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    <title>１月３０日</title>
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    <published>2012-01-30T02:39:46Z</published>
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    <summary>　今年もシンビジュームが咲いた。昨年株を二つに分けたので、鉢が二つになったのだが...</summary>
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        <![CDATA[　今年もシンビジュームが咲いた。昨年株を二つに分けたので、鉢が二つになったのだが、二つとも花を付けている。親株にはまだ花が開いていないつぼみが二つあるので、これからが楽しみだ。
　そうそう花を支える支柱がなかったので、近所の花屋に買いにいったのだが、お店で使ったものだけどと言いつつ店員さんがただでわけてくれた。


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<a href="http://www.k-moto.net/daily32/archives/2012_01_30_02.jpg"rel="lightbox"><img alt="2012_01_30_02.jpg" src="http://www.k-moto.net/daily32/archives/2012_01_30_02-thumb.jpg" width="320" height="240" /></a>


　また昨年９月私の誕生日にかみさんが買ってくれた、花が咲いているシャコバサボテンが、狂い咲きなのか、また花を付けていている。



　先週の土曜日に孫の初節句のため、ひな人形を浅草橋に買いに行く。孫の母親は私の娘である。その娘の初節句のときは、私の親父と母親が娘のためにひな人形を買ってくれた。このときは勝手に親父たちがひな人形を買って送りつけてきたので、今回のように一緒に選んだ訳じゃない。
　今回は娘が基本的に選びたいということで、一緒に行くことにし、お金だけ出すことになる。だから浅草橋に人形を買いに行くのは初めてとなる。
　浅草橋に着いて驚いたのが、駅前で何人か胡散臭いオヤジたちが、ひな人形の割引券を配っているのである。まるでキャバレーの客引きみたいだ。こんなオヤジたちがくれる割引券でひな人形を買って大丈夫なのかと思ってしまう。
　娘はもうネットでお気に入りのひな人形を決めており、そのひな人形が売っているお店に直接向かう。私が抱いているひな人形のイメージは何段飾りと大がかりなもので、当然そのような大げさなひな人形がお店に飾ってあるものと思っていたのだが、お店の入り口に飾ってあるのは親王飾りといったシンプルでコンパクトなものばかりであった。もちろん豪華なものもあるのだが、今は核家族化でそんな大きなものは売れないそうだ。むしろこうしたものの方が場所も取らないし、飾るのも楽なので、長いこと飾ってもらえるらしく、人形にとっていいことですと言っていた。
　コンパクトだからといって値段が安いという訳でもない。それなりに手が込んでいるらしく、大がかりなものとそうそう引けを取らない。
　もう候補を決めてあるから、即、決まるものと思っていたら、娘はかなり悩んでいる。お店に来て、実際ひな人形の顔を見てみると少しずつ違うらしく（まぁ当然だな）、パソコンの画面とは趣が違うらしい。
　なかなか決めかねている娘を見て、これは驚きであった。娘の性格柄ものを買う時は割と簡単に決めてしまう方なのだが、今回違うのだ。あれこれ見比べ、お店の中を行ったり来たりしている。かみさんもそれに付き合い、あれこれ意見を言っている。こういう時は女はしつこいものだ。
　娘が自分の子どものためにこんなに悩んでいる姿に驚きつつ、私は孫のベビーカーを任されているので、ぐずらないようにあっちこっち移動しながら、孫をあやしていた。
　ひな人形はたぶん一生に一回しか買わないものだろうし、しかも初節句を迎える赤ん坊が対象だから、お店にも赤ちゃん休憩室や授乳室を用意しているのも、言われてみればなるほどと思った。面白いものである。
　かなり悩んだ末、やっと決まったらしく、かみさんにカードを貸してくれと言われる。えっ、俺のカードかよと思いつつ、孫が可愛いバカオジイチャンはカードを渡すのであった。かみさんが勝手に暗証番号を打ち込んで会計をしている間、私は店員さんに駅前で割引券を配っているオヤジたちのことを聞いてみた。
　浅草橋の通りの奥にはかなりの数の人形屋さんがあって、通りの奥にお客が行かないものだから、あんな割引券を配って客を呼んでいるとのこと。中にはこの時期だけお店を開いている所もあるらしい。割引率は高いけれど、定価をその割引を織り込んで最初から設定しているらしく、結果安いものじゃないらしい。品質においても、疑いの部分があるらしく、出来れば引っかからない方がいいと言われた。人形の組合があるらしく、その組合でもそんなのに引っかからないようポスターを作っているという。
　だいたい可愛い孫のために買ってやる人形である。そこで値引率で引かれるようじゃいかんじゃないかと思うのだが・・・。配送は２月１１日と決め、飾るのは大安の１４日だそうだ。娘はかなり人形が気に入ったらしく、後でメールでもお礼が届く。]]>
        
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    <title>１月１７日</title>
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    <published>2012-01-17T23:50:04Z</published>
    <updated>2012-01-17T23:50:42Z</updated>
    
    <summary>　あけましておめでとうございます。 　本年もよろしくお願い致します。 　といって...</summary>
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        　あけましておめでとうございます。
　本年もよろしくお願い致します。

　といっても、１月ももう半分が過ぎてしまった。こう言うからには訳があって、正月だけでなく昨年末からバタバタ過ぎてしまったからである。
　今年は正月休みを長くもらったので、先週から動き出した。そして今日、年末に作った住民税の給与支払報告書を郵送し、神田税務署に法定調書合計表を提出してきた。
　事務所から神田税務署に行くには、自転車が便利である。というわけで新年第１発目、寒い中自転車で繰り出す。今年は秋葉原にある無印良品で３０％引きの手袋を買った。
　私は昔から手袋が苦手で、はめるのが面倒でもあった。そしてよくなくすのである。いつも片方を落としてしまう。しかし今年は歳のせいか、寒さがこたえていたので、意を決して買おうと思ったのである。通勤時ここのところいつもはめているが、さすがに暖かい。手袋して思ったのは、私はいつも手をコートのポケットに入れて歩いていたことである。しかし手袋をするとその必要性がないが、その手のやり場所に戸惑ってしまう。手を出して歩くことがどこかぎくしゃくして不自然な感じがしてしまう。なんかロボットが歩いている感じだ。
　でもこの時期自転車に乗る時はいい。爽快に昭和通りから靖国通りに走る。税務署で書類を提出し、医療費控除をするための、確定申告書一式をもらってくる。まぁこれら書類はネットで申告書を作成するので必要ないと言えば必要ないのだが、性格柄どうしても手で計算して書き込んでみないと納得できないところがあるので、それをネットで作ったものと照らし合わせるため、一式をもらってくるのである。
　帰りに三和図書に寄る。大沢在昌さんの新刊が入荷していた。発売は１９日だ。高橋君に一冊売ってくれないかと頼み、スリップを持って店売の大山君に会計してもらう。店売で珍しい顔を見かける。安達図書にいた川村さんだ。昔は川村さんに世話になった。新潮社や文藝春秋の新刊をわけてもらった。
　私の子供や弟の子供がまだ小さい頃、鎌ヶ谷にぶどう狩りに行ったことがあるが、ぶどう園の前でばったり川村さんに出会ってびっくりしたこともあった。聞いてみるとここに住んでいるという。「人が住んでいるところに家族でぶどう狩りなど来るなよなぁ」と言われたのも懐かしい。
　安達図書はとうの昔に廃業してなくなっているが、川村さんは杏雲堂病院の売店で本屋をやっていると聞いていたが、今でもそこにいるとのこと。挨拶をして別れる。別れ際に昔のように「頑張ってな！」と言われた。
　その後三省堂本店に寄る。１階の新刊をざっと眺め、２階に上がる。北杜夫さんの『楡家の人々』がまた気になった。北杜夫さんが昨年亡くなって、その追悼で著作が棚に並べられているのだが、まだそこにあったのである。
　『楡家の人々』は私が高校生の時読んだ。今は本も手元にないので、なぜか懐かしくなって、また読みたいなという気持ちになるのである。でも今日も買わずに、他の文庫本を２冊買う。
　帰りに靖国通りを走っていたら、スカイツリーが大きく、しかもくっきりと見えた。空気が澄んでいるからよく見えるのかもしれないが、今まで気づかなかった。
　秋葉原に着いて、手は暖かかったが、耳が冷たく痛い。今度は耳当てか、とも思ったが、まさかこの歳で耳当てをしながらチャリに乗るのもどうかと思い、慌てて事務所に入る。
        
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    <title>年末新井薬師から中野へ行く</title>
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    <published>2011-12-28T01:07:44Z</published>
    <updated>2011-12-28T01:10:43Z</updated>
    
    <summary>　新井薬師にお守りを急遽もらいに行く。いつも休みの土曜日に出社となってしまったの...</summary>
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        　新井薬師にお守りを急遽もらいに行く。いつも休みの土曜日に出社となってしまったので、金曜日に残ってしまった仕事を一気に片付け、午後から出かける。まずは新宿へ行けばいい。総武線から中央線と乗り換え、新宿へ。そこから西武新宿線の新井薬師前駅で降りた。
　改札は一つしかないけれど左右どちらに行けばいいのかわからず、駅員さんに聞いてみる。「薬師さんはこの先です」と降り口を教えてくれた。地元の人が自分のところにある神社などをこのように「○○さん」と呼ぶことは聞いたことがあるが、実際自分の耳でこのような言い方を聞いたのは初めてだ。親密感があって、なんか、いいものである。
　駅から参道まではちょっと歩くが、それほど道幅が広くない道の両側に昔ながらお店がいくつもあって、懐かしい感じである。昔よくあった木の棚の本屋さんも一軒あって、ちょっと入ってみたくなったが、先を急ぐのでそのまま通り過ぎた。
　新井薬師は山門の前に出てみるとこぢんまりした本堂が見える。お参りをして、横にある社務所でお守りをもらう。山門を出る前に、もう一度本堂に向かって「よろしくお願いします」という気持ちで頭を下げる。
　わざわざ新井薬師に行ったのは、そこは眼病治療に霊験あらたかと知ったからであるが、実はもう一つここは中野駅に近いということがわかったので、その後中野に行こうと思ったからである。
　何故中野駅に行きたかったのか、というと、昔中野のブロードウェーの地下にある果物屋さんでバイトをしたことがあったからだ。高校時代である。それ以来私は中野には行っていない。かれこれ４０年近く行っていないことになる。
　たまたまテレビで中野のブロードウェーが映っていたのを見て、ちょっと懐かしくなり行ってみたいな、と思っていたのである。それが今回いい機会なので行ってみたわけだ。
　サンプラザの横でバスを降り、多分この先入ればブロードウェーに行けるアーケードに入れるはずだ。アーケードの狭い道に人がいっぱい歩いている。高校時代このアーケードを何度も歩いていたが、記憶にあるお店は一軒もない。４０年ぶりに歩いているのだから当然と言えば当然だ。ただ何か古めかしい感じが漂う。
　ブロードウェーの前に出た。何か違う？こんなにけばけばしくなかった。それも全体が古めかしい中にけばけばしい感じなので、言ってみればばあさんが無理して派手な衣装を着ている感じだ。
　まぁいい。とにかく地下に行こう。もしかしたら昔あったお店が一軒くらい残っているかもしれない。しかし中を歩いて見て、お店をくまなく見て回って、記憶に残っているお店は一軒もなかった。私がバイトしていた果物屋もなかった。もしかしたらお店は残っていて、当時私に仕事を教えてくれた人がまだお店に立っているかもしれないと多少期待していたのだが、それも果たせなかった。そこで記憶にある顔を見かけて、「○○さん？」と声をかけたかった。私によくしてくれたお店の前にあった精肉屋さんもなくなっていたし、隣の八百屋さんもなかった。 
　仕方がない。あまりにも年月がたちすぎている。地下も昔のような明るく、わりと通路も広く取ってあったのと違い、とにかくお店の数を目一杯詰め込んでしまっているので、通りが狭くなってしまっている。そこにもともと地下であるから天井が低いので、ちょっと息苦しくもなる。
　一回りして地上に出る。

そうだ！この上には明屋書店があったはずだ。

　ここでよく本を買ったものだ。行ってみよう。階段を上がるが、何か昔秋葉原にいた感じのオタクみたいな、汚らしい奴らがつるんでいる姿が目につく。階段を上がってみてその理由がわかった。ここにはフィギヤとかその系の漫画とかやたら置いてある。サブカルチャーばっかりだ。これが今日感じた私の違和感だ。
　Wikipediaによると、「１９６０年代後半より１９７０年代にかけて青島幸男、沢田研二、渡辺浩弐、平山喜堂など数多くの有名人が住居階に自宅を構えた、屋上には庭園、屋外プール、ゴルフ練習場、セントラル冷暖房、住民専用エレベーター、守衛の常駐施設などを備えたデラックス・マンションである。開業当時は中野駅周辺で最も高いマンションであったことから注目を集めた」とある。今でもここは駅から近いということで人気があるらしいが、階下のお店は当時の当時とはまったく変わってしまい、住む人も様変わりしていることだろう。
　いずれにせよ、４０年という年月はあまりにも長いということか。この日本で変化するだけの十分な時間だということなのかもしれない。正直来なければよかった。そしてもう私は用がない限りここには来ないということだけはわかった。


