことを言える立場か！、というわけである。さらに「えっ？１番駄目なんでしょ？どうして喜ぶの？白々しいわ！」ともあったという。

　だよね。

　この人最近人気がた落ちだ。あれほど鼻高々になっていたのに、この震災における津波で仕分けたスーパー堤防のが見直されたり、スーパーコンピュータが二番じゃなくて、世界一になってしまった。これで地震や津波のシミュレーションがより正確に出来ると言われちゃったら、面目丸つぶれだ。それで何を言い出すかと言えば「オンリーワン」とか何とか言って誤魔化していた。
　そして今度は安易なツイッターの書き込みをして非難を浴びる始末。つい最近まで白いスーツを着て、襟を立てながら颯爽と歩いていた姿はどこへ行っちゃったんだろう？大きなことを言えば脚光を浴びることは間違いないが、その反動も考えなくちゃいけないよね。それが出来ないし、もともと間違った政治手法をしていたんだから、仕方がないと言えば仕方がないかもしれない。所詮この程度の人物だったのである。

　それでやめておけばいいのに反論をしちゃうんだな、この人。

 たぶんこれでさらにやけどをするはめになるだろう。何とか挽回したいと思うのはよくわかるが、こういうとき何を言っても裏目に出るのは世の常だ。やっちゃったことや言っちゃったものは、取り消しができないものだ。

　裏目にでると言えば、今日私も似たような立場に立ってしまった業者を相手にした。
　事の発端は、アスクルとかたのめーるとか、いまカタログやネットで文房具や消耗品を注文し、翌日配達してもらうシステムが普及している。そこに新規参入というか大きく手を広げようと、大手コピーメーカーが飛び込みでやってきた。たまたま私の会社でここのプリンターを使っているものだから、消耗品としてインクが必要となる。今は大塚商会で注文しているのだが、メーカが直なら、もう少し安くなるのではないかと、その“飛び込み氏”に見積を持ってこさせた。二度ほどやりとりして、彼は大分安くしてくれ、じゃあ、取引しようということになった。
　ところがその彼は研修期間の人間で、その研修が今日終わり、来週から違う地区に配属となると言ってきたのである。おいおい、おたくこの地区の担当って言っていなかったっけ？私はおたくの会社と取引したいと思った訳でなく、あんたが一生懸命頑張ってくれたから、付き合おうと思っていたのだ。それがこれか？と不愉快になり、それを言ってしまった。もちろん人の会社の人事に口を挟むことなど出来ないけれど、私はこの地区の担当だと言った彼を信頼しようとしていたのに裏切られた気分であった。もちろん性格柄黙っていられないので、はっきりとそれを言った。
　そのときは別の用件で来てもらったので、用件を済ましたが、やっぱり不愉快であった。でもどうでもいいや、と思っていたところに、やめておけばいいのに彼はもともとこの地区の担当者を連れてまたやってきた。これがダメだ。また思い出しちゃったのである。相手は何とか私の気分を変えたいと思ってやってきたのだろうけど、思い出した分、不快指数が倍増することとなった。要するに起死回生を狙ったのが裏目に出てしまったわけだ。
　適当に相手をし、「わざわざこの暑い中ご丁寧に」とお引き取りねがった。正直この会社とは付き合えないと思っている。せっかく登録した“飛び込み氏”のアドレスは削除しよう。
　私が難しい人間なのかもしれないが、私が感じたことはおかしなことだろうか？今はネットの普及で人の顔を見ない取引が当たり前のようになっているけれど、ちょっと困ったことがあったとき、頼もうと思うのは思い浮かんだ顔の人物ではないだろうか？そういう関係を多く持ちたいと思うので（もちろん煩わしいことも多いが・・・）、私はそうした関係も大切にしたいのだ。

        
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    <published>2011-07-15T09:06:18Z</published>
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        　昨日アマゾンで注文した本と、同じアマゾンのマーケットプレイスで注文した古本が同時に届いた。手元には今読んでいる文庫本と一昨日書泉で買った本があり、ついついほくほくしてしまう。これが私の至福の時で、今読んでいる本を読み終えたら、次はこれを読もうか、それともこっちにしようか、と悩む。まぁどれから読んでもいいのだけれど、いずれも早く読みたいのは一緒で、結局マーケットプレイスで買った古本を次に読もうと考えている。
　手元にある本をあれこれ触りながら、あるいは上表紙を外して、本そのものを眺めたり、古本の状態を確かめたり、ページをめくり、目次を眺めてみたり、冷房の効いた部屋でソファに座り、ひとときを過ごす。
　アマゾンで買った本はずっと探していて、中身を見てから買おうと思っていた本なのだが、新刊書店では在庫されていない本である。何度かカートに入れては出しをくり返していたが、意を決して今回購入した。
　もう一冊は吉村昭さんの本を読んでいて、この人ならきっと何か本を書いているはずだと思い、もし書かれているなら、きっと面白い本だろうと感じていた。ネットで検索すると、確かに本を書かれている。しかし定価が高い。税抜きで２，２００円である。ちょっと考えちゃう値段ですよね？
　で、中古を探してみると３２０円である。コメントでは“状態が良い”と書かれている。送料２５０円を足しても６００円でおつりがくる。これだね、といって購入した。送ってくれる古本屋さんは福岡にある。
　もう何回かも書いているから、いい加減同じことを書くのは申し訳ないが、でも書いちゃう。送料２５０円出せば、全国の古本屋さんから本を手に入れることが出来るシステムは、ネットならではとはいえ、すごいよな、と思う。どう考えたって２５０円で福岡まで行けやしない。しかも冷房の効いた部屋でパソコンを操作しながら、ワンクリックでいいのだ。後は２～３日待っていればいいのだ。
　それにしても至福の時は結構だけれど、気がついたら今月本を買いすぎている。財布にあると思っていた虎の子が一枚しかない。まだ給料日まで２週間ほどあるし・・・。まぁボーナスで補填するしかないなと、現実を実感する。
　さて今読んでいる文庫本を早く読んで、次に行きましょうか・・・。