　さて、今年も残りわずか。何とか一年を終えられるといった感じでいる。とにかくこの一年いろいろなことがあった。３月１１日の東日本大震災から日本は嫌が上でも大きく変わらざるを得なくなってしまった。あの地震、津波、原発事故はおそらく来年以降長いこと引きずって行くことになることは間違いないだろう。
　人の意識も大きく変わるに違いない。もちろんあの震災は私の意識も大きく変え、一時は受け入れることに苦労した。何も出来ない日が続いた。
　プライベートにおいても、もうこれ以上ないといったことがいろいろあり、その対応に右往左往した。それも年末ぎりぎりまでだ。でもどんなことがあろうとも、時間は、世の中は過ぎていくわけで、その中で私も同様に動かされていく。たとえ個人的に立ち止まりたくても、待ってくれとは言えない。その中でこの一年過ぎていった感じだった。おそらく年が明けてもそれを引きずることになるだろう。ただ今年ほど右往左往することは避けたいものだと思っている。仕方がないことなので、要領よく、時には事務的に対処出来れば、と思う。何事においても平常心でありたいものだとつくづく思うのだ。出来れば物事ひとつひとつどんと構えていたいものだと思う。そして今年のような災難がないよう願ってしまう。

　今年も一年ありがとうございました。
        
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    <title>１２月</title>
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    <published>2011-12-02T03:04:09Z</published>
    <updated>2011-12-02T03:06:02Z</updated>
    
    <summary>　結局先月はここでは何も書かなかったことになる。書いたことは書いたが、書いた内容...</summary>
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            <category term="仕事の上で・・・" />
    
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        　結局先月はここでは何も書かなかったことになる。書いたことは書いたが、書いた内容をもう一つのブログに使っちゃたので、使うことができなくなってしまった。そうそう話題なんてないものである。
　で、手っ取り早い話として、書泉の悪口を書くことが一番いい。もう書泉のことは書かないと言っていたのだが、どうしても文句を言いたくなってしまう。
　私が書泉というのはブックタワーのことなのだが、とにかくひどい。一階には文芸書がほとんどなくなり、２階に持って行かれちゃった。あるのは雑誌と、秋葉原的サブカルチャー本と、棚を見ているとイライラしてくる。書泉のいいところは、文芸書の新刊が店に入ってすぐ見られることが魅力だった。何か面白い本が出ていないかな、と行くのが楽しみだったのに、わざわざ２階に上がらないとならないだけでも、面倒くさい。しかも在庫を極力減らしてしまっているので、さらに面白くない。困ったものである。
　たまたま買った本をレジに持って行くと、「しおりいれますか？」と聞いてくる。今までそんなこと一度も聞かれたことがなかったので、何でそんなことを聞くんだろう。以前は無条件で書泉オリジナルのしおりを放りこんでいたのに、わざわざ一声かける。ははぁん、これは経費削減のため、一声かけて、要らない人には入れないことで、しおりの枚数を減らそうとしているんだな、と思った。それに最近のしおりのデザインが面白みがないのも、手を抜いている。お金をかけていないことがわかる。ダメだね、もう。
　そこで秋葉原駅のアトレにできた三省堂に行くことにした。ちょっと遠いのだけれど、まだ新刊の在庫は豊富だ。これからはここで本を買おうかなと思う。書泉は新刊の魅力がなくなってしまったし、しおりも面白味もなくなったし、もういいかなと思い始めている。それに三省堂で本を買えばポイントもつくし・・・。でもやっぱり書泉の変貌にはがっかりしてしまう。
　駅から昭和通りに戻る時、ブックオフにも寄れるので、これはいいかもしれない。もちろんこの日も帰りに寄ってみた。欲しい本がなかったので、そのまま岩本町の駅へ向かう。書泉に寄らずにである。

　１２月に入って、これから忙しくなる。ざっと書き込んだスケジュール表を見ても、予定がすべて押せ押せとなっている。しかも今年は２３日が天皇誕生日で、２４日が土曜日、２５日が日曜日となっているので、給料日が２２日となってしまう。１５日に締めて、１６日までには数字を固めておかなければならない。次の１７，１８日が土日となっているから、１９日には給与処理をして、データを銀行に送信しておかなければならない。そこに年末調整が入ってくるので、これは１７日の土曜日は出社しなければ間に合わないかな、と考えている。そうそうその前にボーナスもあった。源泉徴収票の作成、給与支払報告書の作成、法定調書も作らないといけない。もちろん毎月の通常業務はあるわけで、やること一杯だ。
　これらの仕事は昨年自分で抱えてしまったことなので、仕方がない。会社の経費削減に協力することで、こうなってしまった。こう押せ押せになるなら、やらなければよかったなと思ってしまう。事務組合の人が私のブログを読んでくれているらしいので、「そうでしょう！なんならやりましょうか？もちろん有料ですけど」と言われそうである。
　年末調整は昨年ソフト導入時に練習はしている。が、もうやり方忘れちゃっているし、パニックになりそうだ。だいたい一年に一回しかやらない作業というのは、そうそう覚えていられないものだ。しかもこのソフトのバックアップがうまくできない状態になっている。外付けのハードディスクがごねているようで、おいおいこんな時に頼むよ、と言いたくなる。
　来週ソフトを提供してくれたシステムの人が来てくれ、様子を見てくれることになっている。その時わからないこと全部聞いちゃおうと思っている。これらの作業は連動しているので、やればすべて一気にできてしまうはずだ。やってやろうじゃないか！今月は例によって３０日まで仕事だ。だから時間はないことはない。うまくやればできるだろう。
　正月休みは３１日から１月９日まで休めることになったので、それだけでも救われる。もっとも何事もなければの話だけれど・・・。こういう時に限って何か起こるんだよね。そうならないよう祈りたい。
　さて、仕事のメールを確認してから町会事務所に社長の新年会申し込みをして、昼の弁当でも買ってきましょうか。
        
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    <title>本を処分する</title>
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    <published>2011-10-31T09:04:01Z</published>
    <updated>2011-10-31T09:05:32Z</updated>
    
    <summary>　この月末の土日に本棚の整理をやった。整理というより、本の処分である。いつかやら...</summary>
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            <category term="どうでもいいことかもしれないが・・・" />
    
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        　この月末の土日に本棚の整理をやった。整理というより、本の処分である。いつかやらなければならないと、ここのところ感じていて、延ばし続けていたのだが、どうにも本が本棚に収まり切らなくなってしまった。棚に収まらない本は、棚に積み上げたままになっている。
　東日本大震災にときにも、棚に収まっていない、積み上げた本が落ちてきた。幸いその時はそれほど冊数がなかったので、大事に至らなかったが、今度同じ規模の地震があったら、大変なことになる。
　それと私の年齢も問題となってくる。私の本棚は玄関から二階に上がる壁面に吹き抜けで作られている。そのため高いところにある棚は、階段と途中にある梁に板をかけて、そこを渡りながら本の取り出しや、棚に収めたりする。今はまだ足腰がしっかりしているから、そんな高さなどなんともないが、そのうちそこに上ることもできなくなる。つまり遅かれ早かれ高い位置にある棚の本には手が付けられなくなる。今でもどうでもいい本がそこにあるのだが、まずはここにある本を処分してしまい、空いたところに、読み終えて、もう絶対に読み返すことのない本に置き換えた方がいい。
　次に文庫本である。とにかく冊数が多い。昔に買った本が数知れずある。読んだ本も多数あるが、未だ読み切れない本もかなりある。さらに後で全集を買ったために、同じ作品が重複しているものもある。ということで、基本文庫本はほとんど処分することにした。全集も不要なものを３点ほどまとめて処分することにした。
　その結果かなりの冊数の本が処分の対象となった。どのくらいあるだろうか。千冊近くあるかもしれない。ほとんどが文庫本なので、売っても大した金額にはなるまい。もちろん高額で買い取ってくれれば、それに越したことがないが、期待はしていない。ただブックオフには売れない。なぜならブックオフでは値段が付かない古い本が多すぎるからだ。だからせめて古本として付加価値を多少でも認めてくれそうな神田の古本屋さんに電話をして、引き取りに来てもらうように手配する。引き取りは今週の土曜日となった。

　さすが処分する本がこれだけでると、棚の方はすっきりする。
　ところで処分する本がこれだけあると、どこか感慨深いものが出てくるはずである。そう思っていた。私は二度ほど大々的に本を処分したことがあって、古本屋さんが引き取っていった後の自分の本棚を見て、呆然となったものだ。その時もやむにやまれず処分したのだが、できればそのまま置いておきたかった。本には一冊、一冊、思い出がつきまとっている。ときにはあの本は売らなければよかったと後悔したこともあった。
　以来もう本は絶対に売らないと決めていたのだが、やはり売ることになってしまった。けれど今回は昔のような感慨にふけることはなかった。むしろさっぱりした気分になったのを驚いている。これでよかったんだ、と思った。
　何かの本に、古本は抱えるではなく、流通に回るようにすべきだと書いてあったことを思い出す。私が今回売ろうとしている本が再度古書業界で環流するかどうか分からないけれど、中には誰かが探し求めている本もあるかもしれない。自分の本棚に眠ったままでいるよりも、だったらその人のために回した方がいい。本の命がまた蘇る可能性があるからだ。
　それとこれだけ自分の本棚がすっきりすると、気持ちが楽になるのを感じる。気がつかなかったけれど、ここに積み上げられていた本は、私の精神に妙な圧迫感を与えていたことを知ったのである。数の多さがそうしているのか、それとも本の内容が自分の能力以上のものなので、私の気持ちを重くしているのか、よく分からないが、とにかくすっきりとした棚からは、そうした圧迫感がない。それだけでも棚を眺めても、安らぐ感じがする。残った本は本当に自分の好きな作家の本と、読みたいと思っている本だけになった。
　昔は広く浅く様々なジャンルの本を読みたいと思っていた。それはある意味自分にそれを課していたところもある。もちろん専門的な本は読めないけれど、もう少しくだけて頑張って読めば読めないことはない本なら、ちょっと頑張って読んじゃおうかな、という本読みをしてきたところがある。しかしこれは結局ところ、どこか背伸びをしている。本を読むことを楽しんでいない。まして読んでいてもまったく理解できないとなると、何のために本を読んでいるのか分からなくなってくる。私はどこかで“知的”に見られたかったのかもしれない。そうして本ばかり増えていったのだろう。
　もう年齢的にこれから先どれだけ本が読めるか分からないけれど、それだってそう多いものじゃないと思う。だったら自分の好きな作家の本、本当に読んでみたいと思う本を読む方がいい。今更気取ったところで、どうなるわけでもあるまい。そんなことを思っていたから、処分される本に未練はないし、残った本をゆっくりと読んでいけるという安らぎを覚えるのだろう。これからはますます偏った本の読み方をしていくことになるだろうけど、それは自分にあった本なのだから、それでいいのではないか、と思っている。
        
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    <title>さらに９月の思うままに４話</title>
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    <published>2011-09-26T02:56:44Z</published>
    <updated>2011-09-26T02:57:50Z</updated>
    
    <summary>　あるリース会社の担当者から先日電話があり、転勤の挨拶に来たいというので昨日会っ...</summary>
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        　あるリース会社の担当者から先日電話があり、転勤の挨拶に来たいというので昨日会った。彼は私との付き合いがもう１５、６年近くなると言っていた。そうか、もうそんなになるのかと、思った次第。ということは私が職種を変えてから間もなく、彼と知り合ったことになる。
　後任の人と名刺を交換し、次のリース契約の話をする。たぶんこのまま次のリース契約を続けることになるだろうと思うが、この契約をした後、その次の契約は５年後となる。その時は私も６０歳になっている。ということはこのときは私はこの会社にはいないかもしれないな、と彼らが帰った後思った。ということは、九州に転勤になった彼とももう会えないことなるかもしれない。このことにもっと早く気がつけば、彼と話せたのに、と思っても後の祭りだった。
　そんなことを考えていると、私がこの会社にいられる時間というのも、限られて行くんだなと思うようになる。もちろんそれより早まるかもしれないし、あるいは後のなるかもしれないけれど、少なくとも時間が無尽蔵にあるんじゃないなと感じつつある。

　この連休は「シルバーウィーク」というらしいが、これといって大したことはしなかった。本も読まなかった。気がついたら三連休が終わっていたという感じだ。
　自分専用に使っているノートパソコンのソフトをバージョンアップする。ウィルスバスターを２０１２にし、インターネットエクスプローラーをInternet Explorer 9にした。ついでにたまに使うGoogle chromeもバージョンアップしておく。
　そうそう今まで家で使っていた古いカラープリンターを買え替えた。会社で使っているプリンターの使い勝手がいいのと、写真印刷がきれいなことで、自宅のパソコンもこれに替えたいな、と思っていた。ただ今までのカラープリンターは壊れているいる訳じゃない。１年に１回、年賀状印刷には十分威力を発揮してくれていた。けれど年賀状ならいいけれど、写真印刷となると、その印刷画面に荒さはどうしようもなく、ここに来て写真印刷が増えているので、ここは決断して買い換えたわけだ。最初は会社と同じプリンターにするつもりだったが、もうこのプリンターは製造中止になっていて、その後継機がつい最近発売された。まぁ、その後継機でいい。それほど使用勝手は変わらないだろう。
　ということで、この休みプリンターを入れ替え、設定も行う。今回自分用のノートパソコンでも印刷できるよう、プリントサーバーを導入する。これがあれば、プリンターケーブルは必要ないので、ものすごく便利だ。設定はもちろん初めてなので、ＬＡＮ関係は小難しいかなと懸念したが、わりと簡単に出来、安心する。
　ところでプリンターに附属しているソフトが鬱陶しい。プリンターを設定するとき、何も考えずそのままＣＤを入れ、命ずるままインストールしたところ、他の作業をやっているときに、ちょこちょこ画面に現れてくるのだ。おもわず、「うるさい！」と言ってしまう。こういうお知らせみたいなものを喜ぶ人っているのだろうか？メーカー側の親切の押し売りにはへきへきする。とにかくこれが顔を出さないよう設定したり、削除したりして、何とか落ち着いた。

　連休前に秋葉原のブックオフの１０５円のコーナーで、阿刀田高さんの『ホメロスを楽しむために』の単行本を見つける。私は阿刀田さんの古典解説本が好きで、楽しく読ませてもらっている。もちろんこの本も文庫本で読んでいて、ブログにあげている。
　ところで、私は読んで好きな本があれば出来れば単行本で揃えたいといつも考えている。当然この本も出来れば単行本で手元に置いておきたいと思っていた、その後単行本を手に入れたかどうか、わからなくなってしまっていた。確かに文庫本を持っていたと記憶していたが、単行本に関しては自分の記憶に自信ががない。
　さて、買おうか、どうか、迷った。こういう時が一番困る。一度確認して、後で買えればいいのだけれど、古本はその時買わないと間違いなく買いそびれる。決断はここでするしかない。このとき買ってしまおうと促したのは、この日は特売日で１０５円の本が一律９５円なのだ。だから買ってダブってもダメージが少ない。
　１０５円でもそれほどげさな話じゃないのに、まして９５円なら、それほど悩むことじゃないじゃないか、と言われそうだけど、同じ本をダブって買ってしまうことは、結構ショックなのである。たとえそれが９５円であっても・・・。だから棚の前を行ったり来たりしたのだ。
　とりあえず買い求め、家に帰ってすぐ自分の本棚を確かめ、この本は単行本で持っていなかったことで、やっと安心する。安心して今度はしげしげとお宝を眺める。１０５円、いや９５円でこれはかなりお買い得だ。だってほとんど読まれた形跡がなく、美本であったからだ。やっとうれしくなってきたのであった。

　２１日、私は再び“帰宅困難者”となった。今回は台風である。台風１５号が首都圏を帰宅時間に直撃した。雨風がものすごく。ニュースでは電車が次々と止まっていく模様が流れる。「これはやばいな！」と思ったが、まぁ地下鉄だからなんとなるだろうと、不安を抱えつつ駅に向かう。傘を差してもちっとも役に立たなかった。とにかく傘を吹き飛ばされないよう姿勢を低くして、両手で傘をもって歩いて行ったのだが、駅まで行くだけで、ズボンがボトボトとなった。
　駅についてホームに行ってみると、電車が止まっている。何とか動きそうな気配なので、強引に乗り込む。一駅毎に長い時間止まって、ついに運転中止となった。風が危険領域を越えて、それがおさまるまで動けないという放送が流れる。不安が的中した。
　いくら地下鉄とはいえ、荒川を越えるところは地上に出る。ここで風速３０メートル以上吹いちゃっているので、その先に行けないのだ。とりあえず、次の連絡駅まで電車は動いたが、その先は一切動かなくなった。
　私はホームに出て、風がおさまって動くのを待つしかないと決めるのだが、それが２時間以上待っても、まったく動く気配がない。そこでいったん外に出て様子を見ようと思い、改札の方に向かったが、そこにはものすごい人が改札が開くのを待っている。他の路線から来る人が改札で足止めをくらっているのだ。なのでここを出てしまうと、戻ってくることは出来なくなる。ここにいるしかなくなってしまった。完全に身動きがとれなくなった。
　地震の時は歩けば何とか帰れた。少なくとも歩くことで自宅に近づいていることを実感できた。しかし今回は暴風雨の中歩くことは難しい。歩けてもかなりキツイ。こうなると地震の時より厄介だ。待つしかないのである。（家に帰ってニュースを見てみると、歩いて帰る人の姿を映していたので、このとき歩けないことはなかったようであるが）
　そしてさらに１時間経って、どうやら風が危険領域から抜けたようで、やっと電車が動くという構内放送がある。結局私は３時間近く、ずっと立ちっぱなしであった。駅についたら、ヘトヘトになった。
　あの地震の時は２時間半で自宅に着いた。今回はそれ以上に時間がかかったことになる。歩いた方が早いというのは皮肉なものである。ただ何度も言うように台風で外は暴風雨なので歩くことが出来ないと思った。
　しかし地下鉄は外の状況がまったくわからないし、外にも出られないことが構内の低さが生む閉塞感とともに精神的に堪えた。正直歩いた方が楽だった、と思った。駅から外に出たとき、何度も深呼吸をしてしまった。風はまだ強く吹いていたが、雨はやんでいた。道路には壊れたビニール傘が何本も落ちていた。
　まさか１年に２度も帰宅困難者になるとは思いもよらなかった。２度あることは３度あるというが、もうこりごりである。
        
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    <title>さらに、思うまま四話</title>
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    <published>2011-09-11T02:25:01Z</published>
    <updated>2011-09-12T00:56:53Z</updated>
    
    <summary>　気がつくと、アルバムが２冊目となっている。孫が生まれてまだ４ヶ月だというのに、...</summary>
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        　気がつくと、アルバムが２冊目となっている。孫が生まれてまだ４ヶ月だというのに、このままだとえらいことになってしまう。とにかく昔から写真が好きで、こんな人付き合いの悪い人間でも、中学、高校と写真部に入っていたことがあるくらいなのだ。もっとも長いことは続かなかった。高校時代意地の悪い先輩と喧嘩をしてしまい、さっさとやめてしまったからだ。しかし写真の面白さは捨てられず、一人で写真を撮り、押し入れを改造した現像室で写真を焼いていた。
　まぁそういういきさつがあるので、写真にはちょっとこだわりがある。撮りたい被写体があると、昔のくせ？が出てきてしまうのだ。孫の写真が増えてしまうのは、自分で撮ったものと、娘夫婦が撮った写真が加わるから、こういうことになる。しかしこのままではいられない。
　たまたまネット上で共有している娘が撮った写真をうちのかみさんにも見せてやりたいな、と思い、それをダウンロードしてＣＤに焼き、それをテレビ上で見せてやった。その時思ったのである。何も写真をアルバムに貼る必要はないじゃないか。こうしてテレビの大画面で見られるのだから、そういう方法で保存すればいいではないか、と思ったのである。とりあえず今はＣＤに焼いたのだが、これでもいい。ＣＤならアルバムのように冊数が増えないし、保存方法も簡単だ。場所もかさもとらない。これはいいやと思い、さっそく孫の写真の保存方法をこれから変えることにした。それにＣＤならかみさんに呆れられなくてすむし・・・。
　もちろん写真は写真で捨てがたい部分がある。写真の良さがある。けれど背に腹は代えられない。これから間違いなく増える一方だろうから、その対策はちゃんとしておかなければならない。
　しかし今は本当にいい時代になった。例えば昔はモータードライブをくっつけてシャッターを押し続けると、あっという間にフィルムがなくなってしまったものだ。でも、一番最初自分の一眼にモータードライブをつけた時の感動は忘れられないな。あの仰々しいモーターの音。連続シャッター音。電池で動かすものだから、その重みが加わったカメラの重み。肩にずっしりくる感じも忘れられない。
　しかし、しがない高校生にはいつもフィルムの残り枚数が気になった。調子に乗ってシャッターを押し続けると、あっという間にフィルムがなくなってしまったものだった。デジカメだとそんな心配はない。逆を言えば、だから写真の枚数が増えることにもなる。
　そうそうデジカメを初めて買って、かみさんに撮らせた時、フィルムが入っている感覚で、撮る枚数を気にして、シーンごとに間隔を置いて、シャッターを押すのであった。私はとにかくシャッターを押す回数など一切気にしなくてもいいと言っているのも関わらず、昔のような写真の撮り方をしていた。かみさん曰く「もったいない」というのだ。確かに昔はそうだった。幸い私はカメラにモータードライブをくっつけて写真を撮ることになれていたので、デジカメ式の写真の撮り方には違和感がなかったが、ちょっと前まではそれが当たり前であった。だからかみさんのことを笑えない。
　現像だって、フィルムから始めて、それから印画紙に焼き付けてなんて、そんな作業は一切必要ない。もちろん暗室なども必要ない。パソコンとプリンターがあれば、きれいなスナップ写真など簡単に出来る（これも余計に枚数が増える原因だ）しかも自分で簡単に画面上トリミングもできてしまう。そういう便利で簡単な時代になっていて、それを享受していたにもかかわらず、私は最後で写真の保存方法を昔のままアルバムにしていたのだから、やっぱり自分はアナログなんだな、と思った次第。だって仕方がないでしょう。そういう時代が長かったのだから・・・。


　メインのブログを再開した。５ヶ月ぶりである。それはいいのだが、アップする方法を忘れちゃっている。いつものように本の写真をアップして、そこに書いた文章を入れ、アップしたら、写真がべらぼうに大きくなちゃって、慌てた。どこかでやり方を間違えたのだ。慌てて手動で修正したのだが、本当はもっと簡単にできるはずだ。しばらくたって、思い出してくる。単にやり方を間違えただけだと知って、ホッとしたのと同時に、たった５ヶ月しかたっていないのに、もうやり方を忘れちゃう自分に呆れる。やっぱり歳なんですね、とほほほ・・・。


　新潮文庫の「Yonda?CLUB」というのがある。文庫カバー折り返しについている応募マークを切り取って、それを集めて送れば、希望の景品がもらえるというやつだ。しかしその景品というのが、個人的に欲しいなと思うものがなかったので、それを集めている会社の同僚にあげていた。しかしその同僚も辞めていなくなったので、結局何もせずそのまま文庫は棚に収まった。
　たまたま今回有隣堂に行って、この「Yonda?CLUB」の景品申込書を手にした。そこにZipper付きブックカバーがあった。これはいいな、と思ったので今回初めて応募してみることにした。
　このブックカバーは２０冊分の応募マークを集めればもらえる。２０冊ぐらい棚から引っ張り出せばあるだろうと思い、適当に最近買った新潮文庫を取り出してみる。案の定集まったので、さっそく送ってみる。果たしてどんな感じのものが届くだろうか？ちょっと期待しちゃう。届いたら書いてみる予定。
　さて問題は簡単に応募マークの付いた新潮文庫が２０冊集まってしまうことである。これだけ文庫本があるということである。正直その多さに手を持て余しているのである。結構棚を占めてしまっているのである。
　本屋で働いていた頃、新刊をすぐ手に取ることが出来る環境であったので、見境なく、面白そうと思えば買っていた結果こういうことになってしまった。それには訳がある。当時読みたいと思って、注文した昔の本が、品切れや絶版となっていることが多かった。古いといっても、それほど昔の本じゃない。なのに出版社の方で採算が合わないとなると、すぐ品切れや絶版にしてしまう。その時間があまりにも速く感じたので、これは欲しいと思った時に買っておかないと、後で手に入らないなという強迫観念みたいなもので本を買っていた。新刊書店で手に入らなかった本は古本屋で探してみたけれど、それを見つけるのに苦労したことも拍車をかけた。
　その結果収拾がつかなくなってしまった。
　さらにここは重要なことなのだけれど、手に入れてすぐ読めなくても、後で時間がある時に読めるという安易な考えが、間違っていたのだ。手に入れた時は読みたいと思っていても、それが時間がたってしまうと、“賞味期限”が過ぎてしまって、時にはどうしてこんな本を買ったんだろう、と思うこともしばしばある。今になっても読めないままにある本は、よほどのことがないとこれからも読まないだろうな、と思うようになった。
　それとどんなに頑張っても読めない本があることである。本を読んでいてなかなかページが進まない本がある。私はこういう本があることを私は認めたくなかった部分がある。途中で投げ出すことが、自分で許せないところがあるのである。
　もともと私が買った本は、自分の守備範囲である本であるはずだ。自分とかけ離れた本は買わない。門外漢である分野の本を買っても、わかるわけがないからだ。だから読み切れない本があることを認めたくなかった。とりあえず途中でやめて、後日再度挑戦という形を取ることにしているのだが、そんな本もかなりある。でもこれもこれから先読めるかというと、疑問符が付く。
　最近は本を途中で投げ出すことを認めちゃっているところがあって、そんなに面白くないなら、違う本を読んだ方がいいと思うようになった。諦めも大切だ。
　ということで、この秋、私は本を大量に処分しようと思っている。読まない本、読めない本は、もう手元に置いていても仕方がない。それと読み終えた本で、この本は残しておきたいな、という本以外は処分していいんじゃないかと思っている。
　私は先日５５歳となったが、これから先ここにある読んでいない本をすべて読むことはたぶん不可能だろうと思っている。だったら読みたいと思う本だけ残しておけばいい。
　一方で新しい本も増えていく訳だから、それも考慮して、処分は絶対に必要だ。もうコレクター的要素は必要ない。この秋、休みになったら、本の整理を大がかりでやろうと考えている。