　昨日３年ぶりにメガネを作り直した。今のメガネを使っても、パソコンや本の文字がぼけてしまうことが出て来たからだ。視力が落ちてきているのだろう。一日中パソコンの画面を見ているし、本も毎日読んでいる以上、視力が落ちてきて当然である。
　３年前と違い、レンズも大分進化しているようで、見える文字がソフトにしかもくっきりと見えるようになっている。フレームもメガネのつるが耳に引っかかるタイプでなく、最近スポーツ選手がしているサングラスのようになっている。同じメーカーが眼鏡用のフレームを作ったとのことで、これだと耳に引っかかる感じがしない。そのため長時間かけていても耳が痛くならない。これはいい。ちょっと高かったけれど、これにした。もちろん当初の予定より予算オーバーとなった。
　よくチラシやテレビの宣伝でレンズ、フレーム込みでかなり安く出来るようなことを言っているが、あれって、本当にそうなのと思ってしまう。私の場合どうしてそんなに安くは出来ないのか？出来ればその範囲で収まってくれればうれしいが、なんかそれを言うとせこい感じがしてしまうので、結局何も言えないまま、言いなりで作ることとなった。まぁ安いものを買って、合わなかったり、壊れたりしちゃったら意味がない。ある程度長いことを使うものだし、私には公私共々必要なものだから、少々無理をした。


　そのめがね屋さんの前の貸店舗が空きのままになっていたが、本屋さんが出来るらしい。ここは一階が貸店舗で上はマンションとなっている。今は内装工事をやっているらしく、目隠しされている。外には申し訳ない程度に書店スタッフ募集の案内が貼られていた。それを目をこらして見て、初めてここが本屋になることを知った。
　この場所は駅前ということで一等地には違いないのだが、初めはドラッグストアで、次が親子カフェに変わり、いずれも長続きはせずに撤退している。家賃は高そうで、しかしその割には集客力のない場所といっていい。要するに採算の合う場所ないということだ。しかも今は節電のため駅前の広場の街灯が消されていて、かなり暗い。ここにお店を開いても、どうかなあと思ってしまう。
　そこに懲りずに本屋さんが入ってくるというのだから、馬鹿か、それとも情報収集力がよほどないのか、どこの本屋が入ってくるのかその貼り紙をよく見てみると、正育堂と書いてある。聞いたことがない。ネットで検索したら、東京西部や埼玉で書店や文具店をいくつか展開しているようだ。なるほどこれで情報収集力がないことに納得した。
　今の時代本屋さんはどんどん撤退しているご時世である。出版不況と言われてもう久しい。本が売れない時代である。リアル書店が厳しい時代である。
　その上ここは本が売れるところでない。正直言って本を買い求める人が多くいる場所じゃない。だからかなり市場的に厳しいだろうと予測される。
　ネットで検索していたら２ちゃんでスレッドが立っていて、これが面白い。また深く同意してしまった。


たぶん本屋は半年で潰れるよ○○○（駅の名前）に読書の文化はないよ
それに読む人は勤め先の大型で買うし参考書類は近隣の学校見れば
期待できないの分かる、むしろ万引きされる。
ポパイ（レンタルＣＤ屋）の前が本＋ＣＤ屋だったけどすぐ潰れちまった。 


私は違うとかでなく営業していけるだけの本を買う人がいるかどうかだよ
いれば○○堂も撤退していない
また&gt;&gt;337見たいな品揃えにうるさい人はこんな郊外では論外な客
アマゾンで我慢するか池袋にでも住んだ方がいいよ 


　○○堂は駅の反対側にあるビルに入っていた書店であったが、ここも薄暗い店内で、いつ潰れても仕方がないな、といった感じのお店であった。本屋は最初駅の３階にあったのだが、そのうち１階に雑誌だけの店舗を出したら、余計に３階はうら寂れていった。私も滅多に行かなかったが、たまに行っても、探している本があったためしがなかった。
　出口にある階段には悪ガキがいつもつるんで座り込んでいて、通るのに邪魔で仕方がなく、何度か悪ガキに「邪魔だよ、どけよ」と言ったことがある。そしてつい最近撤退した。
　個人的には地元に今、本屋さんが一軒もないので、本屋さんが出来ることはうれしいが、何となくお店の状況が目に浮かんでくる。オープンは品揃えをばっちりして来るだろうが、それがだんだん薄くなってきて、うら寂しい感じが漂っていく。オープン時の華やかさを知ってしまったら、その感じは余計に強くなるだろう。
　前にあった親子カフェにベビーカーに乗っていた子どもが悪ガキ予備軍となって走り回り、本を散らかしていくことだろう。きっと万引きにも悩まされることだろう。
　頑張って欲しいところだが、前途が厳しい気がする。

        
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