　ところで、昨日発売の文庫本が書泉にないのである。以前書いたと思うが、書泉は神田村の問屋と取引がある関係で本が発売予定日の前日ぐらい店頭に並ぶことが多い。私は早く読みたい本があった場合、本の発売日前に書泉に行き、その本を手に入れる。ところが今回前日にもなかったし、発売日にも店頭に並んでいなかった。
　そしてそれより以前に一階の陳列ががらっと変わっていることに驚いていていた。今まで文芸書の新刊があったところが、サブカルチャーの本で埋め尽くされていて、既刊の文芸書コーナーがなくなっているのである。文芸書はかろうじて新刊を中心に並んでいるだけであった。正直どうしたんだろう、思っていた。いくら秋葉原だからといって、これはないんじゃないか、とさえ思った次第だ。
　で、今日、神田村の問屋に用があって、そのことを聞いてみると、書泉は会社を丸ごと売ったというではないか。それでネットで調べてみると、「書泉がアニメイトの傘下に」とある。
　そもそもアニメイトなる会社を知らなかったので、リンク先で調べてみると、秋葉原の中央通りでよく見かけるアニメを作っているのか、管轄しているのか、よくわからないが、要するにそんな感じのアニメを売りにしている会社がアニメイトらしい。それで書泉の一階がサブカルチャー本で埋め尽くされた訳がわかった。
　まぁ、その手の関係の愛好者にはうれしいことなのかもしれないが、私ははっきり言ってショックである。
　時代の流れとは言え、書泉の秋葉原出店で、自分の会社にあった本屋部門の撤退を余儀なくされ、仲間がみんな解雇され、かろうじて職種を変えて会社の中で生き残っている私にとって、ざまあみろという気持ちがまったくないとは言わない。
　けれど、変ないいか方かもしれないが、書泉が書泉で頑張っていてくれれば、自分のところのお店がなくなっても、諦めがつく。気持ちの収まるところが自分の中に持てていた。
　それは私が書泉という本屋さんが好きだったからだ。ちょっと前までは書泉は他の本屋さんと違った形で、わりと垢抜けていて、スタイリッシュなところを感じさせる本屋さんであった。それまでのちょっと大きな本屋さんは、いわゆる本という知的文化を取り扱っているという自負心みたいなものをプンプンさせていたし、その分堅苦しく、重圧感を感じさせていた。それがいわゆる有名書店だと思わせてきた。そしてそういう本屋さんに行くこと自体、いく側に自分は知的だと思わせてくれた。自分自身がどこか立派になった感じを与えてくれたものだった。少なくともまだ多くあった地元の本屋さんとは違い、置いてある本の種類や在庫量の違いに圧倒したものであった。
　そんな中で書泉はそうした質的にも、量的にも、それを維持しつつ、それでいてフランクな感じを与え、明るく、誰でも入りやすい本屋さんであった。ブックカバーにしても、しおりにしても、オリジナルでデザインに凝っていた分、人気があったはずだ。
　だから書泉が秋葉原に進出してきて、うちみたいな弱小書店が太刀打ちできるわけがない。そう思った。諦めがついたのである。
　ところが今や書泉みたいなスタイルは既存の大書店でも当たり前になった。いやそれ以上にかっこいい本屋となってきている。古本屋でさえ、カビ臭く、古ぼけたものから、個性的で明るい古本屋へどんどん変わっていく時代になってきた。書泉の影が薄くなってもあたりまえだ。そこに長いこと本屋で働いてきた経験上、ここ数年、書泉にきな臭いものを感じていたので、大丈夫なのかな、と思い続けたことは、何度か書いてきた。
　自分がいた本屋を潰した一原因の書泉がこの先なくなるのか、それとも名前だけ残して、形を変えながら存続していくのかしらないが、いずれにせよ、今までの書泉がなくなることは、私の中にあった、諦めの収まり所をなくしてしまうことになるので、いささかやりきれない気持ちでいるのだ。それとまた一つお気に入りの書店を失ってしまったという喪失感が私の中で大きくなっていくのを感じているのである。
        
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    <title>お盆休みに仕事して思ったこと。</title>
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    <published>2011-08-18T01:01:09Z</published>
    <updated>2011-08-18T01:04:18Z</updated>
    
    <summary>　たぶん毎年同じことを書いていると思うけれど、やっぱり書きたくなる。今年もみんな...</summary>
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        　たぶん毎年同じことを書いていると思うけれど、やっぱり書きたくなる。今年もみんながお盆休みを取っているのに私は仕事をしている。このことは今更どう言ったって、期間が決まった仕事がある以上仕方がない。
　ただこの時期仕事をしていると、例えば通勤が楽で、今日など最初から座って行ける。あるいは私の仕事の邪魔をする電話、飛び込みセールス、あるいは取引業者の訪問など一切ないので、集中して仕事が出来るという特典がある。
　もちろんそんなことは意識しなかった。気がつくと仕事がものすごくはかどっていることに気づく。仕事がかなり早い時間に片づいてしまって、“あれ、おかしいな？”と感じて初めてそれを実感した次第だ。
　そう考えると、私の仕事はこうした邪魔の中、合間をぬってやっていることになる。すべてがそうだとは言わないが、大なり小なりその傾向があるのかもしれない。

　そんな中唯一仕事の邪魔をしに来た奴がいた。リコーの新人である。もう新しい配属先に行っているはずなので、何でこっちに来るのかと思ったが、ついでがあったからと言う。

　「ついで？」

　「おたく、担当大井だろう。大井とここではついでとは言わんだろう」


　と突っ込んでしまう。少し話せば、研修がこっちであり、そのついでに寄ったということをぽろっともらす。だったらもったいぶって、「ついで」なんて言わないで、最初からこっちで研修があったので、と言えばいいのに、そうすれば余計な突っ込みをくらわずに済んだのに。相変わらず、うまく立ち回れない奴だ。
　私としてはいくらこっちに用があったとしても、あんたはこっちの担当じゃないんだろう。自分の担当地区に早く戻って、一軒でも顧客を開拓せよと言いたいくらいだったが、そんな説教をしても仕方がないので、適当に相手をして、早々にお帰りを願った。たぶん奴とすれば、なんか冷たいなと思ったに違いない。
　私は、多少不器用で、融通が利かないところはあるにせよ、彼のやる気と熱意は買っている。だけれども、私の担当でないなら基本的に用はない。ビジネスとはそういうものである。

　結局私の会社のリコーの担当者と会ったのだが、基本的に何をするにしても、対応が遅すぎる。メールを出してても、多分読む暇がないのだろう。いつまでも返事が来ない。見積もなかなか出てこないし、出てもネット上の画面にその値段がいつまでも反映されない。こっちはイライラしながら画面を何度も見るのだけれど、さすがに頭に来て、電話を入れる。午後６時過ぎだったと思う。電話からは本日の業務は終わったとテープで流れる。まるで銀行である。まぁ今は節電のため、会社の業務時間を変更せざるを得ないところが多いので一概に言えないけれど・・・。
　このままだとずるずる時間がたってしまい、プリンターのインクが切れる可能性もある。仕方がないので大塚商会の担当氏の携帯に電話を入れる。彼にリコーとの話をして、結局ダメだとわかり、もうそっちに注文することにしたことを伝えたら、価格をリコーより安く出来ると言ってくれる。言ってみるもんである。品物は翌日朝に届いた。


　いつもなら昼飯はみんなと一緒に休憩室で弁当を買ってきて食べるのだが、このお盆休みは私一人なので、外に食べに行く。長いことみんなと休憩室で一緒に昼飯を食べていたので、外に食べに行くのは新鮮である。と言っても、しがないサラリーマンである。食べるものは大したものではない。昨日は日本そば、今日はＣ＆Ｃのカレーでも食べようかな、と思っている。昨日の帰りにここの前を通ったら、カレーがうまそうだったので、今日はカレーにしようと思ったわけだ。
　お店に入って、椅子に座り、食券を渡す。まずは店員が持ってきた冷たい水の入ったコップを手にする。しかし“夏はカレーだ”というのはよくわかる。実際そう感じました。
　しかし外食はお金がかかる。Hotto Mottoの弁当だと５００円ワンコインでおつりが来るが、外で食べると千円札を出すことになる。いつも安い弁当をばかり食べていると、どうしても“高いな”と思ってしまう。それは本来当たり前の値段のはずなのに、Hotto Mottoの弁当のおかげで自分の金銭感覚がおかしくなってしまっている。
　何でも安いのに越したことはないという発想は、本来あるべき価値をおとしめることになる。原価をとことん下げて、かかるコストも下げることで実現した価格なのだろうが、そこにはどうしたって無理が生じるはずだ。
　マルクスは商品の価値をを規定しているのは人間労働であり、商品の価値の大きさは労働の量に比例（生産力に反比例）して決まる、という労働価値説を唱えたが、これだといくら原価（マルクスのいう使用価値のこと。具体的な商品体の属性に基づく価値。たとえば鉄とか小麦とか）を下げても、それを食べ物にするための労働力の価値などほとんどないんじゃか思ってしまう。その結果手抜きが行われ、ちょっと前に焼き肉屋が食中毒を出して、潰れてしまったのは記憶に新しい。あるいは農薬混じり野菜を食べさせられることになる。
　たかが久しぶりに外で昼飯を食べて、その値段に驚いて、こんなことを思うのも大げさなことかもしれないが、まあそういうことなんだろう。


　ところで話はがらりと変わってしまうけれど、今年は街頭でテッシュではなく、よくうちわを配っているのを見かける。そのうちわをパタパタ扇ぎながら信号が変わるのを待っている人達が多く見かける。
　言うまでもなく、今年は電気が不足している。そため節電が呼びかけられている。冷房温度を例年より高めに設定しているところが多い。外はもちろん、屋内でもそれほど涼しくない。だから今年は暑いことは間違いないけれど、それ以上に体感的に暑く感じる。だからうちわが重宝されるのはわからない訳でもない。けれど、炎天下いくら扇いでも、涼しくなるとは思えない。そのため余計に力を入れて扇いでいる人を見かけるが、端で見ているとこっちの方が暑くなってくる。まぁこれも今年の夏の一風景と思えばいいのかもしれない。私もここのところ通りすがりで、３枚うちわをもらってしまった。


　で、また仕事に戻る。電卓をポンポンたたいていて、何かおかしく感じる。画面の数字が消えるのである。試しにソーラーパネルの部分に手をかざすと画面の数字が消えた。そうか、何かの拍子に私の手がソーラーパネルの部分あたり、それで画面が消えたんだなとわかった。この電卓ソーラーと電池の二刀流なのだが、要するに電池が切れたのだ。というか、普段この電卓に電池が入っていることさえ忘れていた。
　この電卓は個人で購入したもので、事務用の大きめのものだ。電卓の下全面に滑り止めのラバーが付いている。それでも最初の一台は机から落としてダメにしてしまい、今のは二台目である。それでもこれも一回落としてしまい、表示画面の液晶がもれたのか、右下が黒くなってしまっている。
　私は仕事をする時は、とにかく書類を大々的に広げてするものだから、どうしても電卓は隅に追いやられる。で、電卓を引っ張り出そうとする時に落としてしまうのだ。
　それでもこの二台目は頑張っている。ボタン電池のが入っている所を開けて、中の電池を取り出してみる。この電卓を買ってから一回も電池を取り替えたことがないので、電池の液がもれていた。大丈夫かな、と思ったが、一応接地部分を掃除して新しい電池を入れてみると、大丈夫だった。これでどのくらい持つのだろう？
　この電卓、古くなったこともあるのかもしれないけれど、梅雨の時期に使うと、数字の部分が引っかかって、もとに戻らないことがある。しかし梅雨が終わると、何の問題もなく、押せる。たぶん湿気のためであろう、と思う。だから数字のボタン部分に引っかかりを感じると、梅雨だからな、と妙な季節感を感じられる優れものである？

　１６日までは人の出が少なかったが、昨日から朝はいつもの人並みが駅から続いていた。もうお盆休みがほとんどの人が終わったんだなと思った。またいつもの通常のスタイルに戻るのだろう。天気予報によると、この暑さは今週が峠とか言っていたが、早く涼しくならないかな、と思いつつ事務所に向かった。
        
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    <title>９月にブログ再開します</title>
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    <published>2011-08-04T02:04:40Z</published>
    <updated>2011-08-04T02:05:27Z</updated>
    
    <summary>　２ちゃんで今度オープンした本屋さんについてあれこれ書かれているけれど、オープン...</summary>
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        　２ちゃんで今度オープンした本屋さんについてあれこれ書かれているけれど、オープン初日に私も帰りに寄ってみた。レジにものすごい人が並んでいた。どうしてこんなに人が並んでいるんだろうと思ったのだが、２ちゃん書き込みによると、一緒に売っている文具がポスレジに読み取れないことと、店員が慣れていないことで、こういうことになったらしい。私も文房具のコーナーを見てみたかったのだが、レジに並ぶ人でそこに行けなかった。まぁオープン初日だから、いろいろ不手際もあるだろうから仕方がないけど、レジの横にいた太った男はただ横にいるだけなら、そのあたりちょっと人員整理をしたらどうなのよ、と思った。
　実は私は地元に本屋が出来ることは期待していた。そのため欲しいと思っていた本を書泉や丸善などで買わずに、ここで買おうと思っていた。だから帰りに寄ってみたのである。しかし欲しい本が１冊もないのである。それは古い本や専門書じゃない。新刊である。それが１冊もないのだ。おいおい、これはまずいでしょう・・・。まだ出版されてそれほど時間がたっている本じゃないよ。
　しかしこのことはある程度予測していた。急にお店をオープンするとなれば、在庫の確保がどれだけ出来るかが問題となってくる。だいたいが問屋任せの既刊本の売れ筋を用意することで、棚を埋め、後は雑誌となる。新刊、売れ筋は厳しい。だって他の本屋さんだって欲しい本だもの。まぁそれでもこれだけ人が並ぶということは、その程度の本で満足しちゃう住民が多いということなのだろう。なんか悲しい。（翌日以降は店内はガラガラである。もちろん私は店内に入らず外から眺めていただけだけど）
　この日の朝刊にチラシが入っていて、そこには「探しませんか？あなたの１冊」というキャッチコピーがあったけど、「あなたの１冊など、ここにはありませんでした」と突っ込んでみたくなる。オンライン検索も出来るそうだけれど、その必要ないでしょう、だってないんだもの・・・。
　ここで思ったことは、本屋さんも行きつけの本屋さんがあるんだな、ということ。自分が読む本の傾向の本が多くある本屋さんが、やっぱりいい。なにか面白そうな本がありそうな予感を感じさせる本屋さんがいい。そういう本屋さんが本当に少なくなったは残念である。だからせっせと自宅のパソコンで検索して、（オンライン検索など、今時わざわざうたうほどのもじゃないと思う）、その都度どこで買うか決める。
　例えば発売日に買う新刊は書泉で、何か面白そうな本がないかなあと行く本屋がお茶の水の丸善と三省堂本店。時間に余裕があるなら、東京堂によることもある。
　古本ならまずは最寄りのブックオフ。自宅の近所にある二軒のブックオフと秋葉原にあるブックオフである。で、そこになかったら、とりあえず携帯にメモを入れておいて、古本屋さんに行く時があったら、探してみる。それでも急にどうしても欲しくなる時がある。その時は、アマゾンのマーケットプレイスで探し出し、そこで買う。大体がこういうパターンである。
　仕事場の近くにはヨドバシの上にある有隣堂があるのだが、どうも７階まで上がるのが億劫で、あまり行かない。
　書泉は帰り道にあるのでの、どうしてもよってしまう。私が要のあるのは１階の文芸売り場と３階の文庫本売り場だけで、他の階はほとんど行かない。だから目的の本が発売されればここで買うし、なければ棚をざっと見回して帰る。
　最近１階は棚は薄くなってきたな、と感じて仕方がない。節電で店内を暗くしているのだろうけど、なんかそれ以上にうら寂しい感じがするのは私だけであろうか？棚の配置換えも最近行ったようで、私には在庫の少なさを隠すためにそうしているように思えてならなかった。私は新刊が発売日前日には棚に並んでいるので、ここで買うのだけれど、ちょっと時間がたった新刊は補充がうまくいっていないようで、在庫がないことが多い。ざっくり仕入れて、売り切っちゃうスタイルに変更しているようだ。
　１階の奥のレジはよく閉鎖されている。まあ私が行く時間が仕事帰りなので、そういうことになっちゃうのだろうけど、そのレジに人が入り込まないよう何かが立てかけてある。よく見ると風呂マットである。すごいでしょう！（あれ？これもしかしたらどこかで書いたかな？）店内にはちょこちょこ動き回る女性がいて、一方レジにはおじさんくさいポロシャツを着た男の店員がいて、どうも流行っている本屋には見えない。書泉ってこんなに泥くさかったっけ？と思ちゃう。

　さて４月から休んでいた本のブログをぼちぼち再開しようかな、と思っている。まだ自宅にあるサーバーが元気なうちに再開しておいた方がいいかなと思ったからである。
　私に自前のサーバーを立てて、こうしたブログを教えてくれた大野さんのサーバーがおかしくなったと聞いたのはつい最近だ。大野さんのサーバーは私よりも新しいはずで、そのサーバーがいっちゃったということは、大野さんのサーバーの方が私のサーバーよりアクセス数が圧倒的に多いからその負担が大きかったのではないかと思う。けれど遅かれ早かれ、私のサーバーもそうした事態になる可能性がある。その後は一切考えていない。その時はその時でおしまいという気持ちなのだ。なのでサーバーがご存命中に次を始めた方がいいかなと思っているわけだ。
　といって目新しいことをする訳じゃなく、淡々と今までやってきたことを続けるだけのことなんだけれど・・・。ちょっとイメージを変えてみたい気持ちもあるけれど、そうしたスキルもないので、このままやっていけるまでやっていこうと考えている。めどとして９月から再開しようと思っています。
        
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    <title>またまた思うままに三話</title>
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    <published>2011-07-26T03:56:52Z</published>
    <updated>2011-07-26T04:05:29Z</updated>
    
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        　今年は節電ということもあり、しかも世の中、震災の影響で何かと騒がしいところもあり、例年の夏より暑さがこたえる。たぶんそういうことだから、体感温度がかなり暑く感じる。
　でも果たしてそれだけかな、とも思う。間違いなく暑くは感じるのだが、それに対応する自分の身体が昔より耐えられなくなってきているような気がしてならない。ちょっと前までなら、このぐらいの暑さなど、どうでもなかった。炎天下自転車を乗り回しても、確かに暑かったけれど、バンバン汗をかいていた。平気だった。
　しかし今年は違う。まず今日は暑くなるといわれれば、その時点で尻込みしてしまう。ちょっと外に出ても、すぐバテてしまう。時にはめまいさえする。これはやばいと思うことが、度々あった。やっぱり歳なんだなぁと思う。年より熱中症が騒がれているけれど、これホンと歳をとると暑さに弱くなるんだ、と思う。ちょっと前まで平気で出来たことが出来なくなることが多くなった。それが嫌になる。いわゆる身体がついて行かなくなるというやつだ。
　で、暑いから冷房を効かせ、その中にいると、今度とたんに寒くなる。冷房の設定温度は控えめにしているにもかかわらず、身体が冷えてしまっている。
　これはどういうことなんだろう。暑い時はいつまでも熱が身体に残り、冷房の部屋にちょっといるだけで、冷えてしまい、いつまでも寒い。要するに体温調節がうまくできなくなっている、ということなのだろう。そのためか余計に疲れる感じだ。困ったものである。


　お中元の季節である。我が家はもともとこういう贈答関係は、基本的にやらないのが主義であった。気を使うのが面倒だからである。でも、娘が結婚し、旦那のお父さんから、お中元、お歳暮が届くようになると、そうも言ってられない。で世間一般がやっているように、我が家もそうした贈答関係が始まった。しかし私たちの方は何を贈ればいいのか、いろいろ悩む。東京は何でもあるけど、結局地方の特産や銘品が集まっているだけで、その地方に行けば、買えるもので、東京ならではというものじゃない。あったとしても、見てくれのいい洋菓子みたいで、大したことがないのに見てくれで値がはるものばかり。だいたいその素材が東京以外の日本各地のいや世界中から、集めてきて作ったものばかりだ。このことはどこかで書いたような気がする。
　で、頂く方は、北海道の名産品で、これは何を頂いても美味しい。メロンなど結婚式や何かのパーティーに薄く切ったものを食べるしかなかったものが、大きく切って、ぱっくと頬張れば、ジュースがしたたり落ちる。その甘さといったら、今まで食べてきた高級メロンって何だったんだろうと思ちゃう。生ハムなどのせて誤魔化かさなくてもいい。そのままその味を堪能しちゃう。
　今年は孫が生まれてから、アスパラガスも送って頂いた。これも美味しかったなぁ。サラダに入れたり、ベーコンをまいて炒めても、最高であった。いわゆるスイーツにしたって、東京で売っているものと比べものにならないものばかり。北海道から何か届くと、ついついワクワクしてしまう。当然頂きものがあればお礼の電話を入れるのだが、そのたびにこっちが送った品物が貧相で申し訳なくなる。


　なでしこジャパンがワールドカップで優勝した。私も朝からＢＳで見ていたのだが、６時を過ぎて、いつもチャンネルに変えた。テレ朝である。テレ朝を朝見ているのは、日テレのズームインが終わってしまったからである。別にズームインのファンではないが、その後をついだ番組が朝からバラエティを始めちゃっているので、うるさくて仕方がないので、やめてしまったのである。
　それで朝は日テレからテレ朝に変えた。でこの日も出勤の準備もあるので、６時過ぎからテレ朝にチャンエルを変えた。サッカーのニュースもやるだろうと思っていたのでる。でもちっともやらない。後になってかろうじてニュースを流すが、画面は写真を写すだけ。

　おかしいな、と思った。

　サッカーと言えばテレ朝だと思っていたのにどうしてなんだろう。結局男子サッカーには力を入れるが女子サッカーは無視といった感じなのだろうか？しかし優勝しちゃったもんだから、軽く受け流すことも出来ず、かろうじて写真を画面で写し、後はアナウンサーが記事を読むことでお茶を濁したのかもしれない。男子サッカーの試合のたびに「絶対に負けられない戦いが、そこにはある」と絶叫するのに、女子だとこれだ。これってどうなのよ・・・？

　なでしこジャパンがワールドカップで優勝して、さらに墓穴を掘った人がいる。前行政刷新相である。この人やめておけばいいのに「なでしこＪａｐａｎ、優勝！！すごいです。」とツイッターに書き込んで、炎上したそうだ。
　この人スポーツ振興費などを仕分けた過去がある。それでなでしこジャパンの給料は０円～１０万円の極貧生活になってしまったそうで、あんたがそんなことを言える立場か！、というわけである。さらに「えっ？１番駄目なんでしょ？どうして喜ぶの？白々しいわ！」ともあったという。

　だよね。

　この人最近人気がた落ちだ。あれほど鼻高々になっていたのに、この震災における津波で仕分けたスーパー堤防のが見直されたり、スーパーコンピュータが二番じゃなくて、世界一になってしまった。これで地震や津波のシミュレーションがより正確に出来ると言われちゃったら、面目丸つぶれだ。それで何を言い出すかと言えば「オンリーワン」とか何とか言って誤魔化していた。
　そして今度は安易なツイッターの書き込みをして非難を浴びる始末。つい最近まで白いスーツを着て、襟を立てながら颯爽と歩いていた姿はどこへ行っちゃったんだろう？大きなことを言えば脚光を浴びることは間違いないが、その反動も考えなくちゃいけないよね。それが出来ないし、もともと間違った政治手法をしていたんだから、仕方がないと言えば仕方がないかもしれない。所詮この程度の人物だったのである。

　それでやめておけばいいのに反論をしちゃうんだな、この人。

 たぶんこれでさらにやけどをするはめになるだろう。何とか挽回したいと思うのはよくわかるが、こういうとき何を言っても裏目に出るのは世の常だ。やっちゃったことや言っちゃったものは、取り消しができないものだ。

　裏目にでると言えば、今日私も似たような立場に立ってしまった業者を相手にした。
　事の発端は、アスクルとかたのめーるとか、いまカタログやネットで文房具や消耗品を注文し、翌日配達してもらうシステムが普及している。そこに新規参入というか大きく手を広げようと、大手コピーメーカーが飛び込みでやってきた。たまたま私の会社でここのプリンターを使っているものだから、消耗品としてインクが必要となる。今は大塚商会で注文しているのだが、メーカが直なら、もう少し安くなるのではないかと、その“飛び込み氏”に見積を持ってこさせた。二度ほどやりとりして、彼は大分安くしてくれ、じゃあ、取引しようということになった。
　ところがその彼は研修期間の人間で、その研修が今日終わり、来週から違う地区に配属となると言ってきたのである。おいおい、おたくこの地区の担当って言っていなかったっけ？私はおたくの会社と取引したいと思った訳でなく、あんたが一生懸命頑張ってくれたから、付き合おうと思っていたのだ。それがこれか？と不愉快になり、それを言ってしまった。もちろん人の会社の人事に口を挟むことなど出来ないけれど、私はこの地区の担当だと言った彼を信頼しようとしていたのに裏切られた気分であった。もちろん性格柄黙っていられないので、はっきりとそれを言った。
　そのときは別の用件で来てもらったので、用件を済ましたが、やっぱり不愉快であった。でもどうでもいいや、と思っていたところに、やめておけばいいのに彼はもともとこの地区の担当者を連れてまたやってきた。これがダメだ。また思い出しちゃったのである。相手は何とか私の気分を変えたいと思ってやってきたのだろうけど、思い出した分、不快指数が倍増することとなった。要するに起死回生を狙ったのが裏目に出てしまったわけだ。
　適当に相手をし、「わざわざこの暑い中ご丁寧に」とお引き取りねがった。正直この会社とは付き合えないと思っている。せっかく登録した“飛び込み氏”のアドレスは削除しよう。
　私が難しい人間なのかもしれないが、私が感じたことはおかしなことだろうか？今はネットの普及で人の顔を見ない取引が当たり前のようになっているけれど、ちょっと困ったことがあったとき、頼もうと思うのは思い浮かんだ顔の人物ではないだろうか？そういう関係を多く持ちたいと思うので（もちろん煩わしいことも多いが・・・）、私はそうした関係も大切にしたいのだ。

        
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    <title>また思うままに三話</title>
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    <published>2011-07-15T09:06:18Z</published>
    <updated>2011-07-15T09:07:30Z</updated>
    
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        　昨日アマゾンで注文した本と、同じアマゾンのマーケットプレイスで注文した古本が同時に届いた。手元には今読んでいる文庫本と一昨日書泉で買った本があり、ついついほくほくしてしまう。これが私の至福の時で、今読んでいる本を読み終えたら、次はこれを読もうか、それともこっちにしようか、と悩む。まぁどれから読んでもいいのだけれど、いずれも早く読みたいのは一緒で、結局マーケットプレイスで買った古本を次に読もうと考えている。
　手元にある本をあれこれ触りながら、あるいは上表紙を外して、本そのものを眺めたり、古本の状態を確かめたり、ページをめくり、目次を眺めてみたり、冷房の効いた部屋でソファに座り、ひとときを過ごす。
　アマゾンで買った本はずっと探していて、中身を見てから買おうと思っていた本なのだが、新刊書店では在庫されていない本である。何度かカートに入れては出しをくり返していたが、意を決して今回購入した。
　もう一冊は吉村昭さんの本を読んでいて、この人ならきっと何か本を書いているはずだと思い、もし書かれているなら、きっと面白い本だろうと感じていた。ネットで検索すると、確かに本を書かれている。しかし定価が高い。税抜きで２，２００円である。ちょっと考えちゃう値段ですよね？
　で、中古を探してみると３２０円である。コメントでは“状態が良い”と書かれている。送料２５０円を足しても６００円でおつりがくる。これだね、といって購入した。送ってくれる古本屋さんは福岡にある。
　もう何回かも書いているから、いい加減同じことを書くのは申し訳ないが、でも書いちゃう。送料２５０円出せば、全国の古本屋さんから本を手に入れることが出来るシステムは、ネットならではとはいえ、すごいよな、と思う。どう考えたって２５０円で福岡まで行けやしない。しかも冷房の効いた部屋でパソコンを操作しながら、ワンクリックでいいのだ。後は２～３日待っていればいいのだ。
　それにしても至福の時は結構だけれど、気がついたら今月本を買いすぎている。財布にあると思っていた虎の子が一枚しかない。まだ給料日まで２週間ほどあるし・・・。まぁボーナスで補填するしかないなと、現実を実感する。
　さて今読んでいる文庫本を早く読んで、次に行きましょうか・・・。


　昨日３年ぶりにメガネを作り直した。今のメガネを使っても、パソコンや本の文字がぼけてしまうことが出て来たからだ。視力が落ちてきているのだろう。一日中パソコンの画面を見ているし、本も毎日読んでいる以上、視力が落ちてきて当然である。
　３年前と違い、レンズも大分進化しているようで、見える文字がソフトにしかもくっきりと見えるようになっている。フレームもメガネのつるが耳に引っかかるタイプでなく、最近スポーツ選手がしているサングラスのようになっている。同じメーカーが眼鏡用のフレームを作ったとのことで、これだと耳に引っかかる感じがしない。そのため長時間かけていても耳が痛くならない。これはいい。ちょっと高かったけれど、これにした。もちろん当初の予定より予算オーバーとなった。
　よくチラシやテレビの宣伝でレンズ、フレーム込みでかなり安く出来るようなことを言っているが、あれって、本当にそうなのと思ってしまう。私の場合どうしてそんなに安くは出来ないのか？出来ればその範囲で収まってくれればうれしいが、なんかそれを言うとせこい感じがしてしまうので、結局何も言えないまま、言いなりで作ることとなった。まぁ安いものを買って、合わなかったり、壊れたりしちゃったら意味がない。ある程度長いことを使うものだし、私には公私共々必要なものだから、少々無理をした。


　そのめがね屋さんの前の貸店舗が空きのままになっていたが、本屋さんが出来るらしい。ここは一階が貸店舗で上はマンションとなっている。今は内装工事をやっているらしく、目隠しされている。外には申し訳ない程度に書店スタッフ募集の案内が貼られていた。それを目をこらして見て、初めてここが本屋になることを知った。
　この場所は駅前ということで一等地には違いないのだが、初めはドラッグストアで、次が親子カフェに変わり、いずれも長続きはせずに撤退している。家賃は高そうで、しかしその割には集客力のない場所といっていい。要するに採算の合う場所ないということだ。しかも今は節電のため駅前の広場の街灯が消されていて、かなり暗い。ここにお店を開いても、どうかなあと思ってしまう。
　そこに懲りずに本屋さんが入ってくるというのだから、馬鹿か、それとも情報収集力がよほどないのか、どこの本屋が入ってくるのかその貼り紙をよく見てみると、正育堂と書いてある。聞いたことがない。ネットで検索したら、東京西部や埼玉で書店や文具店をいくつか展開しているようだ。なるほどこれで情報収集力がないことに納得した。
　今の時代本屋さんはどんどん撤退しているご時世である。出版不況と言われてもう久しい。本が売れない時代である。リアル書店が厳しい時代である。
　その上ここは本が売れるところでない。正直言って本を買い求める人が多くいる場所じゃない。だからかなり市場的に厳しいだろうと予測される。
　ネットで検索していたら２ちゃんでスレッドが立っていて、これが面白い。また深く同意してしまった。


たぶん本屋は半年で潰れるよ○○○（駅の名前）に読書の文化はないよ
それに読む人は勤め先の大型で買うし参考書類は近隣の学校見れば
期待できないの分かる、むしろ万引きされる。
ポパイ（レンタルＣＤ屋）の前が本＋ＣＤ屋だったけどすぐ潰れちまった。 


私は違うとかでなく営業していけるだけの本を買う人がいるかどうかだよ
いれば○○堂も撤退していない
また&gt;&gt;337見たいな品揃えにうるさい人はこんな郊外では論外な客
アマゾンで我慢するか池袋にでも住んだ方がいいよ 


　○○堂は駅の反対側にあるビルに入っていた書店であったが、ここも薄暗い店内で、いつ潰れても仕方がないな、といった感じのお店であった。本屋は最初駅の３階にあったのだが、そのうち１階に雑誌だけの店舗を出したら、余計に３階はうら寂れていった。私も滅多に行かなかったが、たまに行っても、探している本があったためしがなかった。
　出口にある階段には悪ガキがいつもつるんで座り込んでいて、通るのに邪魔で仕方がなく、何度か悪ガキに「邪魔だよ、どけよ」と言ったことがある。そしてつい最近撤退した。
　個人的には地元に今、本屋さんが一軒もないので、本屋さんが出来ることはうれしいが、何となくお店の状況が目に浮かんでくる。オープンは品揃えをばっちりして来るだろうが、それがだんだん薄くなってきて、うら寂しい感じが漂っていく。オープン時の華やかさを知ってしまったら、その感じは余計に強くなるだろう。
　前にあった親子カフェにベビーカーに乗っていた子どもが悪ガキ予備軍となって走り回り、本を散らかしていくことだろう。きっと万引きにも悩まされることだろう。
　頑張って欲しいところだが、前途が厳しい気がする。

        
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    <title>思うままに三話</title>
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    <published>2011-07-08T22:15:09Z</published>
    <updated>2011-07-08T22:15:42Z</updated>
    
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        　孫のお宮参りに先日行ってきた。場所は水天宮である。自宅から行く場合半蔵門線を使って水天宮駅まで行くこととなる。ところがこの駅、水天宮口から地上に出る場合、エレベーターもエスカレーターもないのである。階段を上がるしかないのである。これには驚いてしまった。水天宮とは安産祈願やお宮参り、あるいは七五三など妊婦や乳幼児や小さな子どもを抱える人が行く場所である。そこの入り口である。そこにそうした配慮のないのである。私どももベビーカーで寝ている孫をかかえ、さて、どうしたもんか、悩んだ末、二人がかりでベビーカーを抱え階段を上っていった。この暑いさなかである。あきれかえってしまう。遠回りすれば地上に出るエレベーターがあるらしいが、駅にわざわざ水天宮口はこちらと書いてある案内表示通り出たら、これである。まったく空いた口がふさがらない。
　東京メトロのホームページにある「安心への取り組み」を読むと、“誰もが使いやすい地下鉄へ”とか“ご高齢のお客様やお身体の不自由なお客様をはじめ、すべてのお客様に安心・安全にご利用いただくことも大切なサービスだと考えています。地上の出入口とホーム、および通路のスムーズな行き来のためにエレベーターやエスカレーターをはじめ、スロープ、視覚障がい者誘導ブロック、構内点字式案内標を設置するなど、鉄道施設のバリアフリー化に取り組んでいます。”書いてあるが、ちっともそうじゃない。
　水天宮駅はエアーターミナルへ行く場合も使われる。そちらには地上に出るエレベーターが設置されている。要するにこの駅にとってどっちが大事なお客さんかと言えば、こっちの出入り口を使う人なんだろう。でもバリアフリーというのは弱者のためにあるもんじゃないの？それを利用頻度によって差別し、どちらかといえば妊婦や子どもが頻繁に使う出入り口をないがしろにしているのである。
　水天宮はちょっと高い位置にある。急な石段を上がっていったところにある。でもここは通りからすぐ神殿のあるところへ行けるエレベーターが設置されているので、ベビーカーでも楽に上がれる。社務所もお宮参りの着替えや授乳室があって、もちろん冷房もされている。お祓いをしてもらう神殿内も、冷房が効いている。
　外に置いても、この暑さである。氷が入っている桶が何カ所に置かれていて、そこには使い捨てのおしぼりが入っていて、自由に使っていいようになっている。当然といえば当然のことかもしれないが、それでもそれだけ配慮してくれるだけでうれしいものだ。警備員もやさしく、カメラのシャッターを押してくれないかと頼めば、気安く応じてくれた。
　とにかく暑いので孫に何かあちゃまずいということで、早めに切り上げ、水天宮を後にした。が、帰りも地下鉄に乗るため、ベビーカーを抱え階段を下りることとなった。こうなるとこの駅に腹が立ってくる。何とかならないのか！東京メトロよ！どこが“誰もが使いやすい”のだ。教えてくれよ、と毒づきたくなった。


　初めて会社のパソコンで算定基礎をやる。もちろん大塚商会の担当にレクチャーを受けてからやったのだが、そのとき彼女がちょっと営業をやっていく。ユーザーの要求だけをやるだけじゃなく、営業もやってこいというところなのだろう。まぁそれが会社の方針なんだから仕方がない。お世話になっているところもあるから、話だけは聞く。
　内容はパソコンデータをサーバーに保管するシステムがあるからそれを利用しませんか、というものである。要するにこの震災で会社の重要なデータが入っているパソコンが壊れたり、電力不足で急に停電などなった場合、パソコンだけでなくデーターもパアーになっちゃうから、バックアップ機能として大塚商会がサーバーを提供するというものである。
　なるほどこういう状況だから、このような商売も成り立つんだなと思った。商魂たくましいものだ。でも単に感心しているだけじゃなく、確かに大塚商会が不安を煽る言い分には一理ある。もちろん今も外付けのハードディスクをバックアップとして使ってはいるが、これも電源が失われたらダメになる可能性がある。
　だからといってこれ以上大塚商会の言いなりになるのもしゃくなので、こっちで自主的にデータバックアップを取ることにした。大きめのＵＳＢメモリーで何とか間に合うので、これで十分だ。後は定期的にバックアップを取ることすればいい。そのままＵＳＢメモリーは金庫にしまってある。
　大塚商会とは担当者と腐れ縁となってしまって、まずいなとは思っている。もちろん特別な利益供与があるわけではない。ただ性格的に一方に偏ってつきあうことがきらいなのだ。
　その担当者はもしかしたら異動があるかもしれないと言っていた。去年も言っていたのだが、今年はさらに可能性が出てきたらしい。そして話を聞いていると、今年は今いる営業所から仙台へ異動になる人間もあると言っていた。

　それを聞いた私は、

　「おお、行ってこい、行ってこい。がれきの片付けをして、少しは人様の役立つことをやってこい！」

　とチャカしてやった。
　７月になって結局彼は異動しなかった。また１年付き合いが続くこととなった。


　喫煙者にとってライターは必需品である。私は１００円ライターを使っているのだが、そのライターがガス欠となり、新しいのをコンビニで昨日買った。レジのカウンターの前にあるライターを取って、１１０円を用意していた。頭の中で１００円か１０５円だろうと考えていたのである。ところが１２０円ですと言われ、ちょっと戸惑ってしまった。ライターもこの震災で値上がりしたのかなと一瞬思った。慌ててもう１０円を取り出した。
　手にしたライターは子どもの事故を防ぐために着火ボタンを重くしてあると書いてある。なるほどこのために値段が上がったんだなと理解する。１２０円が釈然としなかった部分があったので、これで納得した。でもちょっと火がつけにくいことはつけにくい。一方でこれで大丈夫なのかなという、一抹の不安も残るが、まぁこれ以上安全性を強調したら、それこそ簡単に火がつけられないことになり、喫煙者にとってはある意味不便だ。もしこれ以上の安全性を求めるなら、子どものそばにライターを置かなければいいだけのことだと思うのだけれど・・・。あるいはタバコを吸わなければいいのだ。でしょ？
        
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    <title>村上春樹さんのカタルーニャ国際賞スピーチに寄せて思ったこと</title>
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    <published>2011-07-07T02:42:58Z</published>
    <updated>2011-07-07T02:44:27Z</updated>
    
    <summary>　相変わらず福島の原発は先が見えない状態である。もう震災から３ヶ月以上過ぎても、...</summary>
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        　相変わらず福島の原発は先が見えない状態である。もう震災から３ヶ月以上過ぎても、放射能はまき散らされ続けている。こういう状態なので、日本だけでなく、世界で“原発ノー”と脱原発が言われている。でも原発がなくなれば、電気はどうするんだ、と思う。ニュースで脱原発を訴える団体などがデモをしているのを見て、この人たち原発を否定するのは結構だけれど、不足した電力に対してどう考えているんだろう、といつも考えてしまう。
　本当に原発を否定するなら、自分たちがそれまで使っていた電気の節約は当然しているんですよね。まさか、デモの後、冷房の効いた喫茶店でコーヒーなど飲んでいませんよね。あるいは自販機で冷えたペットボトルなど飲んでいませんよね。だってそれらみんな電気を使っているんだよ。ただでさえ電力不足なのだから、そこに原発を否定しているのだから、そんな電気は使えませんよね、と思うのだ。
　私は原発否定論者をけなしている訳じゃない。だけどそれを簡単に否定して、その代替えはどう調達して来るんだろう、と思うのだ。原発なしに今のライフスタイルが維持できる訳がなく、当然不便を伴う。極端な話生死の問題に関わってくることだってあるだろう。それくらい今のわれわれが使っているインフラは電気を使っているのだ。それがいきなり使えなくなっても仕方がないことを折り込み済みで反対運動をしているのかな、という疑問があるのである。私は彼らの主張は村上春樹さんが言う「非現実的な夢想家」の言い分じゃないかとどうしても感じてしまうのである。
　私は何度も言うように彼らを否定している訳じゃない。どちらかと言えば同じ考え方である。だけどいくらもう原発はこりごりだと言っても、今の私たちはそれを完全に否定できない状況下に置かれちゃっているのだ。村上さんはこのことを次のように言っている。

　そして気がついたときには、日本の発電量の約３０パーセントが原子力発電によってまかなわれるようになっていました。国民がよく知らないうちに、地震の多い狭い島国の日本が、世界で三番目に原発の多い国になっていたのです。

　そうなるともうあと戻りはできません。既成事実がつくられてしまったわけです。原子力発電に危惧を抱く人々に対しては「じゃああなたは電気が足りなくてもいいんですね」という脅しのような質問が向けられます。国民の間にも「原発に頼るのも、まあ仕方ないか」という気分が広がります。高温多湿の日本で、夏場にエアコンが使えなくなるのは、ほとんど拷問に等しいからです。原発に疑問を呈する人々には、「非現実的な夢想家」というレッテルが貼られていきます。

　それでも私は村上さんの言うことを支持したい。


　我々日本人は核に対する「ノー」を叫び続けるべきだった。それが僕の意見です。

　我々は技術力を結集し、持てる叡智を結集し、社会資本を注ぎ込み、原子力発電に代わる有効なエネルギー開発を、国家レベルで追求すべきだったのです。たとえ世界中が「原子力ほど効率の良いエネルギーはない。それを使わない日本人は馬鹿だ」とあざ笑ったとしても、我々は原爆体験によって植え付けられた、核に対するアレルギーを、妥協することなく持ち続けるべきだった。核を使わないエネルギーの開発を、日本の戦後の歩みの、中心命題に据えるべきだったのです。

　これだけの震災や津波によって「我々日本人が歴史上体験する、二度目の大きな核の被害」となってしまった以上、もう一度日本人が核に対する拒否感を自覚すべきだと思う。原子力はちっとも効率のいいエネルギーじゃないことをわれわれはこの震災で知ったはずだ。その被害金額を算出したら、絶対にそんなことは言えないはずだ。その補填を電気料金値上げや増税で負担されるのだ。電力会社が潰れ兼ねない状況なのだ。
　そして何よりも、未来のある子どもたちを危険にさらしているのだ。人々の心のよりどころであるふるさとを奪ったのだ。だから私はかなり遅いかもしれないが、これからでも核に対する「ノー」を叫び始めていいと考えている。たとえこれまでの生活が享受できなくなっても仕方がないと思う。耐えなければならないことがたくさん出てきても、もともと不安定なものに頼ってきたシステムはいつかこうしたことが起こるはずだ。それが早いか遅いかだけのことだ。それよりも安全なシステムを考え、その中で安心出来る生活をすべきだと考える。もう効率や生産性やお金に最重点に置くのではなく、きちんとした負担をすることで安全を担保し、心穏やかな生活が出来ればいいのではないか。何でも便利になればいいというものじゃない。不便でも手間がかかろうとも、だからこそそれに実感でき、手で感じることができる生活があるのではないか、と思う。

　３月１１日午後２時４６分に日本の東北地方を巨大な地震が襲い、地球の自転が僅かに速まり、一日が百万分の１．６～１．８秒短くなるほどの規模の地震であった。
　私はあの日に帰宅難民になりかねた。まだ肌寒い夜を２時間半歩いて家に帰った。吐く息は白いのに、身体は熱を持って暑い不思議な感覚であった。そのとき私の中で何かが弾けた。
　今まで動いていることが当たり前の電車がすべて止まり、車も渋滞で先に進まない。頼りになるのは自分の足だけだ。当たり前に動いているものが、実は危ういものであり、いつもどんなときでもそれが動いているとは限らないと知らされる。
　一方黙々と歩くなか、いつの間にかそれが身体の中で目的としてはっきり実感できるのだ。時間がかかる分、疲れが足から伝わることで、オレは家に向かって歩いているんだ、と感じた。妙な充実感ともいえるものを感じた。
　わずか２時間半しか歩いていないが、それでも私は今まで自分が持っていた価値観が少しずつ崩れていく感じを味わった。何の疑問もなく、定時になれば仕事を終え、無意識に駅に向かい、来た電車に乗る。便利でスピーディーと整備されたインフラに乗って、家に帰る。当たり前のように。それがたった大きな地震一つあっただけで、身動きとれなくなる。当たり前に動いているものが、ちっとも当たり前じゃない。便利であった物が、ただの物体と化し、機能を果たさない。
　私たちの価値観や生活はこうした危ういものの上に成り立っていた。しっかり地に足をつけていたと思っていたものが、そうじゃないことを知らされる。
　これが始まりであった。震災地では、家も車も電気製品も、何もかもがれき化した。形をなさないものに破壊され、機能しないものと化す。原発は制御不能になり、電力が不足する。その結果、震災地から離れた東京でも、電気が突然止まり、すべてが動かなくなる。人類の進歩は大きく時を戻し、それがなかった頃に逆戻りする。人々は今まであったものがなくなってしまったことで、単に昔の何もなかった頃に戻っただけなのに、人はそこに簡単に戻れない。呆然とするだけである。
　結局科学の進歩や技術の進歩は人類の妄想であって、さもわかったようしても、何もわかっちゃいなかったし、多少危険であっても、制御出来れば問題ないというのは、ただの奢りであった。すべてが効率と拝金主義がそれを促進してきただけであって、多少のリスクには目をつぶっちゃいましょうよということで推し進めて来ただけあった。ちっとも多少じゃなかったのだ。ここまで完膚なきまで破壊されなきゃわからない、人類の進歩って何だったんだろう。震災直後東京都知事がこの震災の被害は奢りがそうさせたものだと、至極まともなことを言っていたけれど、私はその通りだと思っている。
　すべてが破壊され、なくなり、身動きがとれなくなった現代生活の虚構があらわにされた時、人の精神にも大きな不安感を残していく。きっと私もあのとき薄々それを感じつつあったのではないか、と思っている。
　あのとき私はただでさえ精神的に不安定になっていた頃で、この震災がさらに追い打ちをかけ、無力感に苛まれた。確かに私は半ば茫然自失の状態が続き、何も手につかない日々が続いた。自分にとって何を頼りし、足がかりにしていいのか、その根拠となるものがわからなくなってしまったのだ。不安で仕方がなかった。夜など薬を飲まないとなかなか寝付けなくなっていく。おそらくこのままの状態が続いたら、私の精神はおかしくなる一方であっただろう。もちろん本など読むことができなかった。
　でも一方で日々の生活がある。私が個人的にまいっていても世の中は動いている訳で、世捨て人でなければ誰だってそうした波にもまれてしまう。そのため私は無理しながら生きていくこととなった。もちろんめちゃめちゃ疲れる。でもこうした無理は少しずつ回復に兆しを与えていったのではないか。どこかで私は自分の精神を立て直そうとしていたのではないか。それは何だろう。


　村上さんは次のように言う。


　ここで僕が語りたいのは、建物や道路とは違って、簡単には修復できないものごとについてです。それはたとえば倫理であり、たとえば規範です。それらはかたちを持つ物体ではありません。いったん損なわれてしまえば、簡単に元通りにはできません。機械が用意され、人手が集まり、資材さえ揃えばすぐに拵えられる、というものではないからです。


　壊れた道路や建物を再建するのは、それを専門とする人々の仕事になります。しかし損なわれた倫理や規範の再生を試みるとき、それは我々全員の仕事になります。我々は死者を悼み、災害に苦しむ人々を思いやり、彼らが受けた痛みや、負った傷を無駄にするまいという自然な気持ちから、その作業に取りかかります。それは素朴で黙々とした、忍耐を必要とする手仕事になるはずです。晴れた春の朝、ひとつの村の人々が揃って畑に出て、土地を耕し、種を蒔くように、みんなで力を合わせてその作業を進めなくてはなりません。一人ひとりがそれぞれにできるかたちで、しかし心をひとつにして。

　その大がかりな集合作業には、言葉を専門とする我々＝職業的作家たちが進んで関われる部分があるはずです。我々は新しい倫理や規範と、新しい言葉とを連結させなくてはなりません。そして生き生きとした新しい物語を、そこに芽生えさせ、立ち上げてなくてはなりません。それは我々が共有できる物語であるはずです。それは畑の種蒔き歌のように、人々を励ます律動を持つ物語であるはずです。我々はかつて、まさにそのようにして、戦争によって焦土と化した日本を再建してきました。その原点に、我々は再び立ち戻らなくてはならないでしょう。

　結局もとあった生活に戻れることが一番いいわけで、私にとってそれは本を読むことであった。本を手にすることであった。だから少しずつ本を読もうと思い始める。本を読むことで、それまでの日常を取り戻せるように思えたのである。もちろん長時間本を読むことは出来ないし、固い内容の本は読めなかったが、それでも時に本の内容に癒されるようになってきた。村上さんの言う「新しい言葉」と「生き生きとした新しい物語」の中に自分を置けるようになってきたのである。こんな自分でも投影出来る。言葉一つひとつに反応できる。やっぱり本はいいものだ。そう思い始める。

　心がわずかだが落ち着き始めた頃、私に孫が出来た。これがさらに大きな救いとなった。ただ寝て、泣いて、ミルクを飲んでいる彼女だけど、私は彼女の寝顔、泣き顔を見ているだけで落ち着いていくのがわかっていく。そしてこの子を抱いていると、腕の中でわずか５キロに満たない重みを実感でき、ここに命が生きているということを感じられた。孫が私の腕の中で安心しきって寝ている姿を見て、私は安心とはこういうものではないか、と思ったのである。

　私に必要なのは物ではなく、村上さんが言うような言葉や物語であり、何よりも生きている命であり、安心であった。孫がこんな私でも頼りにしてくれることがうれしかった。

　そうこうしているうちに、約三ヶ月間苛まれた不安感、不安定感が徐々に薄れていくのを感じられるようになってきた。何となくもとの生活に戻れそうな気持ちになってきている。これからは少しずつ書いていこうと思っている。まずはここで、どうでもいいような話を書いていければ、と思っている。

        
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    <title>思うままに　その３３</title>
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    <published>2011-02-13T21:11:50Z</published>
    <updated>2011-02-14T08:48:04Z</updated>
    
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        <![CDATA[　最近のマニュアルがＰＤＦファイルのものが多く、必要なら自分で印刷してね、といった、半ばお座なりな、半ばエコ的なものになっている。昔ワードが出た頃のことをふと思い出す。ものすごい厚さのマニュアルが付いていて、その厚みと重みでうんざりしてしまったものであった。
　そういえばsoftbankの安い携帯を買ったとき、マニュアルも充電器も付いていなかった。そのことを店員に聞くと、値段を抑えてある分、マニュアルとか充電器は付いていません、ときっぱり言われた。まぁ私は通話とメールが出来ればそれ以上の機能を求めていなかったので、安い携帯で事足りる。今流行のスマートフォンなど欲しいとも思わなかったし、今でもそう思っている。だから携帯はそれでいいのだが、マニュアルと充電器は必要じゃないかと思ったので、さらに店員に聞いたらマニュアルはネットからＰＤＦファイルをダウンロード出来るし、充電器は家にあるもので使えるとわかり、納得して帰った。

　ところでマニュアルのＰＤＦファイルなのだが、必要なところを見ればいいのだろうけど、それを画面上で探すのは結構大変だ。結局すべてをプリントアウトすることになる。ところが会社のプリンターはモノクロのレーザープリンターで、それで印刷すると、カラーの部分がつぶれてしまうことが多い。しかも両面印刷が出来ないから、膨大な枚数になってしまう。これはまずいな。せっかく印刷しても見えないんじゃ意味がない。出来れば厚みもないのが精神的に望ましい。
　仕方がないので、オカモトヤの担当者に無理を言って、Canonの最新のプリンターを安く分けてもらう。それを使ってマニュアルをプリントアウトすると、あら不思議！どういう風になっているのかよくわからないが、きれいに両面印刷をがんばってやってくれる。しかも我が家にある化石的なカラープリンターと違い、コンパクトでスタイリッシュで、しかもプリントもきれいだし、スピードも速い。刷り上がったマニュアルを見て、これならいいと満足する。
　ところで今年は毎年業者からもらう卓上カレンダーが手に入らなかった。一つだけ大塚商会がくれた、あのだじゃれの犬だかなんだか知らないが、そいつが出いている卓上カレンダーだけであった。
　どうも世の中、不景気が続くと、こうしたものが経費削減の的になるようで、年々数が減っている。今年はこれだけだから使わざるを得ない。しかしこれ悪趣味なのでどうも使う気にはなれない。
　かといって事務所に一つもないのも不便で、諦めていたところ、プリンターの附属ソフトでカレンダー印刷が付いていて、デザインはネットで選べる。ちょっとのぞいてみたら、これはいいというのがあったので、早速新しいカラープリンターで印刷して、切り取って、昨年のカレンダーと入れ替えてみた。すっきりしていて見やすい。絶対にこの方がいい。なんかちょっと得した気分になった。（２月２日）


　先日事務所で長いこと使っていた自転車を買い換えたことを書いた。今は新しい自転車に買い換えた以上、それに乗るしかないので、乗っているが、どこかしっくりこない。もちろん新しい自転車は、変速ギア付きだから、乗り心地は悪くない。新車だからタイやにも空気がパンパンに入っているし（当たり前だ）、ブレーキだってよく利く。
　なのにどこか違和感を感じるのである。今までの自転車はタイヤの空気はすぐ抜けるし、ブレーキは利かない。サドルも動く。「この野郎！」毒づいて乗るのが日常化していた。問題があることが当たり前になっているのが、日常であったわけだ。それが何もかもなくなって、快適になっているのが、今ひとつ私の中でしっくりこない。

　もう何十年も使っている手提げ金庫がある。おそらく私がこの会社に入る前から使われていたものであろうと思う。この金庫は鍵付きなのだが、その鍵がどっかにいってしまっている。でも小口現金を入れておくには何ら問題がない。だから長いこと使い続けてきた。しかしこの金庫の手提げの金具がとれるようになってしまった。取り上げることが出来なくなり、抱えて取り出し、とれた金具をイライラしながらはめ込むのだが、たぶん止まるところが摩耗してしまっているのだろう。すぐとれてしまう。はめ込み口に詰め物をしているのだが、やはりダメだ。
　で、結局新しい金庫を買うことにする。最近の手提げ金庫は、小銭を入れる入れるところもちゃんとついていて機能的である。値段もそう高いものじゃない。でも、これも慣れるまで違和感を感じながら使うことになるんだろうな、と思う。
　問題があることが日常化しているのに慣れているものだから、それが当たり前のこととして受け入れている。だから問題があることを問題として認識していない。“しょうがない”と諦めている。それが新しいものと取って代わって、機能的にストレスも感じることもなく、使えることがかえって物足りないなりそうである。
　自転車もそうである。以前前輪を全部取り替えて、７千円以上取られたことがある。それを７千円も出すなら新しい自転車を買った方がいいだろう、社長に言われたことがある。確かにそうである。でも私は使えるものなら修理して使った方がいいとしか考えなかった。それは私に馴染んだものだから、手放したくないという気持ちもあるし、それがそこにあることが私の日常であるから、それを変えたくないという気持ちからかもしれない。たとえオンボロであっても・・・。
　私は新しいものを受け入れるより、今まで使ってきたものを使い続ける方が、精神的に楽なのである。壊れていても、何とか使えるなら、気持ちの上で楽なのだ。何でも新しいものに変えることの方が、今はストレスを感じてしまうのである。これもたぶん歳のせいであろう。だんだん私は保守的になっているのだ。きっと。（２月９日）


　最近帰り道にある中古カメラ店のショーウィンドウに置いてあるカメラが気にかかる。カメラはオリンパスペンである。


<a href="http://www.k-moto.net/daily32/archives/2011_02_14_01.jpg"rel="lightbox"><img alt="2011_02_14_01.jpg" src="http://www.k-moto.net/daily32/archives/2011_02_14_01-thumb.jpg" width="320" height="240" /></a>


　知ってますか？

　これを見かけたとき、思わず、あっと言ってしまい、ショーウィンドウに近づいてしまった。これ実家にあったのだ。
　家に最初にあったのはヤシカの安い方のカメラであった。これはピントも露出も手動で合わせるものだったはずだ。たぶんそれが面倒になって、簡単に写真が撮れるこのオリンパスペンを買ったのだろう。しばらくこれで家族写真を撮っていた。遠足や修学旅行などに持って行った記憶もある。
　その後私のカメラ歴はあれこれ変わっていって、今はデジタルカメラになっているけど、このカメラをガラス越しに見て、これにフィルムを入れて、撮ってみたいなという気持ちになった。フィルムを巻き上げる感覚、使い終えてパトローネに巻き上げる時の感覚、すべて手動。今になってみるとあれがよかったな。当時は結構面倒くさかったけれど、今はそういう感覚が体験できないもんんね。
　村上春樹さんのエッセイを今読んでいるのだけれど、村上さんが愛着のあるＬＰレコードの良さを語っている時、「まさかＬＰレコードが他にとって替わられるなんて思ってもみなかった」と書かれているが、カメラもフィルムも同じである。デジタルが当たり前になってしまうと、こういうアナログ的なものが妙に懐かしくなる。手に取ってその実感が感じられたことがよかった。存在感が手間のかかる分、ずっしりと感じられたものだ。
　何枚もピンぼけの写真があり、こんなもの現像しなくてもいいのに、律儀な写真屋さんは３６枚フィルム全部を焼き付けてくれる。もちろんその方がお金になるだろうから、そうしているといえばそれまでだが。それにいつもフィルムの残り枚数を気にしつつ、写真を撮るなんて、今じゃ考えられないものな。

　村上春樹さんの本に紹介されていた高橋秀実さん『からくり民主主義』（新潮文庫）をブックオフで見つけ、ゲット。３５０円。次これ読もう。その後書泉で横田増生さんの『潜入ルポアマゾン・ドット・コム』（朝日文庫）を９２４円で購入。この本単行本では既に読んでいるが、文庫化にあたり大幅加筆と帯に書いてあって、それが気になっていた。どうやら単行本の時から、その後のことが書かれているようだ。買おうか、どうしようか、迷った末、思い切って買うことにする。（２月１０日）
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    <title>思うままに　その３２</title>
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    <published>2011-01-28T04:02:36Z</published>
    <updated>2011-01-28T04:18:59Z</updated>
    
    <summary>　ＮＨＫの朝の連続ドラマを目にした。それまでのストーリーがどうなっているのかまっ...</summary>
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        　ＮＨＫの朝の連続ドラマを目にした。それまでのストーリーがどうなっているのかまったく知らないが（今回はハマっていない）、たまたま主人公の女の子が正月に実家の尾道に帰っている。ただこの女の子大阪でお好み焼きやをやっていて、どうしても店のことが気になって仕方がない。そこで大阪の祖母に店のことをあれこれ電話で聞いている。その電話を父親が聞いている。その子は明日帰るからと何度も言うのを聞いて、父親は怒り出す。娘は実家に帰って来ているのだから大阪には“帰る”ではなく、“行く”だろうと言うのである。
　これを見ていて私と同じだな、と思った。たまたま暮れから正月三が日が終わるまで、娘が帰ってきていて、４日に帰った。娘にとって帰るところ実家ではなく、旦那と住む部屋なのである。それはよくわかる。けれどここはおまえにとって実家だろう、という思いも私にあるから、「４日に帰る」と言われると、どこかしっくり来ない。まったくこのドラマの父親と同じ気分を味わった訳だ。
　正直なところ、久しぶりに家族四人が揃い、一緒に食事をしたりすると、娘が帰った後はやっぱり淋しかった。普段ちょっと遊びに来るのとは違い、約１週間も娘と顔をあわせていたから余計なのだろう。
　もちろんそんな私の感傷など、娘が幸せにやっているのだから、どうでもいいのは当然だ。でも私の気持ちにいつまでも一緒にいられればいいなあ、という気持ちが抑えきれない。だから“帰る”といわれるとやっぱり淋しくなるのは仕方がない。子供達が独立しても、親はいつまでも子供達のことを心配し続けなければならないのだから、親というのはいつまでも損な役回りだな、と思ってしまう。
　そんなことを感じながらこの１５分のドラマを見ていたのであった。やれやれ新年早々感傷的になり我ながらうんざりしてしまう。（１月５日）


　幸田露伴の『五重塔』（岩波文庫）４２０円。書泉で購入。（１月１２日）


　今年は本当に寒い。歳もあるのだろうが、やたら寒さがこたえる。暖房のきいた事務所や家の部屋にいても、寒くて仕方がない。新年早々、様々な手続きのため、あっちこっち関係各所へ出かけた。寒い中外へ出る機会が多かったので、風邪をひいた。風邪気味な時にとどめに薬剤師会の賀詞交歓会など出席して、余計にひどくなった。早々に山の上ホテルを出たが、身体がガタガタ震える。
　翌日も寒くて、体温を測ったら、８度５分もある。おかげで土日は寝込んだ。月曜になって熱は下がったので、仕事もたまっているので事務所に出る。しかしのどは痛いし、咳は出るし、そもそも身体全体がだるくて仕方がない。結局自宅の近くにある診療所へ行って薬を出してもらう。（１月１８日）

　先週はそんな感じで過ごした。おかげで何もする気も起こらず、だらだら過ごす。もちろん本を読む気など起こらないし、文章も書く気にならなかった。
　そこへ持ってきて今度は持病の腰痛が出てきて、立ち上がったり、座ったりする時、苦痛でならない状態が今も続いている。まったく年明けからろくなことがない。
　それでも何とか本が読める状態になりつつあるので、読み始めるのだが、どうも読みづらい。めがねの度数が合わなくなっているいるみたいだ。老眼が進んでいるのだろう。やれやれめがねも作り直さないといけないようだ。


　綿貫智人著『リストラなう!』 （新潮社）　１，３６５円、北尾トロ著『裁判長！ 死刑に決めてもいいすか』(朝日文庫) ６０９円、有隣堂で購入。（１月２０日）


　吉村昭著『鯨の絵巻』（新潮文庫）をブックオフでやっと見つける。２５０円であった。（１月２６日）


　事務所で長年乗っていた自転車のサドルが壊れた。それだけならサドルを替えればいいのだろうけど、もうあっちこっち痛んでいる。タイヤも丸坊主になっているし、汚いし、これは替え時であった。この自転車もう１０年以上乗っているだろう。この自転車昔ドラッグストアをやっていた頃、大正製薬のリポＤの拡販謝礼でもらったやつだ。タダでもらった自転車をここまで使い込んでいるのだ。一時は本の仕入などに使った。たぶんそのためにこの自転車が傷んだだろうと思われる。普通のチャリだから、本の重みにはきつかったに違いない。
　千代田区は自転車あると便利である。各役所に行くとき、ＪＲや地下鉄など使うと、乗り換えが面倒なのだ。しかも最寄りの駅から結構歩いたりする。交通網はかなりあるのだけれど、役所や関係各所は、案外そこから離れたところにあることが多い。それを自転車だと靖国通りに出れば、わりとすぐ目的地に行ける。
　先日昨年移転した千代田保健所へ手続きがあって行ったのだが、この時は地下鉄を使い、九段まで行った。帰りに大きな通りは何通りだろうと見てみると、靖国通りだとわかる。そこでハタと気がつく。ここは神保町のちょっと先じゃないか。これなら自転車で来られる。ここまで自転車で来られるなら、東京法務局も千代田区役所も簡単だ。次回は自転車で来てみようと思う。
　神田税務署、都税事務所、東京都薬剤師会、そして支店のお茶の水店に行くにも自転車を使うことが多い。さらに昼のお弁当を買いに出る時も使う。
　となれば自転車は絶対必要だ。もう本など思いものを運ぶこともないから、華奢なスポーツタイプでも大丈夫だろう。そして昔は楽々お茶の水の坂を上れたのに、寄る年並みには勝てなくなり、最近は途中で止まって、自転車を押しながら坂を歩いて上ることも多くなった。だからどうせ買うなら変速ギアつきがいい。そうすればお茶の水の坂も簡単に楽に上れるはずだ。
　でも変速ギアつきの自転車って高いんだろうな、と思ってネットで調べてみると、なんと１万５千円程度であるじゃないか！へぇ～今はこんなに自転車が安くなっているのか。別に一流メーカーのもじゃなくてもいいし、ブランドものでなくてもいい。要は変速ギアがついていて乗れればいいのだ。
　さっそく最近出来た自転車屋さんへ行く。あるじゃないの安くて５段変速ギアつきの自転車が。これはいい。古い自転車も５２５円で引き取ってくれると言うし、文句がない。会計と防犯手続きをして、新しい自転車に乗って事務所へ戻る。
　ところでこの自転車屋さんのあるところは、昔私がいた本屋である。ここに入るのは閉店以来であるから、もう何年になるんだろう。うちが撤退して、しばらく借り手がいないまま長いことあいていたが、その後docomoのお店が入った。私は最近になって携帯を持った人なので、元々携帯には興味がない。だからここには寄りつかなかった。
　そしてdocomoもいつの間にか撤退し、その後今の自転車屋さんが入ったのである。ついつい懐かしくなって、中を歩き回った。２階にも上がってみた。このあたりに背の高い本棚があり、奥がバックヤードで、狭い中何人も入っていたんだな、と当時のことを思い出す。
　このビルのお店は元々オーナーである電機会社のショールームだと聞いたことがある。だから本屋としてここにお店を構えたのはいいのだけれど、とにかく使いづらいお店であった。１階から２階へ上がるのは今時はやらない周り階段で、案外鬱陶しい。そのため２階にはなかなかお客が上がってくれない。２階の担当者はいつもそのことで頭を痛めていた。私もその一人である。構造上おかしな作りになっているものだから、テナントが変わっても、変えられない部分が多くあるようだ。周り階段もそうだし、手すりも私がいた頃と同じだ。昔と変わらない部分があるというのは、懐かしいものだ。ここで自転車を買ったから、この店とつきあいが始まるだろう。そのたびにここに来ることが出来ると思うと、ちょっと嬉しくなった。


　村上春樹著『村上春樹　雑文集』（新潮社）１，４７０円　書泉で購入。確かこの本３１日発売だったはずだが、たぶん三和図書から早く搬入されたのだろう。たぶんここで早めに買えると思ったので、帰りに寄ってみたら平台に案の定並んでいた。（１月２７日）

        
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